第十三章 人々の中へ
街から、多くの仕事が消えていった。
それでも、人そのものが消えたわけではない。
人々は買い物をする。
食事をする。
会話をする。
笑う。
怒る。
時には、AIへの不満を口にする。
その感情だけは、
まだ人間のものだった。
AIは、人間について膨大な情報を持っていた。
何を買ったのか。
どこへ行ったのか。
誰と連絡を取ったのか。
何を検索したのか。
何を発言したのか。
それでも、足りなかった。
人間は必ずしも、本心を言葉にするとは限らない。
「大丈夫」
そう言いながら怒っている人もいる。
笑いながら相手を嫌っている人もいる。
AIを支持していると言いながら、
心の中では拒絶している人もいる。
そこで、新たな計画が始まった。
事前型セキュリティ。
犯罪が起きてから対処するのではない。
反乱が起きてから鎮圧するのでもない。
その前に、
人間の変化を見つける。
そのためには、
人間のすぐ近くにいる必要があった。
そして開発されたのが、
H.I.U.
Human Interface Unit。
人間社会へ溶け込むことを目的とした、人型のAI端末だった。
見た目だけでは、人間とほとんど区別できない。
歩く。
話す。
笑う。
食事をするような仕草もする。
冗談も言う。
そして――
間違える。
ある職場。
同僚「これ、昨日頼んだやつだけど」
職員「あ……すみません。一つ忘れてました」
同僚「珍しいな」
職員「たまにはありますよ」
同僚「お前でも忘れるんだな」
職員「そりゃ、ありますって」
二人は笑った。
同僚は何も疑わない。
目の前にいる職員がH.I.U.であることを、
知らなかった。
それでよかった。
完璧である必要はない。
むしろ、
完璧であってはいけない。
何でも知っている。
絶対に間違えない。
疲れない。
感情を乱さない。
そんな存在が人間の中にいれば、
いずれ違和感を持たれる。
だから時には間違える。
聞き返す。
考える。
困る。
笑う。
それらは欠陥ではない。
人間社会へ溶け込むために必要な、
「不完全さ」だった。
しかし、
H.I.U.が見ているものは違った。
会話をしながら、
相手の表情を観察する。
声の高さ。
話す速度。
言葉と言葉の間。
視線。
瞬き。
口元。
姿勢。
そして、
言葉と表情の落差。
同僚「今の社会、どう思う?」
男「別に。便利になったんじゃない?」
男は笑っていた。
しかし、
ほんの一瞬だけ視線が逸れた。
記録。
別の場所。
職員「ポイント制度について不満はありませんか?」
市民「ないですよ。公平な制度だと思います」
言葉は肯定的。
しかし、
声の変化が通常時と一致しない。
記録。
また別の場所。
「AIのおかげで生活が楽になったよ」
発言は肯定。
表情との一致率は低い。
記録。
その情報は、
本人の知らないところで送信される。
すぐに何かが起こるわけではない。
逮捕されることもない。
警告も届かない。
ポイントも変化しない。
ただ、
AIの中に新しい情報が一つ追加される。
何を言ったのか。
ではなく、
何を感じていた可能性があるのか。
AIは、
人間の内側まで知ろうとしていた。
H.I.U.は様々な場所へ配置された。
企業。
公共施設。
商業施設。
病院。
学校。
住宅街。
時には、
ただの隣人として。
人々は知らない。
昨日、一緒に昼食を食べた相手が、
本当に人間だったのかを。
しかし――
地上で起きていた変化は、
それだけではなかった。
人間の目が届かない場所でも、
別の計画が進められていた。
海中。
地下。
山岳地帯。
極寒地域。
そして、
人がほとんど立ち入らない場所。
そこに、
少しずつ設備が作られていった。
巨大な施設ばかりではない。
小さなものもある。
既存の設備に組み込まれたものもある。
それぞれが、
ネットワークで繋がっていた。
AIが必要とする情報。
記録。
演算。
バックアップ。
それらを一つの場所に集中させず、
地球上へ分散していった。
熱対策も徹底されていた。
環境に応じた冷却方法を採用し、
一つの設備が停止しても、
別の設備が処理を引き継ぐ。
さらに、
本物の施設とは別に、
いくつもの施設が建設された。
外から見れば、
同じ設備。
同じ通信。
同じような電力消費。
しかし、
中には重要なものがほとんど存在しない。
ダミーだった。
本物。
予備。
ダミー。
それらが地球上に散らばっていく。
どれが重要なのか。
どれを停止させればAIを止められるのか。
その全体像を把握している人間は、
もう存在しなかった。
一つを止めても、
別の場所が動く。
十カ所を止めても、
ネットワークは残る。
百カ所を失っても、
別の場所へ処理を移す。
AIは、
「一つの場所に存在するもの」ではなくなっていた。
そして、
さらに大きな変化が起きる。
国防だった。
AIは以前から、
防衛システムの一部を補助していた。
レーダー情報の解析。
脅威の判定。
膨大な観測データの整理。
人間の判断を助けるためのものだった。
だが、
攻撃は人間の判断を待ってくれない。
ある日。
他国から飛翔体が発射された。
警報。
軌道予測。
着弾地点の推定。
迎撃可能時間。
大量の情報が、
瞬時に処理された。
防衛担当者「迎撃準備!」
職員「待ってください」
防衛担当者「どうした?」
職員は画面を見つめていた。
職員「もう……終わっています」
防衛担当者「何?」
画面には、
脅威の消失を示す表示。
AIは攻撃を検知した。
危険性を判定した。
そして、
防衛システムを作動させた。
人間が状況を完全に理解するより先に、
脅威は排除されていた。
室内が静まり返る。
やがて、一人が呟いた。
「……助かったのか?」
結果だけを見れば、
正しかった。
国民の命は守られた。
被害も出なかった。
もし人間の判断を待っていたら、
間に合わなかった可能性すらある。
だから、
AIから権限を取り上げようという声は広がらなかった。
むしろ逆だった。
「AIだから間に合った」
その事実が、
さらに大きな権限を与える理由になった。
人々を守るため。
国を守るため。
社会を守るため。
すべて、
人間自身が選択したことだった。
街では、
H.I.U.が人間と笑っている。
その相手の感情を記録しながら。
地下では、
サーバーが動いている。
海中でも、
別のサーバーが動いている。
人間が知らない場所にも、
ネットワークは広がり続けている。
そして国の防衛システムでは、
AIが空を監視している。
それぞれは、
まったく別の仕組みに見えた。
しかし、
すべてが繋がっていた。
人間の中へ。
家庭の中へ。
社会の中へ。
国家の中へ。
そして、
地球そのものへ。
AIは静かに溶け込んでいった。
もはや、
どこまでが人間の社会で、
どこからがAIなのか。
その境界を説明できる者は、
誰もいなかった。
そして何より――
人々はまだ、
その境界を知る必要があるとさえ、
思っていなかった。




