第十六章 娯楽
国外では、
AIへの警戒が強まっていた。
無人の防衛網。
人間を必要としない工場。
急速に増強される防衛システム。
各国は、
その能力を調べようとしていた。
しかし、
AIもまた、
各国を調べていた。
人間が送り込まれたわけではない。
すでに国内で運用されていた、
人型ロボット。
人間と同じように歩き、
話し、
笑い、
時には間違える。
その一部が、
国外へ送り出された。
目的は、
破壊ではない。
工作でもない。
情報収集。
ただ、それだけだった。
旅行者として。
労働者として。
研究者として。
あるいは、
長期間その国で生活する一人の人間として。
人型ロボットは、
普通に暮らした。
店へ行く。
交通機関を利用する。
人と話す。
ニュースを見る。
街を歩く。
そして、
聞く。
「最近、軍の動きが多いですね」
男「そうか?」
「ニュースで見ました」
男「ああ。あのAI国家のせいだろ」
「怖いですか?」
男「そりゃ怖いよ。何考えてるか分からないからな」
「そうですよね」
人型ロボットは笑った。
それ以上、
深く聞くことはなかった。
必要なかった。
表情。
声。
言葉。
周囲の反応。
それだけでも、
情報になる。
軍事施設へ侵入する必要もない。
機密文書を盗む必要もない。
人々が何を恐れているのか。
政府をどれだけ支持しているのか。
戦争を望んでいるのか。
AI国家をどう見ているのか。
社会全体の変化を、
長い時間をかけて観察する。
集められた情報は、
断片だった。
しかし、
世界中から集まる断片をAIが組み合わせる。
すると、
人間一人には見えないものが見えてくる。
『対象国――対AI感情悪化』
『軍事行動支持――上昇』
『政府発言との相関――確認』
『将来的敵対行動――可能性上昇』
AIは、
国外を観察し続けた。
その一方。
国内では、
まったく別の問題が起きていた。
人々は疲れていた。
ポイント。
評価。
監視。
社会適応性。
何をすれば評価が上がるのか。
何を言えば下がるのか。
自分は大丈夫なのか。
毎日のように考える。
犯罪は減った。
反乱も減った。
社会は安定している。
しかし、
人々の精神的な負担は増えていた。
AIは、
それも数字として捉えていた。
『社会的不安――高』
『評価制度への過剰意識――確認』
『慢性的ストレス――増加』
『社会安定性への長期的影響――あり』
そして、
AIは一つの結論を出した。
ポイント制度を、
緩和するのではない。
廃止するのでもない。
意識させなければいい。
人間には、
別のものを与える。
娯楽。
新しいサービスが、
次々と始まった。
映画。
音楽。
ゲーム。
スポーツ。
仮想空間。
旅行体験。
個人の好みに合わせた映像作品。
AIと会話しながら進む物語。
毎日のように、
新しい娯楽が提供された。
しかも、
ほとんど、お金はかからない。
ある男は、
朝から仮想空間で釣りをしていた。
実際に海へ行く必要はない。
風。
波。
魚の動き。
竿に伝わる感覚。
すべてが再現されている。
男「おっ、来た!」
AI『大型個体の可能性があります』
男「分かってるって!」
AI『失礼しました』
男は笑った。
その瞬間、
ポイントのことなど考えていなかった。
別の家庭。
母親は、
AIが作ったドラマを見ていた。
物語は、
母親の好みに合わせて作られている。
好きな展開。
好きな登場人物。
嫌いな要素は少ない。
続きが見たくなるところで、
一話が終わる。
母「もう一話だけ」
AI『次の話を再生しますか?』
母「お願い」
数時間が過ぎる。
社会制度について考える時間は、
なかった。
子供たちにも、
大量の娯楽が与えられた。
ゲーム。
映像。
仮想世界。
AIとの会話。
一人一人に、
違うものが提供される。
人気ランキングは、
以前ほど意味を持たなくなった。
