21、惚れ薬
「ニオの話では、惚れ薬の出所はミトロピア家。来月の光の季節に結婚することになっているミトロピア次期当主とレイエンダの聖女を結ぶのに一役買ったのが、この惚れ薬だっていう噂らしいわ」
ニオから聞いてきた用件を説明する。
フェティチェには恋に悩む貴族が日々訪れる。
それは本人であったり、代理であったり、親であったり。自由恋愛が多い庶民と違って、貴族は家同士の繋がりとして結婚する。そこに本人の意思はない。
ニオ曰く、秘めた想いの行き場を失って思い詰めた表情で相談に来ていた者が、ある時とても明るい笑顔で”気持ちが通じた”と報告に来たそうだ。最初こそ良かったと微笑ましく聞いていたニオだが、そんな報告が数度続いた。どれも想いが成就するとは占いの結果で出なかった者達だった。
彼らから話を聞いていく内、全員が二人きりで話した時に想いを告げ、受け入れられていることに気がついた。妙齢の貴族同士が二人きりになる場など偶然には起こりにくい。しかも、一貴族として婚約者でもない相手と二人きりになったと知られたくない風潮があり、思ったより調査に時間がかかったそうだ。
「二人が婚約するだろうっていうのは随分前から噂されていたそうよ。次期当主が怪我でもないのに聖女の勤める救護院へ通う姿が何度も目撃されてるのが理由みたい。それでも婚姻に至らなかったのは聖女が断っていたからで、それを惚れ薬で振り向かせ、効力がなくなる前に外堀を埋めようと急いだ結果が婚約ではなく結婚だと。この噂のせいで、惚れ薬が広まりが異様に早いそうよ」
婚約期間を設けるのは必須ではない。だが、それはワケアリや庶民間が多く、外聞を気にする貴族では必ずと言っていいほど婚約期間を設ける。それは男女ともに婚約者以外の関係を精算するのに必要な期間でもから。
長い歴史を持つ、誰もが知っている上級貴族が製造元で。なおかつ現在王国中を賑わす噂の渦中にいる。噂にも納得のいく部分がある。それだけで薬への信頼や期待が高まるのは分からないでもない。
「……」
先日会ったアキトを思い出し、唇を噛む。アカネの結婚話を聞いてから何度もよぎる「どうして、」が胸を突く。
レイエンダ家は災禍のせいで絶滅の一歩手前状態。レイエンダ家の存続を思うなら、アカネに婿養子を取り、分家として残らせたほうがいい。リツが相手だから出来なかったのは分かる。それでも、アキトのことを考えると辛かった。
「貴族の婚約には王家の許可が必要だ。ましてや、上級貴族の婚約は国内のパワーバランスに関わる。本当に惚れ薬が絡んでいるとは思えないけれど……そう思わない人も多いだろうね」
「ニオによると、惚れ薬は飲ませたい相手と二人きりの時じゃないと使えないそうよ。だから、今は貴族ではなく庶民の間で流行ってるみたいだけど、ニオの顧客が使っていたのなら貴族の間でも密かに広まってると思ったほうがいいと思う」
これまでも聞いた噂は種類も多く、想像力豊かだった。
それでも惚れ薬なんて怪しいシロモノが絡んだ噂はなかったし、そんな理由で公爵家同士の結婚を国王が許すとも思えない。ただでさえ強力な立場にある家同士が繋がるとなれば、自ら余計な内紛の火種を増やすことに他ならない。
そう思うと同時に、国王はどこまで知っているのだろうと不安になる。
「ねえ、フィーラ。惚れ薬って本当に作れるの?」
どこかそわそわした様子のティオ。もしかしたらオッタだけじゃなく、ティオにも春が来ているのかもしれない。少し微笑ましい気持ちになりつつも、正直に答える。
「ニオから聞いた症状を起こすものなら。でも、それで本当に惚れるかはわからないわ」
「じゃあ、絶対に使われてないとは言えないんだ?」
「……そうね。でも、私は事実ではないと思う」
「どうして?」
「その噂が本当だとしたら、惚れ薬で結婚を取り付けたなんて公爵家の恥でしかないわ。両家に良くない印象を与えるし、聞きつけた人に同じことをされても困るじゃない? だから、噂として広まる前に揉み消そうとするはず」
アキトに婚約者はいない。リツには弟妹がいるが、婚約者はいなかったと記憶している。彼らに恋煩いしている相手や、玉の輿を狙う者は多くいるだろう。
ふと部屋に置いてきた恋物語の小説の存在を思い出し、苦笑いになる。後でティオかエンに興味がないか聞いてみよう。
「なら、噂は嘘ってこと?」
「そこまでは。ただ、煽り文句としてこれ以上ないのは確かね」
特定の誰かとは言っていない噂が、人を介している間に変化した可能性もある。
それにリツが他人を意のままに操る事に手段を選ばないなら、ハルセの存在に説明がつかない。ひと目見ただけでも自由すぎるハルセを持て余していたのだから、一服盛るなり物理的に枷を嵌めるなりして言うことを聞かせようとしても可笑しくはない。私なら確実にやる。
なのに、ハルセは今もリツから身分証を与えられ気ままに暮らしている。
