8-4 鏡
四の鐘過ぎに再集合した。関係者が揃ったことを確認したフショップが言う。
「三年で見直し。最初はネゲイと国の両方で一二分の一ずつ、合計六分の一。それで計算はうまくいきそうです。この路線でどうでしょう?。」
「計算を見せてもらえますか?。」
ベティが言った。
「走り書きで字が読みにくいかもしれませんが。」
フショップが数枚の紙をベティに渡す。ベティは紙の半分をアンに渡した。
「バース様、マコト、確認してる間に別の話をお願いします。」
「わかった。」
二人は部屋の隅の別テーブルに移動した。バースが言う。
「まあ、計算があってるものとして、今まだ空欄になってるところの扱いを決めるんだね。マコト殿、気になったことがあるって?。」
手形のことはバースにも話してあった。
「さっき待っている間に話をしてたんだが、収入があるのは嬉しいけど、決算時期の度にあちこちの工房から山ほど手形が届いたら、換金とか大変だ。紙の工房も、ネゲイと国の両方に手形を出すことになるし。だから、紙を作る工房は、ネゲイと国の分をまとめて、国だけに手形一枚とか金貨を納めて、そのうちネゲイの取り分を、手形一枚だけで受け取れるようにできないかと。」
フショップが言った
「逆に、全部をネゲイで集めていただいて、国の取り分を、というのは?。」
「無理だよ。人手が足りない。」
「ああ、申し訳ない。その話は出るだろうって、で、ネゲイで計算させたらって言う人がいて、そんなことを言ったら話が潰れますよって、そのとおりでした。撤回します。」
「わかってくれてるならいいよ。そのかわり、計算の手数料で金貨の何枚か取ってもらってもいい。」
「届いた金額を集計するのは、ネゲイの分を含めても含めなくても手間は同じです。むしろ、ネゲイの取り分がちゃんとネゲイに届いてるかって、確認もできる。国、工務省で増える仕事としては、集まった合計からネゲイの取り分を計算して、手形を作って、カースンにあるネゲイ館に届ける。手間賃としては、金貨何枚とかじゃなくて、銀貨一枚ぐらいじゃないですか?。確か似た話で『銀貨一』って見たことがあります。」
「ネゲイ館まで届けてくれたら、後はこっちの仕事だね。金貨を運ぶのは面倒だから、手形のままで運んでもらって、工房にそのまま渡す。あとは、工房で両替してもらえたらいい。手形は、工房宛てなんだろ?。」
「工房と国の契約ですからね。」
「じゃあ、ノルン、それでいいかな?。あ、ノルン・ノルン工房長だった。この前届けが出てたね。間違えて悪かったね。」
「バース様。署名以外では『ノルン』で結構ですよ。で、フショップ殿、契約の文面では、その部分はどうなりますか?。」
フショップが答えようとしたところでアンとベティが戻ってきた。アンがフショップに紙を返しながら言う。
「急いで書いたせいか、字が潰れて読みにくいところが一ヶ所あっただけです。大筋としては、フショップ殿が試算の中で『第一案』としていた『一二分の一ずつ、合計六分の一』で始めて構わないと思われます。」
オレはフショップに聞いてみる。
「第一案以外の計算では?。」
「小売価格が今の木簡より高くなる、なりそう、というのは、マコト殿の想定と違ってるから除外しました。小売価格を下げすぎると、例えば国の取り分が二四分の一とかに下げて価格上昇を抑えると、地域によっては材料集めに困るかもしれません。」
「そういうものなの?。」
ちょっと理解しにくい。
「ええ。微妙な価格差で競争力は変わります。運び賃で吸収してしまうかもしれませんけど。でも判断材料が少ないので、とりあえず、十二分の一ずつ、というあたりで始めてもいいと思います。」
「バース様、フショップ殿。そういうことらしい。で、フショップ殿、国でまとめて計算した場合の契約の文面だったよな。」
フショップは自分の物入れから木簡の束を取り出し、一枚を抜き出してテーブルに置く。
「これですね。どっちに集めてどっちに払うかは空欄ですけど、今ここで書いてしまいます。」
フショップは木簡を引き戻し、空欄にカースン、ネゲイと走り書きした。これでカースンに集約された手形か現金がネゲイに来ることになる。
