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8-2 フショップ

 ヨール王二三年七月十五日(木)。


 水位のピークは降雨のピークより遅くなる。昨晩の新池では、水位がピークに達したのが七の鐘、つまり〇〇〇〇Mに近い頃だった。最高水位はαの予想よりも上に行って、平時より五十センチほどプラス。漁師小屋の床上で十センチ程度になった。お陰で、泊まりの四人は途中で小舟に避難している。係留杭が抜けるようなことはなかったので流されずには済んだが、一の鐘の時点で水位はまだ漁師小屋の床より数センチ下という程度。まだ濡れているので中に入ることはできても寝転ぶことはできない。


 池、というか、南原からヤダ川に流れ出す出口が狭いのだろうと思う。だがここを広げると、多分下流で洪水が起こる。昨日αが言っていたとおり、南原全体が天然の遊水池になっている。普段の水位なら小屋は今の場所でいいが、大水の時は南原全体が大きな湖になるとも聞いている。そこまで水嵩が増えたら、平時の水位に戻るのにどのくらいかかるのだろう?。これは漁業経営に関してヨーサやテンギあたりと話をするべきだろうな。


 一の鐘で明るくなってすぐ、テンギ率いる泊まり組は小舟で罠や生け簀の点検に出発した。水はまだ濁っている。オレも状況は気になるが、バギーで近づくと小舟を揺らせてしまうので同行は遠慮する。まあ、オレにも小屋の床に散らばっている草やゴミを掃除するくらいのことはできるので、フィルター付ポンプで。小屋の床を洗い流してテンギ達の帰りを待った。全員分の朝食も用意してある。やがて二艘の小舟も戻って来た。


「どうだった?。」

「杭は残っているから壊れてはいないと思いますけど、水が濁っててよくわかりません。明日にでもまた見ないと。」

「今日は帰って休むだろ?。私かエリスとかが、また様子を見ておくよ。朝食も用意してある。漁師小屋も簡単に掃除しておいたから、座って食べてくれ。そのあと、ネゲイまで送るよ。」

「ありがとうございます。久しぶりに、ああ、本当に、体のあちこちが痛い。帰ったらゆっくり寝ます。」


 オレもあまり寝ていない。起きていてもできることもなかったが。



 救命胴衣を回収し、漁師小屋での朝食の後、エンリをとりあえずマーリン7へ。残りの泊まり組三人とオレ、エリスはバギーでネゲイへ。領主館で泊まり組を下ろして工房まで戻る。テンギには昨日の午後から今朝までの状況をゴールかヨーサに報告するようにも頼んだ。


「もちろん、そのつもりでしたよ。あの場所が大水の時にどうなるか、今まで誰も気にしてなかったでしょうし。」



 工房へ行く前に南原周辺に置いていた地上中継試験機の様子も見て回った。故障がないことはログで確認済み。だが低いところにあった何台かは泥水にまだ沈んでいた。手が届くものだけを回収しておく。水が引いたら場所を変えよう。多少の水は構わないが、泥汚れで発電ができなくなったら使えなくなる。



 工房で挨拶したノルンはいつもと同じだった。


「眠そうな顔ですね。新池は、もしかして昨日の雨で水が増えたりしてます?。」

「漁師小屋の床上まで来たよ。私はともかく、テンギ殿達は泊まりで状況を見てた。あまりいい場所じゃないな。」

「去年までは人がいなかった場所ですから、どのくらいまで水が来るか、わからないですよね。この工房の場所まで浸かることはないって聞いてますけど、かなり広い範囲で水浸しになってるのは見たことがありますよ。それを見越して池の横の小屋は簡単に動かせるような造りにしたんじゃなかったかな?。」

「そうだよ。でもこれが年に何回も、とかになるとちょっとイヤだな。」

「まあ、お疲れでしたら今日は休んでいただいてもいいですよ。そろそろカースンからの紙の視察が来そうで、昨日届いたガラスの仕事をやるべきか、後にするか、今日悩んでるのはそのくらいです。マコト殿は今は休んでもらって、例えば午後にカースンが来た!とかになったら、昼まで寝てたら少しは元気になってるでしょ?。」

