8-6 替え玉計画
ヨール王二三年七月二四日(日)。
以前から何度か、資金力強化のために金や銀を集めて換金することは集めることを考えていた。やり過ぎるとネゲイを中心にインフレを起こす可能性はあるが、上手に使えば現金というものは幾らあっても困らない。昨晩のエンリは仮想的にデルタでの移動を体験している。ネリにもそういう機会を設けておいた方がいい。なら、休日のピクニックとして、前にも行ったことのある無人島へ行くことを提案してみた。オレは資源収集ができるし、エンリとネリはこの暑い季節に海で遊ぶことができる。
「でも、海で何をするんです?。」
「泳いでみるとか日光浴とか。いつもと違う場所での食事というのもいい。」
「私、泳いだことがないんですけど、エンリは?。」
「私は魚の仕事のために最近教えてもらいましたけど、ネリ様がダメなら、私一人じゃ面白くなさそうな気がします。」
提案は却下された。ネゲイあたりでは川も浅く、普段から泳げるような場所はほとんどない。練習できないので泳げる人もいない。海を見ることもないので海水浴という発想もない。行っても何をするべきかがわからない。海で遊ぶための浮き輪とかもない。ビーチボールもまだ発明されていない。
「でも外の食事なら賛成ですよ。ええと、エンリの結婚二週間記念とか?。理由はなんでもいいわ。」
「じゃあ、今日は、食事以外のことは何をする?。先週はエンリにエビ釣りを教えてもらったけど。」
「バギーを、教えてもらえますか?。」
エンリが言った。昨夜のどこかで、そろそろかなと思ってはいた件だ。
「バギーね。ネリも試す?。」
「やります!。」
「わかった。まず、仕組みの説明から始めようか。」
まずマーリン7の中で一時間ほどの座学。その後小休止を挟んで一時間ほどインプラントを使ったシミュレーション。軽食。頭を使ったのでメニューは甘い物を並べた。午後はエンリとネリが交替で運転席に座る。幌に隠れてわかりにくかったが、また休日の「当番」をやっていたヨークが、誰が運転しているかに気付いて羨ましがっていた。
安全のための補助はやるが、補助しすぎてもよくない。特に、クラッチの踏み方には一切遠隔介入ナシとした。このあたりの加減はαが上手にやってくれている。二人とも、それぞれ一時間ほどの運転で前向きに走りながらの基本的な操作はできるようになった。後退しながらの車庫入れ操作とかは全然ダメだったが。
四の鐘でネリに運転を任せてネゲイに行く。市街地では徐行しながらの運転の練習になる。目的地は先日鏡を取り付けたアンゼだ。人の動きを見たり、店の感想を聞いてみたい。バギーを商業地の共用馬車置場に駐める。区画線などはないが、変な斜めにならないようにバギーを駐めるのは、ダイアナが交替した。
「ナガキ・ヤムーグ様。」
オレ達が近づいてくるのに気付いた店員が声をかけてくる。
「四名様ですか?。外は暑いですから中の席がお勧めですよ。壁際は空いてないんですけど。」
壁際が空いてないとは、不思議な表現だ。
「壁際?。」
「ええ。鏡ですよ。壁に付けたら、その前の席がずっと大人気になってまして。」
ノルンが鏡を取り付けてから、まだ二~三日しか経っていない。情報が早いな。
「まだ二~三日しか経ってないと思うけど、そんなに人に知られるものなの?。」
「偶然ですけどね、一昨日でしたか、朝に鏡を取り付けて、午後にこのあたりの色んなお店の女将さん達の定期会合があったんですよ。そこから話が広まったんでしょうね。」
「いいタイミングだったんだな。まあ、私達は壁際でなくても全然構わないよ。それなら四人席はあるだろ?。」
店の中に入ると、店員の言ったとおり、鏡が取り付けられた壁際の席は全部埋まっていた。壁際席に見覚えのある顔もある。ノルンと婚約者のベリューだ。ベリューがオレ達に気付いて手を振った。丁度いいからその近くの空席に座る。
「マコト殿、入ってきたのが鏡で見えましたよ。」
ベリューが言う。
「ベリューとノルンも来てたのか。」
これにはノルンが答えた。
「納めた物は気になりますからね。評判はいいようで、私も嬉しいですよ。」
「そんな感じだな。さっき店員から言われた『壁際は空いていない』って、不思議な言い方をすると思ったけど、評判がいいなら問題ないね。」
「ええ。鏡の追加も頼まれたんですけど、これはマコト殿以外にもハパー殿とか領主館とか、あちこち相談した方がいいと思いまして、保留してます。」
