8-5 中継網
ヨール王二三年七月二十日(水)。
領主館での剣術の朝稽古を経て、二の鐘から工房で鏡の作業を再開。切り出しの工程は、使う道具こそ少し違って入るものの、原理的には紙の大きさを揃えるのと同じだ。昨日と同じ小ぶれで集まった一同は、二の鐘で作業を始めて三の鐘前に仕事を終えた。ノルンが言う。
「ガラスの仕入れは高いですけど、前にハパー殿が言ってた値段でも一応はやって行けそうです。」
ハパーの提案による価格帯はオレも覚えている。今の約三十センチ四方で仕入れたガラスを鏡に加工してから四枚に切り分け、木枠を付けて一枚あたり銀六から金一ぐらい。工房殻の出荷額はそれより少し下になる。元のガラス一枚が金貨一枚なので、四分割して合計金貨二枚だとちょっと苦しいが、四分の一枚を金貨一枚で売るのなら余裕はできる。工房の取り分は銀貨九か十枚くらい。作業に慣れて効率が上がれば、ハパーの店での売値も下げて工房が銀貨六枚でもいいかもしれない。
「試算の内容を説明できるようにまとめておいてくれ。領主館やハパーとも話をしておかないといけない。」
「そう思って、ベリューに頼んでおきましたよ。私の汚い字を、きれいに清書してくれます。」
ノルンは、最近は半同棲のようになってるノルンの婚約者であるベリューに仕事を任せるつもりらしい。彼女は手先があまり器用ではないという自覚があるそうで工房内の作業には手を出さないが、計算や筆記などの事務仕事はできると。必要なことを補い合えるなら、ノルンもいい嫁を見つけたな。
試算ができあがったので四の鐘で領主館を訪ねた。価格帯ではヨーサかドーラ、職人の数の話ではゴールとも話をしたい。ゴールは不在だった。ドーラに時間の都合が付いたので、試算の結果を説明する。
「前にハパーが言ってた値段で収まりそうなのね?。」
「ええ。最初はもっと高くしてもいいかもしれませんけど。」
「同じ『鏡』って呼んでても、今までのものとは材料も使い方も違いますからね。使う側の私は当然安い方が嬉しいけど、工房の経営にも一枚噛んでる人間としては、売れる範囲内で高くもしたい。安くしすぎると注文も増えて対応しにくいでしょ?。」
価格を高めに設定すれば注文の数は抑えられる。蠟板は以前から多くの人が使っていたものの代用。コンテナは以前から多くの人が使っていたものに新しい価値を付加した実用品で、需要も見込めるし、付加価値相当分の価格差も設定している。紙の販売価格も同じような方法で考えている。しかし、鏡に関しては今までにそういう使われ方をしていないので付加価値を貨幣単位に換算しにくい。
「ハパーのところに行ってみましょうか。」
工房の手が足りないことを心配するノルンの意見も聞きながら考えていたドーラが提案した。
「鏡の相談に来たよ。」
「ああ、鏡ですか。この前、いつでしたか、領主館でもその話をしましたね。金貨一枚より下で、みたいな話でしたっけ。」
「よく覚えてるね。」
「品物の仕入れと売値は大体覚えてないと、困りますよ。」
ハパーは笑いながら答えた。
「それで、鏡を売りたいとか、そんな話ですか?。」
「値段の話だな。大体、効率よくやれそうな原価は計算してみて、この前ハパー殿が言ってた金貨一枚には収まりそうかなと思ってる。工房で銀九か十枚くらい、店で金一枚とかね。それなら店に、銀二~三枚。」
「ええ。そんな感じで収めたらとは思ってました。」
「工房で手が足りない話は知ってるだろうけど、安くしすぎたら、作ってるところがウチの工房だけだったら、他の仕事ができないくらいに注文が来てしまったらとか、そんな心配をしてる。作り方の契約とかで他所に回そうと思っても、ネゲイで適当な相手が思い浮かばない。」
「仕事ができる範囲に注文を抑えたいとか、他に注文を回せるようにしたいとか、そういうことですね。」
「値段を上げたら注文は少なくなるだろうし、作れる工房が増えたらこっちに回ってくる注文も減る。」
「ネゲイではあまりやってませんが、モルとかカースンなら競売にも出せますよ。モルなら、一応、伝手はあります。競売なら一枚だけでも出せますから工房の負担にはなりませんし、そこで付いた値段が今後しばらくの目安にもなります。」
「競売ということは、買う人はガラスの鏡がどんな物なのか知ってないと値段を付けにくいな。競売の場所では、売られるのがどんな物か、みんなわかって値段を付けるんだろ?。」
「それもそうでした。うーん。鏡、新しい鏡がどんな物か、知っておかないとダメですね。モルじゃあ多分誰も知らないし、ネゲイでも……、領主館の人達か、石鹸に関わった人達しか知らないんじゃないですか?。」