「そうさせてもらおうかと思ってたんだ。今から一旦新池に帰って、エリスだけまたここに来させる。もしもカースンの連中が到着したって報せが来たら、エリスにオレを迎えに来させる。そんな感じでどうだろう?。」

「エリス殿は昨晩寝てるんです?。」

「ええ。私は大丈夫です。さっきマコトが言ったような動き方ができるように準備してます。カースンの人が今日来ないなら、第二棟で紙を作ってますよ。」

「なら、マコト殿、そうしましょう。徹夜明けで頑張りすぎると、変なところで躓いて怪我したりしますから。」



 ルームAで目覚めると、エンリも横で寝ていた。狭いオレのタンクの中だ。嬉しい状況ではあるが、目が覚めると窮屈だ。オレが身動きするとエンリも薄目を開ける。


「エンリ、嬉しいけど狭いね。」

「ああ、βさんが『行け行け!。マコトは起きないから。』って。」


 エンリは微笑みながら答える。悪企みというのは、大抵βだな。今の時刻は……。


「マコト、起きたわね。今、一二四三M。ついさっき、工房に報せが来たわ。領主館にフショップ達が着いてるって。」

「わかった。α。起きるよ。エンリ、聞いたとおりだ。工房だか領主館だか、どっちかに行かないと。起きて、身支度してくれ。」

「じゃ、出ますね。」


 エンリももぞもぞと動き出す。狭い。どうやって入ったんだ?。三十秒ほどもかかってエンリはオレのタンクから抜け出した。また目の毒になるような格好だ。


「エンリ。嬉しい格好だけど、早く何か着てくれ。」



 一三三〇M。迎えに来てくれたエリスが運転するバギーで工房に到着。第二棟で準備状況をざっと確認。問題はないようだ。ここまでに、領主館へカースンからの一行が到着して以降のあらましを、「虫」が拾えた範囲内だけだが聞いている。オレの到着に気付いたノルンも顔を出した。


「マコト殿。領主館にはマコト殿が昨日の雨で徹夜明けだとか、そんな話はしてます。で、領主館まで来て欲しいって、伝言を聞いてます。できたら、今日、少しだけでも工房を見たいとか。」

「ありがとう。今日、少しだけでも工房を見せることができたら明日が楽かなとか思ってたんだ。」

「それは賛成です。どこまで行けるかわかりませんけど。」

「まあ、そうだな。うん。今から行ってくる。今から行って、すぐにここに戻ったら、明るいうちに工程を全部説明……は、ちょっとむつかしいか。実演とか挟んだら時間がかかるな。」

「一応、今日は前半部分だけでも、っていうつもりで、私はここの準備をしておきますよ。」

「うん。頼むよ。」



 「虫」によると、視察一行は三人で、責任者のフショップは領主館の客室に、随行の二人はヨークの店に泊まることになったらしい。今、最初の到着の挨拶を済ませた三人はそれぞれ今夜の宿所となるところで荷物を整理していると。領主館ではオレの到着時刻がよくわからなかったが、四の鐘で再集合することになっているらしい。一四一〇M。オレ、エンリ、エリスはバギーを領主館の馬車置き場に駐める。工務省の名前を側面に記した馬車も駐めてあった。正面玄関経由経由でいつもの応接室かゴールの仕事部屋を目指そうかと歩いていたら前からネリが歩いてきた。


「最近バギーの音に敏感になったような気がしてますよ。マコト殿、いつもの応接室へ行ってて下さいますか?。私はマコト殿か到着したって、あちこち声をかけてきますから。」



 「いつもの応接室」には侍女のジョーが控えていた。とりあえず、メインの大テーブルではなく、壁際の小テーブルにエンリと並んで座る。ジョーはエリスの分も含めて水の入ったカップを三つ用意してくれた。しばらくするとゴールが入ってくる。


