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残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―  作者: solune
プロローグ:日常の終わり

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第3話:図書室の距離【1/2】

おかげさまで、月間ホラー〔文芸〕と[週間]ホラー〔文芸〕のランキングにランクインしました!

読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!

あの大惨劇が巻き起こる、わずか三年前の平和な日常――九月の最初の金曜日。

県立彩葉第一高等学校の放課後は、どこにでもある平凡で退屈な、そしてどこか愛おしい静けさに包まれていた。


「じゃあな蓮! 俺はこれから地獄のインターバル走に行ってくるぜ!」

六限目の終わりのチャイムが鳴るや否や、親友の健太は鞄を乱暴に掴み、陸上部の部室へと風のように駆け出していった。廊下からは「おい健太、廊下走るな!」という生活指導の教師の怒号と、「すんませーん!」という健太のふざけた返事が遠ざかっていく。

蓮は自分の席でゆっくりと教科書を鞄にしまいながら、そんな親友の騒々しい日常風景に小さく苦笑を漏らした。


窓の外を見れば、秋の気配をわずかに含み始めた高く澄んだ青空が広がっており、グラウンドからは運動部が掛け声を合わせる声が聞こえてくる。西日が差し込む教室はオレンジ色に染まり始め、放課後特有の弛緩した空気が満ちていた。

ほとんどの生徒が部活やアルバイト、あるいは遊びに出かけていく中、蓮は一つだけ大きなため息をつき、鞄を机に置いたまま立ち上がった。

「……さて、行くか」


事なかれ主義を自認する蓮だが、高校生活において完全に責任から逃れることは難しい。彼には、週に一度だけ回ってくる『図書委員』の当番という仕事があった。

春の委員会決めの際、誰もやりたがらない図書委員を押し付けられそうになった時、蓮は「目立つ役職よりはマシか」という消極的な理由で引き受けた。実際、図書室は静かだし、貸し出しの手続きもバーコードリーダーで一瞬で終わる。面倒な人間関係もない。

だが、蓮にとって図書委員の仕事が苦ではない最大の理由は、別のところにあった。


特別棟の三階へと続く階段をゆっくりと上りつつ、蓮の心拍数は無意識のうちに少しだけ上がっていた。

踊り場の窓から差し込む強い西日を手で遮りながら、薄暗い廊下を進む。特別棟は普段の授業ではあまり使われないため、放課後になると人の気配が極端に少なくなる。理科室や音楽室の重厚なドアが並ぶ中、廊下の一番奥にある『図書室』と書かれた木製のプレートが掲げられた両開きの扉の前に立つ。

深呼吸を一つ。

扉のすりガラス越しに、うっすらと室内の明かりが漏れている。すでに彼女は来ているはずだ。

蓮は、静かにドアノブを回した。


「ギィッ……」と、古い蝶番が僅かに軋む音を立てて、重い扉が開く。

室内に足を踏み入れると、一瞬にして空気が変わったのを感じた。

古い紙とインク、そしてわずかな埃の匂い。何万冊もの本が発する独特の静謐な空気が、外界の喧騒を完全にシャットアウトしている。西日がブラインドの隙間から幾筋もの光の帯となって床に伸びており、空気中を舞う細かな埃がその光の中でキラキラと金色の粉のように輝いていた。

その静寂の中心、貸出カウンターの奥に、彼女は座っていた。


「あ、日高くん。お疲れさま」

カウンターの上に積み上げられた返却本の山から顔を上げ、葵が小さく微笑んだ。

蓮の心臓が、トクンと大きく跳ねる。

白のブラウスに紺のスカートという、見慣れた夏服の制服。しかし、窓からの逆光に縁取られた彼女のシルエットは、息を呑むほどに美しかった。肩甲骨のあたりまで伸びた艶やかな黒髪は、いつも通り後ろできっちりと一つに束ねられている。その白く細い首筋から、彼女が部活の弓道着に着替える前の、どこか無防備で等身大な女子高生としての輪郭が浮き彫りになっていた。


「ごめん、遅くなった。日直の仕事で黒板を消すのに手間取って」

蓮は動揺を悟られないよう、努めて平坦な声で言い訳をしながらカウンターの中へと入った。

「ううん、全然大丈夫。今日はそんなに利用者もいないし、返却された本も少ないから」

葵は手元のバーコードリーダーを置き、机の上の本を綺麗に揃えた。


図書委員のペアは、学期初めのくじ引きで偶然決まったものだ。蓮にとって、クラスで密かに憧れを抱いていた彼女と二人きりになれるこの放課後の時間は、退屈な日常における唯一の特別な時間だった。

