#11:リーンベント・アイランド
「リーンベントの威吹社長ですね。はじめまして、花々緒都愛と申します。この度はお仕事のご依頼メールありがとうございます。このような形でプライベート中のところをお邪魔して申し訳ございません」
テノエは、花々緒都愛としてお辞儀して、挨拶の言葉を述べた。
「いいえ……遠いところはるばる、ありがとう。あと、僕のことはシンと呼んで欲しい」
威吹新は再び白い歯を見せた。テノエはその言葉や態度に何か引っかかるものを感じた。
「こんなところで立ち話もなんだから」
シンは笑みを浮かべたまま一歩近づくと、まるで道を譲るように左手をゆるく広げた。手のひらが向けられた先を見上げると、小高い岬の上に、白を基調に青いラインの入った建物がいくつも連なっている。コテージのようだ。
(コテージ?)
テノエは微笑を保ったまま、疑いの視線をシンに向けた。
宿泊施設で仕事の話をするのは一般的なビジネス慣習からは外れている。花々緒都愛は個人で芸能活動をしている設定であり、立場としては発注するシンの方が圧倒的に優位だ。だから、コテージに連れ込める簡単な女だとなめてかかっているのかもしれない。ビジネス以外の意図を警戒するのが妥当だ。あるいは、そういうこともビジネスに含めるタイプの経営者なのかもしれない。
もしそうなら、この場は去ることにしよう。
この男はおそらく魔族だ。体調が万全なら受けて立つところだが、今はその時機ではない。
すると、シンはテノエの視線の意味に気づいたのか、一言付け加えた。
「一番左の建物、少し大きいでしょう。あれ、カフェレストランだからね」
――カフェレストラン「Mare Caeruleum」
全面ガラス張りのレストランからは、海と白い砂浜の眺めを楽しむことができる。
天井は高く、店内は白と木材の自然な色でまとめられており、リゾート地らしい開放感と落ち着いた印象が訪れた客に心地良さを与える。テーブルや床材は「地球にやさしい取り組み」として、全て廃材を再利用したものを使っているということだ。
店内には客がいなかったこともあり、この店で一番眺めの良い4人用の席に座った。テーブルの表面には、廃材の再利用品であることを誇示するように、荷印が残されている。
シンはコーヒー、テノエはミネラルウォーターを注文すると、女性店員がすぐに注文品を運んできた。女性店員はシンに興味ありげな視線を向けたあと、次にテノエを値踏みするかのような目を向けた。まるでテノエとシンの関係を探っているようだった。
女性店員は心の中でテノエのひざの上に置かれている帽子にケチをつけた。
だが、テノエは女性店員の視線を自然に流していた。その端麗な容姿ゆえ、外出すれば、他人からの興味や詮索、嫉妬、評価が常に向けられる。だから、強い害意でもないかぎり、彼女が気に留めることはない。
「さて、都愛さん、来る途中でも言ったけど、資料が手元にないから、契約の細かい話は次にさせて欲しい」
シンはサンディエゴ・ドミニオンズのキャップを脱いで、隣の椅子に置くと、真顔で切り出した。
「はい、シン社長」
テノエが名前呼びをしたことに満足したのか、シンは満足げな表情を見せた。
「さて、いくつか質問したいけどいいかな?」
「私で答えられるものであれば」
テノエは静かに答えた。
このような場面において、一般的には質問に答える側が不利と言われる。だが、テノエの考えは少し違っていた。質問に答えることで自分の考えや性格が詳らかになってしまうのは確かだ。だが、質問者がどのような質問をするのかでも、質問者の性格や関心、人柄は現れてしまう。
だから、彼女はシンの質問を受けることにした。
シンは満足そうに一口コーヒーを飲むと、コーヒーカップを脇に置いた。
「都愛さん、貴女は大学生で、かつ、個人で芸能活動をされているということだが、やはり、苦労することが多いですか?」
シンの眼光に鋭さが加わる。
「もちろん苦労はありますが、幸いなことに良いクライアント様に恵まれて楽しく仕事をさせていただいております」
即答しながらも、テノエはシンの意図を測る。まさか、仕事の状況を聞き出したいのだろうか? 実のところ芸能活動など一度もしたことはない。この方面の話題で掘り下げられるとボロが出るかもしれない。
「そうですか。他のクライアントの手前、なかなか言いにくいとは思いますが、中には傍若無人なクライアントもいるんじゃないですか?」
「いいえ、私のクライアントは皆良い方ばかりです」
テノエは言い切った。そして続けた。
「どうして、そう思われたのですか?」
テノエの質問にシンは目を見開いた。
「ああ、僕はね……」
シンは言葉を選ぶように言った。
「人のステータスを観ることができる」
「ステータス?」
「そうだ、君のステータス『負荷』がとても高い。93だ」
シンが魔族というテノエの確信は深まった。それでも、まだ何も知らないふりをする。
「93という値は低いのですか、高いのですか?」
「高い。君の年頃で93なら、例外なく自傷か何らかの病を発症する」
テノエは苦笑した。
「お言葉ですが、私は心身ともに健康と自認しております。失礼ですが、何かの間違いではないでしょうか?」
「うん、そうだね。だが、君は「能力持ち」だ。だから耐えていられる」
「能力持ち……とはどういう意味ですか? 私はただの大学生です」
テノエは真顔とも苦笑ともいえないあいまいな表情で、シンの言葉を否定した。
それに対して、シンは苛立ちを抑えるように返した。
