第3話 本当に布団が吹っ飛んだ。いや、ダジャレを言っている場合じゃない!!
……まさかな。
2日連続で良い夢を見せてくれただけだ。高級布団は寝心地が良く、睡眠の質を上げてくれる。その結果、理想的な幸せの夢を見せてくれる。そういう訳だぜ、きっと。
……ならば、なぜ布団がひんやりと冷えている? 雪の跡が残っているのはどうして?
俺は布団の表面に、もう一度そっと手のひらを当てた。さっきの冷たさは少しずつ消えて、いつものふかふかした温もりが戻りはじめている。まるで、何事もなかったかのように。
お前は、夢を現実にしてしまう天才布団なのか??
もちろん、布団は答えない。
時計を見る。7時15分。
「やばい。仕事に行かなきゃ」
とはいえ、目覚めが良かったおかげで、身支度は驚くほど早く終わった。優雅に朝食まで食べてから家を出る。トーストにバターを塗る余裕がある朝なんて、いつ以来だろう。
満員電車に揺られながらも、頭の中はあの雪のことでいっぱいだった。
*
結局、今日の仕事の出来も上々だった。
午後の内見は、ファミリー層向けの中古物件。小さな男の子を連れた若い夫婦で、奥さんは日当たりを、旦那さんは駅からの距離を、男の子は庭の広さを気にしていた。
リビングの大きな窓から、冬枯れの庭を案内していたときだ。ふと、昨夜の雪原の景色が目に浮かんだ。
「この庭、雪が積もったら、きっと真っ白できれいですよ。もしかしたら、東京でも雪遊びができるかもしれませんね」
男の子が「ゆきだるま作れる?」と目を輝かせ、旦那さんが「東京でそんなに積もるかなあ」と笑い、つられて奥さんも吹き出した。気づけばその場は大爆笑で、帰り際には契約をいただいていた。
また一軒、売れたのだ。
2日連続の契約に、部長は上機嫌だった。
「村田、今日は飲みに行くぞ。祝いだ、祝い!」
断れるはずもなく、俺は部長に連れられて会社近くの居酒屋へ向かった。
「お前、急にどうしたんだ。何か変わったことでもあったのか?」
「いえ、その……布団を、変えまして」
「布団? ははっ、布団で契約が取れるなら苦労しねえよ!」
部長は豪快に笑って、俺のジョッキにビールを注ぎ足した。本当なんだけどな。
乾杯のジョッキを掲げたとき、ふと視線を感じて振り返る。
同期の――うちのエース営業マンが、離れた席からこちらを見ていた。笑っていない目で。
いや、怖いよ。お前だって今日、3件も契約取ってきただろ。そんな目で見ないでくれよ。
……ああ、そうか。あの塩漬け物件、一年担当してたの、あいつだったよな。
なんか、ごめんな。
*
家に着いたのは、日付が変わる少し前だった。
部長に注がれるまま飲んだビールが、頭の中でぐわんぐわん回っている。風呂に入らなきゃ、と一瞬だけ思った。思ったが、体が言うことを聞かない。
それでも俺は、ひとつだけ決めていたことがあった。
実験だ。
この布団の秘密を知りたい。ただ質のいい夢を見せてくれるだけなのか。それとも本当に、行きたい場所に連れて行ってくれるのか。もし後者なら、寝る前に強く思い浮かべた場所に行けるはずだ。いきなり海外は怖いから、まずは国内で試してみる。
行き先は――沖縄。
青い海、白い砂浜、満天の星空。
よし、沖縄、沖縄、沖縄……。
俺はスーツのまま、ネクタイもゆるめずに、布団へ倒れこんだ。
*
……うるさい。
ゴオオオオ、という音で目が覚めた。……うん? 夢なのに、なんで目が覚めるんだ?