「工房のスケジュールとかモルへの注文とかあるから仕方ないか。紙の仕事がまた遠のくなあ。まあ、今日は休みだからそのあたりの話は考えるだけで止めておこう。」
「そうですね。休憩しに来てるんですから。」
オレ達もそれぞれに飲み物を頼む。しばらくはノルンやベリューとも世間話をしていたが、オレ達が頼んだ飲み物が届くと、ノルン達は「この席待ちのお客さんもいるようですから。」と言って先に店を出た。
鏡の評判も自分の目で見ることができて、店を出た後、運転はエンリに交替した。領主館でネリを降ろし、新池に帰る。ネリもエンリも、基本は今日一日でなんとかなったようだ。二人ともバックでの車庫入れは、もっと練習が必要だな。これはオレも「機構」での研修で習得に時間がかかったものの一つだから仕方がないと思う。
ヨール王二三年七月二六日(水)。
昨晩まで、正確には今日未明まででネゲイ~カースン間の中継機設置は完了した。正午を回れば、位置キャリブレーションも終わって全機で通常運用ができる見込み。ネゲイ~モル間の中継機は、既に位置キャリブレーションも終わっている。
今日はジェーン・ドゥに渡した通信機に地上回線用のアンテナを増設するため、モルに来ている。エンリも同行している。エンリの同行はジェーン・ドゥの要望だ。地球文明圏に関わりの深いオレやαと話をするのとは別に、ヤーラ359-1の文明圏では周辺各国の思惑により「閉じ込められている」ような状態であるジェーン・ドゥは、市井との接触も遠慮がちだ。そこで最近よく話をするようになった市井の人間であるエンリとも会っておきたいらしい。
「よく来てくれたね。ちょっと面倒だったが人払いはしてある。ナガキ・ヤムーグ、それからエンリ・ゴール、アン『イー』、後ろに『e』を付けて発音するって、昔から疑問だったんだけど、私はちゃんとできてるかい?」
「できてると思いますよ。」
アンが答える。この会話について来れないエンリが聞いた。
「後ろに『イー』?。」
モンゴメリを知らない彼女には当然の疑問だ。
「昔の物語の中の話でね。『アン』って名前の人が、誰かが自分の名前を呼ぶときにそうして欲しいって頼むんだよ。同じ発音でも意味が違ってたら文字にする時に違う書き方をすることがあるだろ?。そういう話だよ。」
「私はイングルサイドの話が一番好きだったんだけどね。そこまで読むのは大変だったよ。」
「イングルサイド?」
「とても長い話なんだ。始まりから終わりまで二四年か三六年か、そのくらいの物語で、イングルサイドというのは最後の話だったと思う。」
「物語というのは、もっと短い物かと思ってました。一晩、というか、寝る前に小さい子が聞かされるような、口で話しても半鐘もないような、そんなのしか知りません。」
「多分、紙があるとかないとかで話の長さが変わってくるんだろうな。ジェーン・ドゥ、カースンで、長い物語というのはどのくらいあるんだろう?。」
「長くて鐘一つくらいだね。語りでね。それより長いと、聞いてる方も疲れるからね。『本で読む物語』というのはほとんどないよ。写本というのは手間がかかるから、神様の話と実用的な知識を書いたもの以外はあまり写本もされないし。」
「そういうものか。エンリ、私が知ってる物語は、もっと長いものも沢山あるんだ。寝る前の子供に聞かせるような短い話でも、出てくる人一人ずつの子供の頃からを話し始めたりしたら長くなりそうだろ?。文字が読める大人用にまとめられた物語は、時間に余裕があるなら話はどんどん長くなるんだよ。エンティ王妃の話とか、短い話ばかり聞いてるけど、なんでそんな性格に育ったとか、理由を細かく書いていったら長くなりそうだろ?。」
「エンティ王妃は、そうですね。『そういう人だった』としか聞いてないですけど、なんで『そういう人』になったか、それも含めて文字にしたらどんどん長くなりそうです。その、『イングルサイド』?私も読むことはできますか?。」
「いいね。私も何百年ぶりかで読んでみたい。ナガキ・ヤムーグ、アンタならできるだろ?。」
エンリとジェーン・ドゥの要望について、αがオレに伝える。
『紙に出すのは大変だけど、二人とも電子版なら大丈夫よ。関連書籍も多分大丈夫。ジェーン・ドゥにはオリジナルで、エンリには翻訳で。端末も、エンリ用に、一台作った方がいいわね。ネリやハンナ用にもね。』
『端末はそのうちに増やすだろうとは思ってたよ。今ジェーン・ドゥに渡してるのと同じ設計でいいのかな?。』
