7-15 また仕事を増やす
ヨール王二三年七月八日(水)。
剣術の朝稽古も久しぶりな気がした。色々動きすぎだ。エンリとクララも一緒に来ている。実は今日の朝稽古に集まっているメンバーの中ではクララが一番強いのだが、そのことを積極的に宣伝するつもりはない。
朝稽古の合間にゴールには、トヨンの契約に関するカースンでの届け出を終えたこと、水制の話、フショップ達は昨日の朝カースンを出発していたことなどを報告する。ハンナがコビンを増やしたがっているとか、そんな情報は今は不要だろうが、一応伝えだ。当然だが、コビンの話はゴールにはお気に召さなかったようだ。αによると、昨夜のエンリも顔には出さなかったが、「内心では不快」という状態だったそうだ。だが、情報があるのに話さないというのは、万一話が進んでしまって後から知らされた場合に感情的な問題が大きくなる。
朝稽古の後、オレは工房でノルンと打ち合わせ。フショップ達の動きを伝えておかないといけない。エンリはクララに送られてバギーで新池に戻った。ノルンとの話が終わる頃、バギーも工房に戻って来る。
工房に戻ったバギーにはクララ、ダイアナとエリスが乗っていた。フショップ達の来訪に備えて紙の備蓄を増やしておきたいと言う。昨晩のうちにαと話していた計画の一つで、ノルンに聞かせるための会話でもある。昨晩αと話していたことはもう一つあって、中継点の増設だ。移動の度に「虫」を撒いて回収するのは、折角のデルタの機動性が活かせないので時間がもったいない。今後の活動範囲を考えると、予備回線を含めてカースン国内だけでも数十機の中継機を置いておきたい。まずはヤダ川に沿った左右の山頂に並べ、海岸線に沿ってトヨン方向へ伸ばしたい。
モルと通信できる回線を衛星経由にしたのは中継点を作る必要がないからだった。会話だけなら多少の通信遅延は許容できるし補完もできる。用途がジェーン・ドゥ・オーキョーとの情報交換だけなら問題ない。しかし汎用で、会話の翻訳以外、例えば剣術の朝稽古のような状況では多少のαからの補助を受けている。今までに大きな問題は起きていないが、瞬時の反応が必要な状態、例えば襲撃を受けるようなことがあれば通信遅延は致命的な欠点になる。ネゲイの外に出る機会が増えるなら、改善しておきたい。
まず試作の数機でモルまでの回線を作って、運用試験をしようと思っている。雨期が近いというから、天候による影響も調べやすいだろう。だが、それには雨期が始まる前に試作機を使えるようにしなければ。そして、多数の中継点を増設するためには材料を集めなければならない。モルまででも予備回線を考えると十機以上欲しい。トヨンまでとなると今の材料ストックだけでは不足だ。αは既に中継機の設計を終え、中継点の候補地も選んでいる。その上で、船内の設備で目的の状態にまで加工しやすい材料リストを作っていた。追加材料は絶対に必要なので、ストックを使うにしても規格が揃うよう、ヤーラ359-1で手に入りやすい材料が何であるかは調べておきたい。デルタによる移動が可能になったので、材料採取ができる場所の候補も増えている。無人で、何か面白いものが見つかりそうな地形の場所。候補は惑星中で数千に上っており、優先度評価も行われていた。
紙の製造のためにダイアナとエリスを工房に残し、オレとクララは昨日から使い始めたデルタの待機場所を経由して空の旅に出る。天候は回復していて昨日と同じコースだとネゲイの町からは見えてしまいそうなので、以前にαが離陸候補地としていた岩場まで、地形追従飛行で移動した。船内は慣性制御で揺れはほとんど感じないが、外の風景が揺れているので酔いそうになる。窓は、見ない方がいいな。ネゲイからの発着は天候や時間帯に左右されにくい環境を作れたが、モル、カースン、トヨンはもう少し考えたい。
