#10:水槽の中のリゾート
――"女子大学生が自宅の水槽で謎の焼死 事故・事件の両面で捜査 東京都"
"東山大学に通う大江天さん(21)が焼死体で発見された。見つかった場所は自宅の3階に置かれた水槽の中であり、家屋には全く延焼がないことから、警察は事故と事件の両面で捜査中……"
部屋の照明を落としながら、なんとなくニュースの見出しが頭に浮かんで、テノエは口元を笑うように歪めた。それを振り払うように気合を入れると、『水槽』の重い蓋を少しずらした。
『水槽』の中なら寝ている間に自律自動魔法が勝手に動いても、外に魔法の威力は及ばないので、家や室内が燃えることはない。だが、それは裏返せば全ての威力が水槽の中にいる自分に向かうことを意味する。下手をすれば自分の火炎魔法で自分自身を丸焼きにするという魔法士として嘲笑されても仕方ない最期が待っている。
自分は一人前の魔法士だ。だから、そんな下手な真似をすることはない自信はある。だが、人間である限り失敗は起こる。たとえ、それがたった一度きりであってもそれで人生は終わる。彼女は単独で魔族と戦い始めてから、特にそう思う。
威吹新について考える。
体調が落ち着くまでしばらくは動けない。向こうの動きが気にはなるが、自分が万全と確信できるまで表立った行動は控えるしかない。
テノエは水槽の蓋をずらしてできた隙間から自分の身体を滑り込ませた。
中から蓋を戻すと真っ暗になる。手探りで彼女は冷たく固い底面に身を横たえる。寝心地は全く良くないがどうしようもない。枕くらい欲しいとも思うが、枕が燃えると、髪の毛が燃えたり顔の火傷がより酷くなったりするので使えない。後から自分の治癒魔法で完全に治せるとはわかっていても、火炎は熱いし、電撃は痛い。できれば、そんなことは起こらないでくれと願いながら、テノエは左腕で腕枕をつくると目を閉じた。
「あれ?」
テノエはゆるやかで広い坂道の真ん中に立っていた。
日差しは強く、足元の影が濃い。
見知らぬ街だ。周りに通行人や車両は見当たらない。視界を遮る高い建物はなく、空は開放感に満ちている。
微かな潮の匂いが彼女の鼻腔をくすぐった。海からの風が坂道を通り抜けている。そのせいか、強い日差しの割には暑さを感じない。
(なんか気持ちいい)
遠くに白やベージュ色の建物が整然と並んでいるのが見えた。建物の高さは均一であり、計画された街並みであることがうかがわれる。どこかの島のリゾート地のようだ。彼女は楽しい気分になってきた。
ふと何かがはじけるように身体が動いた。つま先が地面を押し、かかとが離れる。
「ちょっとだけ」
誰に向けたわけでもない小さなつぶやきとともに、彼女の身体はすでに踊りの軌道へ入っていた。背筋が伸び、腕は柔らかく弧を描く。
ストゥニューの回転は滑らかで、路上を潮風と共に通り抜けるようだった。
回りながら、彼女の表情がふわりと和らぐ。
楽しさがそのまま身体に伝わっているのが、見ている側にもわかるような軽さだった。
回転がほどけると、彼女はその勢いを拾い上げるようにピケターンへ移った。つま先が点を打つたび、空気が小さく跳ねる。同級生の蕪悦子に教えてもらったバレエのステップだ。
1年以上も踊っていなかったし、誰かに見せようとする気もない。ただ楽しい気分が「踊りたい」という気持ちに変わり、そのまま形になった自然な連続だった。
最後の一歩でふわりと止まり、彼女は息を整えながら笑った。
「……気持ちいい」
そして、はっと我に返る。
(こんな道の真ん中で私は何をやっているの!)
