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残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―  作者: solune
第1部:学園脱出と日常の崩壊

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第28話:屋上への道【2/2】

おかげさまで、月間ホラー〔文芸〕ランキングにランクインしました!

読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!

『ズズズズズズズズズ……ッ!』

『アァァァァ……! ガァァァァァッ!!』


それは、単なる徘徊音などではなかった。何十もの喉笛から漏れ出る血の泡の混ざった呻き声と、何十足もの狂った靴底がコンクリートを乱暴に引っ掻く、凄まじい地鳴りのような反響音。


蓮は中央階段の壁の端に身を潜め、手にした木柄の簡易槍を胸元に引き絞りながら、階段の吹き抜けを慎重に見上げた。

健太と葵も、蓮の肩越しに視線を凝らした。


その瞬間、3人は同時に息を呑み、背筋を凍りつかせた。


「……っ……!? なんだよ……あれ……!」

健太の喉から、掠れた戦慄の呻きが漏れた。


中央階段。

1階から2階への踊り場、そして2階から3階へと続くコンクリートの階段全域に広がっていたのは、まさに地獄絵図そのものの『人間の肉の溜まり場』だった。


階段の段差を隙間なく埋め尽くす、血塗られた制服、引き裂かれたジャージ、作業着、そして白衣の影。

その数、ざっと見積もっても30体から40体以上。

彼らは互いに身体を押し合いへし合い、不自然な角度で折れ曲がった手足を絡ませ合いながら、白濁した瞳を天井へ向け、上の階へ向かって這い登ろうと蠢き続けていたのだ。


なぜ、これほどの密集が中央階段に形成されているのか――蓮の研ぎ澄まされた観察眼は、その冷酷な理由を一瞬で見抜いた。

本棟の火災によって1階と2階の渡り廊下が猛火で焼き尽くされ、昇降口から特別棟へ逃げ込んできた感染者たちが、火災の激しい熱気と煙から本能的に逃れようとして、唯一上層へと繋がっている中央階段へと殺到したのだ。

だが、3階や4階の上層階からも熱気と黒煙が立ち込めているため、彼らは階段の踊り場付近で立ち往生し、熱気と煙の狭間で押し合いながら、巨大な『感染者のダム』となって滞留してしまっていたのである。


「う……うわぁ……ぎっしり詰まってやがる……!」

健太が鉄パイプを握る手に力を込め、脂汗をポタポタと床へ落とした。

「あんなの……正面から突っ込んだら、1秒で肉の波に飲み込まれてミンチにされちまうぞ……!」


「ああ。正面突破は絶対にあり得ない」

蓮は即座に壁の陰へと身体を引き戻し、小声で断言した。


蓮の脳内では、父から叩き込まれた地形戦術の計算が、恐ろしいほどの速度で絶望的な数値を弾き出していた。


「階段という地形は、本来なら登る側――下から駆け上がる側が圧倒的に不利なんだ。重力に逆らって急勾配を上がらなきゃならないし、視界は上の段差に遮られる。もし上から覆いかぶさられるように群れが雪崩れ落ちてきたら、一瞬でバランスを崩して転落する。下で待ち構える奴らに全身を噛み砕かれて終わりだ」

蓮の言葉は、氷のように冷徹だった。

「ましてや、俺たちには右足を負傷した小林がいる。身軽な人間ですら転落死するようなあの急斜面の密集地帯を、小林を抱えた状態で強行突破することなど、天地がひっくり返っても100%不可能だ」


