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残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―  作者: solune
プロローグ:日常の終わり

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第3話:図書室の距離【2/2】

おかげさまで、月間ホラー〔文芸〕と[週間]ホラー〔文芸〕のランキングにランクインしました!

読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!

「水島の家は? 親、厳しいって健太から聞いたことあるけど」

蓮が思い切って踏み込んでみると、葵は少しだけ困ったように微笑んだ。

「城山くん、そんなこと言ってたんだ。うーん、厳しいというか……両親とも教師だから、どうしても躾とか勉強には口うるさくて。私が弓道を始めたのも、元々は精神修養のためってお父さんに勧められたのがきっかけなの」

「へえ、教師なんだ。それは大変だな」

「うん。だから、こうして図書室で静かに本を読んでいる時間が、私にとってはすごくホッとするひとときなんだよね」

葵は文庫本の表紙を優しく撫でながら言った。


彼女の抱えている小さな息苦しさ。それを自分に打ち明けてくれたことが、蓮にとってはたまらなく嬉しかった。彼女の完璧に見える輪郭の内側にある、普通の女子高生としての柔らかい部分に触れられたような気がしたからだ。


「……俺も」

蓮は無意識に言葉をこぼしていた。

「俺も、この時間が好きだよ。こうして、静かな場所で本を読んでるのが。……その、水島と一緒に当番やってるのも、悪くないっていうか」

言い終わってから、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。

(何言ってんだ俺は! これじゃほとんど告白みたいじゃないか!)

蓮は慌てて視線を本に戻し、ページを捲るふりをした。


葵は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに頬を微かに赤く染め、口元をほころばせた。

「……ありがとう。私も、日高くんと一緒の当番でよかったって思ってるよ」

小さな、しかしはっきりとした声。

それは、蓮の耳に心地よい音楽のように響いた。


二人の間に、先ほどまでのもどかしい距離感を少しだけ飛び越えた、甘く優しい沈黙が降りてくる。

窓から差し込む西日はさらに赤みを増し、図書室全体をセピア色の映画のワンシーンのように染め上げている。

永遠に続いてほしいと思えるほどの、完璧で平和な時間。

だが、その完璧な静寂を切り裂くように、窓の外から『音』が響き渡った。


『ウゥゥゥゥゥゥゥゥ……ピィーポー、ピィーポー、ピィーポー』


遠く、バイパス道路の方角から聞こえてくる、救急車のサイレンの音だった。

最初は一つだった音が、やがて二つ、三つと重なり合い、まるで不協和音のオーケストラのように街中に響き渡り始める。

蓮と葵は、同時に顔を見合わせた。


「……すごい音だね。朝からずっと」

葵が本を置き、窓の外へと視線を向けた。彼女の横顔から、先ほどまでの柔らかい笑みが消え、代わりに不安の影が色濃く落ちていた。

「ああ。どっかで大きな事故でもあったのかな」

蓮は立ち上がり、窓際に歩み寄って外を見下ろした。ここからバイパス道路は直接見えないが、街のあちこちの空に、うっすらと黒い煙のようなものが立ち上っているのが見えた。


「……ねえ、日高くん」

葵が、蓮の背中に向かって小さな声で呼びかけた。

「ん?」

振り返ると、葵は自分の両腕を抱きかかえるようにして、身を縮ませていた。

「最近、救急車の音がすごく増えてる気がしない? 気のせいかもしれないけど……夜中も、ずっとサイレンが鳴ってて。私、なんだかすごく嫌な予感がするの」

彼女の瞳には、明確な不安が宿っていた。

いつも凛としている葵が、これほどまでに弱気な姿を見せるのは初めてだった。


「嫌な予感って……」

「わからない。でも、街全体が、何か見えない黒いものに覆われていくような……。お父さんたちも、最近学校で怪我人が増えてるって、夜にコソコソ話してるのを聞いたし」


葵の言葉に、蓮は前夜SNSで目にしたあの異質な動画を直感的に思い出していた。人が人を襲うという、現実離れした光景。そして即座に削除されたアカウント。あの映像と、外で鳴り響くサイレンの音が、不気味に重なり合っていく。