デルタに乗って連れてこられたのはカースンの南方約百キロ強のところにあって、ほぼ東西に四つほどの島が連なる無人の群島だった。「無人」「掘り尽くしの心配がない」「ネゲイ近辺とは地質が異なっている」などの条件でαが候補地の中から抽出した場所だ。地形からすると、最近まで活動していた火山のようだ。その時々で火口が色々な場所にできて、そこを中心に噴出物を積もらせていたらしい。植生はない。黒っぽい火成岩が堆積した山だ。所々で白く見えているのは硫黄だろうか。上から見ると斑点が幾つかあった。群島の一番西の島は微かに噴煙を上げていた東の方が古いようだ。デルタは、東端の島の北側、一目で火口の跡であることがわかる湾の奥に着陸した。色々荷物を積んだバギーも降ろす。噴煙を上げている島との間には別の島があって、一応、遮蔽もされている。
『…人に知られてないわけじゃないでしょうけど、誰かが上陸して何かをやってるような痕跡は確認してないわ。降りてみて確認できたけど、まとまった真水の補給ができるような場所でもないみたいだし。』
雨は降るので川筋のようなものは形成されている。上空からはわかりにくかったが、川筋には油のようなものが流れた痕跡もあった。噴出物に混ざっていた色々なものが一緒に流れているようだ。αの「まとまった真水の補給はできない」という評価はこのあたりの様子からの判断だろう。逆に考えれば、この川筋の底質には火山と縁が深い物質が集まってきているということでもある。クララは川底を含めた近辺の何ヶ所から土壌サンプルの採集を始めた。オレはバギーの荷台から椅子を降ろしてこれからの作業ベースにできそうな場所を探す。
『…ステップ一。衛星回線だけでウーダベーを使ってみるわね。多分、同期が甘くなって発動タイミングも少しずれるかも。全然使えないようなら、デルタを成層圏に上げて中継させる。』
このテストは今までにも擬似的にやったことがある。発動はできる。オレの状態をαが解析してインプラントに色々な指令を出すのだが、衛星回線のような通信遅延がある場合、おそらく心臓一拍分以上の同期ずれがあると発動に失敗した。オレのインプラントで使っている暴発防止のプログラムが血圧の変動状態とかで能力を押さえ込んでいるらしい。こんな理由で死にたくはないので、安全装置を外すつもりは、ない。
対策としては、遅延のない回線を使うか、オレの状態を予測して信号発出のタイミングをずらす、又は、コントロールをαではなくてδで行うあたりとなるが、δとデルタには他にも改造したい項目が幾つかあって、それらを整理してから手を着けようと思っている。今日はまず、衛星回線経由での発動を試す。
『…じゃあ、テストは簡単なもので。定点軌道のガンマ経由で、まず時間補正なしから。イメージを送るわ。』
インプラントが受信を始める。オレは呟く。
「塩。」
何も起きない。αが言った。
『…ベストタイミングから二秒ぐらい、脈拍三回弱ほどずれてる。次はこの分を補正して信号を送るわ。』
またインプラントが受信を始めた。
「塩。」
今度はうまくいった。海からオレに向かって風が吹き、指先に塩の結晶ができては下に落ちていくだがそれを止めようと思うまでもなく、十秒ほどで風も塩も止まってしまった。
『…ある程度の時間継続させようとすると、やっぱり同期がどこかでずれるみたいね。』
「つまりこの方法は確実性が低いということだな。少しだけ、火を熾す程度ならともかく、資源収集には向いてないか。」
『…そうね。代替案に移行します。デルタを、成層圏に上げて旋回さながら信号を中継するわ。デルタとマコトの位置は……、離れてるわね。いいわ。デルタが位置に付くまで岩石サンプルの採集をお願い。』
