#08:浴室の2人が思うこと
独特な匂いの漂う浴室の中、テノエは湯船に浸かり湯の感触や香りを楽しんでいた。
なんとなく買った市販の入浴剤が偶然にも魔力泉のような香りや湯の感触を再現していた。もちろん、これは魔力泉に似ているというだけで、実際に魔力が回復したり、病気が治ったりするものではない。
でも、魔力泉に浸かっている時のような落ち着いた気分になり、なんとなく魔力も回復した気にさせてくれる。だから、この入浴剤は彼女のお気に入りであり、今は心身を癒す貴重な時間なのだが、つい、さっきのことが頭に浮かんでしまう。
――株式会社リーンベント 社長 威吹 新
彼の名で届いたメールの内容は、新製品のコマーシャルに花々緒都愛を起用したい、ついては、条件を詰めるため来社してほしい、というものだった。
また、その際パイロット版の作成に使う写真も撮るつもりなので、コマーシャル起用するしないにかかわらず、その分のギャラは即日で払うという。そのギャラも相場よりも高めの金額だ。
花々緒都愛が本当に個人活動しているタレントであれば良い案件だ。乗らない話はない。
しかし、花々緒都愛は彩月と面白半分に考えた架空のタレントであり、大江 天自身はタレント活動など全く行っていないし、これからも行う気はない。花々緒都愛名義のサイトはネット上で自分のことを探ってくる者、それも特に魔族向けに用意したハニーポットだ。
蜜の壺とは、サイバー攻撃を分析するために、わざとセキュリティに弱点を持たせて公開する「おとり」である。ハッカーは喜んでおとりを攻撃するが、同時にハッカーの手の内は全て読まれている、というわけだ。
そして、威吹新という男が引っ掛かって来た。だから、この男はおそらく魔族である。
だが、威吹新はこれまでの魔族とは一線を画している。
これまでテノエが始末してきた魔族は、魔族覚醒する前の人間である頃から犯罪行為を働いていた。いわゆる野良魔族だ。
しかし、威吹新はそうではない。人間社会で一定の成功を収めている。これまでとは違う相手だ。しかも、ザミダフやヴラリガ、ガトラとは異なる未知の魔族だ。どんな手を使ってくるのか全くわからない。
敵の情報が少ない状況での魔族との接触は回避するべきだ。
そうはいっても接触せずに有益な情報は得られない。となれば、タレント花々緒都愛として素知らぬ顔で会い、打ち合わせの中で相手を探る方法もある。
でも、もしこちらの正体がばれていたら……即戦闘になりかねない。しかも場所は相手のホームグラウンドだ。簡単に勝てるとは思えない。
どうしようかと思いあぐねていると、浴室のドアをノックする音にテノエは我に返った。
「テノエさぁん、入っていいですかぁ」
彩月の声が浴室内に響く。
言葉こそ遠慮がちではある。しかし、確固たる意志がそこにはあった。今日は断れそうにない。テノエは苦笑しながら答える。
「どうぞ」
「失礼しまぁす」
明るい上機嫌な声とともに彩月が弾むように浴室に入ってきた。
彼女の姿にテノエは息をのむ。
(……妖精みたい)
彩月の裸身はテノエに妖精を思い起こさせる。
多くの人は彩月のことを『胸がない』とか『尻が薄い』というかもしれない。特に女性の価値を体形で図る者は『寸胴』とか『棒切れ』に例えるだろう。
だが、テノエはそう思わない、思えない。
初めて彩月を見たときの衝撃が今でも忘れられないからだ。
こんなに可愛い子がいるなんて信じられなかった。その後、彩月はヴラリガ魔族に魔族化を強制させられた少女だとわかった。しかし、身体の魔族化は本人の意志で防ぎながらも、魔族化で得た能力は維持、向上させている稀な存在だ。
一般的に魔族覚醒が始まると、多くの人間は自分に特別なことが起きて新しい能力を得たと考える。次にその能力を悪用し、自らの欲のために使い、より効率的に使えるよう努力する。それを短期間で繰り返して心身ともに人間から魔族になっていく。
魔族に適性のある人間であれば、自然に魔族覚醒することもあるが、多くの場合、魔族が目をつけた人間に、魔族の細胞や体液、アイテムなどを体内に埋め込まれて起きることが多い。
彩月が魔族化を強制される過程で、ヴラリガ魔族の男たちからどのような扱いを受けたのか、テノエは聞けなかった。でも魔族のやり口は容易に想像がつく。同じことが自分に起きたらとても耐えられそうにない。けれども、彩月は挫けることなく、それを乗り越え、今は魔族を倒す側に立っている。
つまり、彩月の心の強さは特別であり、それが形を変え妖精のような姿として表に現れているのだ、とテノエは思う。
以前、黒豹男リヴェが彩月のことを獣族にとって至上のプロポーションと絶賛していたが、テノエの感想もかなりそれに近い。彩月の顔といい身体といい妖精を体現したようだ。
だから、彼女はいつまでも彩月の姿を見ていたいと思うが、あまり凝視するのも品がない。だから、あまり見ないように努めるが、つい見てしまう。
一方、彩月もバスタブに横たわるテノエの姿から目が離せない。
(やっぱ、すごい……この女性……)
この世にこれだけ美しい裸体が存在することが今でも信じられない。重力に盾突く豊かな胸、腹筋とわずかな皮下脂肪で構成されたウエストから腰回りのくびれたライン、筋肉が程よくついた長い四肢、どれをとっても完全だ。
完全といっても体形の良し悪しは個人の主観になる。
だから100人いれば100人のベストがある。だが、テノエの場合は違う。実際に測ったわけではないが、全てのパーツが黄金比か白銀比で構成されており、テノエについては数学的な証明が可能に違いない、と彩月は考えている。
敢えて文句をつけるなら「完璧すぎて人間味がない」くらいのものだ。
そんな裸身を彩月の視線から特に隠す素振りもなくテノエは寛いでいる。
それは自分だけに与えられた眼福だ。そう思うと彩月は言いようのない優越感に満たされる。彩月にとっていつまでも続いて欲しい至福の時間だった。
結果、お互いに相手の裸体を無言で称賛する時間が続いた。
その沈黙を先に破ったのはテノエだった。
「彩ちゃん、どうしたの?」
テノエの方が我に返るのが少しだけ早かった。だが、彩月は自分の腹の中が見透かされた気がした。それに動揺したのか、彩月は自分でも驚く行動に出た。
「ちょ……ちょっと後ろが気になって、立て髪とか尻尾とか生えてないですよね」
口ごもりながらそう言うと、彩月はテノエに背中を向け、身体を折り曲げる。
(……え!?)
テノエは絶句した。
目の前には突き出された彩月の臀部があった。
しかも、更にその奥、彩月の未来の夫しか見ることのない秘所を見せつけられていた。テノエは彩月から暗に自分が妖精ではなく人間だと告げられた気になった。
とにかく、彩月の身体に魔族化の兆候があるなら、ちゃんと確認するしかない。
テノエは湯船から身を乗り出した。




