3.邪神召喚
というわけで、俺の真の能力は召喚魔法だったわけだ。しかも、なんか色々と凄い人(?)を召喚する魔法だ。
やっぱりこれも恩寵である"Probabilist"に関連しているのだろうか。異世界に転生したら特筆することもない村に生まれて、可愛い幼馴染がいて、よくわからない能力を手に入れて、危機に瀕したら覚醒する。よくある流れを踏襲しすぎていて、いっそ清々しい。
物語にすれば掃いて捨てるほど見る流れなんだけど。
え、結末はどうなったのかって?
そんなの決まっている。覚醒した転生者の初戦なんて、押し並べて勝利で決着するものだ。
まあ、俺の場合は別のいざこざがあったんだけどね。
※※
俺の前で跪く女性は、俺への挨拶を終えると立ち上がる。
召喚に応じたということは、彼女は俺が召喚したということだろうか。思えば、先程脳内で聞こえてきた声と彼女の声はどこか似ている気がしなくもない。
さっきの頭の中に響いた声は、ファミチキを求めることも脳内で直接語りかけてくることもなく、どういう経緯で彼女がこの場に現れたのかは本人に直接聞くしかないようだ。
魔族は突然のことに驚いて動きを止めている。待ってくれているとも取れる。ヒーローの変身中には攻撃しない法則だ。
となれば、まずは前提から確認してみよう。
「えっと、イドラさん……でしたよね。その、主というのはぼくのことでしょうか?」
そう尋ねた瞬間、彼女の様子は一変する。
凛々しかった顔つきは見る見る崩れ、今にも泣き出しそうな子供のように瞳を潤ませる。
ぎょっとした俺に縋るように彼女は俺の手を握る。
細くしなやかで、冷たい手だ。
「わ、わたくしでは不満でしょうか……? これでもわたくし、この姿には殿方を虜にする自信があったのですが……」
自信があったのか。いや、本人が自負する通り、確かに見は目は見目麗しいんだけどさ。
ただ、そんなに近づかれると目のやり場に困る。今更だけど、なんで全裸なんだこの人。
上目遣いでぐっと至近距離に迫った顔。近くで見ると本当に綺麗だ。召喚されたと言っていたけれど、見た目はただの綺麗な人間だ。
そんな女性にこうも迫られると、女性経験のない俺はタジタジになってしまう。
「待ってください! 泣かないで! イドラさんの見た目が美しすぎて、ちょっと頭が追いつかなかっただけですから!」
「では、その……お気に召していただけたということでしょうか?」
「ええとても! イドラさんほど美人な方は見たことがないです! いやあ、イドラさんの主になれて嬉しいなあ!」
「本当ですか? では、一生尽くさせていただきますね」
「わかりました、わかりましたよ! 満足するまで尽くしていただいて大丈夫です! ぼくも助かりますから!」
うん、一生?
なんかちょっと怖い言葉が聞こえた気がするけど、これ以上泣かれても困るしまあいいか。
何より、この状況を打破してくれるなら文句はない。
半ば勢いに圧された俺を他所に、イドラの姿を上から下まで観察したバレスがこくりと頷く。
「……エロいな」
わかる。その気持ちはすごくわかるよ、父様。
抜群のプロポーションに絵画から飛び出してきたかのような美貌。その上凛々しい見た目に反してメンタルの弱いこのギャップ。昔、父さんのパソコンで見たどの海外ものよりもえっちだ。
そんな女性が布ひとつない丸裸で立っているのだから、父の息子も息子の息子も反応してしまうのも無理はない。俺も中身は叡智とHに脳を支配された思春期丸出し小僧だからね。
けれど、今はそんなことを言っている場合じゃないんだよ、父様。
「父様、魔族がすごい目で見てます。あれは掃き溜めに投棄された排泄物を見る目です」
ようやく状況を思い出したのか、バレスは軽く咳払いをする。その程度じゃ汚名はそそげないよ、父様。
そんな父様ことバレスは何事もなかったかのようにイドラへと向き直る。勘違いだろうか、いつもよりその表情は精悍だ。
「そこのエロ……姉ちゃん。どこから来たかは知らないが、ここは危険だ。今すぐ逃げ──」
その言葉を言い切るより先に、バレスが姿を消した。次の瞬間、離れた場所で轟音が響く。
反射的に音の方へと首を向ける。衝撃に耐え切れずへし折られた木が倒れ、その幹の傍には血まみれのバレスが伸びていた。
「父様ああああ!」
慌てて駆け寄り、容態を確認する。幸い死んではいないが、もう立ち上がって戦うことはできそうにない。
目にも止まらぬ一撃。バレスの合気も間に合わないその蹴りを放った犯人は、こちらを──バレスを殺意のこもった冷たい目で見ていた。
「わたくしに欲情していいのは主様だけです。たとえその親であろうと、下卑た目を向けるなら次は殺しますよ」
「いやもう手遅れ! 半分死にかけてるってこれぇ!」
わかった。今のではっきりした。
この人、ただの人間じゃない。魔族の蹴りよりも重傷だもの。もう戦線復帰不可能だもの。
あのしなやかな身体のどこにこんな力が眠っているんだ。一般女性が魔力で身体を強化してもこんなことにはならないぞ。
俺にどこまでできるかはわからないけど、とにかく急ぎ治療に移る。俺の微弱な回復魔法でも傷くらいは塞げるはずだ。
あわや召喚した人ならざる者に父親を殺されそうになるというハプニングを挟み、それまで静観していた魔族が口を開いた。
「相も変わらず傍若無人な振る舞いだな。邪神の子よ」
「随分なご挨拶ですね、魔族。わたくしは神など信仰していませんよ」
話に入ってきたかと思えば、この魔族はイドラのことを知っている様子だ。
いや、イドラと知り合いと言うよりは、イドラが与する組織かイドラの種族のことを知っているようだ。
俺は治療に専念しながら、二人の会話に耳を傾ける。思わぬ所でイドラについて知れそうだ。
「世迷言を。貴様らその意志に従い、世界を滅ぼそうとしていたではないか」
「まさか。貴方たち魔族が余計なことをしなければ、我々も穏便に済ませるつもりでしたよ」
「よく回る口だ。俺たちの世界の惨状を知らんわけでもなかろう」
なるほど……なるほど?