「じゃあ……どうすればいいの、日高くん?」

葵が両刃の十字槍を握り締め、震える瞳で蓮を見つめた。

「あの階段を通らないと、屋上へは絶対に行けないのに……」


「……退却だ。一旦、家庭科室へ戻る」

蓮は一切の躊躇を捨てて指示を出した。

「敵の配置と状況は完全に把握した。この場で立ち止まって悩んでいる時間はない。策を練るぞ」


3人は再び息を殺し、影と同化するようにして1階の暗い廊下を音もなく駆け戻った。


家庭科室のステンレス扉の前に辿り着くと、蓮は扉の枠を指先でリズミカルに叩いた。

『トントン……ト・トン』

事前に決めておいた合図のノック。


直後、扉の奥から微かな擦過音が響き、ステンレス戸がゆっくりと横へ滑った。

丸椅子を抱えた小林が、蒼白な顔で中から3人を迎え入れた。

「日高! 健太、葵さん……! 無事だったんだな……!」


「ああ、全員無傷だ。よく指示通りに待っていてくれたな」

蓮たち3人が素早く滑り込むと、健太が扉を完全に閉め、サムターンをカチリと回転させて再び部屋を密閉した。調理台のバリケードの間に鋳物鍋の楔を戻し、外からの侵入を物理的に遮断する。


「日高……階段の様子はどうだったんだ……?」

小林が、祈るような眼差しで3人の顔を見上げた。


健太が鉄パイプを床に置き、頭を激しく抱え込んだ。

「どうだったも何も……地獄そのものだったぜ。階段の踊り場から上の段まで、化け物が30体……いや、40体以上ぎっしり詰まってやがった。押し合いへし合いの肉の塊だ。あんなの、正面から突っ込んだら一瞬でバラバラに引き裂かれちまう」


健太の生々しい報告に、小林は息を呑み、血の気の引いた顔でうつむいた。

「40体……そんなに……。やっぱり、俺がいるせいで……俺が走れれば、無理にでも突破口を……」


「馬鹿言うな、小林」

健太が小林の肩を強く叩いた。

「さっき日高も言ってたろ! お前が走れたって、あんな数の化け物の壁を正面突破できるわけがねえんだよ! 陸上のオリンピック選手だって1秒で捕まって骨まで食われるレベルだ! お前のせいなんかじゃねえ!」


「そうだ、小林。誰が悪いわけでもない」

蓮は調理台のステンレス天板に手をつき、鋭い視線で思考を巡らせた。

「問題は、どうやってあの30体以上の群れを排除するかだ。……いや、排除する必要すらない。『階段からどかす』だけでいいんだ」


「階段から……どかす……?」

葵が首を傾げ、蓮の横顔を見つめた。


「そうだ。俺たちの目的は、敵の全滅じゃない。全員が無事に階段を駆け上がり、最上階の『屋上扉』に到達することだ」

蓮の脳裏に、父から叩き込まれたサバイバル戦略の基本哲学が鮮やかに蘇っていた。

『敵の戦力と正面からぶつかるな。圧倒的な数と対峙した時は、敵の行動原理を逆手に取れ。敵を動かすための【レバー】を見つけ出すんだ』


「あいつらの行動アルゴリズムを思い出せ」

蓮は人差し指を立て、感染者たちの生態を冷静に分析した。

「理科室や配膳通路で戦って分かった通り、奴らには人間としての知能も、戦術的な思考も一切残っていない。残っているのは、刺激に対して機械的に反応する、捕食者の原始的な反射行動だけだ。そして、その反応の最優先トリガーは『生の血の匂い』と――何よりも『突発的な音』だ」


「音……!」

葵がハッと目を見開いた。


「そうだ。奴らは視覚が白濁してピントが合わない分、聴覚が異常なまでに過敏になっている。廊下を歩く上履きの音、ドアを開ける金属音、そして理科室でガラスを割った時の爆音……すべてに狂乱して群がってきただろ」


「だったらよ!」

健太が身を乗り出し、調理台の上のフライパンを指差した。

「俺がこのフライパンと金属のレードルを持って、階段から離れた教室へ走るぜ! そこで思いっきりガンガン叩いて音を立てりゃ、階段の化け物どもは全部俺の方へ釣られてくるだろ! その隙に、お前たち3人が小林を連れて屋上へ駆け上がれば――」


