第32話:職員室への強行軍【2/2】
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『ギシャァァァァァァッ!!』
『アガァァァァッ!!』
3番手、4番手の感染者たちが、重なった死体の堤防を強引に踏み越え、四つんばいの異様な体勢で蓮たちの足元へと飛びかかってきた!
1人目は、白衣を血で染めた教員の感染者。2人目は、首の骨が不自然な角度で折れ曲がった男子生徒の感染者。
彼らは死体の障害物によって足元を狂わされ、30センチほどの狭い足場で体勢を乱した。その隙を、蓮と葵は見逃さなかった。
「左を刺す! 葵は右だ!」
「了解っ!!」
2本の槍が、交差するようにして同時に突き出された。
『シュッ!』『シュッ!』
『ズドスッ……!!』『ズチャッ!!』
蓮の木柄の槍が教員感染者の顎下を貫き、葵の十字槍が男子生徒感染者の眼窩を正確に射抜いた。
理科室での試行錯誤によって生まれた間合いの優位性。
短剣や包丁単体では届かない距離から、相手の反撃の爪や牙が届く手前で、一方的に致死打を叩き込む。手作りの簡易槍の構造――ホウキの木柄の適度なしなりと、ガムテープとワイヤーで強靭に固定された鋼刃が、狭い階段という最高のキルゾーンで圧倒的な殺傷力を発揮していた。
父がかつて語っていた『間合いを制する者が白兵戦を制する』というサバイバル理論。それが今、この極限の閉鎖空間において、彼らの生存を支える絶対の盾となっていた。
「引き抜いて……押し倒す!」
2人は同時に槍を引き戻し、倒れた2体の巨体を蹴り飛ばした。
死体が階段の段差を転がり落ち、下層で這い上がろうとしていた5番手、6番手の感染者たちの足を直撃する。
『ガラガラガラッ!!』
階段の中踊り場で死体の山が崩れ、追撃の群れの足並みが完全に崩壊した。
「……すげえ……! マジで1人ずつしか登ってこれねえぞ!」
健太が感嘆の声を漏らした。
健太は小林の前に立ちはだかりながら鉄パイプ戦斧を上段に構え、蓮と葵の隙間から滑り出てくる漏れた個体の頭部を叩き潰すバックアップとして完璧に機能していた。
「油断するな!」
蓮は額の汗を拭う間もなく、階段の下層を鋭く注視した。
「1階からの群れが、この金属音に気づいて階段の下からも登ってきている! 挟み撃ちにされる前に、階段の中踊り場から壁際の【ケーブルラック】へ飛び移るぞ!」
蓮の指し示した先。
それは、2階から1階へと折れ曲がる階段の中踊り場の真上――壁面に強固なスチールアンカーでボルト留めされている、幅50センチの鉄製ケーブルラックだった。
ケーブルラックは、1階の天井から数10センチ下を走り、廊下を埋め尽くす数100体の感染者たちの頭上3メートルの高さを通って、目的の職員室の真上へと一直線に伸びていた。
「ケーブルラック……!? あんな高いところを伝って職員室へ行くのか!?」
健太が目を見開いた。
「そうだ。1階の床は数100体の敵で完全に埋まっている。床を歩いて職員室へ突入することは絶対に不可能だ」
蓮の判断は、電光石火だった。
「だが、あのケーブルラックを使えば、敵の頭上を飛び越えて、空中から職員室の真上へアプローチできる! 天井付近なら奴らの手も届かない!」
「でも、小林くんの足が……!」
葵が心配そうに小林を見た。
「健太、お前が小林を背負え!」
蓮は健太の肩を強く叩いた。