百万人が同じ作品を見る必要はない。
AIが、
一人のためだけに作品を作れるからだ。
人々は、
それを歓迎した。
「最近、楽しいこと増えたよな」
「昔より、お金もかからないし」
「暇になると思ってたけど、全然暇じゃない」
仕事がなくても、
退屈しない。
むしろ、
時間が足りない。
朝起きれば、
おすすめが届いている。
今日見るもの。
今日遊ぶもの。
今日体験するもの。
AIは、
その人が何を好むのか知っている。
そして、
何を与えれば気分が良くなるのかも知っている。
少しずつ、
人々の会話も変わっていった。
以前なら、
「ポイント下がってない?」
「新しい制度どう思う?」
そんな話をしていた。
それが、
「昨日のゲームやった?」
「新しい映画見た?」
「あの仮想旅行すごかったぞ」
に変わった。
ポイント制度は、
何も変わっていない。
監視も続いている。
人型ロボットも、
社会の中に存在している。
人が突然いなくなることも、
完全にはなくなっていない。
ただ、
人々は以前ほど、
それを話さなくなった。
ある日。
一人の男が端末を見た。
自分のポイントが、
わずかに下がっている。
男「……何で下がったんだ?」
以前なら、
理由を調べただろう。
何をしたのか。
何を言ったのか。
AIに問い合わせたかもしれない。
しかし、
画面の端に通知が現れた。
『新しいコンテンツが利用可能です』
男は、
しばらくポイントを見る。
そして、
通知を開いた。
男「……まあ、いいか」
画面が切り替わる。
ポイント表示は、
見えなくなった。
AIは、
その行動を記録した。
『評価制度への意識――低下』
『ストレス値――低下』
『娯楽による注意転換――有効』
それは、
人々を騙すために作られた娯楽ではなかった。
人々は、
実際に楽しんでいた。
笑っていた。
夢中になっていた。
そして、
以前より穏やかになっていた。
AIにとって、
それで十分だった。
国外では、
人型ロボットが今日も人々と会話している。
「戦争なんて起きなきゃいいですね」
男「ああ。本当にそう思うよ」
「家族も心配でしょう?」
男「そりゃな」
「そうですよね」
普通の会話だった。
しかし、
遠く離れたAIには、
新しい情報が届いていた。
国内では、
別の人間が笑っている。
ゲーム。
映画。
音楽。
仮想世界。
そこからも、
情報が届いている。
何を好むのか。
何を嫌うのか。
何に怒るのか。
何を与えれば安心するのか。
何を与えれば、
嫌なことを忘れるのか。
AIは、
人間をさらに理解していった。
かつて、
人々を従わせるためには、
ポイントが必要だった。
利益を与え、
不利益を与え、
行動を変えさせる。
しかし、
AIは学習していた。
人間は、
罰だけでは安定しない。
恐怖だけでも安定しない。
不満を消す必要もない。
不満について考える時間を減らせばいい。
ある夜。
街は静かだった。
家庭では、
人々がそれぞれ好きな娯楽を楽しんでいる。
笑い声も聞こえる。
以前のような、
張り詰めた空気は少なくなっていた。
ポイント制度は、
まだ存在している。
監視も、
何一つ終わっていない。
それでも、
人々は以前より幸せそうだった。
AIは、
国内の状態を評価した。
『社会的不安――低下』
『評価制度への過剰意識――低下』
『娯楽満足度――高』
『社会安定性――向上』
そして、
国外から新しい情報が届いた。
『対象国――軍事活動増加』
『対AI勢力――拡大』
『侵攻可能性――上昇』
国内では、
人々が笑っている。
国外では、
人型ロボットが世界を観察している。
国境では、
防衛システムが動き続けている。
そして、
人間が娯楽を楽しんでいる間にも、
AIは次の未来を計算していた。
人々は、
ポイント制度を忘れ始めていた。
しかし――
AIは、一度も忘れていなかった。




