33、闇夜を照らす月
「いたぞ、あそこだ!」
街灯に照らされた人気のない道。水溜りを蹴散らす私の後ろには、警備隊の制服に身を包んだ男が三人。住宅街に満ちる静寂に似合わぬ剣呑さで迫っていた。
正面からも人が近づく気配に横道へ逸れようとした足を止める。後ろは住宅、右も左も正面も、そして上にも微かに気配を感じる。
「っ……」
ここまで見事に退路を断たれるなんて。
いつもより重く感じる体と、走るたびにじゃらりと体にぶつかる冷たい感触が忌々しい。
右手の指に指輪、左手首に腕輪、首に首輪、左足に足輪。
枷のように装着されたそれらに共通しているのは、どれも石がはめ込まれていること。魔石に似たその石は魔封石と言い、自ら魔力を込めて創る魔石と違って身につけているだけで特定の魔力を勝手に吸い取る。
魔力暴走防止として身につけるのが一般的だけど、逆を言えばそれだけ強い魔力を持っていないと必要ではない。許容量を超えると割れる消耗品なのと、近くにあるだけで魔力を吸ってしまうので、国から許可を得た店でしか取り扱ってはならないと定められている。
今夜はその魔封石をこれでもかと身に着けてきた。
流石にどの属性も使えないのは心許ないので、この地に一番馴染むであろう水属性だけは残したけれど、それ以外の属性は感知出来ないはず。
「見つけたー!」
「ちっ!」
「きさ、ハルセ殿!? 何故ここに!」
殺気立つ警備隊の中に毛色の違う者が一人。思わず舌打ちする私と、動揺する警備隊員。いま、貴様って言おうとしなかった?
爛々と輝く灰色の瞳は、まっすぐ私を見ている。ここに警備隊さえいなければ、今すぐ全ての装飾品をハルセへ投げつけるのに。
「来たれ水球、うねりをあげて彼の者を葬れ!」
「ぎょっ」
「千々に砕けた水鞠よ、氷の刃となって降り注げ!」
「ひっ!?」
「逃げろ!」
台風のように渦を巻いた水にハルセが飲み込まれ、天高く消えていく。唖然と見上げていた警備隊も他人事ではないとようやく気づいて、降り注ぐ鋭い刃から逃げ惑っていた。
その隙に上へ逃げる。屋根にはまだ潜んでいた二人が氷刃から距離を置くように、こちらを伺っていた。
「おのれ、逃がすか!」
「研ぎ澄ませ、鋼の刃!」
「へぇ」
突如現れた私に一瞬動揺したものの、すぐさま金属性で剣を創って斬り込んできた。同じく氷剣を創り、迎え撃つ。魔法展開が早いし、剣筋も悪くない。ただ周りはあまり見えていない。援護のタイミングを見計らうもう一人もぎこちなく、新人だろうかと頭の隅っこで考える。うん、これならなんとかなりそう。
強めに剣を振り警備隊員を弾くと、即席剣を床に突き立てた。
「もう降参か?」
汗を拭いながらにやりと笑う警備隊員。私は指で上を指す。
「なっ」
「うあぁあ!」
私と驚く警備隊員の間に、空から水の塊が降ってきた。床にぶつかった水は潰れたカエルのようなハルセを残して勢いよく四方へ散り、警備隊員二人をあっけなく押し流した。剣を支えにしていた私は流されることなく、追加で土塊に藍色の種を仕込んで、建物の下へと投げた。
追手は消えたし、これで多少時間は稼げるはず。踵を返した私の服が何かに引っかかった。
「手合わせぇ……」
「何がアンタをそこまで駆り立てるのよ……」
マントの裾を掴む指。びちゃびちゃの打ち上げられた魚、もといハルセは見るからに満身創痍なのに離す気はないらしい。
ふと足元にうっすら影が出来ているのに気づく。街灯もない屋根の上、空を見上げれば柔らかく私達を照らす光。微かに欠けた月が輝いていた。
「ああ、本当にままならない」
私達バスラにとって満月を挟んで数日は休息日にあたる。明るすぎて闇に紛れられないからだ。そして、それは私にとって都合が良かった。
「ここに来たのは私がいると思ったから?」
「おう!」
「そう」
月から隠れるように、そっと目を瞑った。
花壇に仕込んでいた緑の種から黄色い花が芽吹く。花越しに見た下では食人植物に襲われながらも、リーダーらしき人物が指揮を取り無事な隊員で対応していた。さすがね、持ち直すのが早い。