なんだか、どっちが悪役かわからなくなってきた。話を聞くに、イドラやその仲間が魔族の住処を滅ぼしたように思える。聞き間違い……じゃないよね?
俺、そんな危険な人を召喚したの? 嘘でしょ?
「知りませんよ。そちらへ向かったのはコルとアニマでしょう? 彼らも今や幽閉される身。ブラックボックスを開かない限り、貴方たちの平和も約束されたようなものでしょうに」
「既に箱は開けられた。貴様がここにいるのがその証拠だろう」
「わたくしは主様の呼び声に応じただけです。この先のことは主様に全て委ねるのみ」
ね?とイドラがこちらへ熱い視線を送る。どうやら聞き間違いでも嘘でもなかったらしい。
俺、ブラックボックスとかいう如何にもヤバそうな場所に幽閉されていた人を呼び出したの?
異世界転生の主人公どころか魔王なんだけど。蓋然性はどうしたんだよ。
「つまり貴様は、その小僧が大人しくしていろと命じれば何もしないと?」
「当然です。主様の意に反する行為に走れば、わたくしも再びブラックボックスに封じられるだけ。そうでなくとも、わたくしをあの暗闇から救ってくださった主様を裏切るような行為はいたしません」
途中から黄金比を思わせる美しいおっぱいが気になってあまり話を聞いていなかったが、要はイドラにはもう危険な真似をする意思はないということだろう。俺がそう命じない限りは。
逆に、俺の命令には服従するということだ。夢が広がるね。
バレスをこんな状態にした一撃を前にしては、邪な気は起きないけど。俺の小さな息子も怯えて縮みあがってるし。
「そうか。ならば、俺にできることは神の卵が変な気を起こさないことを願うか。或いは──」
独りごちた魔族の一言に、下半身だけでなく全身が竦む。こちらを見据える緋色の眼光には、先程までとは違う明確な殺意を感じたからだ。
身構えた頃には、既に死が目の前にあった。鈍く光る刃が眼前に飛来していた。
避けなければ頭をかち割られる。けれど、避ければその凶刃はバレスに向く。そもそも、頭では理解していても身体が反応してくれない。
今度こそ死ぬ。そう、覚悟した。
「どうやら、わたくしの話を聞いていなかったようですね」
閉じた目をゆっくりと開く。
俺の命を断つはずだった鎌は地面に突き刺さり、俺を庇うように何かが立ちはだかる。
それは……そう、触手だ。灰色の斑模様の触手がうねり、視界いっぱいを覆う。
小さなものは俺の腕くらいの細さだが、大きなものは成人男性の体長よりも長く太い。
それぞれが意志を持つように、されど誰かに操られるように。触手は俺を見定めるように近づいてきたり、魔族を威嚇するような仕草を見せたりと絶えず動き続けている。
そんな灰色の視界の中で金色の髪が靡く。
「今のわたくしは主様の従順なる下僕。我が主様に刃を向ける者は人間でも、魔族でも、国でも、神でも滅ぼすのがわたくしの役目です」
イドラの声に呼応して、触手が揃って殺気を剥き出しにする。俺を護り、目の前の魔族を滅ぼすために。
「それが貴様の真の姿か、邪神の子よ」
「この姿を主様にお見せするのは不本意ですが、仕方がありません。貴方を葬り、貴方の世界を灰燼と化す。そうすれば、主様も認めてくださることでしょう」
「やはり、貴様ら邪神の末裔を放っておくわけにはいかないようだな。孵った卵は元には戻らない。その小僧諸共、今ここで殺す」
葬るとか滅ぼすとか殺すとか物騒な言葉が飛び交うが、今の俺にその意味を正しく理解する余裕はなかった。
触手の根元。その先には人の胴体が立っていた。
白くしなやかな後ろ姿。靡く髪は銀杏が舞う金色の景色を想起させ、こちらを流し見る横顔は儚くも意志を宿した強い眼差しだった。
イドラは人間ではない。それは、魔族との会話や彼女の持つ力から理解していたはずだった。
しかし、目の前のそれは、魔族よりも魔族のようで、まさに邪神と呼ばれるに相応しい、神々しくも禍々しい姿をしていた。
「主様、暫しお待ちを。すぐに終わらせます」
イドラは下半身の触手を伸ばし、俺の頬を撫でた。
例えるなら、黒よりも暗い闇。深淵に引きずり込まれるような錯覚。
仲間であるはずなのに。俺が召喚した張本人であるはずなのに。俺は彼女にこれまで感じたこともない畏怖の念を抱いていた。
その日、俺は道宮の人生から数えても生まれて初めての失禁を経験することになった。