「あと、色々うるさい人もいますので、『銀貨一枚』も書いておきます。」
フショップは余白に「このための事務手数料として、毎回銀貨一枚をネゲイへの支払い金額から差し引く。」と追記した。
「ああ、『甲』とか『乙』とか書くべきでした。清書版では直しておきます。」
「あと、日付以外で抜けてるところはあるかな?。フショップ殿、ここまでの話で、カースンに持ち帰らないと決められないものは?。」
「ないと思います。ここで署名してしまっていいとも言われています。ただ、『国王陛下の代理として工務省のドーン・フショップが署名する』って書くのはなかなか緊張することでして、全文をあらためて読み直したいと思ってるんですけど。」
オレは助け船を出す。
「なら、内容確認用に、アンとベティにここまでで決まってる文面を清書させよう。紙でね。字もきれいしとても早いよ。さっきの『甲』とか『乙』とかも含めて。それを、フショップ殿と領主館と工房に一通ずつ作るよ。」
バースも同意した
「そうだね。それで、明日の朝にでも皆が納得していれば、正式な署名をすればいいんじゃないかな。」
フショップも同意したので、オレとエンリはアンとベティが清書のために座れるよう、席を空けた。
ヨール王二三年七月十七日(土)。
二の鐘少し前でエンリ、ベティとノルンを連れて領主館に到着。暫く待っていると昨日のメンバーが勢揃いした。フショップが言う。
「昨日の最後に書いていただいてる紙の内容で、今日付で署名してもいいと考えてます。」
「儂も昔の文例とか見比べてみて、そう思ったよ。ノルンはどうかな?。」
「私も結構です。」
「じゃあ、こういう時は字がきれいなネリ、頼もうか。」
バースの言葉にネリが応えた。
「ええと、カースンの方は書かせてもらいます。もう一枚、マコト殿と工房の契約もあるんですよね。そっちはエンリに頼んでもらえませんか?。」
エンリにもいい練習になる。そのエンリが答えた。
「昨日、文面が全部固まってないようでしたけど、カースンの文面が決まったらマコト様と工房の文面も決まるんですよね?。」
「そうね。エンリ、書ける?。」
「じゃあ、カースンの契約で署名まで終えたら、それを見ながら書かせていただきます。」
「じゃあ、そういうことで。今からカースンの分を木簡に清書しますから集中させて下さいね。」
ネリは新しい木簡と紙を手元に置いて、自分の万年筆で契約書を作り始めた。エンリは隣でネリが書き写す文字を見ている。邪魔にならないよう、誰もしゃべらない。十数分で、ネリは契約木簡の折り線より上段の部分を書き終えた。
「いつも書いてるものより文字数が多くて。手が疲れました。まだ半分だけですけど確認してもらえますか?。」
ネリは木簡をフショップに差し出した。木簡を受け取ったフショップ自分の手元の紙と木簡の文面を見比べ始める。数十秒ほど小声で木簡を読んでいたフショップは「問題ないと思います」と、木簡をバースに回した。バースは木簡を読まずにノルンに回す。木簡を受け取ったノルンも小声で呟きながら木簡と紙の内容を見比べている。オレの方は、木簡に書き写される文字をずっと見ていたエンリの視覚情報から、転記間違いがないことは確認済みだ。木簡はネリに戻され、板の下半分にも同じ文章が書き写される。又同じように文面の確認が行われ、バースが言った。
「今日の日付でいいね。、こっちの欄は明日の日付か。契約当事者がサインしてくれたら、副署するよ。」
本契約にはオレも副署する。その後、エンリがオレと工房の契約を書き上げ、ノルンとオレが署名した。まだ残っている仕事がある。工房に置いてある新品の漉き枠などだ。これついては差額とかを考えずにオレが注文したときの値段のままで売った。現金だ。フショップ達の馬車の更に後ろに曳かせた荷車に載せることになった。大ムカデは時間がかかりすぎるそうだ。そこまでの話を午前中に終わらせた。
「フショップ殿は午後はどうするつもりだ?。」
「明日の朝から移動ですから、工房で約束の漉き枠とかを受け取って、大物の荷造りをしたら報告を書いてますよ。」