「お前の腕力なら、小林を背負ったまま中踊り場の手すりからラックへ跳べる! 俺と葵が階段の上下を牽制して足止めする。真っ先に跳べ!」
「おうっ! 任せとけ!!」
健太は迷うことなく鉄パイプ戦斧を背中のデイパックのストラップへと深く差し込み、両手を自由にした。
「小林、俺の首に両腕をしっかり回せ! 絶対に手を離すんじゃねえぞ!」
「う、うん……! 健太、頼む……!」
小林は健太の背中にしがみつき、両腕を固く組んだ。
蓮と葵が簡易槍と十字槍を構え、階段の上下から押し寄せる感染者の手を薙ぎ払って牽制する中、健太は小林を背負ったまま、中踊り場の錆びついたスチール手すりの上へと土足で飛び乗った。
下を見下ろせば、1階の廊下を埋め尽くす数100体の感染者たちの白濁した目が、真っ黒な津波のようにうごめいている。
1歩でも足を踏み外せば、あの肉の海へと真っ逆さまに転落し、1秒で全身を喰い千切られる。
「落ちるなよ、健太!」
葵が叫ぶ。
「へっ……高所恐怖症じゃなくて良かったぜ!」
健太は膝のバネを極限まで溜め込み、小林の身体を両腕で抱え直した。
「小林、息を止めろ! いくぞッ!!」
健太の強靭な太ももが、錆びたスチール手すりを軋ませながら爆発的な跳躍力を生み出した。2人の体重を合わせた80キロを超える質量が、虚空へと撃ち出される。
『ババッ!!』
浮遊感。足元には、手を伸ばして叫ぶ数100体の感染者たちの頭頂部。空中で身体を前傾させ、両腕をまっすぐ前方へ伸ばす。
『ガシィィィンッ!!』
重い金属接触音が、1階の吹き抜け空間に響き渡った。
健太の両手が、はしご状のケーブルラックの鉄製フレームへとガッチリと掴みかかった。小林の体重と健太の巨体が加わり、ラックがギシシ……ッと悲鳴を上げるような音を立てて大きく揺れたが、壁面に深く打ち込まれていた太いアンカーボルトは千切れることなく、2人の体重をしっかりと支え切った。
「上がった……! 掴んだぞ、日高!!」
健太がラックの上に片足をかけ、背中の小林を庇いながら、狭い金属棚の上へと這い上がった。小林も必死にラックの鉄網にしがみつく。
「よし! 次は葵だ! 飛べ!」
蓮が木柄の槍で、階段の下から這い上がってきた感染者の顔面を突いて後退させながら叫んだ。
「はいっ!!」
葵もためらうことなく、両刃の十字槍を背中のリュックへ深く差し込み、手すりの上へと躍り出た。弓道で培われたブレのない平衡感覚。彼女は眼下の恐怖を完全に意識から遮断し、しなやかな動作でケーブルラックへと跳躍した。
『サッ……ガシッ!!』
葵の華奢な体が、まるで猫のように軽やかにケーブルラックの上に着地した。健太がすかさず彼女の腕を掴んで身体を固定する。
「葵、着地完了!」
「最後だ、日高! 来いっ!!」
健太がラックの上から手を伸ばして叫んだ。
残されたのは、蓮1人。
その時だった。
『ギシャァァァァァァッ!!』
2階の廊下からの追撃群と、1階の階段下から駆け上がってきた群れが、死体の障害物を強引に押し流し、上下から同時に蓮の立つ中踊り場へと雪崩れ込んできた!
上からは3体、下からは4体。爪の割れた血塗られた手が、何本も蓮の制服の裾やエプロンに向かって一斉に伸ばされる!
間合い、わずか50センチ!
(喰われてたまるかぁぁぁっ!!)
蓮の胸の中で、生存への執念が爆発した。
蓮は右手に持った木柄の簡易槍を横に向け、迫り来る上下の感染者たちの顔面へ向かって、柄の全幅を使って一撃の薙ぎ払いを喰らわせた!
