第31話:屋上の施錠【3/3】
おかげさまで、月間ホラー〔文芸〕ランキングにランクインしました!
読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!
「第1に、この屋上扉は手持ちの道具では絶対に破壊できない。テコを使えばサバイバルナイフが折れ、叩けば騒音で下層の敵を呼び寄せる。暗証番号の総当たりも不可能だ」
「第2に、本棟の猛煙と一酸化炭素は、上昇気流によって特別棟の最上階――この行き止まりの天井付近に急速に溜まり始めている。換気設備が停止した現在、ここに留まり続ければ、長くてあと20分、短ければ10分足らずで全員が一酸化炭素中毒で昏倒し、呼吸停止で死ぬ」
「第3に、4階の踊り場からは、煙に追われた感染者たちが次々とこの階段を登ってきている。階段の狭さを利用して迎撃できたとしても、死体が足場となって積み重なれば、疲弊した葵と健太の体力は尽き、小林を抱えたまま蹂躙される」
蓮は、3人の目を順番に射抜くように見つめた。
「つまり、この屋上扉の前で籠城を続けるという選択肢の生存率は――『0%』だ。ここに留まることは、受動的に死を待つことと同義なんだ」
蓮の非情なまでの論理の刃が、甘えや現実逃避を完全に切り捨てた。
誰も反論できなかった。蓮の言っていることは、過酷ではあるが、紛れもない物理的な真実だったからだ。
「だが、職員室へ降りて鍵を奪取し、再びここへ戻ってくるという選択肢ならどうだ?」
蓮の声に、熱い覚悟が宿り始めた。
「下層階は危険に満ちている。敵の数も多く、火災の熱気もある。だが、そこには『行動の自由度』がある。3階や2階の廊下の障害物を利用し、理科室で自作した簡易槍のリーチを活かして、狭い階段で敵を各個撃破しながら下りることは可能だ。さらに、3階の第1視聴覚室には大群を閉じ込めたままだから、2階や3階の中央廊下は比較的敵の密度が下がっているはずだ」
「攻めの……撤退……」
葵が息を呑み、呟いた。
「そうだ。父がよく口にしていた。
『袋小路に追い詰められた時、最も愚かで致命的な判断は、その場に留まって奇跡を待つことだ。包囲されたなら、敵の最も警戒が薄い方向へ向かって、自ら包囲網を逆方向に食い破れ。活路は常に、受動的な防御ではなく、能動的な突進の中にある』」
蓮の脳裏に、数々の過酷な野営や冬山訓練を共にした元自衛官の父の姿が鮮烈にフラッシュバックしていた。
自衛隊で培われた危機管理とサバイバル理論。感情を殺し、最悪の盤面から唯一の突破口を見つけ出す思考法。
それは今、蓮自身の血肉となり、絶体絶命の窮地に立たされた仲間たちを導く羅針盤となっていた。
蓮は右手に握りしめた木柄の簡易槍の柄を、ギリッと音が鳴るほど強く締め直した。
「俺たちは、死を待つためにここまで逃げてきたんじゃない。生き残るために、前へ進み続けてきたはずだ。……ならば、答えは1つしかない」
蓮の瞳の奥で、青白い炎のような決断が燃え上がった。
「職員室へ強行軍をかける。マスターキーを奪取し、再びこの屋上扉へと戻り、希望の空をこじ開ける」
蓮の宣言は、暗闇と煙に包まれた階段の踊り場に、強烈な震撼をもたらした。
あまりにも無謀で、あまりにも過酷な決断。
だが、その決断の根底にあるのは、絶望的な状況を冷徹に見据え、0%の死から数パーセントの生存確率を力任せに掴み取ろうとする、サバイバーとしての純粋な闘志だった。
「……ハッ、言ってくれるぜ、日高」
健太が、鉄パイプ戦斧を肩に担ぎ直しながら、不敵な笑みを口元に浮かべた。
その瞳から、先ほどまでの迷いと恐怖は完全に払拭されていた。
「ここで煙に巻かれてネズミみたいに死ぬくらいなら、鉄パイプ振り回して地獄の底までカチコミかける方が、100倍マシだ! お前が前を走るってんなら、俺が後ろの奴らを全部ブッ叩いてやるよ!」
「私も行くわ、日高くん」
葵も、乱れた前髪を額から払い、凛とした瞳で蓮を見つめ返した。
「職員室なら、毎日出席簿を取りに行っていたから、机の配置も鍵の保管棚の位置も正確に覚えているわ。職員室のどこに何があるか、私が案内できる!」
