第34話:マスターキーとラジオ【2/2】
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「そうか……! 葵のお母さんがいる場所か!」
健太の顔にも、パッと眩いばかりの希望の光が宿った。
「あそこなら、ここから歩いて行ける距離だろ! 日高、病院までどれくらいだ!?」
「行ける」
蓮は即座に断言した。その声には、冷徹な分析に裏打ちされた揺るぎない確信が満ちていた。
「ここから市立総合病院までは、直線距離でおよそ2.5キロ。大通りを完全に避け、学校の裏門から住宅街の狭い裏路地と、旧河川沿いの遊歩道の暗がりを縫うように進めば、車が侵入できない歩行者専用ルートで病院の裏手へ直接アプローチできる」
蓮の頭の中には、幼い頃から父に連れられて歩いた彩葉市の裏道マップが、鮮明に描かれていた。
どこに高いブロック塀があり、どこに逃げ込める水路があり、どの方角に感染者が滞留しやすい大通りがあるか。サバイバルにおいて最も重要なのは『地形の把握』だ。
「しかも、市立総合病院の方向は、葵の自宅のすぐそばだ。さらに、そこから少し西へ迂回すれば、健太のアパートもある。そして、俺の自宅――母さんと結衣が待つ家へも、同じ北西エリアの防衛ラインに沿って繋がっている」
蓮は腰のベルトに結びつけた『全校管理者マスターキー束』をポンと叩いた。
「しかも、俺たちは今、学校の裏門の防犯フェンスを開けるマスターキーを手に入れた。正門やグラウンドの数100体の群れを正面から突破する必要はない。裏門から外の路地へ抜け、葵の自宅の安全を確認し、健太のオカン、そして俺の自宅にいる母さんと結衣の避難状況を確かめながら、同一のルート上で病院の集結ポイントを目指すことができるんだ」
点と点が、一本の強固な脱出ラインとなって繋がった。
ただ暗闇の校内を逃げ惑うだけのサバイバルは、今この瞬間、完全に終わったのだ。
彼らには、明確なタイムリミット(明朝5時)と、絶対に辿り着くべき目的地(市立総合病院・第1駐車場)という、確固たる『作戦目標』が定まった。
「目的地は決まった」
蓮は手回しラジオの音量を極限まで絞りながら、3人の顔を力強い瞳で見据えた。
「市立総合病院だ。あそこへ行けば、自衛隊のヘリで全員が生きて市外へ脱出できる。葵のお母さんとも合流できるし、俺たちの家族を救い出すための最大の足がかりになる!」
「おうっ!!」
健太が鉄パイプ戦斧を胸の前で力強く握り締め、獰猛な笑みを浮かべた。
「行き先が決まりゃ、こっちのもんだぜ! 病院まで立ちはだかる化け物は、俺の鉄パイプで全員ぶっ飛ばして突っ走るだけだ!!」
小林も、痛む足を押さえながら、力強く頷いた。
「日高……俺、絶対に歩き抜くよ。みんなと一緒に、あのヘリに乗って生きてここを出る!」
絶望の底にいた4人の胸に、眩いばかりの希望の火が燃え上がった。
山路先生の命と引き換えに手に入れた名簿。
教卓から掴み取ったマスターキー。
そして、暗闇の電波を捉えた防災ラジオ。
彼らは、過酷な試練を乗り越えるたびに、生き残るための武器と情報を確実に自らの手で掴み取ってきたのだ。
だが、希望の光が灯ったまさにその瞬間、冷酷な現実の牙が襲いかかってきた。
『メキメキメキッ……!! ドガァァァァンッ!!』
職員室の重厚な木製廊下側ドアの中央が、ついに外からの凄まじい体圧と無数の爪の引っ掻きに耐え切れず、爆発するように内側へと吹き飛んだ!
折れ曲がった木枠の隙間から、先ほどラジオが鳴り響いた音と人間の生の血の匂いに狂乱した、数10体を超える感染者たちの黒い津波が一斉に室内へと雪崩れ込んでくる!
『ギシャァァァァァァッ!!』
『アァァァァァァァッ!!』
白濁した瞳の群れ。血と唾液を撒き散らす牙。
彼らは倒れていたスチールデスクや本棚を薙ぎ倒し、床に散乱するテスト用紙を嵐のように巻き上げながら、蓮たちが立つ教務主任の大型デスクへと猛然と殺到してきた!