「昨日の雨で大変だったと聞いたぞ。今朝の時点でまだ水は引いてないとか。どんな感じだ?。」


「昨夜遅く、漁師小屋の床から十分の一クーイほどか、そのくらいまで水が来てた。今朝の一の鐘頃には床下まで下がってたな。さっき新池を出たときにもまだ小屋の周りは水に浸かってたよ。かなり濁ってもいた。ああ、テンギ殿にも新池の今の様子は言っておいた方がいいな。今から私が行くのは……ちょっと悪いか。エリス。テンギ殿のところへ池の様子を伝えに行ってくれないか?。」


 エリスは長屋にあるテンギの部屋を目指して出ていった。ゴールと話をする。


「ちょっと前に『雨が少なくて畑が』とか話してた憶えがあるけど、少しはマシになったのかな?。」

「それほど遠くまで見に行ったわけではないが、マシにはなってるだろう。」

「時間ができたらテンギ殿あたりとも話をして欲しいんだが、漁師小屋はもう少し高いところに移すか、今の場所のままでも基礎の柱を高くするとかした方がいいと思う。今の小屋の場所あたりで、どのくらいまで水嵩が増えるか誰も測ったことがないんだろ?。一年に何回もこんなことがあると大変だよ。」

「一応、それを前提に動かせるように作ったはずなんだが、例えば今より一クーイ高いところというと、新池から一四四とか二八八クーイとか離れてしまうらしい。それは、ちょっと離れすぎだろう?。水が増えても全部は流されないように、杭とロープで地面に繫いでいたと思うが。さっきマコト殿が言ったように、あの場所でどこまで水が上がるか、誰も測ってないんだ。少なくとも今年は、様子見をするしかない。水が一番多い時でどのくらいになるか、一年で何回ぐらいそうなるか。動かせる作りではあるけど、人手がなかったら動かせないからな。」


 南原のあたりは何万年もかかって土砂に埋まった湖の跡だろうと推測している。だから勾配が小さい。工房の近くなら浸水する心配が小さいとはいっても、新池から歩くと一時間ほどにもなる。今のネゲイの町は、大水が出ても浸水しない場所に人が住み着いたことで形成されている。川の近くは、オレのような船でなければ住みにくい。少し前にやってみたシミュレーションを思い出した。ヤダ村でエンリの記憶にある最高水位ぐらいに雨が降ると、今の工房あたりもギリギリだ。シミュレーション誤差や、もっと長期の降雨確率で考えると工房も危ない。そうなると、新池の近くで水没しない高さとなると人間の身長よりも高い土台が必要か。年に何度も「流されないように」と心配するよりも、「流されても大丈夫」という前提で考えるしかないのだろう。そうすると、今の漁師小屋の構造には個人的に不満も出てくるが、何世代も許容されてきた欠点だろうから、そのままにしておくしかないのかもしれない。イヤ、来年か再来年あたりには改造を提案しよう。今の漁師小屋は、洪水の後の片付けが面倒だ。


 フショップが入ってきた。洪水の話は中断だ。


「ゴール殿。その話の続きはまた今度。」


 そしてオレはフショップに向き直る。


「フショップ殿。遠いところを来ていただいてありがとう。どういう順で話をするのかな?。工房は、いつでも見に来てもらえるように準備を整えてるよ。」

「私と来てる職人二人も荷物を片付けたら遅くとも四の鐘前にはここに来るんです。作り方がわからないと、お金の話もしにくいので、まず作っているところを見せていただいて、それから契約関係に移りたいと思ってます。今日、四の鐘で工房に行って、どのくらい時間がかかります?。」

「それなら、さっき工房でも話をしてきたけど、今日の明るいうちに全部の説明はむつかしいかなと思ってる。見てもらうだけじゃなくて、実際に手を動かしてもらうつもりだから。ああ、手を動かしてもらう時には、少し服も汚れるかもしれない。フショップ殿のその服装は、旅装のままか。ちょっとぐらいなら、水跳ねとかが飛んでも大丈夫かな?。」