「そうだな。普通の人は、多分知らない。」
ここで思いついた。
「ヨークの店で石鹸を使ったどこかの隊商が石鹸を買い占めて帰ったとか聞いたな。ヨークの店で新しい鏡を使ってもらったら、あそこはネゲイの外からの人も来るから、宣伝になるかも。」
「ネゲイの中で、ヨークとか、人が集まりそうな場所に貸し出すとか安く売るとかして、見てもらうんですね。そうすると、モルでも似たような場所の心当たりはあります。ネゲイの中なら、これから何日かで話ができると思いますよ。モルは、ちょっとあっちに行く時間を作らないと大変ですけど。」
「モルなら、ハパー殿、一日空けて貰えたらバギーで連れて行ける。一の鐘の頃出発して、明るいうちにモルで何ヶ所か話をして、六の鐘前にはここへ戻れる。移動中は、寝ててもらってもいい。」
「そんなに早く動けるんですか。」
「ああ、川を使えばいい。何度か試してる。」
「それなら、モルのどこかの宿とかで使ってもらって、年内のどこか、今日が七月の二十日でしたか。十月か十一月頃には競売に出せますね。九月でもいいかもしれない。」
「じゃあ、近いうちにモルへ。同行をお願いしたい。いつがいいかな?。」
「先にネゲイで回って感触を掴みたいですね。今日は……今ヨークの店に行くと多分忙しい時間帯にかかりますから、明日ですかね。あそこは組合でも役持ちですから、似たような店何軒かに話を通しておいてくれるかもしれません。貸すにしても売るにしても、現物はどのくらいあるんですか?。手元に少しは残しておきたいでしょう?。」
最初にモルで仕入れた十二枚と追加した二四枚。合計三六枚のガラスを四分割してあって、一四四枚。加工途中で割れたとか領主館に見本として預けた分を除いても百枚以上。
「工房に少し残しておく分を考えたら、ネゲイとモルで合計八四ぐらい出せるかな。競売までには、追加で作るよ。」
「追加が必要かどうかは別として、まずネゲイですね。明日、別件でヨークの店には行くつもりだったので、この話もしておきますよ。あの店は石鹸の経緯も知ってますしね。最初ですから、安く売るか、貸し出しにするか、そのあたり、任せてもらっていいですか?。」
無料だったとしてもオレの中では宣伝費扱いだ。
「ああ。任せるよ。」
「ありがとうございます。あとで、競売の分で儲けさせてもらいますから、モルに置く分まで含めて、暫く無料で頑張らせていただきますよ。モル往復が一日だけで済むんですから、そのくらいはやらせていただかないと。」
競売について気になったことを一つ聞いてみた。
「あと一つ教えて欲しい。この世に一つしかないような品物なら、『一〇〇〇』とか『一一〇〇』とか、皆が自分の払える範囲で値段付けをして決まると思うんだけど、鏡のようなものでもそのやり方でできるの?。」
「鏡の場合は……、多分、一つの店で全部を買い取るんじゃなくて、『一枚いくらで鏡何枚を』とかで競争することになると思います。もちろん、『あるだけ全部の鏡を一枚あたり大金貨十二枚で』とかいう札があったりしたらそこに決まるでしょうけど。」
「一枚あたりの単価が高い順に決めていくんだね。」
「そうです。その場で声で単価を言ってもらう方法と、木簡で単価と枚数を入れてもらう方法がありますけど、どちらにするかはこれから考える話ですね。競売の場所によっても、慣れてるやり方は違ってるでしょうし。」
ネゲイでの交渉は、「私の仕事で鏡とは別の話もありますから、マコト殿を付き合わせるのも悪い」として、ハパーがやってくれることになった。交渉に使えるよう、木枠付きに加工した鏡四枚をハパーに預けて、オレ達は店を出る。領主館に戻ったがまだゴールは帰っていなかった。
「いいわ。ゴールが帰ってきたら、ヨーサ様もまとめて今日の話はしておくから。」
ドーラが言った。
ヨール王二三年七月二二日(金)。
ハパーは昨日の夕方に工房に来てくれた。ヨークに八枚、それとは別にアンゼの店に十二枚の話を付けてきたとのこと。アンゼは、オレがエンリやネリと婚約することになった話をした店だ。宿屋よりも軽食堂の方が多いのはちょっと意外だった。鏡一枚あたり銀貨六枚での売却。宣伝費で割り引けば、想定内の価格である。ついでに、ハパーをモルに連れていくのはネゲイでの鏡の評判をある程度聞いて、ハンナ達がカースンに帰った後、八月下旬と決めた。
