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29、変わったものと変わらないもの

「腹減りすぎて死ぬかと思った!」


 沼から出た途端、これでもかと空腹を訴えてくる腹の虫が邪魔で話が進まないので、泉まで戻ることにした。残っていたエン手製サンドイッチはあっという間に消え失せ、籠に入っていたお茶を勝手に飲んでいる。そっちは許可してない。


「綺麗な水だな。深いのか?」


 泥を落とすために服のまま泉に入る私を、興味深そうに覗き込む。

 ハルセの全身についた泥は、食べている間に乾いて固くなり始めていた。水を初めて見た動物のような反応をするハルセを掴み、ぐいと引っ張る。


「溺れたりしないから、さっさと入れ」

「わぷっ」


 深さはまあまああるが、ここは生命を司る聖なる泉。溺死なんてしない。

 頭から水に突っ込んだハルセが、犬のように頭を振って水滴を飛ばす。ぴちゃぴちゃ遊んでいるかと思えば、楽しくなってきたのか泳ぎ始める。先に上がると、火と風の妖精が待ってましたとばかりに乾かしてくれた。


「メリダ、どういうこと?」


 ハルセ救出中にいなくなったメリダだったが、声をかけると私の髪の隙間から顔を出した。姿はまだ小さいまま。


「それは私の台詞。あれは本当に人の子なの? ここまで何も感じない存在は初めて……小動物のほうがよっぽど存在感があるわ」


 人間側からだと傍迷惑なくらい存在感があるのに、精霊にかかれば小動物以下らしい。

 なのに妖精はハルセを気に入っているようで、水の妖精が一緒に水遊びしている。本当に、不思議というか得体のしれない男だ。


「ふわー! ここ面白いな!」


 満足したのか陸に上がって、今度は全身をぶるりと振って水を飛ばしてくるので妖精に頼んで乾かしてもらった。


「ところで、いつからここに? まさか私に会った後からずっと森にいるなんて言わないでしょうね?」

「そうだけど?」

「アンタ馬鹿なの!?」

「なに怒ってんだ?」

「怒りもするわよ!!」


 あと数日、もしかしたら数刻来るのが遅ければ、確実に死んでいた。なのに当の本人はどこか他人事で。

 餓死か溺死かの違いはあれど、森の中で死者を出すなんて危険な真似されては困る。


「あのね、アンタ危うく死ぬところだったの。分かってる?」

「殺しても死なないって言われてるから大丈夫だってー」

「確かに。って、そうじゃなくて! ここは妖精や精霊が住む聖なる森。死体なんて出たら、どうなるか分かってるの!?」


 妖精は邪気に弱い。人里にいる妖精は力が弱いか、邪気への抵抗力がある。でも森にいる妖精はそうではない。そんな所で死体なんかが出たら妖魔が量産されてしまう。

 動物は森と共存関係を築けているから良い。死んだとしても、精霊や妖精が弔ってくれる。でも共存関係にない人間は死んでも土に還されることなく、ただただ腐敗していくだけ。