だが、事なかれ主義の蓮にとって、この「二人きり」という状況は同時に強烈な緊張を強いるものでもあった。気の利いた会話のカードなど持ち合わせていないし、不用意な発言で嫌われたくもない。結果として、二人の間にはいつも一定の距離と、心地よいけれど少しだけもどかしい沈黙が流れていた。


「じゃあ、俺、返却された本を棚に戻してくるよ。水島はカウンターをお願い」

「うん。お願いね」


蓮はカウンターの上に積まれた十数冊の本を両手で抱え上げ、書架の奥へと向かった。

日本十進分類法に従って整然と並べられた高い本棚の間を歩く。靴音が吸音材の床に静かに沈み込む。

手元の本を背表紙のラベルの番号に従って、一つ一つ元の場所へと戻していく。歴史小説、科学の図解本、海外のファンタジー小説。様々な世界が詰まった小さな箱を、あるべき場所へと帰していく単純作業。

しかし、蓮の意識の大半は、本棚の隙間からチラチラと見えるカウンターの葵の姿に向けられていた。


彼女はカウンターに座ったまま、持参した自分の文庫本を読んでいる。ページをめくる白く細い指先。文字を追って僅かに動く長い睫毛。時折、難しい漢字にぶつかったのか、小さく眉をひそめる表情。

その一挙手一投足が、スローモーションのように蓮の目に焼き付いていく。


(……本当に、真面目だよな)

蓮は内心で呟く。

クラスでの葵は、常に控えめで、決してグループの中心で騒ぐようなタイプではない。だが、掃除当番や委員会など、誰もが見て見ぬふりをするような地味な仕事でも、決して手を抜かずに黙々とこなす姿を、蓮は何度も見てきた。弓道部でも次期エースとして期待されているという噂は、健太から聞かされていた。

何かに真剣に打ち込み、自分の中に確固たる芯を持っている。

それこそが、周りに流されて生きている蓮にとって、葵が眩しく見える最大の理由だった。


「あ、日高くん」

不意に背後から声をかけられ、蓮はビクッと肩を震わせて振り返った。

いつの間にか、葵が本棚のすぐ近くまでやって来ていた。彼女の手には、分厚い美術の図録のような大型本が抱えられている。

「どうかした?」

「ごめんね、作業中に。これ、さっき先生が直接返しに来た本なんだけど、美術の棚だよね? ちょっと高くて届きそうになくて」

葵が困ったように少しだけ眉を下げる。彼女の身長は女子の中では平均的だが、図書室の大型本専用の棚は少し高い位置にあり、背伸びをしなければ届かない作りになっているのだ。


「ああ、貸して。俺がやるよ」

蓮は抱えていた残りの本を近くの机に置き、葵の方へと歩み寄った。

彼女の手から図録を受け取る。その際、二人の指先がほんのわずかに触れ合った。それだけで、蓮の体温が一気に二度ほど上がったような気がした。図録の表紙からは、彼女の指の微かな温もりが伝わってくる。