「しらを切るなら、もう少し演技を工夫したほうがいい。僕は君があの3人を倒すのを見ていた」
テノエは無表情でシンを見返した。
「あと、私のカメラのメモリーを破壊したのも君だね」
それは断定だった。
闘いが始まるかもしれない。テノエはひざの上に置いた両手に魔力を込めた。
「えっと、おっしゃる意味がよくわからないのですが……」
テノエは困惑しているふりをしながら探索魔法で周囲を探る。店内にいるのは自分とシン、厨房にいる2名と合わせて4人だ。厨房の2名は魔族ではないようだ。
つまり、目下の敵はシン一人だ。
それならさっきの魔法でケリがつく。テノエは微笑を浮かべながら、戦闘に向け魔力と心の準備を進めた。
「ふっ」
シンは鼻で笑った。まるでテノエの動きを見透かしたかのようだ。
「ここが何処だかわかっているのかい?」
その言葉にテノエの動きが止まる。
(そうだ、確か私は……)
体調不良だから「水槽」で寝たはずだ。なのに、どうして、こんな場所にいるのだろう。
――精神時間軸
その単語がテノエの脳裏に浮かんだ。
盟友から聞いたことがある。
心や精神の中からアクセスする世界、心や精神の中からでしかアクセスすることができない世界。その人の心が作り上げた世界であるため、ここに入り込んでしまうと、かなり戦いでは不利になる。
だが、精神時間軸という単語を彼女は飲み込んだ。今いる場所はそれとは異なる気がする。
では、ここはどこだろう?と考える。
「ここはね、生成AIに作らせた仮想空間、リーンベント・アイランドだ」
シンはテノエが状況を理解できないと思ったのか正解を告げた。
「ここでは僕のルールが優先する世界でね。だから君がどんな能力を持っていようとも、君は僕に危害を加えることはできない」
自信満々に手の内を見せるシンに対し、テノエは全くひるむ様子を見せなかった。
「なるほど、ここが仮想空間とは興味深いお話ですね。しかし、もし、私がシン社長の世界に勝手にお邪魔してしまったのなら、出口を教えていただければ、今すぐにでも退出いたします」
テノエは伝票を手に取り、席を立ち上がるそぶりを見せた。
仮想空間と聞いたからではないが、何か空気が普通の場所とは異なる気がした。店内の空気が何かに汚染されているわけではなさそうだが、肌に何かが刺さるような感覚があって居心地が悪い。
シンの“僕に危害を加えることはできない”というのはハッタリだとテノエは判断していた。仮にその言葉が正しかったとしても、自分の魔力ならそれを打ち破る自信もある。
だが、ここはシンのホームグラウンドだ。何が仕掛けられているかわからない。現に妙な居心地の悪さを感じる以上、この場は一旦引いたほうが得策だ。
「いや、出ていく必要はない」
テノエの動きをシンは手で制した。
「今回、『負荷』が90以上の若い女性が入るように設定した。だから君が勝手に入ってきたわけではない。むしろ招待客だと思って欲しい。さっき、“僕に危害を加えることはできない”と言ったが、僕も君に危害を加えるつもりはない」
テノエが再び席に着くと、シンは意味ありげに口元を吊り上げた。
「あの……さっきから何を探っているのですか?」
肌に何かが刺さる不快感の原因が目の前の男にあると思い問いただした。
「気づいていたのか。君の『負荷』は90を超えているのに、どうして『汚染』が7しかないのか、ずっと気になっていたのでね、若い女性に失礼のない方法で調べていた」
本人の承諾なしでそのようなことを調べること自体が失礼だと思うが、自分も探索魔法で周囲を探っているのであまり責める気はない。
「それも先ほどから言われているステータスですか?」
「その通り、僕たちが定めているものだ。例えば、ステータス『汚染』の値が89を超えると、大抵の人は死んでしまう。さっき、君が会った少女、あの娘は同じような経験をしている。ここでは君が能力を使って助けたようだけど、実世界では誰の助けもなかったみたいだね」
テノエは同じ表情のまま、シンを見返した。
しかし、その目には世界を焼き尽くさんばかりの怒りが込められている。
「大丈夫だ。あの少女は自殺なんてしない。僕が助ける」
「助ける? どうやって?」
「後で別人にするんだ」
「別人?」
「ああ、僕の特別な力を使って、本人の外見を変える。次に心の動きも変える。最後には日本社会における戸籍も別人のものにする。つまり、過去のしがらみを全て捨てて、別の人間として人生をやり直す。僕はこれを脱出転生と呼んでいる」
「脱出転生?」
何度か盟友から聞いたことのある言葉にテノエは反応した。
「ああ、脱出転生は異世界転生とは異なるものだ。異世界転生とは世界が変わり、前世での本人の行いが記憶と一緒に次の人生に引き継がれるものだ。一方、脱出転生は本人が自ら変わることで、まるで転生でもしたかのように、今の人生から脱出するものだ。だから、今の人生を死んでやり直すのではなく、生きたままやり直すためのメソッドなのだよ」
テノエの表情が僅かに緩んだ。その考えには部分的だが共感できる。
「そのお考えはわかります。けれども、どうやって実現するのですか?」
「僕にはその力がある。その人の外見を変え、心の動きを強化し、別の戸籍を取得させる力がね」
「それはすごいですね。美容外科でも経営されているのですか?」
「いや……僕はただの人間じゃない」
シンは不敵に笑った。そこには万能感まで漂わせていた。テノエはその万能感に既視感があった。
「ただの人間じゃないとなると、シン社長はどのような存在なのですか?」
「チャータだ、チャータ魔族だ」