「却下だ」

蓮は健太の言葉を、冷たく、そして即座に遮った。


「な、なんでだよ日高!? 俺の足なら、音を立ててからでも逃げ切れるかもしれないだろ!」


「逃げ切れるわけがない」

蓮は健太の目をまっすぐに見据えた。

「40体もの大群を相手に、生身の人間が音を立てて囮になれば、四方から逃げ道を塞がれて数秒で包囲される。それに、お前を犠牲にして手に入れた脱出に、何の意味があるんだ? 俺たちは『全員で生きて帰る』と誓い合ったはずだ。誰1人として捨て石にはしない」


蓮の厳しい、しかし仲間への想いに満ちた言葉に、健太はグッと喉を詰まらせ、視線を落とした。

「……すまねえ、日高。俺……焦って、馬鹿なこと言った」


「気持ちは分かる。だが、自己犠牲は最悪の悪手だ」

蓮は首を横に振った。

「必要なのは、生身の人間がその場にいなくても、一定の時間が経過した後に、離れた場所で自動的に甲高い大音量を鳴らし続ける道具だ。……人間が安全な位置へ退避した後に、無人の部屋で鳴り響き、敵を1箇所に釘付けにする【無人の音の罠】。それを作らなければならない」


「一定時間後に……自動で大きな音を鳴らす道具……?」

葵が呟き、家庭科室の薄暗い空間をぐるりと見渡した。

そして、次の瞬間――葵の表情がパッと明るく輝いた。


「……あったわ! 日高くん、あるわよ! この家庭科室に、最高の道具が!」


葵は軽やかな足取りで家庭科準備室の奥へと駆け込み、調理実習用の備品棚の引き出しを勢いよく引き開けた。

そして、両手いっぱいに抱え込むようにして、銀色とプラスチックの小さな物体を調理台の上へと並べた。


「これよ! 調理実習で使う『キッチンタイマー』!」


小型懐中電灯の光の下に転がり出たのは、手のひらサイズの調理用タイマーだった。

しかも、1つや2つではない。準備室の保管箱から引き出されたそれは、全部で6個。

昔ながらの金属製のゼンマイ式ベルタイマーが3個と、大音量アラーム機能がついた電池式のデジタルタイマーが3個。調理実習で各調理台ごとに時間を計測するために配備されていた、学校の備品だった。


「タイマー……! そうか、これなら時間を遅らせて音を鳴らせる!」

健太が両手を打って歓声を上げた。


「素晴らしい着眼点だ、葵」

蓮は銀色のゼンマイ式タイマーを1つ手に取り、その構造と仕様を入念に確かめた。

手のひらに収まる円形の金属製ボディ。中央のダイヤルを回すだけで、電池の残量を気にすることなく、最大60分までの遅延タイマーを設定できる機械式だ。


「この機械式のゼンマイタイマーは、設定した時間が経過すると、内部のスプリングが一気に解放されて、金属製のベルハンマーが外殻を直接叩き続ける構造になっている。……電子音よりも遥かに鋭く、耳を劈くような高周波の『ジリリリリリリ!』という金属ベル音が、10秒から15秒間、連続して鳴り響くはずだ」

蓮はダイヤルを数ミリだけ回し、耳を近づけた。

『チッ、チッ、チッ、チッ……』

ゼンマイが規則正しい小さな機械音を刻み始める。

蓮はすぐにタイマーをタオルの中に深く沈め、音を完全に殺しながら、ダイヤルをゼロの位置へと手動で戻した。


「音量、音質、そして何より『人間がその場にいなくても自動で作動する』という遅延機能……。すべてが、俺たちの求める条件を完璧に満たしている」

蓮の瞳に、勝利への確固たる光が宿った。


「作戦を説明する」

蓮は調理台の上の避難経路図を指差し、4人に具体的な行動計画を提示した。


「現在、中央階段に密集している30体から40体の群れは、火災の熱気に追われて2階と3階の踊り場付近で立ち往生している。……この群れを階段から完全に引き剥がすため、階段から最も離れた教室を利用する」