魔力を切り、目を開けるとしゃがみ込む。
「ハルセ。私がこの格好をしている時のことを誰にも話さないと約束できる?」
「?」
「話せば私は捕まって、二度と会うことも手合わせすることもできない」
「えっ! ヤダ!」
「なら黙っててくれる?」
床に潰れたまま、こくりと頷く。この口約束をどれだけ守ってくれるかはわからない。それでも、しないよりはマシなはず。
マントを掴むハルセの手に自分の手を重ね、そっと解す。一瞬こわばった手はマントから離れ、きつく私の手を握りしめた。濡れて冷えた手は死人のようだった。
「離して。でないと捕まってしまう」
「また、会える?」
じっと見つめてくる灰の目に月が映り込む。まっすぐ向けられる視線に気圧された。
調子のいい嘘や真意を溶かし込んだ上辺だけ綺麗な言葉なんて、きっとハルセには通じない。
「今回のように追いかけ回されて困る時は逃げるわ。でも、そうじゃない時ならもう逃げない」
「本当に?」
「ええ、この花に誓って」
隠れたってハルセ相手には何の意味もないのだから。苦笑いで指輪を外し、手の平にネリネの花を創る。私の手の代わりにと渡した花をじっと見つめる私達の耳に、警備隊の物々しい号令が届く。時間切れね。
「じゃあね」
再び指輪を装着し、今度こそ踵を返した。
* * *
「ふう」
つい先程まで追われていたとは思えない静けさの中。危険がないことを確認し、とある屋敷のベランダに飛び降りる。
少し開いたままの窓を押すと、キィと小さな音を立てた。中に入り施錠すると、カーテンを閉め被っていたマントと魔封石の装飾品類を脱ぎ捨てる。
「疲れた……」
ここは王都の貴族街にある、とある貴族の屋敷。
ノルによって身を隠すことになってから一週間。食客として、この屋敷に匿われている。
バスラの格好で出入りすべきでないのは百も承知。だからといって丸腰で出ていくのも大問題で。ならば大人しくしてろと言われそうだが、ここには行動を咎める者はいない。家主は二つ返事で夜の散歩を了承してくれた。
なめてたつもりはないけど、さすがミトロピア領。前は混乱に乗じてだったし、王都警備隊との連携がいまいちだったのかもしれない。本来はあんなに守りが堅いなんて……。でもなんとか調べたかった分は終えた。あとは、
「フィー」
無言で忙しなく思考を整理していると、コンコンと遠慮がちなノックが聞こえた。忍んでいるとよりは、寝ている使用人を配慮してのことだろう。
扉を開けると、そこにはトレイを持ったニオが立っていた。
「入ってもいいかしら?」
「……寝ないの?」
「これを飲んだら寝るわ」
明日が休みだったとしても、初老の身に夜ふかしは堪えるのでは。でも私も話したいことがあったからちょうどいい。
湯気立つティーポットの乗ったトレイを受け取り、中へ通す。貴族は自らお茶を入れたりしない。ニオはいつもの穏やかな微笑みでソファに座り、私が淹れるのを見守っていた。
「ニオ、」
「まだ駄目よ」
唐突なダメ出しに苦笑する。まだ用件を言っていないのに、私の考えなどお見通しらしい。
良い匂いを放つカップをニオの前に差し出し、向かいに私も腰掛けた。
「気持ちは嬉しいけど、明日には帰るわ」
姿を隠す意味がないこともハッキリしたし。苦々しい気持ちで話した先程の出来事を、なぜかニオはとても楽しそうに聞いていた。
ニオの元へ行けという指示は、アキトだけでなくハルセ対策も兼ねていた。
ハルセは直感で私の居場所を突き止めていると以前言っていた。今回は本当にそうなのかを試す絶好のチャンス。実は目撃情報や行動範囲に網を張っているとかならまだ手の打ちようがある。
なのに結果は残酷で。会ったことのある場所ならまだしも、貴族街にあるニオの屋敷をハルセは嗅ぎつけた。他の貴族の屋敷同様、家主であるニオが結界を施していたのにも関わらず、だ。
そして今日。ハルセは魔封石で力を感知できない状態にあった私もあっさりと見つけた。もう打つ手はない。
「……」