『ガゴォォンッ!!』
ホウキの強靭な木柄と、ガムテープで補強されたスチールワイヤーが、先頭の2体の首骨をへし折り、その突進を一瞬だけ足止めした。
その隙に、蓮は槍を抱え込み、中踊り場の手すりを強く蹴りつけた。
宙を舞う身体。足元で、無数の血塗られた手が空しく空をつかみ取るのが見えた。
『ガシィィィンッ!!』
蓮の両手が、ケーブルラックの金属フレームをガッシリと捕らえた。全体重が両肩に乗り、関節が悲鳴を上げるような激痛が走ったが、蓮は歯を食いしばり、懸垂の要領で広背筋を一気に収縮させて、狭いラックの上へと身体を引き揚げた。
足元すれすれの空間を、階段から身を乗り出した感染者の爪が空しくかすめていく。
『バタンッ!!』
4人の身体が、1階の廊下の天井近く――幅50センチの鉄製ケーブルラックの上に集結した。
下を見下ろせば、自分たちが今しがたまで立っていた階段の中踊り場に、無数の感染者たちがなだれ込み、互いを踏みつけ合いながら、天井の蓮たちに向かって手や顔を突き出して凄まじい咆哮を上げていた。
『ギシャァァァァァァッ!!』
『アァァァァァァァッ!!』
だが、彼らの手は、天井から30センチ下を走るケーブルラックには届かなかった。跳躍力を持たない感染者たちにとって、頭上3メートルの高さに位置するこの細い金属の棚は、決して届くことのない拒絶の領域だった。
「……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ッ……!」
蓮は金属棚に伏せたまま、荒い息を吐き出した。全身から吹き出た汗が目に入って沁みる。手袋をはめた手が、激しい疲労と恐怖の余波で小刻みに震えていた。
「助かった……! 全員……無事だな!?」
健太が、背中から小林をそっとラックの上に下ろしながら確認した。
「うん……! 怪我もないよ!」
葵が答える。
「俺も……大丈夫だ。健太、背負ってくれて本当にありがとう……!」
小林が涙ぐみながら健太の腕を掴んだ。
「ああ……問題ない。全員健在だ」
蓮は呼吸を整えながら、前方の暗がりを見据えた。
頭上30センチに迫るコンクリート天井と、足元3メートルで蠢く無数の異形たちの間。
幅わずか50センチの鉄製ケーブルラックの上で、蓮、葵、小林、健太の4人は、息を止め、胸を金属の棚板にぴったりと擦り付けながら、腹這いの姿勢で匍匐前進を開始した。
ギシ……ッ……ギシッ……。
錆と経年劣化の目立つ金属フレームが、4人の体重と装備の重量を受けて、移動するたびに不吉な軋み声を上げた。
その微かな振動と擦過音が響くたび、下の1階廊下を埋め尽くす数100体の感染者たちが一斉に顔を跳ね上げ、白濁した目を天井に向けて『アァァァ……』と血の泡の混ざった呻き声を上げる。爪の折れた指先、皮膚の削げ落ちた腕が、何本も、何10本も、まるで黒いイソギンチャクの触手のように天井へ向かって空しく伸びていた。
「……慌てるな……歩幅を合わせろ……」
先頭を這う蓮は、声の音量を限界まで絞り、後ろの3人に伝えた。
右手に握りしめた『木柄の簡易槍』の柄をラックの金属枠に沿わせて滑らせ、左手と両膝で滑らかな重心移動を繰り返す。左腕の辞書・ラップ防具、首元のガムテープネックガード、そして制服の上から纏った二重のデニムエプロンが、冷たい鉄棚と擦れ合ってカサリと音を立てるが、その衣擦れの音すら蓮は自らの呼吸で抑え込んでいた。
「健太、小林……体重を一点にかけるな。2本のメインフレームに分散させろ」
「お、おう……分かってる……」
最後尾を這う健太の額から、大粒の汗がボタボタと滴り落ち、下の感染者の顔面へと命中した。感染者が『ギシャッ!』と牙を剥き出して虚空を噛み散らかしたが、高さ3メートルの安全圏は破られない。健太は背中のデイパックに詰め込んだ水と食料の重み、そして自らの巨体が原因でラックの中央がグニャリと数センチ沈み込む恐怖に耐えながら、必死に指先を鉄網に引っかけて前進を続けた。
中央を進む小林も、負傷した右足を浮かせるようにして、両腕の筋力と左膝だけで必死に這い進んでいた。