「ついでに、工房でやってる別の仕事の見物とかやっていくかい?。」
「また新しい契約の材料を見つけてしまったら、仕事が増えそうですね。」
「もう見せたことがあるものの仕事しかやってないよ。今動いてるのは、蠟板と、折り畳みの箱だ。」
「もうネゲイの中での製造販売の独占権を持ってるんでしたよね。期限付で。」
「あと、トヨンでもね。同じような感じの内容になってる。」
「トヨン?。それは初耳です。いつですか?。」
「ここで作ったものが行商でトヨンまで運ばれて、あっちでも作りたいって話があったんだ。ついこの前だよ。」
「そういう話は確か商務省にも届け出が必要だったと思います。」
「それも出してあるよ。」
「バギーですか。仕事が早い。私達はこれから片道十日でカースンに帰るというのに。」
「行程が合って人数も少ないならカースンまで送っていけるんだけどね。なかなかそういうことにはならない。」
「まあ、そうですね。バギーの作り方の『知恵』は……、無理かな。複雑すぎる。私には扱えそうにないです。」
「部分的には真似できるところもあると思うけど、全部は無理だろうな。紙の工房が増えて、ここで作ったものが売れなくなってきたら、アレの仕組みの一部を出してもいいかもしれないとは思ってるけど、まだ何年か先だよ。」
ゴールが会話に入ってきた。
「ちょっと間が悪くて『歓迎の宴』というのをやってなかった。今夜どうかな?。マコト殿やノルンも。人数を今数えてるところだ」
その後の打ち合わせで、オレは新池に戻ってテンギからエビを仕入れ、夕方にヨークの店に届けることになった。
ヨール王二三年七月十九日(火)。
フショップ達は昨日の朝に出発した。今月中には、カースンに帰り着くだろう。カースンからは、それと入れ替わりのようなタイミングで、ハンナ・ナーベ御一行が出発するはず。予定は立てていないが、オレも今月中にまたカースンあたりまでは行きそうな気がする。砂金計画とか、やりたいことは多い。ついでにハンナ達を、最少人数ならオレが運べば、時間は短縮できる。提案してみようか。
先週は、フショップ達がそろそろ到着するだろうからその準備を、と始まり、途中で雷雨による新池の増水があって、その後の二日半は紙の説明と契約で精神的にも疲れた。昨日の休日はオレもゆっくり休んでいる。エンリに教えてもらったが、エビ釣りもなかなか面白かった。ネリも来ている。マーリン7の浴室設備、体表の皮脂を含む老廃物を焼却洗浄できる機能がとても気に入っているらしい。「毎日は要らないんでしょうけど『休みの日だけ』でもこれをやるとすごく気持ちいいですよ。」とのこと。そういえば、昨日の午後も雷雨になったが、前回ほどには水も増えなかった。衛星で見た雲画像と雨量、水位の関係を調べるのはAI達の得意分野だが、データの蓄積は遅い。
休み明けの今日は、工房でガラス磨きにどのくらいの時間がかかるかを試してみる日だ。ガラスは先週届いていたが、フショップ達への対応で手が付けられなかった。〇八五〇M現在、説明役のダイアナが指示を出してザースに磨き砂と水を用意させている。エンリとネリも、「汚れても構わない服装」で工房に来ていた。質量約四十キログラム、ヤーラ359-1での体重は四四キログラム重程度になる小ニムエ達が仕上げることができたのは、以前領主館に話した時は一日に三組六枚。エンリとネリの体重は、おそらく小ニムエ達より少しだけ重い程度、と思われる。健康診断もやったし、インプラントを通じて彼女達と常時接続しているαなら正確な数字を知っているだろうが、オレがそこまで細かな数字を把握しておく必要はないと思っている。
もう少し体格の大きいノルン達がやるとどうなるか。磨き砂の条件が変わると?。試すことは多い。以前からは少しやり方を変えて、小ニムエの体重でも一日四組八枚までは磨けるようになっていた。先週届いているのは二四枚だが、条件を変えながらテストするとなると、本当はもっと欲しいところだが、まあ、今準備できている磨き砂でどこまでできるか、オレも参加しようと思う。