デルタが中継空域に到達してからの作業は時々接続が切れたが、ほぼ順調に進んだ。今までにウーダベーを使った資源抽出をやったことがあるネゲイ近辺でもカースンの数キロ沖でも、遠慮なしにやり過ぎると砂埃や濁水で誰かに気付かれる心配があった。しかし、ここではそんな心配をする必要がない。そして火山由来のこのあたりの地質は、ネゲイ近辺よりも原子番号の大きな元素が多い。能力発現のための同期に多少の手間はかかったが、今までにやってきた中で一番効率のいいやりかたが、ここでの採取のようだ。
αとオレが想定している「中継機初期ロット一二八基」を作るためにリストアップされていた材料は、一日の能力発動回数ギリギリで、正味三時間ほどで集めることができた。途中で接続が切れなければもっと余裕はあったと思う。「銅」「鉄」など純粋な分子を指定していたらもっと種類は増えていただろうが、「ステンレス」「真鍮」などと合金の形で集めれば能力の発動回数は半分以下になる。ほとんどが水素と酸素ばかりの海水ではなく山体からの抽出なので、所要量の抽出に必要な時間も、十分の一ほどにまで短縮されている。存在量からすれば、時間はもっと短くもなりそうなものだが、このあたりが限界値なのかもしれない。効率に関しては、αが分析してくれるだろう。目標は一二八基だったが、予備を含めておそらく一五〇基ほど作れる材料が採取できた。
『その島はデルタ一機だけで遅延なしに中継できる限界距離に近いと思ってたけど、やっぱりそうだったわね。カースン近くの山の上に中継機を置けば、そこからもっと安定した飛行で旋回してるデルタ経由で、途切れずに通信できると思うわ。電離層をもっと上手に使えれば距離はもっと伸ばせるけど、ノイズが入りやすくなるから細かい制禦には向かないのよ。』
αのコメントだ。やはり資源の安定的な確保のためには、中継網も必須らしい。
目標量の資源収集を終えてからは、ヤーラ359-1に降りてから初めてとなる拳銃の試射もやってみた。谷の奥にいた冬の頃は反響音で雪崩を起こす心配があったし、新池に移動してからは人の眼が多くてできなかったからだ。オートマチックとリボルバーの両方とも、αの補助なしでは十メートルも離れると固定目標にすら当てることができなかったが、αが制禦しているFCSを使うと、クララが投げた石にでも空中で弾を当てることができた。どこかで時間ができたら、サイレンサーとかも作ってみようと思う。サイレンサーを付けると銃身が長くなるので、携帯には不向きだろうか?。
工房でダイアナとエリスを回収して新池に戻ったのは五の鐘の少し前。エンリも本日の水揚げのお裾分けという感じで小エビを持って帰ってきていて、アンに頼んだのかマーリン7を上陸させ、石を並べた簡易竈に網を載せてエビを焼いていた。エビ以外にも食べるものを色々用意してある。本日の当番兵、ボースもなぜか火の番をしながらエビの殻を剥いている。ボースの口許も、動いている。
「マコト殿。ネゲイを守る兵士として、命を懸けて毒味させていただきました。問題ありません。」
ニコニコしながら報告された。エンリも言う。
「あんまりお腹が減ってるような顔してましたので、ちょっとお裾分けです。」
「まあ、この時間だし、焼き始めたら匂いもいいし、そうもなるよな。でもボース、結婚してなかったかい?。帰ってから夕食もあるんだろ?。」
「ええ。だから今日は三匹だけ、ということにしてます。それも小さいのを。」
「まあ、二匹や三匹ぐらいなら構わないさ。丁度今日、海塩も仕入れてきたんだ。試してみるかい?。」
ネゲイでは、海塩は高級品ということになっている。
「え、海の?。お高いんでしょう?。いいんですか?。」
「私は海塩で食べるつもりだから、毒味をやるなら海塩で試さないと意味がないと思わないかい?。」
「なるほど。毒味は命懸けで。命を懸けるなら、それなりの理由はいりますね。」
ボースは三匹目を楽しそうに海塩で味わい、「普段のエビより美味しい以外に報告すべき異常は見当たりません」と、楽しそうに報告して今日の勤務を終えた。
「テンギ様から水中メガネの木枠にする材料を預かってます。」
