#09:彩月の悪事と自動自律魔法
黒乃彩月は1人になったバスタブで自分の指を見つめていた。親指と人差し指を緩やかにこすり合わせ、さっきの感触を確かめる。
(1センチ、いや9ミリかな。さすがテノエさん……)
そして、テノエが逃げるように出て行ったドアに目をやる。
(……調子に乗りすぎた)
どうしてあんなことをやってしまったのかと後悔する。
そもそも自分はテノエに何をしたかったのだろうと考える。だが、今はやってしまったことの余韻に浸っていたかった。
(……やっぱり良かったなあ)
彩月自身、自分の身体に魔族化の兆候など無いことは薄々わかっていた。だが、その可能性は0ではない。それに自分の感覚が絶対に正しいとも限らない。
これまでのことを考えると、魔族化が始まる可能性は常に残る。
「心配ないよ、大丈夫」
テノエは明るい口調で明確に否定すると、彩月の臀部をポンと叩いた、かなり控えめに。それは彩月の中にある霧を一度に晴らすような感覚であり、揺るぎない安心を彩月にもたらした。
ふと、彩月は我に返る。
(さっきお尻叩かれた?)
そして、自分からやったことだが、ここまでテノエに見られている、見せつけている状況を改めて理解した途端、彩月の興奮はこれまでになく高まった。
それでも彩月はシャワーを浴び、何気ない素振りでバスタブに入る。
一方、さっきの明るい口調の割にテノエの表情は困惑して見えた。理由はすぐにわかった。魔族化の兆候を見るためとはいえ、彩月の局部を凝視した(させられた)ことは気まずいようだ。
「わ、私、先に上がるね」
彩月と入れ替わるようにテノエはバスタブから立ち上がる。その姿を眼前にして彩月は半ば衝動のままテノエに後ろから抱きついた。
「……彩ちゃん?」
不意に彩月に抱きつかれてテノエの動きが止まる。
これまでも彩月とのハグはあったが、裸で抱きつかれたのは初めてだ。
テノエは何が起こっているのかすぐには理解できない。
その隙を逃さず、彩月はテノエの胸に両手を回して乳房を揉んだ。意外な彩月の行動にテノエは抑えた悲鳴を上げ、逃げるように身体をよじらせる。
だが、その動きは更に彩月を興奮させた。テノエもこういう場面では普通の女性と同じ反応をするのだ。そう思うと彩月は嬌声とも奇声ともつかぬ声を上げた。両手の活動は活発になり、更にテノエの下腹部へと動いていく。
「ちょ、ちょっと、彩ちゃん……」
ようやく状況を把握したテノエが止めようとするが、既に彩月は指の腹でテノエの性器を弄っていた。やりすぎだと思うが止められない。指も挿れようかと思ったが、爪が伸びていることに気づいてためらった。
その瞬間、彩月の悪事は唐突に終わった。いつの間にかテノエは彩月の腕から逃れ、バスルームから出て行った。
(逃げられた……)
けれども、あんなところまで自分の指が届いた。それはテノエにとって自分が初めてのはずだ。その達成感のような気持ちは後悔よりもずっと優っていた。
「彩ちゃん! 冗談きついよ!」
ドアの向こうからテノエの強い抗議の声が聞こえると、彩月は我にかえった。
(もしかして、テノエさん怒ってる?)
