6-11 オーキョー(2)
ヨール王二三年六月二一日(木)。
帰途のモルでやるべきことは指輪の受け取りとジェーン・ドゥ・オーキョーの採血、それから宰相殿の紹介状を使ってガラスを手に入れることだ。採取した血液を調べるのは翌日、マーリン7に帰ってからになるので、採血を行うのは夕方とかの方がいい。だからデージョーへ行くのは午後だ。前回訪問の時、ジェーン・ドゥも「午後なら大抵は時間が作れる」と言っていたし。買い物や散策のために午前中から動こうと思えばインプラントで覚醒できるが、それをやるとオレの睡眠のリズムはどんどんおかしくなってゆく。睡眠過多なら体調への悪影響はほとんどないが、覚醒過多は体に負担だ。前回のデージョー訪問で、ジェーン・ドゥに会うときにはアンも極力バッテリーを満たした状態が望ましいこと思っている。つまり、オレもアンも休息した方がいい。
午前中はモルホスの屋敷で休憩した。モルで一番人が集まるのは神殿で、何かを買える店もその周辺に集まっている。時間が余ればそのあたりで面白そうなものを探せばいい。ガラスの入手はバース達が午後に動いてくれるという。オレも炉の形式は見たい。しかしジェーン・ドゥの所へ行く約束もあって、時間の都合が付きにくい。仕方がないから、バースとミナルには、可能であれば製造過程を見学して概要を口頭だけでいいから教えて欲しいとか、完成品のほか、失敗作でも欠片でも、何かに使えそうなものがあればあわせて入手するように頼んだ。
そういうわけで午前中は客室で休憩し、三の鐘を少し過ぎた今はデージョー神殿に向かって歩いている。まず指輪、次にジェーン・ドゥ・オーキョー。採血は会談の最後にしようと思っている。
門前の案内所でジェーン・ドゥのところへ行ける木札と指輪の引換証となっている木札を示した。
「案内は必要ですか?。」
「いや、場所はわかってる。今神殿にいるかどうかだけだ。」
「工房は誰かいますよ。オーキョー様は、滅多に外出なさらないので、自室でなくても神殿内には。」
「ありがとう。じゃあ、工房から順に行ってくる。」
工房で木札を示すと、すぐに前回ここに来た時に応対してくれた職人が木箱を持って来た。
「先日ご注文いただいた品、できあがっています。ご確認下さい。」
蓋を開くと一番上にアンが清書した図案、続いてジェーン・ドゥの推薦、その他数枚の木簡があって、一番下に藁に埋もれた指輪が入っていた。オレは指輪を摘まみ上げ、藁を息で吹いて右の人差し指に填める。サイズに問題なし。
「試しに押してみて下さい。この木簡は、そのまま差し上げます。」
職人が新しい木簡を差し出した。「そのまま差し上げる」というのは、試しで押した木簡に変な契約条項を書いたりはしないということだろう。オレは差し出された木簡に新しい指輪を押しつけてみる。指輪は木に食い込み、抜くのに少しだけ抵抗がある。指輪が木から離れるときれいな刻印が残されていた。
「きれいに線が出てるね。ありがとう。」
「これが仕事ですので。」
次は、ジェーン・ドゥ・オーキョーだ。
ジェーン・ドゥの部屋では、オレとアンを迎えるための準備が整えられていた。小姓のような少年も一緒だ。
「さっき報せが来たからね。お茶ぐらいは用意するさ。アンタ達、嫌いな食べ物とかは?。あと、この前アンタ達が帰ってから気になったんだけど、普通の人間の食べ物は二人とも大丈夫なのかい?。」
最初から英語だ。カースンの人間には聞かせたくない情報を含んだ会話を行う、というジェーン・ドゥからの暗黙の宣言だろう。念のため聞いてみた。
「普通の人間の食べ物?。」
「アタシは流刑前に消耗品の両目両耳と歯は長保ちするヤツに入れ替えてるけどね。シマドの眼のお嬢さん、ええと、湖の乙女、綴りに『e』を付けるアンお嬢様だよ。その見た目の年齢で両目ともシマドって、何か理由があるはずだって思ってね。」
これは地球文明圏を知るジェーン・ドゥには、知らせていい情報だ。