「わかった。今夜か明日にはなんとかしよう。」
今夜の工作室は通信中継機が優先だが、木工に使える機械の用事は多くないはずだ。
「このエビはもうよさそうですよ。今日も海の方に行ってるって、αさんに聞きましたけど。丁度お昼頃、何もない海と山の場所で土を集めてるところもαさんに見させてもらいましたが、何をやってたんです?。」
オレ達も本格的に食べ始めてエンリが聞く。
「モルやトヨン、今日の昼とか、遠くと話ができる、遠くの様子を見ることができるのは知ってると思うけど、それをやるには途中で声や風景を中継ぎするための道具がいるんだよ。長い距離や広い範囲で何かをやろうとすると、一人では全部できないから何人かに分担するようなものだな。」
「ええ。わかります。」
「今、その中継ぎに使ってるのは短い距離用のヤツでね。使える時間も短い。モルやカースンと話をすることが多くなりそうだから、もっと長い距離と長い時間で中継ぎができる道具の方がいい、ということで、新しい道具を作るための材料を探しに行ってたんだ。」
「見つかりました?。」
「今のところはね。多分必要なものは集まってると思う。今日持って帰ったもので実際にその道具を作り始めたら、また思ってもいなかった問題が出てくるかもしれないけどね。もう、船の中では今日の収穫が思っていたとおりのものかどうか、確かめ始めていると思う。」
「前にも少し聞きましたけど、『雷をすごく弱めたもの』を使うんですよね。」
「前にも少し話したけど、基本的なところは簡単だけど、それをどう組み合わせて使ってるかは、複雑すぎて説明しきれないよ。αに頼めば順序よく説明してもらえるとは思うけど、今から作ろうとしているものの中身が全部わかるようになるには何年もかかるだろうね。」
「マコト様はその何年分のことを全部わかってるんでしょうね。」
「そうでもないよ。細かいところはどうしても忘れる。だから忘れやすいところは紙とかに書き出しておくんだ。結構な量になるから、木簡だと扱うのが大変だと思う。」
「紙だと木簡の六十倍ぐらいは書けそうですね。」
「カースンが紙を欲しいと言ってるのもそこでね。羊皮紙は量が作りにくいし木簡は嵩張る。三~四年で捨ててもいいような記録なら、紙を使えば保管場所がもっと小さくできる。長保ちする紙が作れたら、全部の記録を紙にしてもいい。」
保管場所に余裕ができたら今までは捨てていた情報も詰め込むようになるのが人間だが、それは運用側に警告しておこうと思っている。
「私も紙の作り方を覚えてみたいです。横で見たことはあるんですけど。」
「来週、カースンからの視察が来たときに一緒に見ればいい。材料の説明から完成まで、一通り実演するつもりだから。それと、エビの仕事は、冬は少なくなるのかな?。水は冷たくなるけど、その時期に、雪が降って外で何をやりにくくなってきたら紙の仕事を皆でやるのもいいかなとは思ってるんだ。それまでに、材料も集めておきたいな。雪が降り始めるまでに、時間が余るたびに少しずつやっておく仕事だろうな。」
「見せてもらいます。それから、材料も、どんなものがいいとか、教えて下さいね。」
ヨール王二三年七月九日(木)。
朝には、モルまでの中継機の試作品はできあがっていた。水中メガネもだ。水中メガネはエンリに預けた。中継機は、中継地点として選んでいる場所に運ぶ前に、動作確認を行う。いつもの朝の工房行きの前に、南原をぐるりと回って試作機をあちこちに配置してきた。光が当たり始めてしばらくしたら、自動的に受信待機状態になるだろう。午前中は定期的に「状態ヲ報セヨ」の信号を送って充電状態などのチェックを行う。中継機は自分の位置をガンマとベータのビーコンから自動算出するようになっている。ベータは毎日正午前後に通るので、中継機の本格的な機能チェックができるようになるのも、正午以降だ。今日中には連携試験もできると思っている。このまま数日、大容量送受信などの過負荷試験なども含んで南原でできる動作確認を続ける予定だ。主にはスケジュールを組んだαが作業を行うので、想定外の状況にならなければ、オレは定時で状況確認をやるだけだろう。
