第30話:屋上の扉【1/3】
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ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ――ッ!
特別棟の壁と天井のコンクリートを通じて伝わってくる火災報知器の金属音は、配線の焼失によってひどく掠れ、不気味な高音のノイズとなって夜の校舎を震わせ続けていた。
3階の第1視聴覚室に仕掛けた【音の罠】――大型ステンレスバケツの中で鳴り響くキッチンタイマーの高周波アラームは、中央階段を塞いでいた30体を超える感染者の大群を見事に引き寄せ、防音扉の向こう側へと完全に封じ込めることに成功していた。だが、安堵の息を漏らす余裕など、彼らには1秒たりとも残されてはいなかった。
中央階段の『肉の堤防』が消失した隙を突き、蓮、健太、葵、そして右足を負傷した小林の4人は、足音を殺しながらコンクリートの段差を駆け上がっていた。
踏み締める錆びついたスチール製の手すり。靴底に巻きつけられたポリエチレン製ラップが、血と煤で汚れたPタイルの上を滑る。
健太が逞しい左腕で小林の腰と脇を力強く抱え上げ、己の体重を預けるようにして一段、また一段と力強く引き上げていく。背中に背負った食料と水のデイパックがずっしりと重いはずなのに、健太の足取りには微塵の躊躇もなかった。小林もまた、右足の裂傷に走る激痛に脂汗を流しながら、奥歯が砕けんばかりに噛み締め、健太の歩調に必死で食らいついていた。
「小林、大丈夫か! 足、踏ん張れるか!?」
健太が荒い息を殺しながら、耳元で低く尋ねる。
「う、うん……! 健太、すまねえ……! 俺、歩ける……絶対に止まらねえからな!」
小林の顔は苦痛で歪んでいたが、その瞳には決して諦めないという強い光が宿っていた。
家庭科室で葵に施してもらった包帯と抗生物質の処置。そして、仲間たちと共に分け合った温かい缶詰と五目ご飯の食事。失われた親友・加藤への想いと、命を繋いでくれた仲間への感謝が、折れかけていた小林の心と肉体に、極限の底力を与えていた。加藤が自分のために命を投げ出したのだ。ここで自分がへばって全員を道連れにするわけにはいかないという執念が、小林の足を前に進めさせていた。
葵が両刃の十字槍を胸元に低く構え、階段の先頭を警戒しながら軽やかなステップで先行する。弓道で培った体幹のブレない重心移動。足首の捻挫を防ぎつつ、段差の角を静かに捉えて上がっていく。そして最後尾には、木柄の簡易槍を逆手に持ち、背後の暗闇に鋭い眼光を光らせる蓮が続いていた。
3階から、4階へ。
4階の踊り場に到達した瞬間、4人の全身を襲ったのは、本棟の3階・4階から吹き出してくる猛烈な熱波と、視界を白く煙らせる濃密な黒煙の波だった。
天井の蛍光灯カバーは熱でドロドロに溶け落ち、壁のペンキ塗装がベリベリと不気味な音を立てて剥がれ落ちている。空気中には焦げたプラスチック、化成品の焼ける激しい異臭、そして人体が焼ける脂じみた臭気が充満し、目と鼻の粘膜を突き刺すように苛んでいた。吸い込む空気そのものが熱を帯びており、喉の奥がカラカラに乾き上がる。
「ッ……ゲホッ……! 煙が……すごい……!」
葵が首元に巻いたラップとタオルの防具の上から、制服の袖口で鼻と口を固く覆い、涙を浮かべて咳き込んだ。
「止まるな! 息を浅く吸え! 一気に上へ抜けるぞ!」
蓮は低い叫びと共に、4階の廊下の影を走り抜けた。
4階の廊下には、熱気と煙を避けて別の場所へ移動したのか、動く感染者たちの影はまばらだった。だが、床には逃げ惑う最中に転倒したと思われる生徒たちの持ち物――引きちぎられた教科書、潰れた弁当箱、割れたスマートフォン、そして乾きかけた黒い血液の斑点がどこまでも伸びている。
4人は4階の廊下の屈曲部を駆け抜け、特別棟の最奥に位置する『屋上へ続くスチール製の非常階段』へと躍り出た。
見上げれば、急勾配の鉄製階段の最上部。
そこには、特別棟の頂点にあり、外へ通じる重厚な鉄製の扉が、静かに彼らを待ち受けていた。
ドアの上の緑色の『非常口』誘導灯が、煙の渦の中でチカチカと明滅している。
「着いた……! 屋上への階段だ!!」
健太が、小林を支えながら歓喜の声を漏らした。
「あそこを抜ければ……外だ! 新鮮な空気と、屋上に出られるぞ!」
「急げ! 階段を一気に登り切るんだ!」
蓮が叫び、小林の右腕を自らの肩に回して、健太とともに両側から小林を抱え上げた。
男子高校生2人の腕力に引き上げられ、小林の身体が軽々とスチール階段の段差を駆け上がっていく。
カン……カン……カン……ッ!