「助かる、葵。お前の知識が必要だ」
蓮は葵に力強く頷きかけた。
そして、壁際に座る小林の元へと腰を落とした。
小林は、涙の乾いた顔を上げ、蓮の目をまっすぐに見つめた。
「日高……俺はどうすればいい? ここで待っていればいいのか……? それとも……」
「お前も一緒に連れていく」
蓮は即座に、迷いなく告げた。
「え……!? 俺も……!?」
小林が目を見開いた。
「そうだ。ここに1人でお前を残すことはできない」
蓮は階段の上を見上げた。
「俺たちが職員室へ降りている間、この踊り場は無防備になる。階段から這い上がってきた敵に囲まれれば、動けないお前は1人で餌食になるし、煙の充満でお前が先に意識を失う。……何より、俺たちが職員室でマスターキーを手に入れて戻ってきた時、お前が死んでいたら、この作戦のすべての意味が失われる」
蓮は小林の両肩に手を置いた。
「過酷な行軍になる。足の傷も痛むだろうし、走ることを強いられる場面もある。だが、小林……お前は死ぬ気で俺たちにしがみついてこい。健太がお前の左側を支え、俺が前を切り拓き、葵が周囲を刺し貫く。4人で1つの塊になって進むんだ」
小林の喉が詰まり、再び熱いものが込み上げてきた。だが、今度の涙は絶望の涙ではなかった。
どんな絶望の淵にあっても自分を決して見捨てず、対等な仲間として命を背負ってくれる友への、魂の震えだった。
中学時代からサッカー部でボールを蹴り合い、将来の夢を語り合ってきた仲間たち。加藤は自分のために命を落とした。その加藤の分まで、自分は生きなければならないのだ。
「日高……! うん……! ありがとう……! 俺、絶対に弱音なんて吐かない! 足がちぎれたって、お前たちの後ろを離れねえよ!!」
「よし。隊列を組むぞ」
蓮は立ち上がり、全員に素早く指示を飛ばした。
「フォーメーションは【逆三角形】の突進陣形だ」
蓮は木柄の簡易槍を両手で構え直した。
「先頭は俺が担当する。階段を下りながら、待ち構えている敵、あるいは登ってくる敵の急所――顎下と眼窩を、槍のリーチを活かして確実に撃ち抜く」
「2列目の左翼は健太、中央は小林だ。健太は小林の左脇を抱え、身体を密着させて前進を補助しろ。もし先頭の俺をすり抜けてきた敵がいたら、健太が鉄パイプ戦斧で頭骨を叩き潰せ」
「2列目の右翼、そして後方警戒は葵だ。両刃の十字槍を構え、踊り場の死角からの飛び出しを牽制し、下層から追撃してくる敵を突き落とせ」
「了解!」
「任せろ!」
「分かったわ!」
3人の声が、短く、力強く重なり合った。
理科室での地獄の脱出、配膳通路の無音暗殺、家庭科室での装備改修、そして視聴覚室での【音の罠】。
幾重もの死線を共に潜り抜けてきたことで、彼らの連携は、言葉を交わさずとも互いの意図を察知できる、研ぎ澄まされた戦闘集団の領域へと達していた。
蓮は全員の装備の最終確認を行った。
首元と足首のラップ・タオル装甲。
制服の上から纏ったデニムエプロンの結び目。
背中の消音パッキングされた水と食料のリュック。
腰に固定された即席シース付きのペティナイフ。
そして、手に握られた手作りの武器。
すべてが、過酷な下層階への突入戦に向けて完璧に整えられていた。
『……ズズズ……ッ! ガリガリガリッ……!!』
階段の下――4階の踊り場から、スチール階段の段差を駆け上がる激しい金属音が、目前へと迫っていた。
間合い、わずか5メートル。
先ほど葵が仕留めた女性教師と男子生徒の死体を乱暴に踏みつけ、新たに這い登ってきたのは、額を激しく割られて顔面を血みどろにしたサッカー部の男子生徒の感染者だった。
そのすぐ背後には、破れたワイシャツ姿の初老の男性教員、そしてジャージ姿の女子生徒の感染者が、血に飢えた肉食獣のように手すりを掴み、体を左右に激しく揺らしながら突進してきている。
その後ろの4階廊下の煙の中からも、複数のうめき声と足音が地鳴りのように続いていた。
「来るぞ……ッ!」
健太が小林の身体をぐっと引き寄せ、鉄パイプを右手に構えて全身の筋肉を硬直させた。