今日は夜にゴール宅でエンリのお披露目の打ち合わせ。昼間は誰かと会う約束もしていないので、工房で紙を作るか南原周辺で紙の材料を集めるかとなる。昨日の夕食時にエンリと話したこと「単純なことの組み合わせで複雑なことを」を思い出す。水車が欲しい。水車で杵を動かせば、紙の材料となる植物の繊維を取り出すのが楽になる。工房の横に小川はある。水量は足りるだろうか?。常時一定量を流すとなるとジェーン・ドゥが「面倒」と言っていた水利権の問題にも関わってくる。治水と利水。あまり今までは深く関わってこなかったが、ゴールも渇水を心配していた。水利権は農作者の生活に直結している。工房近辺の水利権は、クボーの畑で麦を育てている誰かに聞いてみるか。ある程度の情報を集めて、今の工房で水車を動かせるだけの水量を確保するか、一定水量を確保できる場所を探して水車小屋を作るか、そのあたりの検討が必要だろう。紙の生産はネゲイの外にも広がっていくはずだが、「発祥地」としての優位性を確保しておく方策は、ゴールやバースにも話しておくべきだと思う。水車が普及していないと思われるカースンでは、説明用に模型もあったほうがいい。
『水車の構造がわかる模型はあるわよ。』
『いつの間に?。』
『工房の横に小川があるのを見た時からよ。絶対に欲しくなると思ったの。ほぼ毎日、水量のチェックもやってるわ。ヤダ川の水位との関係もデータを取ってる。作る水車の大きさにもよるけど、少し水路を改造すれば、水車は回せると思ってる。工房の横を通る前、上流に水門もあるから、冬も流してるかどうかはわからないけど。』
『その水門の開閉のタイミングとかは、何か情報はある?。』
『水量のチェックを始めてから水門も見るようにしてるけど、雨で水量が増えた時には止めてる感じね。長く止めすぎると落ち葉とかゴミが溜まるから、できるだけ閉めたくない、そんな感じで使われてるみたい。』
『じゃあ、今夜ゴールのところに行く時の荷物にその模型も入れておいてくれ。水利権と水門の話は、畑で誰かに聞いておいてゴールにも確認しよう。』
『あとジェーン・ドゥ・オーキョーにも聞いておくわ。水車みたいなもの、ジェーン・ドゥが思いついてないのは不自然だもの。』
ジェーン・ドゥの返信は、「相談を受けたことにしか答えは返さないようにしていた」「水車に結びつくような相談を受けて水車を提案したことはある」「試したが水に強い木が少なくて長保ちしない」「とにかくこのあたりの木は水に弱くて山ほど失敗した」「海で使ってる船も十年保たない」「後の責任を持てるなら好きにやればいい」というものだった。「後の責任」は、「相談を受けたことにだけしか答えは返さない」ということにも通じるのだろう。当面のオレの目的は影響力を強めることだ。何かのタブーに触れたりしないなら、あとは資金と場所と水利権の交渉次第で前に進めると思う。ちなみに、新池にも作った桟橋は、数年で支柱部分を交換するらしい。あと、オレが何度か往復しているヤダ川の岸で水車を見なかったのは、水位が季節や降雨で安定しないとか、モルの少し下流になると潮の干満で流れが逆になるとか、そういう理由によると。ジェーン・ドゥが水車を試したのも、オレが今候補に考えているような人為的に水量を調整できる農業用の分水路だった教えてくれた。
