第32話:職員室への強行軍【1/2】
おかげさまで、月間ホラー〔文芸〕ランキングにランクインしました!
読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ――ッ!
特別棟と中央本棟を隔てる重厚な防火扉の隙間から、耳を塞ぎたくなるような不快な金切り音が四方に反響し、冷たいコンクリートの床を通じて足裏にビリビリとした微振動を伝えていた。
校内全体に鳴り響く火災報知器の金属音は、配線の焼失によって所々途切れ途切れになりながらも、未だ不気味な高音のノイズとなって夜の校舎を震わせ続けている。
本棟3階および4階の窓からは、黒煙と混ざり合った真っ赤な舌のような火柱が噴き出し、校舎の木製フレームや天井裏の断熱材、配線を容赦なく焼き尽くしていた。時折、ドガーンッ! と建物の躯体が熱でへし折れる重い破砕音が響き渡り、そのたびに割れた大量の窓ガラスの破片が、燃える流星の雨となってグラウンドや中庭のアスファルトへと降り注いでいる。猛烈な熱気と有毒な煙は、換気ダクトや渡り廊下のわずかな隙間を伝って特別棟の内部へも確実に侵入を開始しており、空気中には焦げたプラスチック、化成品の焼ける激しい異臭、そして人体が焼ける生臭く脂じみた臭気が充満し、息を吸い込むたびに喉の奥をチリチリと焼くような激痛を残していた。
特別棟4階の最奥、屋上へと続くスチール製の非常階段。
最上階の屋上扉は、厚さ数センチの重厚な防火鋼板と、直径1センチを超える真鍮製南京錠、そして裏当て補強鋼板によって、ビクともしない絶望の鉄壁となって彼らの行く手を阻んでいた。
だが、蓮、健太、葵、そして右足を負傷した小林の4人の瞳に、もはや絶望の涙はなかった。
「行くぞ!!」
蓮の鋭い号令が、煙の渦巻く階段室を切り裂いた。
4人は【逆三角形】の突進陣形を組み、スチール階段の段差を一気に駆け下り始めた。
階段の上で籠城して煙に巻かれるのではない。
1階の職員室に保管されている本物の『マスターキー』を奪還するため、下層階に密集する敵の包囲網の中へと、自ら逆方向に突進して活路を食い破る――決死の強行軍の幕開けだった。
先頭を切る蓮は、ホウキの木柄の先端に裁ちばさみの鋼刃を固定した『木柄の簡易槍』を水平に構え、階段を下る加速度と全体重のベクトルを穂先へと集中させていた。
その直後、2列目の左翼では、健太が逞しい左腕で小林の腰と脇をガッチリと抱え込み、身体を密着させて前進を力強く補助している。小林もまた、包帯の巻かれた右足の痛みに歯を食いしばりながら、健太の走りを妨げないよう、必死に左足で鉄板を力強く蹴りつけていた。
そして2列目の右翼、後方警戒を担当する葵が、アルミ柄の『両刃の十字槍』を構え、踊り場の死角に全神経を研ぎ澄ませて疾走する。
階段の踊り場に残されていた女性教師や男子生徒の感染者の死体を慎重に飛び越え、4人は一気に4階フロアへと躍り出た。
先ほど葵と健太が仕留めた個体の頭部からは、未だに黒い血液がじわりと鉄板の上へ滲み出していたが、立ち止まって検分している猶予などない。
蓮は木柄の槍の石突で死体の腕を跳ね除け、小林の足が引っかからないよう安全な足場を確保しながら前進を促した。
4階の中央廊下。
そこは、本棟から流れ込んできた黒煙が天井付近に最も濃密に滞留し、視界が白く濁る危険地帯だった。
天井の蛍光灯は熱気で破裂してガラス片が床一面に散乱し、壁のペンキ塗装がベリベリと不気味な音を立てて剥がれ落ちている。
だが、その視界の悪さと息苦しさを突くように、廊下の奥から不気味な影が次々と姿を現した。
『……アァァ……ガァァァァ……ッ!』
『ギシャァァァァッ!!』
先ほど蓮が仕留めたサッカー部感染者の転落音と、階段を駆け下りる4人の足音を聞きつけ、煙のカーテンを突き破って迫ってきたのは、4階の教室に閉じ込められていた生徒たちの感染者だった。
破れた制服、血まみれのワイシャツ。白濁した瞳を爛々と光らせ、爪の折れた手を伸ばしながら、4人の突進を真正面から押し止めようと殺到してくる。その数、およそ5体。
「正面、5体だ! 止まるな、突き抜けるぞ!」
蓮の怒号が飛ぶ。
狭い廊下の幅は、およそ2メートル。
正面からぶつかれば、小林を抱えた健太の足が止まり、乱戦に持ち込まれて包囲される。
蓮は迷うことなく、自作の簡易槍の柄を右脇にしっかりと挟み込み、腰を落として滑らかなすり足で前へ出た。
(引きつけて……最短距離で脳幹を突く……!)