必要なものがテーブルに並べられた。磨き砂は小ニムエ達の作業によって「育って」いる。最初は粒の大きさの異なる数種類の砂を段階別に使い分けていたが、削られたガラスの砕片も混じり、大きめで用意していた砂は砕けて小さくなっている。この混紡物に水を加えて二枚のガラスに挟み、上に載せたガラスを動かすとガラスの凸部が削られてゆく。進捗は、挟まれた水と砂の厚さによる色の違いでずっと見えている。作業用の枠は少し傾いており、零れた水と砂は枠の下端に溜まるので、時々スプーンで掬って磨き面に戻してやる。
届いたガラスは、金属製の鋳型に流し込まれて冷やされたものらしい。冷やされる時に上になっていた面はほぼ平滑だが、下の面は鋳型の鍛造時の不均一その他の理由で、最大で一ミリにも満たないが緩やかな凹凸がある。磨き始めの数分ほどは、ガラスとガラスの直接接触によるゴリゴリとした感触があるが、凸部が削られてゆくとその感触も小さくなる。あとは、ガラス面に挟まれた砂の色が全体に均一に見えるようになるまで腕を動かし続ける。
作業を始めて小一時間ほど、オレの担当する二枚一組は、目視ではそろそろ完成している感じ。ガラスを立てて砂を水で落としてみる。いいね。隣のノルンもオレが出来映えを確認しているのを見て同じように砂を洗い落とした。
「一人で一日中これをやるとして、十二枚くらいは行けそうですね。」
「そうだな。届いたガラスがいつもこの程度なら、十二枚ぐらいと考えてよさそうだ。この前届いた二四枚を、今日中にやってしまおう。」
「了解です。水を拭き取って、仮置きする場所がいりますね。」
「ダイアナ、できあがったガラスを置いておく場所を用意してただろ?。」
「こっちですよ。」
ダイアナはオレとノルンからガラスを受け取り、水滴を布で拭いてから仮置き用に用意した台に載せた。ガラスとガラスの間には保護用に紙を一枚挟んでいる。
「なるほど。布か紙を挟んでおかないと傷とかが入りますね。」
「こういうことに使う専用の紙を作ってもいいんだが、今のところはこれで行けるな。」
オレとノルンは次の二枚一組に取りかかる。体格の小さいエンリやネリもオレとノルンよりは一~二割ほど多めに時間はかかったが、次の組に手を付けた。
三の鐘前には届いていたガラスの全部を磨き終えた。ノルンが言う。
「ここから先は、錫を貼るための炉に火を入れて、炉が使えるようになるまでに時間がかかります。一人一日三組六枚といつもりだったんで、炉の準備ができてないんですよ。」
「今から炉の準備をしたらどのくらいで使えるようになる?。」
「四の鐘前には。でも、そこから二四枚に錫を貼って、切る部分は明るいうちには難しいですね。」
「炉は一回用意したら一気に進めたいなあ。今日で、切り出しの手前まで走ろう。切るのは明日で。」
「わかりました。炉に火を入れたら、使えるようになるまで休憩ですね。」
錫貼りの工程は道具を作ったノルンが最初に実演して、その後オレやダイアナを含む全員が数枚ずつやってみた。ノルンの次に錫を貼ったダイアナが得ているデータがオレ、ネリ、エンリにはフィードバックされている。工房の弟子であるザースとアッザの兄弟も、それぞれの二枚目にはきれいに仕上げることができるようになった。錫を貼られた鏡はやはり間に紙を挟んで積み上げられる。一七〇〇Mが近い。夏なので昼間の一時間は地球基準よりも長いが、今から切り出しの工程に入ると明るいうちには終わらないだろう。片付けの時間も必要だ。オレはノルンとも相談して、鏡関係の作業は「今日はここまで」と宣言した。
鏡関係の道具類を片付けながらエンリとネリに感想を聞いてみる。二人とも、紙でも鏡でも、水を使う仕事が多いことを気にしていた。冬が大変だろうと。
「鏡、ガラスの磨きに使う水は、どうせ冬なら暖炉も焚いてるだろうから少し温めておいていいと思う。紙の方は、水の温かさで出来映えが変わってくるはずだから、少なくとも次の冬は、冷たいままの水で仕事をやりたいな。温かさでどのくらい違いが出るかも見ておきたいし。」
水が冷たい季節でも紙はそのままと聞いて、二人だけでなくノルン達もちょっとイヤな顔をした。