その後の日中は紙作りをベティとクララに任せ、オレはダイアナと紙の材料採集をやった。水利権の聞き取りはベティとクララに任せた。外に出にくい冬の間の仕事は紙だとすれば、集めた材料を置いておくための材料倉庫も欲しい。また資金力の心配をしなければならない。昨日の無人島での収集物には金もあった。腐食されにくい良質の導電体として集めたのだが、ウーダベーで何キログラムかの砂金だかインゴットを用意して、カースンに持ち込めば多少の目減りはしても金貨に交換できないだろうか。だが設備投資だけではネゲイの職人不足を改善できないし、ネゲイ近辺でインフレを起こす可能性もあるから中々動きにくい。「一人分の食事材料費が一ヶ月で金貨一枚」という政策を出した現王は、ある程度経済学に通じていると思う。インフレーションの概念もあるかもしれない。オレが自分の資金力強化のために砂金などを提供する、つまりは通貨供給量を増やすという案に対して……、ああ、それは結局ハンナかその同僚達がまた山ほど試算をやる羽目になるのか。「押しつけられ嫁」のハンナ・ナーベだが、インプラントを入れてハンナが今までに目にしたカースン国内の経済状況に関する記憶をサルベージしたくなってきた。インプラントの制禦プログラムには倫理規定が組み込まれているから本人の同意なしで記憶の全コピーなんかできないが。ハンナが来るのは来月だ。やりたいことが増えすぎている。
今日は夜にゴールと会う。明日は定例のベンジー。明後日、お披露目の前の日は多分その準備で空けておくべきだろうし、お披露目当日もそれ以外に動けない。翌十三日はフショップ達を迎えるための準備で終わるだろう。それから数日はフショップの応対ばかりになる。
手を動かすだけで判断の必要がない仕事は小ニムエ達にかなり任せてきたが、判断に関しては権限委譲とか名代とか、そんなことも考えなければ。「使用人」枠の小ニムエ達、来週以降はオレのコビンとして動くことになるエンリ。対外的にはエンリの方が格上となるが、エンリには荷が重いかもしれない。通信機能をフル活用すれば対応は可能だが、そんなことを毎回続けるのも、エンリにはよくないだろう。何度かそういう交渉の場に同席させて経験を積ませて、必要な素養も勉強させるべきだと思う。ヨーサがエンリのために用意した「魚の仕事」もおろそかにできない。
『エンリの記憶力強化ってどんな感じに進んでる?。来週以降、簡単な話ならオレの代理としての交渉の場に出てもらうことも考えたい。』
『その前提で短期記憶の保持時間が伸びるように神経系をいじり始めてる。計算演習の頃からよ。学習効率は上がってるはず。足りないのは経験ね。何かの交渉の実績は多分ネリの方が多いし、ハンナはもっとそういう交渉に慣れてると思うけど。』
『テンギに会って、漁業実習の計画とか進捗を聞いておくべきかな。エンリが抜けても困らない工程の日は、商売の交渉の経験を積ませたい。』
『テンギの契約は二年よ。漁業のことは、今年できなくても、来年がある。』
『二年か。余裕は一応あるな。これからの対外交渉にはできるだけエンリも同席させよう。』
『そうね。社会的地位というのかしら。ヤダン・ゴールの娘という立場も、ネゲイでは小ニムエ達よりエンリの方が交渉に有利よ。勉強してもらいましょう。』
夜はゴールの家へ。お披露目会の打ち合わせということで呼ばれているのだが、式次第の慣例的な流れはあり、あらためて準備状況を確認するだけなので時間はそれほどかからない。最初は部屋の入り口で客人の出迎え。「席は自由なので」「後でゆっくり話をしましょう」などなど。四の鐘でゴールが開会を宣言し、飲み物が配られるまでの時間繋ぎにバースが祝辞を兼ねて適当に話をする。飲み物が行き渡ったら乾杯。あとは適当に。オレとエンリは出席者全員と少なくとも一回は話をするように会場をウロウロ歩き回る。飲み物が少なくなってきたら追加し、料理が少なくなってきたらお開きだ。最後はオレとエンリが一言ずつ謝辞を言う時間が設けられている。流れは、問題ない。エンリも了承した。メインの酒席のあと、もっと内輪のメンバーだけでの小宴もある。出席者の方は、やはり最初に作ったリストの全員というわけにはいかず、何人かの名前には消し込み線が入れてあった。
