第十一章【異国の風】
シルヴァンは、自分の手を見下ろしていた。さきほどまで、あの細い手首を掴んでいたはずなのに、もう何の重さも残っていない。
正しい判断だった──そう言われるだろう。
実際、誰も彼を責めていない。それでも、兄が彼女を抱き上げた瞬間、自分は一歩、確かに後ろへ下がった。その距離が、取り返しのつかないものに思えてならなかった。
守ったのは確かだ。止めもした。
けれど、“支える側”には立てなかった。
掌に残る微かな震えだけが、彼がそこにいた証のすべてだった。
麻痺した感覚を取り戻さなければ。
俺は、俺のできることを。
握った拳には、どこか空虚な思いだけがあった。
「シル兄様、姉上は……」
「兄上に任せよう。誰よりそばにいるべき人だ」
「……はい」
ゲイルが副官として指揮を執っているはずだ、そちらへサポートに向かおう。
少しだけ動きの鈍い足に鞭打って、シルヴァンは踵を返した。しかし。
「あんたらも一旦休め」
行く道を塞ぐように、先ほどの冒険者が両手にカップを持って立っていた。
「ほら、飲んでる間だけでもさ」
それらを差し出しされ、小さく息を吐いた。
「いただこう」
「あ……ありがとう、ございます」
湯気の立ったスープは香りも味も異国のものだが、却って切り替えられそうだ。
腰を下ろすわずかな時間だけは削り、その場でカップを傾ける。ルシアンもそれに倣った。
このほんのりとした辛味は異国のスパイスだろうか。
アルシエルでは感じたことのない風味だが、体を温める役割は遜色ないようだ。
「やっぱこっちは寒ィわ。カラザン胡使って正解だったな」
冒険者が何気なく言ったそのスパイス名に、ルシアンは一瞬だけ、カップを持つ手を止めた。
聞いたことのない響きだった。
「カラザン胡?耳慣れない響きですが」
「北じゃ入手は無理だからな。旅人でもなきゃ」
その一瞬の間に、ルシアンの視線が、わずかに外へ向いた気がした。
「休憩終わりだな。……小型、三。羽音が軽い」
“構えて受ける”騎士団の姿勢に対し、彼は“来たから対処する”姿勢だった。
──これが、冒険者か。
「ルシアン、彼から学ばせてもらえ」
「騎士団のやり方は知らねえぞ?俺は」
「構わない、頼むぞ冒険者」
「リュクス・フェンリルだ!行くぞ坊主!」
「ルシアン・スノウレイです!」
背負っていた槍を握り駆け出すリュクス。慌てて追いかけるルシアンの足音を聞きながら、シルヴァンは深く息を吸い込んだ。
「──ワイバーン三体確認!迎撃用意!!」
第十一章 了