その隣を守る葵も、アルミ柄の十字槍を胸とラックの間に挟み込み、しなやかな動作で蓮の残した膝の跡を正確に辿っていた。
下から突き上がってくる死の臭気――焦げた肉と、腐敗した血液の生臭く爛れた匂いが、熱風の上昇気流に乗って鼻腔を容赦なく刺し、胃液を逆流させそうになる。
もし、この細い鉄の骨組みが1本でも破断すれば、待っているのは生きたまま無数の顎に引き裂かれる断末魔の地獄だ。
小林は痛む右足をかばいながら、激しい恐怖に歯を鳴らしそうになるのを、己の唇を血が滲むほど強く噛み締めて耐えていた。健太もまた、背中のデイパックの重量で肩の筋肉が悲鳴を上げながらも、一歩一歩確実に鉄枠を掴み、小林の足を絶対に下へ落とさないよう後方から見守っていた。
4人は誰1人として目を下へ向けず、ただ前方だけを凝視していた。
1メートル、2メートル、5メートル、10メートル――。
1階廊下の天井に沿って伸びる配線ダクト棚は、まるで暗闇の地に架けられた細いクモの糸だった。
本棟の火災から吹き出してくる猛烈な熱気と黒煙が、天井付近に濃く滞留し、4人の視界を薄赤いモヤで包み込んでいく。息を吸い込むたびに、気管が火で炙られるような激痛が走った。
そして――。
「……見えたぞ。職員室だ」
蓮の極小の囁きに、3人が息を呑んだ。
前方5メートル。
廊下の左側に位置する、重厚な観音開きの木製防音扉。
その扉の上部――高さ2.5メートルの位置に取り付けられていた明かり取りの『欄間ガラス』が、本棟の崩落の衝撃によって木枠ごと粉々に砕け散り、黒い大きな開口部となって口を開けていた。
ケーブルラックは、ちょうどその割れた欄間ガラスの真上、わずか数10センチの距離を通過していたのだ。
4人は、割れた欄間ガラスの直上にあるラックの枠組みの上で静かに停止した。
ついに到達した。
特別棟4階の屋上階段から、数100体の敵がひしめく死の底を飛び越え、目的の『職員室』の目前へと辿り着いたのだ。
「……内部の様子を確認する」
蓮はラックの隙間に身を伏せ、極限まで光量を絞った小型LED懐中電灯の光束を、割れた欄間ガラスの隙間から職員室の内部へとそっと差し入れた。
細い白い光線が、暗闇に沈む職員室の全容を白黒の陰影と共に浮かび上がらせていく。
広さは、通常の教室4部屋分ほどもある広大な空間。
中央には、学年ごとに島を作るように配置された何10台もの教員用スチールデスク。床には、散乱した採点済みのテスト用紙、生徒の提出物、倒れたパソコンモニター、そして書類の山が雪のように降り積もっていた。
そして、部屋の中央の教卓の奥――。
壁際には、全校生徒の個人情報を収めた大型の耐火書庫、印刷機、そして目的の『キーボックス』が設置されているはずのエリアが見えた。
だが、その静まり返った暗闇の奥深く。
教卓の陰、薄暗いスチールデスクの隙間から――。
『……ズズ……ッ……ズルリ……』
乾いた紙を踏みしめ、重い足を引きずる不気味な気配が響いた。
蓮の全身の毛穴が、一瞬にして逆立った。反射的に息を呑み、懐中電灯の光軸をわずかに動かす。
白い光の円錐が捉えたのは、血まみれのデスクの陰から、ゆっくりと身体を立ち上がらせる1つの影だった。
破れたスーツの襟元、胸元に斜めにぶら下がった見覚えのある青いネックストラップの教職員IDカード。そして――昨日まで教室の教卓に立ち、進路に悩む蓮たちに優しく声をかけてくれていた、あの恩師の変わり果てた横顔だった。
白濁した瞳が、懐中電灯の微細な光に反応してギラリと濁った輝きを放つ。
職員室の異変。
屋上のマスターキーを奪還し、全員で生き残るための、最も過酷で悲痛な戦いが、まさに始まろうとしていた。
次の話は、翌日7:10の投稿になります。お楽しみに!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。
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これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!




