影①
朝、目を覚ますと、デビルくんが部屋の隅にいた。
黒い翼。
曲がった角。
人間とは思えない顔。
いつもの姿だ。
「……また来たのか」
デビルくんは答えない。
右手を上げる。
その手のひらに、黒いものが浮かんでいた。
煙のようにも見える。
アズマがそれを見る。
すると、頭の中に、ぼんやりとした感覚が広がった。
影。
それだけは、なぜか分かった。
自分の影を、動かせる。
伸ばせる。
形を変えられる。
どこまでできるかは分からない。
けれど、少なくとも普通の影ではない。
「……影を使う能力?」
デビルくんは何も言わない。
黒いものが消える。
「使え」
それだけ。
デビルくんの姿も消えた。
「相変わらず説明しないな……」
アズマはベッドから起き上がった。
窓から朝日が差し込んでいる。
床に、自分の影が落ちている。
アズマは右手を動かした。
影も動く。
「じゃあ……」
手を止める。
影だけを動かす。
ぐにゃり。
影の腕が横へ伸びた。
「おお」
もう少し伸ばす。
伸びる。
壁まで届いた。
「結構伸びるな」
指を動かす。
影の指も動く。
握る。
開く。
「……これ、何か掴めるのか?」
近くにあったペンを置く。
影の手を伸ばす。
ペンを握る。
持ち上げる。
「おお……」
ペンが床から浮いた。
アズマは少し黙った。
「……便利だな」
ペンを戻す。
しばらく考える。
「でも、これだけじゃな」
影を動かせる。
物も持てる。
便利ではある。
だが、それ以上は分からない。
アズマは着替えを始めた。
そのときだった。
机の上に置いた財布が目に入った。
財布。
その横には、昨日コンビニでもらったレシート。
アズマは何となく財布を影で掴んでみる。
持ち上がった。
「……」
財布が宙に浮く。
「…………」
アズマは財布を見る。
影を見る。
そして、少しだけ考える。
「これ……」
財布を床に置く。
影を財布の下へ潜り込ませる。
持ち上げる。
そのまま、自分から離してみる。
財布が動く。
ゆっくり。
床を滑ってくる。
「……手を使わなくても、物を動かせる」
そこで、アズマは思いついた。
玄関に置いてある鍵を見る。
影を伸ばす。
鍵を掴む。
引き寄せる。
カチャ。
手元に鍵が落ちる。
「……」
アズマは鍵を拾った。
「これ、外でも使えるな」
少しだけ嬉しくなった。
*
昼。
アズマは駅前を歩いていた。
人が多い。
影も多い。
道路。
建物。
電柱。
人間。
それぞれの影が、地面に伸びている。
アズマは歩きながら、自分の影を動かしていた。
足元から細く伸ばす。
戻す。
また伸ばす。
人の影には触れない。
なんとなく、嫌な感じがする。
理由は分からない。
「……他人の影も動かせるのかな」
試そうと思った。
だが、やめた。
今ここで変なことをして、誰かに気づかれたら面倒だ。
アズマは普通に歩く。
駅前の商店街に入った。
すると、ゲームセンターの前にクレーンゲームが並んでいた。
景品のぬいぐるみ。
その中に、一つだけ妙に欲しいものがあった。
「……あれ欲しいな」
財布を見る。
小銭が少ない。
一回分くらいしかない。
やってみる。
取れない。
もう一回。
取れない。
「……」
三回目。
取れない。
アズマは筐体を睨んだ。
「あとちょっとなんだけどな」
景品は取り出し口の近くまで動いている。
もう一度やれば取れそうだ。
しかし、小銭がない。
アズマはその場を離れた。
数歩歩いてから、振り返る。
クレーンゲーム。
景品。
取り出し口。
そして、その下に伸びた影。
「…………」
アズマは戻った。
周囲を見る。
誰もこちらを見ていない。
しゃがむ。
影を伸ばす。
筐体の下へ。
さらに奥へ。
「……入るな」
影の先が、取り出し口の中へ入った。
景品に触れる。
掴む。
少し引く。
ぬいぐるみが動いた。
「……」
もう一度。
ぐいっ。
景品が取り出し口から落ちる。
アズマの足元。
「…………」
拾う。
周囲を見る。
誰も気づいていない。
アズマはぬいぐるみを袋に入れた。
そして歩き出す。
しばらくしてから、ぽつりと言った。
「……これ、結構まずい能力かもしれないな」
口ではそう言った。
だが。
顔は少し笑っていた。