錆びついた金属階段が軋む音が、煙の立ち込める踊り場に響く。
先頭を疾走する葵が階段を駆け上がり、一番上の小さな踊り場へと飛び込んだ。そのすぐ後ろに蓮と健太が小林を抱え上げ、踊り場の壁際へと滑り込ませる。
「小林、ここに背中を預けて座ってろ」
蓮は小林を、踊り場の最も安全なコンクリート壁の隅へと静かに座らせた。
小林は荒い息を吐きながら、脂汗で額を濡らし、壁に頭を預けて力なく微笑んだ。
「すまねえ……日高、健太……。ここまで連れてきてくれて……本当にありがとう……」
「礼を言うのは、屋上の風を吸ってからだ」
蓮は手にした木柄の簡易槍を左脇に抱え込み、目の前にそびえ立つ屋上扉へと向き直った。
屋上の扉。
それは、長年の風雨や台風の猛烈な気圧、そして火災時の延焼に耐えるために設計された、厚さ数センチの重厚なグレーのスチール製防火ドアだった。
表面には無骨なリベットが打ち込まれ、頑丈な金属フレームが周囲のコンクリート壁にガッチリと固定されている。
ドアの隙間からは、外の冷たい夜風がヒューヒューと微かな隙間風の音を立てて漏れ出てきており、本棟の猛火と煙で窒息しかけていた彼らの鼻腔に、僅かな清涼感をもたらしていた。外の夜空の匂い。雨を含んだ土の匂い。
あの扉を押し開けさえすれば、そこには満天の夜空と、新鮮な大気が待っているはずだった。
(これで……この死と炎の檻から、ついに抜け出せる……!)
蓮は胸の中で安堵の息を吐きかけながら、作業用革手袋で覆われた右手を、扉の中央に備え付けられた大型の金属製ラッチバーへと力強く伸ばした。
避難訓練で何度も教わった通り、非常時にはこのバーを体重をかけて押し下げるだけで、上下のロックボルトが外れて扉が開く仕組みになっているはずだった。
蓮は右手に体重を乗せ、ラッチバーをグッと下へと押し下げた。
『ガコンッ……!』
重い金属音が響いた。バーは下までスムーズに下がり、上下のロックボルトがドア枠の受け座から外れる感触が、掌に確かに伝わってきた。
蓮はそのまま、全身の体重をかけて左肩で扉の金属面を強く押し開けようとした。
『ドガッ……!!』
硬い金属同士が激突する重い打撃音が、狭い階段の踊り場に虚しく反響した。
扉は――ミリ単位すら外側へ動かなかった。
「……え?」
葵の瞳が、驚愕に大きく見開かれた。
蓮は眉をひそめ、もう一度ラッチバーが下まで下がり切っていることを確認した。
そして今度は、扉の金属取っ手を両手でがっしりと掴み、全身の背筋と脚力を爆発させて、手前へ、そして外側へと力任せに揺さぶりをかけた。
今回の続きは、13:10の投稿になります。お楽しみに!
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