(まさか。そんな映画みたいなことが、この街で起きるわけがない)

蓮は必死に不吉な想像を振り払い、葵に向かって努めて明るい声で言った。


「大丈夫だよ。夏の終わりで熱中症とか、そういうのが重なってるだけかもしれないし。それに、ここは学校だ。何かあっても先生たちがいる。あんまり気に病むなよ」

蓮の慰めの言葉に、葵は少しだけ表情を緩め、力なく頷いた。

「……うん。そうだよね。ごめんね、変なこと言って」

「謝ることないって。もし本当に何かあったら、その時は……」

蓮は言葉を区切り、葵の黒く澄んだ瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「その時は、俺が水島を守るから」

自分でも驚くほど、自然に出た言葉だった。

事なかれ主義で、責任から逃げてばかりいた彼の口から出た、初めての明確な言葉。

葵は目を見開き、そして、今日一番の柔らかく、どこか切なげな笑顔を見せた。

「……ありがとう、日高くん。すっごく頼りにしてるね」


図書委員の当番を終えた蓮と葵は、一緒に廊下を歩いていた。

普段なら「お疲れ」と一言交わして別れるところだが、今日の蓮には、図書室で交わしたあの会話の余韻が胸の奥で心地よく燻っていた。

「日高くんは、この後まっすぐ帰るの?」

葵が隣を歩きながら、ふと顔を向けてきた。

「ああ。特に寄り道する用事もないし。水島は弓道部に行くんだろ?」

「うん。でも、今日はもう片付けの時間かな。せっかくだから、少しだけ残って自主練していくつもり」

「そっか。あんまり無理すんなよ」

蓮が何気なく言うと、葵は小さく笑った。


「大丈夫。弓を引いてる時は、嫌なことも全部忘れられるから。それに……」

葵はそこで言葉を区切り、蓮の方をチラリと見た。

「日高くんが守ってくれるんでしょ?」

からかうような、それでいてどこか嬉しそうな声音。

蓮は顔に血が上るのを感じ、慌てて視線を前方に逸らした。

「お、おう。言ったからには、嘘はつかないよ」

「ふふっ。ありがとう。じゃあ、私はこっちだから」

昇降口へと続く階段の手前で、葵は弓道場のある方向へと続く別の廊下を指さした。

「お疲れさま。また来週ね」

「ああ、お疲れ」


手を振って別れる葵の後ろ姿を見送りながら、蓮の口元には自然と笑みがこぼれていた。

階段を下り、昇降口で外履きに履き替える。

「おい蓮! 遅かったな!」

背中を大きな手でバンッと叩かれ、振り返ると案の定、部活帰りの健太が立っていた。

「痛えな。お前、インターバル走でボロボロになってるはずじゃないのかよ」

「俺の回復力を舐めんな。もう完全復活だぜ。それよりお前、水島さんと二人きりで図書室の当番だったんだろ? なんか進展あったか?」


ニヤニヤと笑う健太に適当に付き合いながら、二人で駐輪場へと向かう。

「家族の話とか、少しだけな」

蓮が正直に答えると、健太は意外そうに目を丸くした。

「おっ、マジで? やるじゃん、事なかれ主義の殻を少しは破れたみたいだな」

健太は自転車の鍵を開けながら、ふと真面目な声を出した。

「水島さんって、いつも一人で頑張りすぎてる感じがするよな。だからこそ、お前みたいなヤツが隣にいてやった方がいいんじゃねえの? お前、普段はやる気ないけど、いざって時は意外と冷静だし」


親友からの言葉に照れくさくなりながらも、蓮は夕日に向かって走り去っていく健太の背中を見送った。

自転車に乗り、冷たさを帯び始めた秋の風を受けながら坂道を下る。葵のあの不安げな横顔と、自分が口にした言葉が重なる。

(もし本当に何かあった時は、俺が守る)