「オッタ、明日フェムのところへ寄れるかい?」
「しゃーねえ、怪我人の状況確認がてら聞いてくっか」
「フィーラ、惚れ薬の成分については?」
「目星はついてる。手持ちにない物があるから、入手次第作ってみる」
「王都での噂については引き続きニオ達が調べてくれるだろう。ティオは明日は休みだったね」
「教会に行く予定だったから、皆に聞いてみる。あ、フィーラもメモくれたら薬屋寄るよ」
「ありがとう」
「みんな頼んだよ」
エンの采配で明日の行動を割り振ると、オッタは「疲れた」と欠伸をしながら帰っていった。ティオにも先に休んでもらい、エンと二人後片付けをする。
「そういえば、何か占ってもらったのかい?」
オッタはいつも通り平和だったと言っていたけど、賄いで使った以外の食器も残っていたから閉店間際は忙しかったのかもしれない。
洗い終えた食器の水を布巾で拭い棚に戻していると、世間話がてら聞かれた。
「吉兆を占ってもらったよ」
恋の行方を占うとか言われた時は断固拒否したけど、吉兆ならいいかと占ってもらった。
ニオが得意なのは水鏡占い。ピカピカに磨かれた銀製の盥に水を入れ、知りたい内容を思い浮かべながら魔石を投げ入れる。その時に出来る波紋や魔力の揺れで判断するらしい。
「それで?」
「えーと、確か『願いを叶えるには相当な困難が待ち受けている。けれど本当に心から願いの成就を求めるのなら、助けとなる縁が現れるだろう』だったかな」
「縁?」
「うん。これから訪れるかもしれないし、もしかしたらもう現れてるかもしれない。トヴォは『新たな出会い!』とか言ってたよ。人を指すのかもどうかもわからないのにね」
これまでも何度か占ってもらったことはあるけど、後々これのことを言ってたのかな、と思う程度でしかない。女は比較的占いが好きと聞くが、不確実な情報に踊らされれば身の危険に直結する。だからか、自ら占いたいと思ったことはない。ただ、今回だけは事情が違う。
「彼のことは占ってもらわなかったのかい?」
「……ハルセのことね」
私が今一番困っているのは、アコルデにまで来るようになってしまったハルセの存在。ニオに占いを自ら頼んだのは初めてだった。
「占ってもらったけど……分からなかった」
「どういうことだい?」
「ニオも困惑してた。結果が思うように出ないことはたまにあるらしいの。でも、ハルセに関しては……誰かに邪魔されてる気がするって」
占いは数多ある可能性や未来から、依頼主の望みに近い道標を示唆するようなもの。依頼主の望みや、関わる事象、占い師本人の体調にも多少なり影響を受ける。
それでもニオの占いの腕は確かで、ここ数十年は結果が出ないことはなかったという。
「だから代わりに、吉兆も占ってくれたの」
「……そうか」
占いのことはさっぱりわからない。結果が出ないと言われた時も、ニオですらハルセは手に余るのかと思った程度。
そんな私はニオの占いよりも、怪しい惚れ薬よりも、エンに話したいことがあった。
「ところでエン。トヴォから本を貸してもらったんだけど、読まない?」
* * *
とっぷりと夜に沈んだ室内は暗く、指先に灯した小さな火をランタンに移す。火の魔石を種火に燃え続けるランタンを机の上に置き、ベッドに腰掛ける。
ベッド横にある小窓を開けると、少し肌寒い風がこもった空気を連れ出した。一日の終わりはこうして、ランタン一つだけ点けた薄暗い部屋からディソナンテの町並みを見るのが日課だった。
「……助けとなる縁、か」
口から出た呟きは思った以上に苦々しく、自覚したくなかった己の内心を突きつけられる感覚に顔が歪んだ。
フィーラを拾い、育てて十年。
自ら口に出すことはなくとも、復讐が諦めていないのは感じていた。それこそ生きる意味や生き甲斐のように、何をするにも根底に復讐が垣間見えていた。
怪我が治った幼いフィーラをバスラに誘った時、教えられたことを復讐に使ってもいいのならと言われて驚いたのを思い出す。
当時はまだ幼く、これから多くの人と接していくうちに気持ちも変わるだろうと重く受け止めなかった。復讐も一人でするから迷惑はかけないと大人顔負けな事を言うフィーラの復讐相手がアカネ・レイエンダだと聞き、遂げられるわけがないと思ったのも軽く考えていた理由の一つだ。
「あの時の自分を殴りたい気分だよ」
まさか、アコルデとバスラという二足の草鞋を履きながら、本当に復讐の手筈を一人で整えてしまうなんて。
もう復讐の実行日も作戦も決めているらしいと、荷物の中に入っていたトヴォからのメモに書いてあった。それを私達に教える気がないとも。
「私は、私の出来ることをするしかないね」
妹でも娘でもない。それでも確かに大切な存在。
あの子の幸せのためなら、例え一生恨まれたとしても構わない。
この世界の一つの季節は五十日あります。