「慌てるな。こちらから仕掛ける」
蓮の声は、極限の緊迫感の中にありながら、恐ろしいほど静かだった。
蓮は腰を深く落とし、ホウキの木柄の先端に裁ちばさみの鋼刃を固定した簡易槍を、直線的に構えた。
父の教えが、脳裏を駆け巡る。
『高低差のある戦闘において、上から下へ攻撃する側は、位置エネルギーと体重のすべてを槍の切っ先に加算できる。相手が登ってくる突進の速度と、こちらが踏み込む加速度を合算させろ。1ミリの躊躇も挟まず、急所へ刃を突き刺せ』
間合い、3メートル。
先頭のサッカー部感染者が、階段の段差を跳躍するようにして、蓮の足元へと飛びかかってきた。
爪の割れた手が、蓮のデニムエプロンの裾を掴もうと宙を裂く。
その瞬間。
「フッ!!」
蓮の右足が、階段の最上段のステップを強く踏みしめた。
下半身のバネ、背筋の伸展、そして前傾した全体重のベクトルが、簡易槍の切っ先へと一気に注ぎ込まれる。
『シュッ!』
空気を切り裂く、鋭利な一閃。
『ズスッ……!!』
裁ちばさみの分厚い刃先が、跳躍してきたサッカー部感染者の開かれた口蓋――喉奥の粘膜を突き破り、頭蓋骨の底部を砕いて脳幹へと深々と突き刺さった。
体重と突進力が完璧に正面衝突した凄まじい衝撃。手袋越しに硬い骨の破砕感がダイレクトに伝わってくる。
「引き抜くっ……!」
蓮は手応えを得たほんの0.1秒後、両腕の力を爆発させて槍を手元へ強引に引き戻した。
『ポンッ!』
肉と骨が離れる湿った破砕音と共に刃先が抜けると同時に、サッカー部感染者の巨体は空中で脱力し、糸の切れた操り人形のように階段の段差へと激突した。
そして、そのまま勢いを殺せずに、下から登ってきた初老の男性教員感染者を巻き込みながら、階段を転がり落ちていく。
『ドガガガッ!!』
「今だ! 突進するぞ!!」
蓮の怒号が、煙の渦巻く階段を切り裂いた。
「健太、小林を連れて俺の背中に続け! 葵、左右の死角を刺せ!」
「おうっ!!」
「了解っ!!」
4人は、一塊の弾丸となって、スチール階段を駆け下り始めた。
階段の上で守るのではない。
下層階に密集する敵の群れの中へと、自ら逆方向に突進し、包囲網を力任せに食い破る【強行突破】の幕開けだった。
蓮が先頭で階段を駆け下りながら、転がり落ちて体勢を崩した男性教員感染者の側頭部へ向けて、槍の石突を力任せに踏みつける。
『グシャッ!』と骨が砕ける感触。
直後、横合いの手すりの隙間から飛び出してきた女子生徒の感染者の顔面へ、葵の十字槍が斜め上から電光石火の刺突を突き刺した。
『ズチャッ!』
葵は息をつく間もなく槍を引き抜き、死体を階段の外側へと蹴り落とす。
「足元に気をつけろ、小林!」
健太が小林の身体を抱え上げ、階段に転がる死体の山を踏み越えていく。小林も痛む右足で鉄板を強く蹴り、健太の走りを妨げないよう、必死に前進の勢いを合わせた。
「大丈夫だ健太! 俺は走れる! 行けぇぇぇッ!!」
階段を駆け下りる4人。
その先に見えるのは、本棟からの猛火によって赤黒く照らし出された、4階の中央廊下。
そして、その先にある、1階の職員室へと続く【中央階段】の深い暗闇だった。
背後に残された屋上の扉は、硬化スチールの南京錠によって冷たく閉ざされたままだ。
だが、彼らはもう絶望の涙を流してはいなかった。
自分たちの手でその扉を開き、生きてあの希望の空へと這い上がるために。
彼らは今、武器を固く握りしめ、地獄の底へと自らの足で飛び込んでいく。
「職員室まで、一気に突き抜けるぞ!!」
蓮の叫びが、燃え盛る校舎の闇を切り裂いて轟いた。
マスターキーを奪還するための、決死の強行軍が、今まさに始まろうとしていた。
次の話は、翌日7:10の投稿になります。お楽しみに!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。
ぜひ「★評価」と「ブックマーク」で応援してください!
これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!