鏡を安全に固定するため、午前中はノルンが出かけている。取付工事費というのも考えないといけないな。オレも一緒に行くつもりだったが、空模様が変だ。濃い灰色の雲が湧いていたので、念のため外出をとりやめた。雷が鳴り始めたら翻訳ができない。オレとしては、雷雨になれば、テスト中の中継機への雷によるサージ電流の確認とか、やることはあるので、鏡の取付のような仕事はノルンに任せてしまってもいいと思っている。どうせどちらの店も月に一~二回ほど行っているから、出来映えを見る機会は、幾らでもある。金曜なので、雨が降り始める前にベンジーにも欠席の連絡をした。
ヨール王二三年七月二三日(土)。
中継機の最小限度のテストが完了したので設置を始めようと思っている。昨日も雷雨があり、中継機の一つの近くにも落雷した。データを取りたくて落雷がありそうな地形を選んでいたのだが、やっとデータが取れたという感じだ。回収したログによるとサージしてきた電流は許容範囲内。直撃でなければ、壊れることもないだろう。本設時には、もちろん落雷は避けるような位置にする。今日はオレを工房に送った後、エリスがあちこちに置いた試験機を回収するために動き回っていた。回収した中継機は午後に点検し、支障がなければ日没後にデルタを使って中継網の構築を始めるつもりだ。明るい間は、デルタも動きにくい。
設置作業には同行したかったが、夜間の山頂付近での作業となるので、暗視とエコーロケーションができる小ニムエ達だけで頑張ってもらう。オレはエンリと一緒にマーリン7の操縦室で状況を見るつもり。空間投影モニタなら船内のほとんどどこででも状況を見ることはできるが、画質はは主操縦室で見るのが一番いい。ちなみに、インプラント経由で作業中の小ニムエの視界を共有することもできるが、「視界は揺れているのに体は揺れていない」というような没入感の違いが大きくなりすぎて、オレはこの方法は好きではない。まあ、エンリには少し試してもらおうとは思っている。
夕食を終えて操縦室に移動した。
「この部屋、久しぶりですけど、相変わらず真っ赤ですよ。」
エンリの視界は「触るな」の警告表示だらけになっているのだろう。オレ船長席ではなく、その前に二つ並んでいる操舵と通信席にエンリと並んで座る。今日の現場作業担当はジゼルとホリー。改造型の小ニムエを外で使う機会は少ないので、どうせ夜間ばかりになる中継機の設置は改造型だけでやるつもりだ。操縦室正面の主画面は、ホリーから見えている増光処理された主観映像になっていた。今はバギーで移動中。今夜の目標地点近辺に人がいたりしないかは、「虫」を送って赤外線を探させている。今のところ反応なし。
「エンリ、右の肘置きの下にあるレバーを引くと背もたれが倒れるから、自分でもう少し寝かせてみて。」
「こうですか?。」
「ああ。そのくらいかな。ちょっと、視線を切り替えるから、そのまま動かずに一度目を閉じて。」
エンリが目を閉じたところでエンリの視界をホリーの主観映像に切り替える。
「わわっ!。うわあ。これ、面白いです。自分がバギーを動かしてるみたい。」
「しばらくそのままでいていいよ。手足は動かさないようにね。」
「背もたれで少し体を寝かせた姿勢にしたのは、こういうことですか。手足は、動かさないようにします。これ、面白いですね。」
「見えてるものは動いてるのに体は動いてないから、長く続けると気分が悪くなることがあるんだ。そんな気配があったら、言ってくれ。」
そんな気配があったら、自動でリンクを解除するようにはなっているのだが、一応、口頭でも言っておく。
バギーは、デルタの「基地」の伐採された入口に来ていた。視線は運転席内のあちこちの表示やスイッチを動き回っている。スイッチやレバーを操作する指先も見える。視線の動きはオレがバギーを操作するときよりも多い気がする。暗いので間違って隣のスイッチを触らないようにしているのか、或いはエンリに操作手順の詳細を見せようとしているのか。
視線が上を向いた。デルタのハッチは開き始めていた。また視線は運転席内に戻り、スイッチ類の操作。車体が停止。視界の中にデルタから吊り下げられたワイヤが降りてきた。立ち上がってワイヤのフックを車体に取り付ける。少し暗いが、ジゼルも同じ作業をしているのが見えている。ワイヤを車体に取り付けたらジゼルとホリスはまたバギーの座席に戻る。車体が引き上げられ始める。現地の音声も聞こえているが、川の水音と木々が風で揺らされる音だけだ。ジゼル達もここまでは音声は使っていない。主画面とは別に、操作ログの文字は延々とスクルールし続けている。