『ジェーン・ドゥに渡してる物もあわせて、時々改造がいるでしょうね。台数は少ないから、まだ簡単に管理できる範囲よ。』
「ジェーン・ドゥ、紙の本でなくて電子版ならできるよ。ついでに、あの話の中に出てくるマロリーや聖書も。『ベン・ハー』を読んでるシーンとかなかったかな。そこまで用意できるかな。全部は今は答えられないけど。」
エンリにも言う。
「エンリ、さっきも言ったけど『イングルサイド』は物語の一番最後だ。最初の話は『グリンゲイブルス』、続きの『エイヴォンリ』、あと、幾つかの話を正しい順序で読んでいかないと『イングルサイド』を読んでも意味がわかりにくいと思う。最初の『グリンゲイブルス』だけ、まず読めるように用意しておくよ。」
「マロリーというのは?。」
「別の物語、マロリーを知ってる方が、話がわかりやすいってことだけど、そこは読みながら、わからなかったら聞いてくれればいい。」
ジェーン・ドゥも言った。
「私は『グリンゲイブルス』を読んでからマロリーだったよ。順序は、どっちでも楽しいさ。『グリンゲイブルス』は女の子が日々を暮らしながら大きくなっていく話。マロリーは男の子の話だよ。大きくなって強くなって国を作って国が潰れるまで。『グリンゲイブルス』で興味が出たら読んでみるといい。ナガキ・ヤムーグ、翻訳するならついでにそのあたりの簡単な解説だけでも付けてやればいい。できるだろ?。」
オレが読んだ版もそのあたりは注釈が入っていた。ライブラリに入っている版はどうか知らないが、そのくらいの編集はαでもできるだろう。
「できると思うよ。」
「なら、そうしておくれ。また『グリンゲイブルス』が読めるのは嬉しいよ。」
挨拶の時のジェーン・ドゥの冗談から始まって、かなり脱線してしまった。
アンは屋外にあるパラボラの横に地上用のアンテナを固定するために席を外す。残されたオレ達は年末に向けた「替え玉」の話を始めた。
「まず私の動き方の癖とかを観察するために侍女を一人送り込みたいって、そういう順序だったけど、なかなか不自由でね。一人入れようと思ったら、一人辞めさせなくちゃならない。色々考えてみたけど、政治的な問題ってのがあってね。それで、ネゲイから来るなら、カースン出身者の枠だ。追い出すにしても理由がいる。ちょっとやり方を変えて、デージョーの中のどこか、工房とか星読寮とかに弟子入りって形なら、ナガキ・ヤムーグの推薦があったらすぐにでも話は決められると思うよ。工房はアンを欲しがってたし、星読じゃあアンタは有名人だ。私が出入りすることが多いのは星読だね。そうしてもらえるなら、私も星読みに出入りするとか、呼んで話をするとかの機会を増やすよ。一日中ってわけにもいかないだろうけどね。」
「ちょっと観察時間が減るか。できれば、一日だけでも、朝起きてから夜寝るまでの動きを一通りサンプリングしたいところではあるんですけど。」
「星読寮なら仮眠することもある。それ以外にも、何か理由を見つけて私の優雅な暮らしを見せる機会は作るよ。」
ジェーン・ドゥの今の提案では、星読みと直接関係のない行動、何かの式典とか外部の人間との会談とか、そういう状況での行動観察ができない。
「できればずっと一緒に行動させたいと思ってましたが、例えば我々と話すときと他の人達と話すときの言葉の選び方の違いとか、そういうものを拾いにくい。今、ジェーン・ドゥに預けてる通信機で会話をずっと拾い続けるとか、プライバシーがちょっと困るかもしれませんが許可をいただけますか?。」
「今更色恋沙汰もないしね。電源に問題がないなら、できるだけあの機械を持ち歩くようにするよ。閉じておけば蠟板と同じに見える。いいデザインだね。」
「電源は、調整します。常時発信なんかさせると多分ダメなんで、普段は録音だけしておいて、電源に接続されている時に圧縮送信するとか、リモートで設定をいじりますよ。」
「今思ったけど、相手が悪意の多分ないナガキ・ヤムーグだからってのもあるんだろうけど、監視されてることに慣れきって、知られたくない会話とかが全然ないって、もう一グロス年以上そんな生活をしてるのは、面白くない人生だねえ。そう思うと、外に出ることができそうなのは、だんだん楽しみが増えるね。最初はテロメア治療だけだとしてもね。二回目はまた違うところにも行けるだろ?。」