その先頭を走るのは、胸元を大きく裂かれた体育教師の巨体と、顔面を血みどろにした柔道部員の感染者だ。
「来たぞッ!! 登れぇぇぇッ!!」
蓮の怒号が、爆音の渦巻く職員室内に響き渡った。
蓮は教卓の上にあった手回し非常用ラジオの折れ曲がったロッドアンテナを素早く収納し、家庭科室から持参していた厚手のフェイスタオルで何重にも隙間なく包み込んだ。
そして、リュックサックのサイドポケットへと深く押し込み、頑丈なコンプレッションストラップを力任せに引いてきつく固定した。
外界の戦況と避難所情報を伝える唯一の通信機器。これから夜の街を何キロも踏破する彼らにとって、このラジオから流れる自衛隊の広報放送は、命を繋ぎ止めるための生きた羅針盤なのだ。どんな激しい衝撃があっても、絶対に壊すわけにはいかなかった。
「健太、小林を上げろ! 葵、足元を刺せ!」
「任せろッ!!」
大型デスクの上で、健太が小林の身体を両腕で抱え上げた。
「小林、欄間の木枠を掴め! 一気に引き上げるぞ!」
「う、うん……っ!!」
健太の強靭な背筋が唸りを上げ、小林の身体を天井近くの割れた欄間ガラスの開口部へと力任せに押し上げた。小林は痛む足を庇いながら、割れた窓枠の太い木製フレームに必死でしがみつき、上半身を外のケーブルラックの上へと滑り込ませる。
その直下。
教卓の足元へと肉薄してきた体育教師の巨体が、デスクの天板に手をかけ、大口を開けて跳び上がろうとしていた。
その牙先が、小林を押し上げる健太の無防備な足首へと迫る!
「させないわッ!!」
葵の鋭い叫びと共に、両刃の十字槍が一閃を描いた。
『ズチャッ!!』
デスクの上から斜め下へ向けて繰り出された鋭利な刺突が、跳び上がろうとした体育教師の左の眼窩を深々と貫通した。十字型の鋼刃が薄い頭骨を粉砕し、脳幹を破壊する。
葵は躊躇なく槍を手元へ引き戻し、体育教師の巨体を足元へ蹴り落とした。倒れた巨体が、後続の柔道部員の足元を巻き込み、突進の勢いを一瞬だけ鈍らせる。
「小林、上がったぞ! 葵、次はお前だ!」
健太が叫び、葵の腰を両手で支えて欄間へと押し上げた。
葵はしなやかな身のこなしで木枠を跳び越え、天井の鉄製ケーブルラックの上へと軽やかに這い上がった。小林の手を素早く掴み、安全な位置へと引き寄せる。
「健太、飛べッ!!」
蓮が教卓の端から叫んだ。
「日高、お前が先だ!!」
「いいから飛べ! 俺が殿だ!!」
蓮の気迫に押され、健太は鉄パイプ戦斧を背中に回すと、デスクの天板を蹴って欄間の枠へと跳びついた。腕力だけで巨体を引き上げ、ラックの上へと滑り込む。
そして、残されたのは蓮1人。
『ガガガガガッ!! ドスッ!!』
倒れた体育教師を乗り越え、柔道部員の感染者、そして3体の生徒の感染者が、デスクの天板の上へと一斉に手をかけ、這い登ってきた!
四方から伸びる、爪の割れた黒い指先。
間合い、わずか数10センチ。
(追いつかれてたまるか……!!)
蓮は木柄の簡易槍の柄を両手で横に構え、デスクの上に顔を出した先頭の柔道部員の鼻柱へ向かって、全力の薙ぎ払いを叩き込んだ!
『バゴォォンッ!!』
強烈な打撃音。柔道部員の顔面が陥没し、その巨体が後ろの2体を巻き込んでデスクの下へと転落していく。
その反動の瞬間、蓮は教卓の天板を右足の靴底で力強く蹴り上げた。
宙を舞う身体。
直後、蓮が立っていた教務デスクの天板の上に、後続の数体の感染者たちが覆いかぶさり、重厚な木製デスクがメキメキと音を立てて圧壊していく。
だが、蓮の身体はすでに、天井の割れた欄間ガラスの開口部を綺麗に潜り抜けていた。
『ガシィィィンッ!!』
蓮の両手が、廊下の天井を走る鉄製ケーブルラックの太い金属フレームを確実に捕らえた。
全体重が両肩に乗ったが、蓮は奥歯を噛み締め、懸垂の要領で一気に身体をラックの上へと引き揚げた。
『バタンッ!!』
4人の身体が、再び廊下の天井下――幅50センチの鉄製ケーブルラックの上へと集結した。
下を見下ろせば、自分たちが今しがた脱出した職員室の内部、そして割れたドアの周囲に、無数の感染者たちが狂ったように雪崩れ込み、互いを踏みつけ合いながら、天井の開口部に向かって手と顔を突き出して凄まじい咆哮を上げていた。
『ギシャァァァァァァッ!!』
『アァァァァァァァッ!!』
爪の折れた腕が何10本も欄間から突き出され、虚空を狂ったように掻き毟る。
だが、その凶暴な指先は、天井から数10センチ下を走るケーブルラックには1ミリも届かなかった。
跳躍力を持たない感染者たちにとって、頭上3メートルの高さを走るこの細い鉄の棚は、決して届くことのない絶対の安全圏だった。