理科室で手探りで作った自作の槍。ホウキの強靭な木柄と、裁ちばさみの分厚い片刃をスチールワイヤーと布ガムテープで何重にも巻き上げた即席の白兵兵器。工業製品のような美しさはないが、敵の牙や爪が届かない絶対の間合いから、確実に急所を貫くための計算が凝縮されていた。
間合い、2メートル。
先頭を走る男子生徒の感染者が、両手を広げて蓮の喉笛へ飛びかかってきた。
『シュッ!』
蓮の右腕が、直線的な軌道を描いて突き出される。
『ズスッ……!!』
裁ちばさみの鋼刃が、男子生徒の喉元の皮膚を切り裂き、顎下の軟骨部から頭蓋底を砕いて脳幹へと深々と達した。
突進の勢いと刺突の力が完璧に衝突し、男子生徒の巨体が空中でピタリと静止する。
「引き抜く……!」
蓮は手応えを感じたほんの0.1秒後、両腕の屈筋を一気に収縮させて槍を手元へ引き戻した。
『ポンッ!』と肉と骨が離れる湿った音が鳴り、鋼刃が抜けると同時に、男子生徒の身体が崩れ落ちる。
直後、横合いの教室のドアの陰から、2体目の女子生徒の感染者が死角を突いて飛び出してきた。
その爪先が、小林を抱える健太の無防備な側頭部へと迫る!
「健太、危ないッ!!」
葵の凛とした叫びが響いた。
葵の放った両刃の十字槍が、電光石火の速度で斜め下から繰り出された。
『ズチャッ!!』
槍の先端に交差固定されたペティナイフの鋼刃が、女子生徒感染者の右の眼窩を正確無比に貫通した。薄い頭骨を砕き、脳幹を破壊する。葵は息をつく間もなく槍の柄をねじり、テコの要領で死体を壁際へと弾き飛ばした。
「サンキュ、葵!!」
健太が叫びながら、足元に倒れ込んできた3体目の感染者の頭部めがけて、右手に持った鉄パイプ戦斧をフルスイングで叩きつける!
『バガァァンッ!!』
凄まじい金属打撃音が廊下に轟き、感染者の頭骨が一撃で粉砕された。
蓮の刺突、葵の精密射撃、そして健太の圧倒的な破壊力。
3人の阿吽の呼吸による連撃が、わずか数秒のうちに4階廊下の敵をことごとく薙ぎ倒し、立ち止まることなく突破口を切り拓いていく。
「中央階段へ飛び込むぞ! 足元に気をつけろ!」
蓮が先頭で血の海を蹴り抜け、特別棟の全フロアを縦に貫く巨大な『中央階段』の吹き抜けへと躍り出た。
中央階段の吹き抜け。
見下ろせば、螺旋を描くコンクリート階段の暗がりを通じて、下層階の凄惨な気配が吹き上がってきていた。
3階の第1視聴覚室の方向からは、未だに重厚な防音扉を激しく叩く無数の体当たり音と、閉じ込められた大群の狂乱の咆哮が、ズズズ……と鈍い地鳴りとなって壁を震わせている。
だが、蓮の【音の罠】によって大半の敵が3階の教室内に封じ込められたおかげで、中央階段そのものは、先ほどのような30体を超える密集状態からは完全に解放されていた。
「階段を一気に駆け下りるぞ! 1段ずつ確実に踏みしめろ!」
蓮の指示のもと、4人は中央階段の段差を駆け下り始めた。
カン、カン、カン、カンッ!