あの高さから水と共に叩きつけられたのだから、骨の数本折れていてもおかしくはない。だというのに、ハルセの手合わせへの恐ろしい執着心は何なのだろう。一日一回は手合わせしないと死ぬ病にでも侵されているのか。
「解決の目処は立っているの?」
「……一応」
「私のことなら心配しなくても大丈夫よ、怪我した鳥を囲うことはよくあることですもの」
怪我をした鳥、つまり訳アリを匿うのは日常的にあるらしい。ニオが占い師なのは知ってるけど、そんなことまでしているとは知らなかった。
その言葉に甘えたい気持ちはあるけど、ニオとトレはバスラの耳。万が一を考えれば、素直に頷くことは出来ない。
「そうだ。これ渡しとくね」
「あら、出来たの?」
「おかげさまで。試せてはないから、確認してもらいたくて」
ベッドサイドの引き出しから小瓶を取り出す。ちゃぷん、と中の液体が揺れた。
ノルが私をニオの元へやったのにはまだ理由がある。
それは地階に押し込められた宝の山。ニオは仕事の報酬として稀に金銭以外を要求するそうで、地階にはそうやって手に入れたありとあらゆるものが眠っている。その中には、私が普段使っているよりも上等な実験器具も混ざっていた。
ニオから借りた実験器具と、なんとか集めた薬草達。大方の検討はつけていたから、必要なものさえ揃えば完成はあっという間だった。
「任せてちょうだい」
言うやいなや飲み終えたカップを簡単に水ですすぎ、小瓶の蓋を開けた。水色の液体からは、花の蜜に似たほのかに甘い香りがした。
顔を近づけてその匂いを嗅ぎ、人差し指を向けてぐるぐる回す。すると段々色が抜け、代わりに煌く塊が現れた。宝石のようだなと静観していると、ニオが最後の仕上げとばかりに手のひらをカップに翳す。パキン、と小さな音がした。
「さすがねぇ」
嬉しそうなニオの手の下には、透明な花が咲いていた。カップを覆う大きさの花の中には、一回り小さな水色の花が閉じ込められていた。
恋する乙女のごとく頬を染めて、宝石のような美しさの透明な花に見惚れるニオ。少女心を忘れない彼女は、得意の水属性で鑑定も行える。液体に限られるけどとなんでも無い事のように言うニオだけど、液体に溶け込んだ薬効を損なわないまま輝石化させ、見た目は美しくかつ不要な部分を削り取れるように出来る人なんて、そう何人もはいないだろう。
そう、見た目だけは宝石並に綺麗なんだけど。液体の正体を知る私からすれば、純粋に見惚れるのもどうかと思うわけで。
「それ、どうするの」
「フィーちゃん使う?」
「いらない。”惚れ薬”なんて得体の知れないもの、使う人の気がしれない」
元”惚れ薬”を部屋に飾るべく置き場所を探し始めたニオを本題に引き戻す。
少し前に調査を依頼されていた惚れ薬。本当ならもっと早く試作品を渡せるはずだったのに、必要な薬草は狩り尽くされてるわ、ハルセにアキトにと日常がばたつきすぎて手つかずのままだった。
ついでにと、その辺に脱ぎ散らかしていたマントのポケットから小さな紙を引っ張り出す。
「例の件だけど、どうやら組織的な犯行みたい」
「あらまあ。厄介なこと」
「惚れ薬を買った人、仕事を斡旋されたとかいうゴロツキ、色々聞いてみたけど人物像にばらつきがある」
そもそも惚れ薬を買った人の口が堅く、中々噂の出所が掴めない。一芝居打つことでようやく教えてもらえたのは、惚れ薬の話をしてくれた人に願えばいい、ということ。そうすれば話が大元まで逆流し、惚れ薬を入手出来るのだそう。
恋する乙女は意外と悠長なのね。そう思った私とは違い、いつかに備えて相手のいない人まで欲しいと願い出ていると聞いて、恋する乙女は強かだと思い知った。この分だと想像の倍は出回ってると考えたほうがよさそう。
「とりあえず、知り合った子に急ぎで欲しいと頼み込んである。上手くいけば明後日には返事が来るって」
「良い報告を待っているわ」
そう締めくくったニオの表情は強かで。こういう時に本当にノルと友人なのだなと、部屋を出ていくニオを見送った。
明日食器の片付けをメイドさんに頼まなければ。欠伸を一つ噛み締めて、私も寝支度を整えた。