「短期間ならできるでしょう。替え玉の性能がどこまで行けるか、完全な入れ替わりまで行けたら田舎で隠棲とかもできるんでしょうけどね。」
「そこまでできるならナガキ・ヤムーグ、アンタが帰るときに積んで行って貰ってもいいよ。」
オレはジェーン・ドゥの申し出を考えた。体格が問題だ。一般乗員用の冬眠タンクでは収まらない。医療用のタンクはどうだろうか?。アンが言う。
「二百歳超えの人が冬眠した時の症例データがありません。まず、今の状態の細胞でクローンを作って、最低二年ほど冬眠させてみるとか、実験を色々やらないと不安ですよ。準備に十年ほどかかります。その頃には、私達も一旦帰還するか、情報だけ送るかっていう時期になってると思いますけど。」
「二百歳超えの人間の細胞から作るクローンというのも、面倒そうだねえ。私のテロメアは部分的に手を入れてあるしねえ。」
ここでエンリが聞いてきた。
「クローンとかテロメアって何ですか?。あと、『帰る』って?。」
「エンリ、悪いけど帰りに説明するよ。ジェーン・ドゥの長生きの秘密の一つだけど、説明には時間がかかる。『帰る』ことも、今まだ予定を立てられない。」
「そうですか。じゃあ、それは帰りながら。」
ジェーン・ドゥも言う。
「エンリ・ゴール、向学心があるのはいいことだよ。でも悪いけど今はこっちの話をさせておくれ。」
「わかりました。」
結論としては、ジェーン・ドゥ本人の地球文明圏への帰還は保留された。今の状態で冬眠タンクに入れるのは不安が大きすぎる。モルには、「侍女」用に用意した小ニムエのうち二体を星読と工房にそれぞれ送ることになった。この二体は適宜交替させる。モルのどこかで借家を一つ借りなければならない。借家には、充電用の設備も必要だ。あと、ジェーン・ドゥの居室近くに置いている充電設備も強化しておいた方がいいだろう。神殿内の充電設備については前から考えていたことの一つだったが。
ジェーン・ドゥには鏡も一枚贈呈した。
「ガラスの鏡って、二百年振りだよ。で、私の見た目って、ダメだねえ。先端肥大ってヤツか。酷い有様だ。」
「テロメアの話にも関係しますが、AIによると、先端肥大の影響を徐々に縮小するような措置も可能らしいですよ。状況を見ながら少しずつやらないと体調も狂うし周囲にも違和感を持たれてしまいますけど。」
「それも最低五~六年かかる話か。欲が出てくるね。私がここに送られてきた頃の身長と顔にも戻せるのかい?。」
これにはアンが答える。
「その頃の顔写真を含む身体データは前に提供いただいたキューブから回収してます。テロメアを触る前のオリジナルパターンも推定ですが復元済みです。技術的には、可能です。」
「やるにしても十年コースだろうね。冬眠タンクとの相性とか、欲を出したら色々考えないと。身長の伸びを止めるって最初の私の希望以外に、欲を出しても大丈夫なものかい?。」
「できること、できないことはありますけど。例えば今のジェーン・ドゥが神経インプラントを入れても大丈夫なら、クローンで新しい身体を作って全部の記憶をコピーするとか。」
「二百歳超えでそれができるか、検査は必要ってヤツだね。」
「そうです。」
「それが実現できたとして、私の記憶で身体が二つになるわけだ。分離した後で記憶の同期とかはできるのかい?。」
「年齢の話を別にすれば、実施例はあります。」
「アン『e』、ナガキ・ヤムーグ、医学的な最終目標はそこにしたい。本体は身長の伸びを止めて、百年かかってもいいからテロメアに手を入れる前の状態に戻す。ついでにクローンも作って、そっちはネゲイでもどこでもいいからモル以外のところで暮らさせる。クローンには、ナガキ・ヤムーグが地球文明圏に戻る時には、同行を希望したい。」
オレはいい案だと思った。AI達はどう結論を出すか。ベータの軌道位置は、今の時刻は通信圏外か。アンが答える。
「その場合の問題点を洗い出します。今夜にでもお伝えできるでしょう。」
オレも言ってみた。
「記憶情報をクローンに複写する時に、『ジェーン・ドゥ』を名乗る前の本名もわかってしまいますよ。」
「きゃーやめてー恥ずかしいー」
ジェーン・ドゥは全然感情の籠もってない棒読み口調で返した。
「ライブラリにある改訂版の標準歴二八三六四月の医療行為に関する倫理規定第六条により、記憶内容は本人の同意又は然るべき司法機関の命令がない限り開示されることはありません。」
冗談なのか本気なのかわからないが、アンが答えた。




