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第十章【白に近い青】

 蒼麟竜襲撃より二日が過ぎた。

 隊長格の一人であるアシェルは、負傷者のため働き続ける治癒班の護衛も兼ね、砦の修繕の指揮を執っていた。


 治癒班のエースであるリヴィアはこの二日、碌に睡眠を取っていない。

 数少ない休憩も、枯渇を短時間だけ誤魔化せる、魔力増福薬を飲む十数秒のみだ。そうでもしなければ、倒れた治癒士の分を回せない──救える命をも危うくさせることは、リヴィアには耐えられない。


「リヴィア、せめて仮眠を取ってきなさい」

「班長、すみません。あと一人だけ」


 何度、このやり取りを繰り返しただろう。

 同僚たちがいくら奨めてもこの調子で、結果、リヴィアは一度もこの場を離れていない。

 班長でもダメなのか、と耳をそばだてていた周囲の治癒士たちは、もう切り替えざるを得なかった。止まらない、止まれないリヴィアの気持ちは、痛いほどに理解できてしまうのだから。


 アシェルは彼女への信頼の強さから、己の任務に集中している。

 副官ゲイルはアシェルのサポートに徹しているし、ルシアンも自分ができることに奔走している。

 リヴィアの性質を誰より理解しているシルヴァンですら、この状況に麻痺してしまい、見落としてしまっている。


 誰も……誰も、リヴィアが危険な位置まで自身を追い込んでいる事に、気が付いていなかった。


「追加の資材を運んできたぞ!」

「多くはないが旅の冒険者の協力を得た!休める者は一旦休め!」


 隊列から二人の治癒士が治癒班のほうへ駆けてきた。

 だがその気配にすら目もくれず、リヴィアは負傷者に向き合い続けている。


 まず状況把握に努めていた一人の冒険者、雪原の中の湖のような深い青の髪を持つ青年リュクスは、そんな彼女の切迫した様子に気付いた。


 担架の数に見合わないように見える治癒士の数。

 交代が発生している様子が見られないこと。

 治癒班の中心に、真珠色の髪の女が常にいること。


「前線の治癒士って、だいたいこうやって壊れるんだよな」


 誰に向けた言葉でもない。ぽつりと呟いただけ。

 だがそれを拾った者がいた。


「──今、何と言った?」


 シルヴァンだ。


「それは、どういう意味だ」

「あの治癒士の姉ちゃん、寝てない。交代してない。判断を一人で抱えてる状況だ」


 ここで初めてシルヴァンは、自分たちが麻痺していること、リヴィアの魔力光の揺れが他の治癒士よりも強いことに気付いた。


 ──兄に報告か、リヴィアを止めるか。


 一瞬の判断の迷い。

 たったその一瞬でリヴィアの手は震えを増し、魔力の出力量を誤った。

 癒すはずの魔法が暴走し、傷を抉ってしまったのだ。


「リヴィア!!」


 自分が人を傷付けてしまったことに動揺し、リヴィアの魔力光の揺れが一層大きくなっていく。


「落ち着け!」


 暴走した魔力のまま、それでも癒そうとする青白く細い両の手首を、シルヴァンが背後から掴み上げた。このままでは負傷者も、リヴィアも、周囲も危険だ。


「ダメ、治さないと──!」

「リヴィアッ!!」


 兄の恋人だとかそんなことは、この瞬間だけはどうでもよかった。

 ただ、この幼い頃からの親友が壊れてしまう未来を避けたい一心で、激しく明滅する光ごと、リヴィアを強く抱きしめる。


「一人で背負う必要はないのだ……!」


 その言葉に、リヴィアの肩が大きく跳ねた。


 抱きしめられた腕の中で、暴れていた魔力光が一瞬だけ乱れ、次の瞬間、制御を失ったまま霧散するように消えた。治癒の光を失った傷口から、赤が広がる。


「……あ……」


 喉から零れた声は、謝罪ですらなかった。

 ただ、自分が“やってしまった”という事実を受け止めきれない音だった。


 周囲が一斉に動く。


 別の治癒士が負傷兵を引き取り、抑え、処置を引き継ぐ。

 誰一人、リヴィアを責める声を上げない。


 ──それが、いちばん残酷だった。


「離して……っ、まだ……まだ……」


 力の入らない手が、シルヴァンの胸甲に当てられる。

 だが、その指先はもう、魔力を紡ぐ形を作れていなかった。


「無理だ、リヴィア。今のお前は──」


 言葉を続けようとした瞬間、背後から低い声が割り込んだ。


「シルヴァン、そこまでだ」


 アシェルだった。


 砦の外壁から駆け戻ってきたらしい。

 鎧には修繕の粉塵が付着し、息もわずかに荒い。


 だが、その視線は一瞬で状況を把握していた。


 ──負傷兵。

 ──引き継ぎに入った治癒士。

 ──抱きしめられたまま、崩れかけている恋人。


 そして。


「……その光」


 アシェルの目が、わずかに見開かれる。


 白に近い青。

 震えながら、今にも再点火しかねない、危険な揺らぎ。


 近くで見てきた彼だけが知っている色だった。


「離れろ、シルヴァン」


 命令ではない。だが、逆らえない声だった。


 シルヴァンが腕を緩めた瞬間、リヴィアの身体が前に崩れ落ちる。

 受け止めたのは、アシェルだった。


「……アシェル、様……」


 名前を呼んだだけで、リヴィアの膝が折れた。

 張りつめていた糸が、ようやく切れたのだ。


「……すまない」


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からないまま、アシェルは彼女を抱き上げた。


 ──軽すぎる……。


 三年間、前線で共に立ち続けてきた身体は、こんなにも軽かっただろうか。


「治癒班、交代を即時回せ。この場は私が引き取る」


 アシェルの声に、誰も異議を唱えない。

 ただ一人、少し離れた場所でリュクスが小さく息を吐いた。


「……間に合った、か」


 誰にも聞こえないほどの声で、そう呟いて。

 だがその視線は、意識を失った治癒士ではなく──彼女を抱く騎士の表情に向けられていた。



 第十章 了

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