周囲に人がいないことはわかっている。けれども、おかしなことをしたと自覚すると、彼女の顔は赤みを帯びた。
そこでようやく自分の服装が変わっていることに気づいた。背中や肩を広めに出した白いワンピースを着ている。頭には軽い素材の帽子、足は白いサンダルだ。サンダルでよくパを繋げられたと思いながらも、それ以上は気にはならなかった。
テノエはすっかり良い気分になっていた。旅行でリゾート地に来たようだ。
そうなると向こうに並ぶ店舗らしき建物が気になってきた。何か面白いものがありそうだ。彼女の足は速くなった。
だが、彼女の期待は5分とたたないうちに裏切られた。
全ての店舗が閉まっていた。固く閉じたシャッターの並びに自分がこのリゾート地から拒絶されているような気にさせられた。おまけに厚い雲が出てきて、周りも暗くなる。なんとなく悪い流れに乗せられたような気がして、テノエは顔を少ししかめたものの、それ以上不機嫌になることはなかった。
それなら海まで行ってみようと気持ちを切り替える。
『自分の機嫌は自分で取る』のがテノエの信条だ。彼女はそのまま歩いた。
だが、彼女の期待は更に裏切られる。
ようやく人の気配を感じたと思ったら、角をひとつ曲がった先で、女性が一人、複数の男たちに裏路地へ引っ張り込まれていくのが見えた。
テノエの唇から笑みが消える。
帽子を深くかぶり直すと、裏路地へと彼らを追って行った。
裏路地では、一番体の大きな男が猥雑な言葉を吐きながら女性に近づいていた。そして両脇には、まるで大きな男を縮小コピーしたのかと思うほど、顔も服装もよく似た男が二人、両側から女性の逃げ道を塞いでいる。
テノエはその状況に至るまでの判断材料を持っていない。
実は女性の方が悪者であり、過去にその男たちやあるいは彼らの家族にとても酷いことをしたので、報復を受けているところかもしれない。
しかし、テノエに迷いは無かった。
男たちが放つ雰囲気は、ゴロツキが女性に乱暴をはたらくときのそれだった。テノエ自身もこれまでに何度も投げつけられた薄汚い性欲の波動だ。
彼女は無言のまま、大きな男の背後に立った。
ゴロツキたちの意識は女性に向いており、テノエには全く気づいていない。
彼女は左の手のひらを男に向けた。
数秒後、大きな男は急に激しく体を震わせると、その場にしゃがみこみ、自分の体を抱え込みながら地面に倒れた。他2人の縮小コピーたちが、何が起こったのかと大きな男をのぞき込む。
テノエは残り2人の縮小コピーに次々と手のひらを向けると、その2人も地面にうずくまるように倒れた。男たちはうわ言を漏らすように口を動かしているが、テノエはゴロツキどもには目もくれなかった。
「大丈夫?」
女性にやさしく声をかけ、探索魔法で女性の身体を探る。一見、服装の乱れも目立った外傷も無いようだが、腕を強く引っ張られたりして筋を痛めているかもしれない。
「は…はい」
高校生くらいの少女がかろうじて返事をした。どこかで会った気もするが思い出せない。
「あ……」
少女は何かを口ごもると、急に逃げ出すように走って行った。
テノエは少女の後ろ姿を見送った。
自分が助けたことを伝える気はない。自分からも逃げるような動きは気になるものの、こんな状況では女性は混乱のど真ん中にいる。まともに口すらきけないものだ。その気持ちはよくわかる。
それに少女は何が起こったのかを正しく理解していないはずだ。
あの少女から見れば、ゴロツキたちに裏路地に引っ張り込まれたと思ったら、急に男たちの方が地面にうずくまるように倒れ、倒れている男たちを無視して、冷酷な表情の女が現れ、自分に声をかけてきたのだ。
こんな状況に直面したなら、少女がいち早くその場を逃げ出すのは正しい選択だ。
テノエも少女の後を追うように裏路地から出た。けれども向かう方向は海だ。
彼女の表情にはまた微かに笑みが戻っていた。
「わあ」
浜辺に着くと、テノエは歓声を上げた。
潮を含んだ湿った風が顔にまとわりつくが、これが海だ。
なんとなく生臭い匂いもあるが、これこそが海だ。
テノエは浜辺の空気を胸いっぱい吸った。
つくづく自分は海好きだと実感する。少し前、無人島に「秘密基地」を作ったことを思い出し、少し懐かしんだ。
白い砂浜が遠くまで広がっている。
波打ち際まで進み、水の透明度を確かめる。かなり綺麗だ。
このまま、服を脱いで泳ぎだしたい気持ちがよぎる。無論、リゾート地のような人の多いところで、そんな真似ができるわけもない。そう思いながらも、誰もいないことを期待しつつ目を凝らすと、2、30メートルほど先にパラソルが見えた。
その陰から素足が投げ出されているのが見える。なんとなく男性だろうと思った。自分から男性に話しかけるのは抵抗があるが、遠目に見て、まともそうな相手なら話しかけてみてもいい。
そもそも、ここが何処なのかわからない。
テノエはパラソルのある方向へ向かった。
距離を半分ほど詰めたところで、パラソルが動いて、人が出てきた。背の高い男だ。
テノエの足が止まった。
顔ははっきりと見えないが、被っている帽子には見覚えがあった。サンディエゴ・ドミニオンズのキャップだ。男は落ち着いた様子でテノエに近づいてきた。
「お待ちしておりました。花々緒都愛さん……ですね」
男は白い歯を見せ、テノエをその名前で呼んだ。
そして、彼女も悟った。あの時、ミュートシティで名刺を床に置いた男――威吹新だ。