「……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ッ……!」
蓮は鉄棚に胸を押し当て、荒い息を吐き出した。全身の毛穴から冷汗が吹き出し、目に入って激しく沁みる。
隣では、健太が小林の身体を抱き寄せ、葵が背後の欄間に向けて十字槍の切っ先を突きつけていた。
「全員……怪我はねえな!?」
健太が掠れた声で尋ねる。
「大丈夫……! 全員無事よ!」
葵が肩を上下させながら応えた。
「俺も……平気だ。健太、日高、葵さん……本当にありがとう……!」
小林が涙を拭いながら、力強く頷いてみせた。
「よし……! マスターキーもラジオも手に入れた。ここからが本当の反撃だ!」
蓮は腰のベルトに固定された重厚な『全校管理者マスターキー束』、そしてリュックのサイドポケットに収まった『手回し非常用ラジオ』の感触を確かめた。
冷たい真鍮の重みと、ラジオから微かに伝わる機械の感触。
それらは、ただの道具ではない。
暗闇の学園から4人全員を生きて脱出させ、2.5キロ先の市立総合病院で待つ救助ヘリと家族の元へと導く、至高の【希望の光】だった。
「中央階段へ逆行するぞ! 体重を分散させろ!」
蓮の号令と共に、4人は再び幅50センチの鉄製ケーブルラックの上を、腹這いの姿勢で猛烈な速度で匍匐前進し始めた。
ギシ……ッ……ギシッ……。
錆と経年劣化の目立つ金属フレームが、4人の体重を受けて不吉な軋み声を上げる。
その微かな振動が伝わるたび、下の1階廊下を埋め尽くす数100体の感染者たちが一斉に顔を跳ね上げ、白濁した目を天井に向けて『アァァァ……』と血の泡の混ざった呻き声を上げる。
だが、4人の心には、先ほどまでの絶望や迷いは欠片も残っていなかった。
先頭を這う蓮の、ブレのない確固たる背中。
中央を守る葵の、母を想う凛とした眼差し。
右足を庇いながら必死に腕の力で這い進む小林の、生き抜くための執念。
そして最後尾を固める健太の、頼もしい鉄パイプ戦斧の重み。
下から突き上がってくる焦げた肉と血液の生臭い臭気を突き破り、4人は頭上30センチのコンクリート天井に身を擦り付けながら、一直線に中央階段の吹き抜けへと向かって進んでいった。
5メートル、10メートル、15メートル――。
「見えたぞ! 中央階段の中踊り場だ!」
蓮の囁きが響く。
配線ダクト棚の終点。
2階へと折れ曲がる階段の中踊り場のスチール手すりが、煙のモヤの向こう側に迫っていた。
階段のステップには、先ほど蓮と葵が仕留めた数体の感染者の死体が転がっていたが、新たな群れが這い登ってくる気配はまだない。
「飛び移るぞ! 俺、葵、小林、健太の順だ!」
蓮はラックの端で素早く身体を起こし、手すりの上へと身軽に跳躍した。
『サッ……ガシッ!!』
蓮の靴底が中踊り場のコンクリート床を捉え、素早く木柄の簡易槍を構えて周囲のクリアを確認する。
「クリアだ! 葵、小林を支えて飛べ!」
続いて葵が小林の手を引き、2人で連動するように手すりの上へと飛び降りた。
蓮が小林の身体を正面からガッシリと受け止め、衝撃を完全に殺す。
最後に健太が、鉄パイプ戦斧を抱えながら、ドスンと重厚な音を立てて着地した。
4人は、再び特別棟の中央階段へと生還したのだ。
見上げれば、吹き抜けの最上部。
2階、3階、4階を越えた先にある、あの開かないはずだった【屋上の扉】。
「行くぞ!!」
蓮の力強い声が、階段室に響き渡った。
「鍵はある! 行く先も決まった! あとはあの扉を開けて、空を掴み取るだけだ!!」
「おうよぉぉぉっ!!」
健太が小林の肩を力強く抱え上げ、咆哮した。
小林も痛む足で強く段差を踏みしめ、葵が十字槍を天に向けて掲げる。
絶望を乗り越え、恩師・山路先生の魂を受け継ぎ、手に入れたマスターキーを腰に抱いて。
4人は今、希望の光が待つ屋上扉へと向かって、中央階段のステップを一気に駆け上がり始めた。
カン、カン、カン、カンッ!
4人の足音が、暗闇と煙の吹き抜け空間に、力強いリズムとなって響き渡る。
もう、逃げ惑うだけの無力な高校生ではない。
死線を共に潜り抜け、互いの背中を預け合い、知恵と武器を手にして運命に抗う、真の生存者たち。
手に入れた真鍮のマスターキーが、蓮のポケットの中でカチリと硬質な音を立てた。
あの冷たく閉ざされていた屋上の鉄扉を、今度こそ自分たちの手でこじ開け、希望の夜空を掴み取るために――彼らの反転攻勢の疾走は、誰にも止められなかった。
次の話は、翌日7:10の投稿になります。お楽しみに!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!