エンリは、自分の手で目を隠していた。今、目を開いたら操縦室の天井とインプラント経由の映像が二重で見えるはずだ。それを防いでいるのだろう。
ジゼル達はデルタの操縦席に移動した。バギーの運転席とは違って室内照明があるが、視線の動きや操作状況を見ると、やはりオレが操作するときよりも動きが多い。外とは切り離されたので音声も使い始める。ホリー、ジゼル、δは、それぞれ離陸前チェックリストの項目を埋め始めた。全部手動で操作するつもりのようだ。エンリは手で目を隠しているので表情はわかりにくいが、時折「なるほど」などとつぶやいている。バギーもそうだが、デルタもアルファも操縦系を含めて全ての表示は英語だ。だが、エンリの視界には翻訳表示も重ねられているはずだ。エンリにデルタを手動で操縦させるつもりはないが、バギーなら機会はあるだろう。ネリやハンナも含めて。シミュレータとしてこのような方法は使えそうだ。
ホリーの操縦でデルタは谷を登り始めた。最初の目的地はこのまま登った頂上附近。新池の南側の山の上だ。山頂というのは誰もが目指すわかりやすい目印なので、中継機はそこから少し下、新池が見えて人が近づきにくい北斜面に設置する。一番高いところを避けるのは、落雷に対する用心でもある。デルタは山頂に達した。付近の木々を支えにホバリングしている。斥力場の出力を徐々に落としてデルタは降下し、やがて「木の間に引っかかったような」姿勢で停止した。慣性制御のある船内で動き回るのに支障はない。ジゼル達はバギーから持ち込んでいた背嚢を背負い、作業ベルトと命綱を付けてエアロックから外に出た。暗視とエコーロケーションに頼って目標地点に近づく。
目標の岩棚に到達して、表面を叩いて調べてみる。ホリーは指先から超音波探傷もやっていた。画面には探傷の結果。岩は奥まで密に続いている。ジゼルが岩石標本採取用のコアサンプラを使って岩棚に穴を穿つ。ホリーはサンプラの加熱を防ぐために横から少しずつ水を注いでいた。アンカー用の穴だ。騒音が出ないレーザーを使いたかったのだが、さすがにこの径の穴となると大気のあるところではレーザーは無理だ。熱で空気が乱され、光線も乱される。
サンプラが十センチほどまで岩を掘り進んだところで穿孔は終了。圧縮空気で穴の中の水を吹き飛ばし、深さを確認する。穴の中に接着剤を充填し、アンカーボルトを取り付けた中継機を穴に合わせて固定した。充電済なので電波は出ている。〇〇〇〇M頃にベータが通るので、そのビーコンを使って中継機の位置をキャリブレーションするつもりだ。ここまでの工程に問題なし。操縦室のモニタにも設置されたばかりの中継機が作動中であることの表示が出た。位置情報は間違っていたが。
ここまでの作業はデルタの外に出てから約三十分。深夜にベータが来る前にもう一ヶ所、新池から見て一基目の反対側、北側の山にも同様に設置する予定。ジゼル達はデルタに戻り、一連の離陸前点検を済ませると、斥力場を調整して船体を樹上で水平に戻し、ゆっくりとその場で上昇した。機首を北に向けて主斥力場を少しだけ使う。船体は山の斜面を下り始め、同時に両翼の斥力場を延伸して揚力を得る。真下に斥力場を向け続けての移動もできるが、人工物に斥力場の反動をあまり与えたくない。次の目標地点まで直線距離で七~八キロほどだ。ネゲイ市街地の真上を避ける弓状の経路なのでもう少し距離は伸びるが、十分も経たずに到着する。
二ヶ所目の中継機設置作業も最初の作業と大差なく終わった。αがここまでの流れを総括する。
「ほぼ、事前想定のとおりよ。コアを抜くのは、改造して体重を増やした小ニムエで正解ね。騒音を監視しながらになるけど、少しは作業時間の短縮になったみたいよ。」
「まだ続ける?。時間は多分明るくなる前にもう一~二ヶ所行けそうだけど。」
「一応、追加の準備もできてるけど、さっきの二基の位置キャリブレーションがまだよ。ベータが来て、キャリブレーションをやって、何時間かテストしてからにするわ。明日の夜ね。」
「了解。」
作業の見学を終えたエンリが言った。
「続きの作業でも、同じように見てたいです。面白いです。これ、毎晩やってたら私もバギーとかデルタとか、動かせるようになりそうです。いつか教えて貰えるって話でしたよね。」
「デルタはちょっと難しいからどうなるかわからないけど、バギーはそのうちに覚えてもらおうと思っている。半日あればなんとかなるだろう。いつにしようか。多分、ショー殿も一緒にやらないと拗ねそうな気はするけどね。」