靴底に巻きつけられたポリエチレン製ラップのクッションが、コンクリート階段との衝撃音を極限まで殺している。
健太は小林の体重の半分を自らの逞しい背筋で支えながら、一段飛ばしに近い猛烈なスピードで階段を下りていく。小林もまた、痛む右足の包帯から再び血が滲み始めるのを自覚しながら、脂汗を顎から滴らせて必死に足を前に運んでいた。
「大丈夫だ……! 俺はまだ走れる! 足を引っ張ったりしねえぞ!!」
小林の気迫が、健太の疲弊しかけた筋肉を力強く奮い立たせていた。
3階の踊り場へと到達した瞬間、木製防音扉の向こう側から、ドゴォォォンッ! という激しい地鳴りのような衝撃が伝わってきた。
第1視聴覚室の前に仕掛けた【音の罠】。室内のステンレスバケツの中で鳴り響いていたキッチンタイマーのアラーム音はすでに止まっていたが、一度狂乱して密閉空間に押し込められた30体を超える大群は、未だに暗闇の中で互いを貪り、出口を求めて扉へと狂ったように体当たりを繰り返していたのだ。
扉の周囲には、群れに押し出されて室外に取り残されたと思われる2体の感染者が、血走った目で扉の隙間に爪を立てていた。
だが、彼らの意識は完全に防音扉の奥の狂気へと吸い寄せられており、背後の階段を駆け抜ける蓮たちの気配にすら気づく気配はない。
「刺激するな、素通りするぞ!」
蓮の低い囁きに合わせ、4人はあえて武器を振るうことなく、死角を縫うようにして一瞬でその脇をすり抜け、2階へと続く階段を一気に駆け下りていった。
3階から、2階へ。
2階の中央階段の踊り場に到達した瞬間、急激に空気の温度が跳ね上がった。
本棟と特別棟を繋ぐ渡り廊下のガラス窓が、本棟の猛烈な火災の熱気によってドロドロに歪み、赤黒い炎の照り返しが階段室全体を血のように染め上げていたのだ。
渡り廊下の天井の隙間からは、火の粉を孕んだ濃密な黒煙が滝のように特別棟2階へと吹き込み、視界を著しく奪っている。
そして、眼前と下層の両方から、耳を疑うような地鳴りが響き渡ってきた。
『……ズズズズズズズズズ……ッ!』
『アァァァァァァァッ!!』
2階階段の踊り場から見下ろす1階フロア。
そこは、昇降口のガラス扉を突き破って雪崩れ込んできた、数100体を超える感染者たちの黒い波で埋め尽くされていたのだ。
本棟の崩落と火災から逃れようと、校庭や正門付近を彷徨っていた大群が、開かれた1階フロアへと殺到し、ひしめき合いながら蠢いている。
床を歩いて職員室へ向かうことなど、完全に不可能だった。1歩でも1階の床へ降り立てば、全方位から押し寄せる肉の津波に飲み込まれ、1秒で圧死させられるか骨まで貪り食われるのは明白だった。
だが、絶望はそれだけにとどまらなかった。
『ガシャガシャガシャッ!!』
『ギシャァァァァァァッ!!』
背後――2階廊下の暗がりからも、新たな追撃の足音が迫っていた。
渡り廊下の割れた窓枠を踏み越え、火災の熱に追われて本棟から雪崩れ込んできた10数体におよぶ感染者たちが、血と唾液を吐き散らしながら、この2階中央階段へと濁流のように押し寄せてきていたのだ。
「日高……! 後ろからも追いつかれてきたぞ!」
健太が小林を壁際に庇いながら、鉄パイプ戦斧を両手で引き絞った。
下には数100体の肉の海。
後ろからは10数体の追撃群。
中央階段の中踊り場で、完全に挟み撃ちの形となっていた。
「慌てるな! 隊列を崩すな!」
蓮は木柄の簡易槍のグリップを強く締め直し、2階踊り場の中央で仁王立ちになった。