 フショップは自分の服を見る。


「昨日の今頃でしたか。雨に降られてドロドロになりましたよ。そのあと簡単に乾かして埃を払っただけです。荷物は少ない方が嬉しいんで、下着はともかく外はこれ一着です。少々なら問題ないですよ。」

「じゃあ、フショップ殿はそれでいいね。他の二人もかな?。」

「服装については同じようなものですよ。」

「わかった。ゴール殿。今から工房へ行って、明るい間だけでも説明をして、明日も午前中に続きをやって、契約の話はその後とかで構わないかな?。」

「フショップ殿達の意向は聞いてた。大体そんな感じでこっちも準備してる。工房のノルンにも大体そんな感じで伝わってるんじゃないか?。」

「ここに来る直前にノルンとも大体そんな話をしてるから、今頃準備してくれてると思う。ええと、全部で何人だろう?。フショップ殿達が三人で、私とエリスとエンリ、それから?。」

「ネリが行きたいと言ってた。エンリは自分の手でひととおりの工程を試してるが、自分は話を聞いたことがあるだけだからって。あと、契約の話に関わるからダラスあたりかなと思ってる。領主館からは二人。合計で八人か。」

「バギーで領主館と工房を二往復ほどするよ。歩くより速い。」

「それなら今ここにいるフショップ殿とマコト殿、エンリ、エリス殿で一回目か?。」

「ダラスかショー殿がすぐに来れるなら、どちらかを一回目に乗せるよ。」

「わかった。正面玄関に集合だ。儂はダラスとネリに声をかけてくる。」



 また工房に集まった。今日の説明役はエリス。倉庫になってしまっている職人長屋で材料の説明からだ。


「ネゲイの近くで集められる材料はこんな感じですけど、場所が違うとまた集めることができる材料も違うでしょうから、それは配合を色々試していただくしかないと思います。」

「その辺は前にもカースンで聞いた話と同じだね。」


 材料の種類ごとに、下処理の方法も幾通りかに分けるべきこと。今は茹で上がった木の皮を叩いて潰しているが、種類によっては蒸す方がいい場合もある。草なら前処理なしで潰していい。増粘剤になるものを忘れずに。


 潰しの工程はネリやダラスも含めて未経験者全員がやってみた。繊維を指先で触ってみてどの程度までバラバラにしていくべきか、そこに至るまでにどのくらいの時間が必要か。


「そのうちに、『木潰し三年』とかって言われるようになるんだろうな。」

「まだ『木潰し半鐘』にもなってないがな。」


 フショップが連れてきていた職人達が笑いながら言う。どこにでも、同じような表現があるんだな。


「腕っ節が強いならもっと重い棒を使えば早くなると思うよ。この部分は、道具の工夫が色々できると思う。」

「ああ、船大工連中が使ってる板を枉げる道具に、下処理の甘いヤツを入れたらボロボロになるみたいなもんだな。アレを使ったら、この『潰し』ももうちょっと早くできそうな気がする。」


 職人の一人が言った。船大工の道具ということは、外板の曲線を作るためのものか。


「そんな感じだと思う。こんな山奥のネゲイに船用の道具はないけど、海の近くでなら試してみればいい。」


 「潰し」の終わった材料の塊を手に取る。


「こういう感じにまでやってくれたら、今使ってもらってるような木の棒だけで仕事をする必要はないからね。」



 「潰し」用の台と棒は二組しかなかったので、未経験者五人が交替で木の芯、皮、泥炭、麻とよく似た「ハース」、その他の草類など一通りをこなす頃には一七〇〇M頃になっていた。まだ日は高いが、作業的にも一区切りなのでこのあたりにしよう。エンリは、「潰し」を交替して休んでいる人に水を渡すぐらいのことはやってくれていたが、今日は退屈したかもしれない。まあ、徹夜明けだし、変なテンションで動き回って怪我でもされたらイヤだから、このくらいで丁度いいと思う。


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