目を開けると、そこは地獄だった。真っ暗な空。横殴りの雨。ヤシの木が、今にも折れそうなほどしなっている。すぐそばの防波堤に、山のような波が叩きつけられ、白いしぶきが夜空に舞い上がった。
たぶん、沖縄だ。
高校の修学旅行で、沖縄に行くはずだった。楽しみにしすぎて、出発前にガイドブックを何冊も読みこみ、行きたい場所を全部調べ上げた。それなのに、出発の直前に台風が直撃して中止。あのときの悔しさと一緒に、調べ尽くした沖縄の景色がよみがえる。
でも、俺が思い浮かべた沖縄はこれじゃない。青い海は? 白い砂浜は? 満天の星空は? 星どころか、空そのものが怒り狂っている。
「また台風じゃねえか!!」
叫んだ口に、雨が容赦なく飛びこんできた。
……あれ? 濡れてる?
顔も、髪も、スーツも、あっという間にずぶ濡れだ。パリでも北の村でも、雪の一粒すら俺には触れなかったのに。そういえば、台風が接近しているとニュースで言っていた気がする。
なのに、布団だけは乾いている。雨粒が布団の上で、ころころと玉になって弾かれていく。
「お前だけずるくない!?」
そのとき、暗闇の向こうから、何か大きなものが回転しながら飛んできた。流木だ。避ける暇もない。思わず目をつぶる。
ガンッ。
おそるおそる目を開けると、流木は俺の目の前で見えない壁にぶつかり、どこかへ跳ね返っていった。
……そこは守ってくれるのか。ありがたいけど、基準がわからない。
ほっとしたのも束の間だった。地鳴りのような音とともに、ひときわ強い突風が吹きつける。布団の端がめくれ上がり、ふわりと浮いて――
次の瞬間、布団ごと空中へ放り出された。
布団が、吹っ飛んだ。
ダジャレを言っている場合じゃない。木の葉のようにくるくる回りながら、俺は必死で布団にしがみついた。降りたら終わりな気がする。理由はわからないが、とにかく絶対に離しちゃいけない気がする。
上も下もわからないまま、どれくらい回っていただろう。ようやく風が弱まった一瞬、布団は海沿いの道路の上で止まった。
前方に、雨合羽を着た人影が見える。それに、テレビカメラ。強いライト。マイクを握りしめた記者が、風に負けじと声を張り上げていた。
「ご覧ください! 現在、沖縄本島には非常に強い台風が接近しており――」
台風中継だ。
そして、記者の目が、ぴたりと俺に止まった。
「……え? あそこ、なにか……布団? 布団が浮いてます! カメラさん、あそこ、あそこ!」
見えてる。見えてるじゃねえか! 昨日は誰にも見えなかったのに!
カメラがぐるりとこちらを向く。まずい。全国放送だ。会社の人にでも見られたら――
その瞬間、布団がまた突風にさらわれた。
「あれ……? いま確かに……」
ライトが照らした先には、もう何もなかった。
俺はずぶ濡れのまま、暗い空の上で布団ごとぐるぐる回りながら思った。
頼むから、早く朝になってくれ。
*
ピピピピ、ピピピピ。
目覚ましの音で飛び起きる。見慣れた天井。見慣れた六畳間。
助かった……。
そう思った瞬間、全身に、じっとりとした冷たさを感じた。
俺だけが、びちょびちょだった。
髪から雫が垂れ、スーツは雑巾のように水を吸っている。くしゃみが三回続けて出た。
なのに、布団は乾いていた。ふかふかで、しみ一つなく、まるで新品のように真っ白――いや、真っ青だ。俺が寝ていた場所すら、まったく濡れていない。
俺はしばらく、ずぶ濡れのまま布団の前に座りこんでいた。
パリ。北の村の雪。そして、台風の沖縄。夢にしては、あまりにも生々しすぎる。冷たい布団、残っていた雪の粒、そして今、全身からしたたり落ちているこの水。
もう、認めるしかない。
この布団、寝ている間にどこへでも連れて行ってくれるらしい。
「お前……何者だ……」
布団は答えない。
ただ、なんとなく、そっぽを向かれている気がした。