「そのあたりを含めて、ジェーン・ドゥには知らせておくべき事柄を紙にまとめておいたよ。これにも書いてるけど、アンは、アンドロイドだ。」
ジェーン・ドゥ用に用意していた紙をアンが差し出した。英語で、内容は紙数枚だ。オレ達が地球文明圏を出発した時点で社会状況概説、マーリン7の概説、ヤーラ359星系到着以降の出来事ダイジェスト。既にネゲイで明かしていること、必要があれば今後明かしてよいこと、ネリやエンリ達「家族」になる者以外に明かすつもりのないこと、今後も明かすつもりはないこと、幾つかのランクに分けて箇条書きにしている。ジェーン・ドゥは紙を受け取って読み始めた。
「大体わかったよ。翻訳はリモートでやってるのか。英語で話す分には支障ないみたいだけど、この部屋を電波が使いにくい造りにしたのは、やっぱりちょっと失敗だったようだね。」
「中継点を色々組み替えて試してるけど、この部屋だと窓際が一番安心だと思う。」
「前に『通信機があれば』って話もしたけど、中継がやりにくそうだね。」
「今は最初の装備品でやれることをやってるけど、状況を見て追加で何か作る必要もあるかとは思ってた。で、ジェーン・ドゥ、あなたと連絡し合うなら、ネゲイに帰ってから『虫』中継以外の方法も使えるように準備しようと思ってる。作り方はわかってるし、工具類もある。材料がちょっと不安だけどね。」
「材料か。それについては、アタシの二百年の研究成果、ってのも参考にしてくれたらいい。前にも話をやりかけた、ここでの生物相のこととか、『思ったことが形になる』こととかのメモだ。量があるし、時系列で溜め込んでるから関連も整理されてない。時期によってはまとめて一箱とか抜けてる。収支報告とか時事問題も混ざってるし、重複も多分あるだろうけど、この何日かだけで整理できるもんじゃなかったよ。あの箱だよ。アンタ達ならカメラぐらいは持ってるんだろ?。撮影して、文字起こしして、あとで整理すればいい。整理できたら、アタシも読み直したいね。」
ジェーン・ドゥはテーブル脇に用意された箱を指さした。四十センチほどの大きさで五個の木箱が並べられていた。
「一応、一番古いのは右端だよ。あまり古いのは読めないかもしれないけどね。」
箱の一つを開いてみる。羊皮紙の筒や木簡などが入っていた。一枚を手に取る。内容は……多分百年以上前の会計報告だ。オレがネゲイでの標準字体として扱ってるネリの筆跡にはないウムラウトのような飾りが付いた字体も混ざっている。読めなくはないが。
「面白い。これを最近の数字と比べたら経済活動の変化とかがわかるな。」
「分野は、もう色々あるよ。整理が時系列で申し訳ないけど。その箱のどこかには、まだ電源が使えていた頃にコンピュータに放り込んだ記録キューブも入ってる。最初の五十年ほどかな。」
箱の中を探るとジェーン・ドゥが言ったキューブが出てきた。読み取りは……この端子形状ならできそうだな。アンにも見せる。
「アン、これ多分読めるよな。持ち帰ったらだけど。」
アンはキューブを手に取って調べる。」
「ええ。中がおかしくなってなければ大丈夫かと思います。持ち帰る必要がありますけど。」
「記録は提供するつもりだったから、後で返してくれるなら持って帰ってコピーしていいよ。箱ごとってのは、運ぶのが大変だろうから、さっきも言ったけど撮影して、ここの言葉でも英語でもいいから文字起こししたら分野と時系列で情報の並べ直しができるだろ。」
ジェーン・ドゥの提案に応じて中身の撮影を始めようとしたが、アンが言った。
「ジェーン・ドゥ。埃払いに、ブラシを借りることはできますか?。それから、できるだけきれいな状態で撮影するには、窓際でもこの部屋は少し光量が足りません。別の部屋へ移動するか、照明灯を使ってもいいですか?。」
「あの子がいるから、照明はよくないかもね。移動しようか。」