そう思うと、急に後悔の念が強くなる。彩月の心は達成感と後悔の間を振り子のように行き来しながらも、視線は指から離れなかった。
――テノエの自室
テノエは風呂から上がり、髪を乾かしていた。
彼女の様子はいつもと変わらず落ち着いた気品のあるものだったが、心拍数は高いままだった。
(初めて触られた……)
テノエはショックを受けていた。あんなふうに他人に触れられたのは初めてだった。
だが、相手は同性、しかも他ならぬ彩月だ。
自分のために命の危険も顧みず共に魔族と戦っている親友だ。そんな彼女が冗談でやったことに目くじらを立てても仕方ない。それに頼まれたこととはいえ、自分もあれだけじっくりと見たのだから、おあいこだ、と思うことにした。
そうやって気持ちの上では整理をつけたものの、テノエは自分の身体が変調をきたしていることに気づいた。
自分が改めて生身の女であることを思い知らされる。性欲だってあるし、刺激を与えられれば反応もする。認めたくはないが自分が性的な興奮状態にあることを否定できなかった。
(情けない……)
テノエは唇を噛んだ。
自分には使命がある。だから、性的な情報や思考、誘惑からはなるべく自身を遠ざけるように努めている。それは現代日本において難しいことではあるが、テノエは自分ならそれができると自負していた。
それなのにあんな些細なことで身体が反応してしまった。
(今夜は危ないかも……)
テノエは日頃使わない3階の「多目的室」へ向かった。
――30分後
謝るべきか、それとも何事もなかったように振舞うか、彩月は迷いながら1階のバスルームを出て、2階のリビングを覗いたが、そこにテノエはいなかった。
階上から微かに物音がする。
彩月が階段を見上げるとテノエが下りて来た。
「えっ、今日は上ですか?」
テノエの姿を見て、彩月は開口一番に言った。
彼女は水泳キャップのような帽子を被り、髪の毛を全てしまい込んでいた。そして、紐を首の前で交差させたクロスホルタービキニを着ていた。以前もこういうビキニを着ていた気がするが、今から泳ぎに行くわけではない。帽子もビキニも魔法耐性のある特殊な素材で作られたもののはずだ。
「うん、今夜はちょっと危なそうだから……ごめんね」
彩月はがっかりしたものの、テノエにそう言われては何も言い返せない。
以前、テノエから「自律自動魔法」に関する話を聞いたことがある。
これは寝る前に自分自身にかけておけば、睡眠中で意識の無いときでも、魔族に襲われたら自動的に発動し、自分を防御しつつ自律的に敵を攻撃する魔法だ。
具体的には自分自身には防御魔法を張り、その外側に火炎魔法あるいは電撃魔法の渦を纏って敵を攻撃する。
敵地で休息が必要な場合にはかなり役立つ魔法だが、テノエは体調不良のとき、睡眠中にこの魔法を発動させてしまうことがある。
寝る前に魔法をかけていないのに、そんなこと起こるわけなどないと彩月は軽く考えていたが、その甘い考えをひっくり返すことが半年前に起こった。
――半年前
テノエと宅飲みをして、そのまま泊まった深夜、彩月は魔法攻撃の気配を察して、飛び起きた。見ると隣で寝ているテノエが火炎魔法に包まれていた。
彩月はテノエが魔法攻撃を受けたと思い、すぐに助けようとしたが、火炎の勢いが強すぎてとても近づけない。彩月は火炎が魔族からの攻撃でなく、テノエ自身のものだとわかったが、防御魔法で火炎から自分の身を護るのが精一杯だった。
彩月は慣れない氷結魔法を使って火炎を消しにかかると、その甲斐あって火力は急速に収まった。だが、火炎は電撃に切り替わった。稲妻が部屋中を駆け巡り、彩月は電撃魔法から逃げ回りながら、テノエに呼びかけた。
これが魔族の敵襲であったなら、効果は十分であっただろう。
しかし、この日は完全な誤爆だった。
テノエが目を覚ましたときには、時すでに遅く、焼け焦げた寝室、灰となったパジャマや寝具、二度と起動しなくなったスマホやパソコンを前に二人で呆然とするしかなかった。
それ以来、予兆があるとき、テノエは3階に置いてある『水槽』で寝る。
『水槽』は分厚い曇りガラスのような素材でできており、一見、棺桶のようにも見えるが、魔法耐性が強いため、この中で寝ていれば魔法攻撃が外に及ぶことがない。
「だからもう寝るね、おやすみ、彩ちゃん」
テノエはそれだけ告げると、彩月の悪事には全く触れないまま、3階へと上がっていった。
「は、はい、おやすみなさい」
テノエの体調は気になったが、彼女に怒られずに済んだことのほうが今は大きかった。
彩月は階段を見上げ、胸をなでおろすと、また、自分の指を見つめた。