左腕には、国語辞典と現代文教科書をガムテープで固定し、その上から厚手のポリエチレン製ラップを幾重にも巻きつけた特製の防護アーマー。首元にはタオルとラップ、ガムテープの堅牢なネックガード。制服の上から羽織った二重のデニムエプロンには、これまでの死闘で飛散した返り血が黒い斑点となってべったりとこびりついている。
「後方の追撃群を、この階段の狭小スペースへ誘い込む!」
蓮の瞳は、暗闇の炎の照り返しの中で氷のように鋭く冴え渡っていた。
「1階の広大なフロアで囲まれれば1秒で圧死する。だが、この幅1.5メートルの階段なら、一度に突っ込んで来られるのは1対1だ。理科室で自作した槍のリーチと、階段の段差の高低差を叩き込むぞ!」
「了解!」
葵が、両刃の十字槍を胸元で引き絞り、蓮の左側へと素早く滑り出た。
小林を守るように健太が背後に控え、鉄パイプを上段に構える。
「来るぞ!!」
蓮の叫びと同時に、2階廊下の暗がりから先頭の感染者が踊り場へと飛び出してきた。
破れた制服の胸元から肋骨を覗かせた、運動部員と思われる男子生徒の感染者だった。
彼は白濁した目を狂暴に濡らし、爪の割れた指先を鉤爪のように広げながら、階段の上に立つ蓮たちへ向かって猛然と襲いかかってきた。
間合い、3メートル。
階段のステップに立つ蓮は、腰を限界まで落とし、右足を強く踏み込んだ。
(引きつけて……顎下の一点へ……!)
相手の突進の運動エネルギーと、己の刺突の加速度。2つのベクトルが交差する、完璧なほんの0.1秒。
『シュッ!』
夜の空気を切り裂く、乾いた一閃。
『ズスッ……!!』
生々しく、湿った重い撃突音が階段室に響き渡った。
裁ちばさみの分厚い鋼刃が、2階踊り場から階段へ足を踏み入れた男子生徒の顎下の軟骨部を正確無比に貫通した。舌を切り裂き、頭蓋底を砕いて脳幹へと深々と達する。
「……がっ……!?」
男子生徒の感染者の全身の動きが、嘘のようにピタリと停止した。狂乱していた瞳から一瞬にして光が消え去り、生命のスイッチがプツリと切断されたような感触が、木柄を通じて蓮の両手へと跳ね返ってくる。
「引き抜く……!」
蓮は両腕に力を込め、柄を手元へ強引に引き戻した。
『ポンッ!』
肉と骨が外れる湿った音が鳴り、鋼刃が首元から抜け出ると同時に、黒い血液が階段の壁面へと飛び散る。脳幹を破壊された男子生徒の巨体は、一瞬にして四肢から力を失い、そのままコンクリートの段差をゴロゴロと下へ転がり落ちていった。
『ドドンッ!』
倒れた巨体が、2番手に追従してきた女子生徒感染者の足元へと激しくぶつかり、その体勢を大きく崩させた。
「2体目! 左だ!」
葵の凛とした叫びが飛ぶ。
体勢を崩しながらも、爪を立てて這い上がろうとした女子生徒の感染者に対し、葵が階段の上から斜め下に向けて「両刃の十字槍」を突き繰り出した。
『ズチャッ!!』
両刃の十字形状が、女子生徒の右の眼窩を正確に貫通した。追加されたペティナイフの返しが眼窩の薄い骨を噛み砕き、脳幹を直撃する。
「日高くん、押し下げるよ!」
「おうっ!!」
葵と蓮は2本の槍の柄を滑らせ、倒れた女子生徒の身体を足元から階段の段差へと押し戻した。2体の死体が狭いスチール階段の中踊り場に重なり合い、天然の肉の障害物が完成する。
だが、後方からの追撃の波は止まらなかった。
今回の続きは、19:10の投稿になります。お楽しみに!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。
ぜひ「★評価」と「ブックマーク」で応援してください!
これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!