夕食は、普通にパンと具の多いスープ。殻を剥いたエビも入っていた。
「エビ剥きは、ネスルも手伝ってくれましたよ。エンリもマコト殿も歓迎なんですけど、人数が変わると量の加減がすぐにわからなくなっちゃって、多分作りすぎてるとは思うけど足りないよりはマシでしょ。」
ダールが言った。オレはお土産として持ってきた海塩の壺をダールに渡しながら答える。
「美味しいですよ。ネゲイの材料で何年も料理を作ってる人は、ネゲイの材料の上手な使い方をよくご存知だ。私の船でも料理はやってますけど、道具も違うからこれと同じものは作れないですから。」
夕食後、ゴールに水車の模型を見せた。
「ここが回って、軸が……なるほど。どこかで似たものを見たような気はするが、どこだったかな?。中はこうなっていたのか。これは、紙の材料を作る以外にも使えるんじゃないか?。麦を潰すとか。」
このあたりでは、麦は大鉢の中で棒で突き潰すのが普通だ。石臼を見たことがない。
「ゴール殿が見たものがこれと同じとは限らないが、紙の材料を潰すためのこの仕掛けのままで、麦にも使えるし、陶器に使う粘土とかにも使える。」
「陶器?。」
「粘土を焼いて固めるじゃないか。このあたりで使われてる陶器はいいものが少ないと思って欠片とかを調べてみたんだけど、焼くときに火が弱いのと、土が悪いのと、両方だった。土は、掘ってきたままよりは、こういう仕掛けを使って、更に細かく砕いた方がいい。火の強さは、また別の方法になるけどね。」
「また新しい知恵か。」
「しばらくは手を出さないよ。人手が足りてないのはわかってるし、水に強い木で作るべき、というのも、このあたりでどうするべきかよくわからない。でもそのあたりがうまく進められたら、応用はできるよ。例えば、この模型は回転を上下に動かす力に変えてるけど、歯車を使えば回転の方向を変えられる。麦をもっと細かくできる。パンの味が変わるよ。まあ、今は紙用に、こういうのを使うことを考えてる。今後、ネゲイの外に紙の作り方が広まっても、ネゲイの紙が一番使いやすいとか、そういう競争力を確保するための手段だ。工房の横の小川で、あそこの水が一年中あのくらい流れてるならそれに合わせて絵図を作るよ。」
「水の量は、上流の水門は、大雨の時に閉めるだけだ。町の中に入ってこないように。だから、普段は、水は止まらない。多分、夏冬関係なく同じくらい流れていたと思う。」
「あの水を使うのに許可とかは要るのかな?。」
「畑に引き入れるとかなら近くの畑の連中と話を付ける必要があるが、今見せられたこれは、川の水を減らすもんじゃないから、まあ、近くの畑の連中と話をしてくれ。水が減るならその分をどうするかとか、考えることはあるが、水が減らないなら、難しい話にはならんだろう。水は、区画ごとに組合を作ってるんだ。組合の中でまず話をして、そこで下流に流れる水が減るようなら下流の組合とも話をすることになる。あそこは下流で畑をやってる組合もないし、この仕掛けは水が減らないから、多分近所の連中に話をするだけで通るだろう。だが職人と資金はどうするんだ?。」
「今すぐに、ということでもない。ネゲイの外での紙作りが始まって、競争力に不安が出てくる頃に準備ができていれば。紙で使う必要がなくても、流用はできる。さっきゴール殿も言った麦とか、それ以外のことにも。」
「まだ手を着けてないマコト殿の『知恵』は幾つかあったと思うが、書き出しておかねばな。スイシャのことは、まあ来年の今頃までに、なんとかなればいいな。」
水車は、まだ時期尚早かもしれない。だか「こうすればもっとうまくいくのに」と思ったことに手を着けないのも、落ち着かない。「やりたいこと」「やれること」をこうして周囲に言っておけば、α以外にも、オレがそれを忘れていたら指摘してくれる人が増える。手を広げすぎているという自覚もあるが。