「7類……美術の棚は、向こうの窓際だな」

蓮は動揺を隠すように早口で言い、葵を先導して窓際の棚へと向かった。

美術関連の大型本が並ぶ一番上の段。蓮は身長百七十センチ台後半で、手を伸ばせば十分に届く高さだった。

本棚の前に立ち、少し背伸びをして図録を棚の隙間に押し込もうとする。だが、他の本がぎっしりと詰まっており、なかなかスムーズに入らない。


「手伝うよ」

葵が隣に並び、蓮が押し込もうとしている図録の横の本を両手で押さえて隙間を作ってくれた。

「わりぃ、助かる」

蓮が少し力を入れて本を押し込むと、図録はスッ、と本来の場所へと収まった。


「ふう、入ったね」

葵がホッとしたように息を吐き、隣で蓮を見上げて微笑んだ。

その距離、わずか数十センチ。

窓からの西日が、二人の顔をオレンジ色に染め上げている。

葵の黒髪から、ふわりと、柑橘系のシャンプーと微かな汗が混ざり合ったような、清潔で甘い香りが漂ってきた。

蓮は心臓が早鐘のように鳴るのを感じた。喉がカラカラに渇いている。

彼女の大きな瞳が、すぐ間近で自分を見つめている。吸い込まれそうなほどに黒く、澄んだ瞳。その奥に、呆けたような自分の顔が映っているのが見えた。


「あ、えっと……ありがとう」

蓮はたまらず視線を外し、一歩後ずさりした。

「ううん。こっちこそ、手伝ってくれてありがとう」

葵は蓮の不自然な態度に気づいたのか気づいていないのか、ニコリと笑って小首を傾げた。


二人の間に、数秒間の沈黙が降りる。

図書室の壁にかかったアナログ時計の秒針が、「チクッ、タクッ」と時を刻む音だけが、やけに大きく聞こえた。

このまま、もう少し気の利いた言葉をかけられれば。

例えば、休日のこと。好きな本のこと。あるいは、ただ「髪が綺麗だね」というような、どうしようもなく陳腐な言葉でもいい。何か一つでも自分から発信できれば、この『図書委員の同じ当番』という薄いガラスの壁を越えられるかもしれないのに。

しかし、事なかれ主義で生きてきた蓮の脳内は完全にフリーズしており、口からは気の抜けた空気の音しか出てこなかった。


「……カウンター、戻ろうか」

結局、絞り出したのはその実務的な一言だけだった。

「うん、そうだね」

葵は小さく頷き、先に立ってカウンターの方へと歩き出した。蓮は自分の情けなさに口の中で舌を噛みながら、彼女の華奢な背中を追いかけた。


配架作業が終わり、再びカウンターの中に二人並んで座る。

パイプ椅子が二つ。その距離は、お互いに腕を伸ばせば届くほどに近いが、それでも決定的な何かが隔てているような、高校生特有のじれったい距離感だった。

放課後の図書室は相変わらず閑散としており、貸し出しに訪れる生徒は数えるほどしかいない。ほとんどの時間は、ただ黙って座っているだけの退屈なものだった。


蓮は鞄から持参した文庫本を取り出し、ページを開いた。海外の古典的なSF小説だ。活字を追ってはいるものの、内容は全く頭に入ってこない。視線の端で、葵が自分の本を読んでいる気配を常に探ってしまうからだ。

葵が読んでいるのは、分厚いハードカバーのミステリー小説だった。有名な国内作家の新刊のようだ。


「……日高くんって、SFが好きなの?」

不意に、静寂を破るように葵の方から話しかけてきた。

蓮は驚いて顔を上げる。葵は本から視線を外し、蓮の読んでいる文庫本の表紙を興味深そうに見ていた。


「え? あ、うん。好きっていうか……親父がこの手のジャンル好きで、実家の本棚にたくさん並んでるから、それを何となく読んでるだけだけど」

「お父さんの影響なんだ。なんだか素敵だね」

「素敵ってほどじゃないよ。親父はちょっと変わり者でさ。休みの日は一人で山にキャンプに行ったり、サバイバルナイフの手入れをしてニヤニヤしてたりするような、アウトドア狂いなんだ」

蓮が苦笑交じりに言うと、葵は目を丸くした。


「サバイバルナイフ? お父さん、そういうのが好きなの?」

「うん。災害に備えるとか言って、実家の床下に大量の保存食とか水とか、テントまで備蓄してるんだぜ。うちは普通の会社員なのに、まるで世界の終わりが来るのを待ってるみたいで、母さんも妹も呆れてるよ」

普段なら自分の家族の話など積極的にしない蓮だが、葵の聞き上手な雰囲気と、図書室の静かな空気が、自然と彼の口を滑らかにしていた。


「ふふっ。でも、いざという時はすごく頼りになりそうなお父さんだね」

葵が小さく笑う。その笑顔を見て、蓮の胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

「頼りになるっていうか……まあ、何かあった時は親父の言う通りにしておけば死なないだろうな、とは思うけど。でも、平和な日本でそんなサバイバル知識が役に立つことなんて、一生ないと思うけどね」

「そうかな。私は、お父さんが家族を守ろうとしてる気持ちが伝わってきて、いいなって思う」

葵はそう言って、少しだけ視線を落とした。

今回の続きは、19:10の投稿になります。お楽しみに!


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。


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これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!

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