それは虚勢ではなく、蓮の心の中に芽生えた確かな本心だった。


その週末。

日高家は、久しぶりに帰宅した父・哲也を交えて、穏やかな時間を過ごしていた。

夕食には結衣のリクエスト通りにハンバーグが振る舞われ、哲也はビールを飲みながらテレビを見ていた。

リビングのソファで横になる哲也を見ながら、母の恵子と妹の結衣が微笑ましい会話を交わしている。どこにでもある、ありふれた家族の休日だった。


しかし、テレビのニュース番組からは、不穏な影が忍び寄っていることを報じる声が流れていた。海外で起きている原因不明の暴動や、国内での傷害事件の急増。

画面を見つめながら、哲也がふと真面目な顔で蓮に語りかけてきた。

「蓮。お前も、学校の行き帰りは気をつけるんだぞ。何かおかしいと思ったら、すぐに逃げろ」

「わかってるよ。俺は危ない橋は渡らない」

「ならいい。お前は俺の息子だから、いざという時の勘は働くはずだ。……それに、恵子と結衣のことを頼むぞ」

改まった父の言葉に少し気恥ずかしさを覚えつつも、蓮はその言葉を胸に刻んだ。


そして――あの決定的で、狂気に満ちた火曜日が訪れた。


父からの突然の電話、切断された通話、そして校庭を埋め尽くす異形の人々。

「逃げるぞ。ここから脱出する」

蓮は、健太と葵の手を引いて教室のドアを蹴り開けた。


廊下には、すでに数体の感染者が徘徊し、逃げ惑う生徒たちの悲鳴と怒号が響き渡っていた。壁には鮮血が飛び散り、かつての学び校は一瞬にして地獄へと姿を変えている。

「うわあああ! 来るな! 来るな!」

「おい、蓮! どうすんだよこれ!」

健太が焦燥の混じった声を上げる。

「落ち着け! 特別棟へ向かうぞ。あっちなら、まだ人が少ないはずだ」


蓮は瞬時に状況を判断した。普通教室がある本棟はパニックで完全に飽和状態だが、特別棟なら授業を受けているクラスも少なく、安全な場所を確保しやすいはずだった。

「水島、俺から絶対離れるなよ!」

「う、うん……!」

葵は青ざめた顔で頷き、蓮の手を強く握り返す。

「健太、前を開けろ! 俺が後ろを見る!」

「任せろ!」


健太が先頭に立ち、廊下の壁沿いを一気に走り出す。

目の前で血に濡れた同級生が襲いかかってこようとした瞬間、健太は近くにあった消火器を足で蹴り飛ばした。赤い円筒が感染者の足元に激突し、体勢を崩した隙に三人で渡り廊下へと駆け抜ける。


渡り廊下の向こう側、特別棟は不気味なほどに静まり返っていた。

「このまま一階まで下りて、裏門から逃げるか?」

「ダメだ。外にはもっとあいつらがいる。まずは安全な部屋に入って、鍵をかけて状況を整理するんだ」

蓮の頭脳は、極限状態の中で冴え渡っていた。父の教えと、自分の直感に従う。

「理科室だ。あそこならドアも頑丈だし、鍵もかけられる」


三人は特別棟の二階にある理科室へと飛び込み、蓮が急いでドアを閉めて内側から鍵を施錠した。

「ハァ……ハァ……」

三人は床に倒れ込むように座り込み、荒い息を吐き出した。

ドアの向こうからは、遠くの悲鳴と鈍い衝撃音が不気味に響いてくる。


「……なぁ、蓮。俺たち、どうなっちまうんだよ」

健太が頭を抱えて呟く。

蓮は、小さく震えている葵の肩にそっと手を置いた。

「……大丈夫だ。俺たちは生き残る。絶対に」


それは、あの日図書室で交わした約束の証明だった。

事なかれ主義だった少年の瞳には、大切なものを守り抜くための強い光が宿っていた。

次の話は、翌日7:10の投稿になります。お楽しみに!


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。


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これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!

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