「……もういい。アンタに分かってもらおうと思った私が馬鹿だった」


 今まで森に入れる人間は少なく、森の重要性を理解している人ばかりだった。こんな脳筋に言うだけ無駄だ。

 後でメリダと対応を相談しよう。それでもダメならまた考えよう。


「妖精達、ハルセに帰り道を教えてあげて」

『わかったー』

「お前は?」

「誰かさんのせいで、やることがさっぱり終わってないの」


 本当なら今頃植え替えは終わっているはずだったのに。早くしないとまた遅くなってエンに心配をかけてしまう。

 アコルデを思い出したことで、頭の隅にぽいっと投げたものまで思い出してしまい、つい溜め息がこぼれた。


「じゃあ、オレもついてく」

「はあ? さっさと帰りなさいよ。邪魔」


 あんな目にあったのに、まだ森を探索したいのか。これ以上余計な真似される前に追い出さないと。

 妖精に幼木を運ぶ手伝いをお願いしつつ、手を振って早く出て行けと督促する。


「邪魔しないからさ! オレもまだダチュラ見つけてないし!」


 ダチュラを見つけたら。そう言い出したのは私。

 付いてくる気満々で、妖精と一緒に幼木を抱えるハルセはもう聞く耳なんて持っていない。この調子だと無理やり追い払っても戻ってきそうだ。


「……好きにすれば」


 変に追い返して野垂れ死なれるよりはと、背を向けて歩き始める。

 決して罪悪感で絆されたわけではない。



 * * *



『うたおう』

『うたおう』

『いつものうたを』

「森の葉揺らすは風のいたずら、朝露の雫が落ちれば水の精、土の(かいな)に抱かれて、土と木の精が踊ってる」


 予想外の事態で大幅に遅れたため、広範囲に植える予定を変更し重点的に植えることにした。

 木を植えるごとに妖精は歌う。歌声は風に乗って、森の隅々まで届くという。


「さあさ歌おう、高らかに。玉響(たまゆら)のさざめきを、十重に二十重に響かせて。さあさ歌おう、朗らかに。眩い光は大地の輝き、月夜に煌めく命の声を。さあさ歌おう、目覚めのうたを。ゆらりゆれるは白き花、みたせみたせ清き力、めぐれめぐれ輪廻の輪」

『ようこそ』

『ようこそ』

『ぼくらのなかま』


 妖精は精霊に比べて自我が希薄だ。でも、好き嫌いは存在する。

 抑揚をつけて歌う私の声に合わせて楽しげにくるくる踊る。祭り囃子が聞こえたらいてもたってもいられないのは、人間も妖精も同じらしい。


「その歌なに?」

「アンタには関係ない」


 付いてきてもいいが邪魔するなら速攻捨て置く。最初に打った釘は全く意味を持たず。これは何だ、あそこにいるのは何だと矢継ぎ早に質問してきたかと思えば、突然走り始めて精霊の怒りを買いかける始末。

 宣言通りに放り出せたらどれだけよかったか。結局、何を仕出かすかわからない天災(ハルセ)に、持っていた紫の種を口に突っ込むことで黙らせた。


「ちょっとくらいいいじゃん! そっちばっか聞くのずりい!」


 きゃんきゃん吠えつつも、その口は両手で隙間無く覆われている。よほど種が不味かったらしい。

 アコルデに来た時にも一度食べさせた、滋養強壮薬にもなるがとてつもなく苦い種。近くの川に頭から突っ込んで口をゆすいだものの、呻き声にえずきを混ぜたような鳴き声で付いてくるものだから、仕方なく野苺を渡した。


「……まあ、ね」


 作業の間、出身や家族構成、リツの護衛になるまでの経緯など、気になっていた事を端から聞いていった。


 単細胞のハルセの口に戸はないらしく、全て素直に答えてくれた。

 なんとハルセはこの国の出身ではなかった。私でも名は知っている程度の隣の隣に位置する国の生まれだったのだ。しかも他国と交流は持たないことで有名な、謎多き要塞国家ラティゴ。一応そこの貴族出身だそう。家族関係は希薄なのか、姉弟は複数いるらしいが姉の話がほとんど。中々強烈な姉だったらしく、悪さをして二階の窓から吊るされただの、滝壺に落とされた等々。ちなみに姉はハルセの分を吸い取ったのではと言われるほど魔力が多いらしい。

 ハルセはその閉鎖空間が耐えられず、出たいと言う度に姉から説得という名の折檻を受けていた。が、とうとう姉の目を掻い潜って国を出た。そうして、辿り着いたのがここアルマドゥラ国のミトロピア領だったらしい。

 話を聞く限りラティゴの要塞は結界と構造が似ていて、内外を遮断する力を持っているそう。魔力を持たないハルセに突破する術はない。だからこそ、ハルセの姉も弟を閉じ込めたりはしなかった。

 想定外だったのは、ハルセの執着に近い好奇心。まさか用水路に潜って外へ出るなんて思いもしなかっただろう。突然そんな物体が流れ着いたミトロピアも災難だ。


「分かってなさそうだなぁ」


 ハルセは外の世界を見たかった。ただそれだけで、出奔した気はない。それでも、やったことは亡命だ。おそらくミトロピア家も、王宮も判断に困ったに違いない。

 結局、食客として最初に拾ったミトロピア家が世話をすることで落ち着いた。それがリツの護衛になった経緯だった。

 ただハルセ視点なので裏がありそうだったり、意味を捉え間違えているであろう話も多かった。出来ればリツからも話を聞きたいけど、それは無理だろう。


「なにが?」

「なんでもないわ」


 ハルセが何でも話してくれるから、つい根掘り葉掘り聞いてしまった。謎は解決したようで増えたのだが、一方的に情報を得た自覚はある。しかも、私がハルセに何か聞かれたとしても機密事項と私情ばかりで話せることはほとんどない。