ジェーン・ドゥは小姓の少年にどこまでの情報を与えるかで少し考えたのだろう。移動することになった。ジェーン・ドゥは箱の一つ、「一番古い」ものを中庭に運ぶよう小姓の少年に命じた。四阿があるらしい。自分は普段の執務机から卓上用のブラシを一本取り出してアンに渡す。
「一箱でどのくら時間がかかるか、試してみようか。」
四阿で、直射日光は当たらない位置に箱から取り出した木簡を置き、ブラシで埃を払う。作業はアンだ。英語で言う。
「ここなら、読み取りと記録に支障なさそうです。埃や汚れの酷いものがなければ、一箱で一時間弱でしょうか。いえ、多分それよりも長くなると思います。まだ下の部屋に残している箱もありますし、今日中に全部は、少し難しいかもしれません。」
「そうだろうね。箱ごと貸し出すか、何回に分けるか、そういうこともあるかと思ってたからね。箱を持って帰ることはできるかい?。」
「モルまで戻ってから、バギーは別の所に駐めて歩いてここまで来てるから、一旦バギーを取りに行かないと。でも全部で五箱となると、ちょっと辛いかな。」
「仕方ないね。これから何週間かの間に、何回か往復してもらうことは?。」
「それはこれから定期的に必要になるだろうと思ってたことの一つだから、問題ないよ。無線機のこともあるし、血液検査の結果で何をどうしようとかの話もあるだろうから。」
「じゃあ、湖の乙女、今日はその箱だけでも頼むよ。汚れ取りでペースは落ちるだろうから、一箱のペースを見て、今日追加するかどうか決めよう。」
「そうだな。視界に入ったものはどんどん転送するから、埃を払ったヤツを何秒か見てるだけで情報は蓄積できる。」
「アンタ達、便利だねえ。」
箱の中身が全て取り出されてテーブルに積まれた。アンはブラシで埃を払い、内容をざっと目視して木簡をオレに渡す。オレも目視するだけだ。普段なら視界に入った文字列に重ねられて翻訳が視界に表示されるが、今は数秒間木簡を見るだけで「記録完了」の文字が点滅するだけだ。アンの視界として撮影されたもの、オレの視界で撮影されたもの、整理は後回しで画像情報をどんどん蓄えてゆく。オレが見終わった木簡はジェーン・ドゥが箱に戻した。箱の中にどういう順序に入れるべきかは、彼女が一番よく知っている。
状態のいい木簡はすぐに処理できたが、丸めた羊皮紙は状態がよくても一旦文鎮で四隅を押さえなければならない。中には文鎮で押さえにくい形状のものや、全面に文字が書かれていて文鎮を置いたら読めなくなるものもある。そして埃を落とすだけでは判読できないようなものもやはり混ざっていた。作業の途中で四の鐘は過ぎ、結局一箱で二時間弱がかかっている。オレもアンもジェーン・ドゥも、手が真っ黒だ。ジェーン・ドゥが言った。
「手を洗って休憩しよう。区切りとしては、今日はこんなもんかね。残りは四箱。新しいヤツほど痛み具合もマシだろうからペースは上げられるだろうけど、多分新しいヤツほど羊皮紙が増えて枚数も増えてるから、このペースだと二~三日覚悟しておいた方がよさそうだね。アンタ達は今夜移動の予定だったかな?。一日ずらしたりは……、ネゲイの殿様も一緒だったか。今回は諦めようか。次にモルに来れるのはいつ頃になりそうかい?。」
アンが答えた。
「朝から夕方まで記録の読み取りを行う、ということで、私と同型のアンドロイドを三体とジェーン・ドゥがいれば一日で終わります。明日の朝にネゲイまで帰って、夕方には血液検査の結果も出てるでしょうから、夜にまた移動すれば、明後日、二三日にはまた続きの作業は可能です。無線機は難しいかもしれませんが。」
「いつかやろうと思いながら百年も置いておいた話だから、次に来るのは通信用の機材が準備できたらでいいよ。私の部屋からヤギでも皿でもを引っ張れるようにしておいて欲しい。」
「ヤギ?、皿?。」
アンが聞く。
「そういう言い方はしなくなってるのかい?。アンテナだよ。」
「わかりました。定点で衛星を置いてますから、当面は『皿』がいいかと思います。」
「そのあたりは任せるよ。」