 子供っぽく頬を膨らませるハルセは、何かしら教えないと面倒なことになりそうで。仕方なく歌について教えることにした。


「この歌はね、森で仲間が増える時に歌う曲なの」 


 本来は新しい妖精が誕生する満月の夜に儀式で歌うもの。私が唯一受け継いだ歌だ。

 まだ両親が健在の頃、私は夜に森へ入ることを禁じられていた。でも満月の夜だけは、両親と共に夜の森へ行くことが許された。片手で足りるほどの回数だったが、いつも父は泉を前にこの歌を歌っていた。

 静けさの中響く父の歌声、新たな生を受けた妖精達が光を纏って空へと舞い上がる幻想的な光景。全てがとても美しく、終始魅入っていたのを思い出す。


「……」


 同時に不安が過ぎる。

 森の管理者の役目がこれだけのはずがない。この歌詞だって幼い私が耳で覚えたもので、間違っているかもしれない。

 教えてくれる人が一人もいない中、私のような半人前でどうにか保てていたのは森が縮小と、メリダのおかげ。


「オレこの歌好き」

「どうも。ほら、さっさと次を植えに行くわよ」

「おう!」


 ふるりと頭を振って雑念を振り払う。

 完璧じゃなくていい。やれることをやる。そう決めたはずでしょ。 


 途中ハルセに茶々を入れられながら、残る幼木はハルセが抱えている一本だけ。

 外の時間が分からないけど、そろそろ戻らないと。ちらりとハルセ見る。

 頭や肩に妖精を乗せ、尻尾のような毛先にも妖精がぶら下がっている。大分好かれたようだ。当のハルセも鼻歌交じりで妙な足取りになるくらいには楽しんでいるようで、ついくすりと笑ってしまった。


「なんだ?」

「別に。楽しそうだなと思っただけ」

「楽しいからな! 妖精はたくさんいるし、精霊も全然怒ってない。木も花も元気で、動物ものんびり生きてる」

「?」


 どこか引っかかる言い方だ。いくらラティゴが要塞国家とは言え、魔力が存在するなら妖精はいるはず。精霊だって誰彼構わず危害を加えるほど見境ない個体は少ない。国が違えば妖精や精霊の個性も違うのだろうか。


「ここはいい森だな!」

「っ……」


 続いた何気ない言葉が胸に刺さった。聞こうと思ったことが吹き飛ぶ。


 正解がわからないまま幼木を育て、カデナを咲かせ、妖魔を退治しては妖精達の輪廻を見守ってきた。

 その頑張りが報われた気がした。少なくとも、ハルセにとってこの森は”良い”と感じた。その言葉に嘘はない。それが分かるからこそ、込み上げてくる何かを、懸命に押し留める。


「……ねえ、ハルセ。どうして私の名を知りたいの?」


 教える気はサラサラ無いけど、興味が湧いた。ハルセは生い立ちを語った時のように、気負いなく答えた。


「名は体を表すって言うだろ? ”フィーラ”って名前も似合ってんだけど、なんか風が吹けば飛んでいきそーな名前だなって」

「人の名前吹き飛ばさないで」

「そうじゃなくて!」


 聞くんじゃなかった。つい睨めつける私に、ハルセが全身で違うと表す。うるさいから、さっさと続きを言え。


「お前はさ……えー、あれだ。さっきの水場!」

「水場? 泉のこと?」

「それ! あそこにあった太くてしっかり根ざしてる木みたいな、揺らがない強さと風を通すしなやかさ。あとは差し込んできた光を周りに分けて、こう明るいところに引っ張ってく道標みたいな? そんな名前が似合うと思うんだ」

「……それ、どんな名前よ」

「それを知りたいんだって!」

「ふうん」


 脳筋らしい感覚的表現。直感とも言うべきそれに、なんと答えるべきか悩む。

 両親がどんな思いで私の名を付けたのか、知ることは叶わない。


 久しぶりに思い出した両親の笑った顔が炎に包まれる。かすかに動いた口が私の名を呼ぶ。その声は両親と共に焼け落ち、灰燼と化した。


「なら余計に昔の名は教えられない」

「えー! ダチュラ見つけたら教えてくれるって言ったじゃん!」

「見つけたら考えるって言ったの。教えるとは言ってない」

「??」


 完全に意味が伝わっていないハルセの表情に、本当に出身は貴族かと問いたくなる。むしろ、ミトロピア家でも上手くやれているのだろうか。


「あのね、昔と今では何もかもが違う。過去の私と今の私は全くの別人、赤の他人なの」

「お前はお前だろ?」

「違う」

「何がだ?」

「だから! 置かれてる環境も、立場も、関係も、全部が変わったの! 名前も、住む場所も、暮らす人も、やるべきことも、全部!」

「それで、なんで昔と今のお前が別人になるんだ? オレだってここに来て、名前以外全部変わったぞ? でも、オレはオレ。だから、お前もお前だろ?」

「あーもう!! 違うって言ってるでしょ!」


 同じ言葉を使っているのか疑うほど、話が通じない。募る苛立ちに、妖精が少しずつ離れていく。

 まだぶつぶつ言っているハルセを無視して、最後の一本を植える。妖精が行ってしまったので、自分で土を掘り起こしてハルセに無言で幼木を入れろと指示する。


 好奇心のまま貴族としての役目も家族も放り投げて、自ら国を出奔した脳筋自由人と一緒にしないでほしい。看板娘(フィーラ)としてアコルデを守り、バスラNo.4(フィーラ)としてディソナンテを守り、森の管理者として森や妖精達を守らないといけない。

 私に幾重にも巻き付いている見えない楔。全てを取っ払えたとしても、もう以前の私とは言えない。別人だ。


「なんかが変わるのなんて普通じゃん。別に自分の根っこが変わるわけじゃないんだしさぁ」


 置いた幼木の根に土を被せている。小声でぶつぶつ吐き出される言葉は、どうやら私にではなく、ただ納得がいかずに独り言として溢れてるだけらしい。

 変化は普通、か。言われてみればそうだ。昨日は喋れなかった赤子が今日は喋るように、今日元気に話していた人が明日は物言わぬ(むくろ)になることだってある。もっと小さくて気づかない変化もたくさんあるだろう。


「……」


 変わったものだらけで、思えば変わらないものについて考えたことがなかった。あの時から変わっていないもの。何かあるだろうか。

 しばし逡巡した後、ふと気付いて苦笑した。ああそうか、変わらないからこそ、私は復讐しようと決めたんだ。ハルセの言う通り、根っこの部分が残っていた。


「これでいいか?」


 声を掛けられて我に返る。掘り起こした時の土を幼木の根に被せ終えたらしいハルセに頷き、水球を創って水を撒く。


「ハルセ、聞いて。私は、確かに昔違う名前だった。でも”フィーラ”になった時、死ぬまでこの名を名乗ると決めたの」

「死ぬまで?」

「そう。だから教えられない」

「……わかった」


 死人に口なし。つまり、教えることはない。

 どうしたって教えてもらえないことは理解できたようで、これでもかと皺を刻んだ渋面でようやく頷いた。


「あ、でも手合わせは諦めねーからな!」

「はいはい」


 聞き飽きた言葉を流し、空を見上げる。外はもう夜だろうか。これは怒られる覚悟をして帰らないと。

 そこまで考えて、もっと危うい境遇の人間がいたのを思い出す。


「それより、アンタ。そろそろ本当に帰ったほうがいいんじゃない? 無断で三日も戻らないなんて、事件扱いか護衛解雇(クビ)になってるかもしれないわよ」

「クビ!?」

「当たり前でしょ」

「そ、それはダメだ! 遊び相手が減る!」


 存外クビの二文字が効いたハルセの叫びに、そうじゃないでしょ!と私が言うより早く、ハルセは全速力で駆けていった。


「またな”フィーラ”!」


 残響で届いたその言葉は、聞かなかったことにした。


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