蓮の指先が、2階の廊下の西側――中央階段を挟んで家庭科室とは真反対の端にある教室を指した。

「2階の西側にある『第1美術室』だ。中央階段から約20メートル以上離れており、廊下の突き当たりに位置している。……俺と健太で、このタイマーのダイヤルを『5分後』にセットし、美術室の教卓の上に設置してくる」


「5分後……!」

葵が息を呑んだ。


「そうだ。5分あれば、タイマーを仕掛けてから家庭科室へ戻り、小林を連れて全員で中央階段の手前の死角まで移動するのにじゅうぶんな時間がある。……そして、5分が経過した瞬間」


蓮は握り拳を作ってみせた。

「無人の第1美術室の中で、このゼンマイタイマーの金属ベルが、火災警報器にも匹敵する爆音で鳴り響く。……音に狂乱した中央階段の感染者たちは、飢えた獣のように一斉に階段を駆け下り、音の発生源である美術室へと雪崩を打って突進していくはずだ」


「階段が……ガラ空きになる……!」

小林が身を乗り出し、震える声で呟いた。


「その通りだ。群れが美術室に群がって扉を突き破ろうと押し合いへし合いをしている間に、俺たち4人は手薄になった中央階段を一気に駆け上がる。……目指すは4階、そして最上階の『屋上扉』だ」


一対多数の不条理な殺戮戦を完全に拒絶し、敵の生態アルゴリズムを逆手に取って、群れを丸ごとチェスの駒のように動かす。

まさに、極限の環境下で生み出された至高の知略――『音の罠』作戦だった。


「すげえ……! 完璧な作戦だぜ、日高!」

健太が興奮で顔を紅潮させ、力強く拳を突き出した。

「これなら、誰1人危険な囮になる必要もねえ! あの忌々しい化け物どもを、遠くの教室へ綺麗におびき出して、その隙に屋上へ直行できる!」


「ああ。だが、この作戦には一切の油断も許されない」

蓮の表情は、どこまでも厳しかった。

「タイマーが鳴り始めてから、群れが美術室に殺到し、異変に気づいて階段へ戻ってくるまでの時間は、長く見積もってもせいぜい2、3分だ。その僅かなタイムリミットの間に、俺たちは4階まで駆け上がり、屋上扉の鍵を突破しなければならない。1秒の躊躇が全員の死に直結する」


「分かってるわ、日高くん」

葵が両刃の十字槍を胸元に抱え、凛とした声で応えた。

「私も、タイマーの準備と設置をサポートするわ。絶対に成功させましょう!」


「日高……健太……葵さん……」

小林が、包帯の巻かれた足をさすりながら、深く頭を下げた。

「俺のために、こんな綿密な作戦を立ててくれて……本当にありがとう。俺、足がちぎれてでも、絶対にみんなの背中についていくからな。絶対に立ち止まらない!」


「おうよ、小林!」

健太が小林の背中を頼もしく叩いた。

「お前がへばったら、俺が背負ってでも屋上まで担ぎ上げてやるから安心しろ! 俺たちのゴールは屋上だ!」


4人の心が、1つの強固な意志によって完全に結びついた。

失われた理科室の悲劇、親友の死、そして炎に包まれる学園。

数々の絶望を乗り越えてきた彼らは、もはや逃げ惑うだけの無力な子供たちではなかった。手作りの武器を握り締め、知恵を絞り、互いの背中を預け合って過酷な運命に立ち向かう、誇り高き生存者たちだった。


蓮は調理台の上に置かれた金属製タイマーを手に取り、その冷たい銀色のボディをポケットへと滑り込ませた。

右手には、裁ちばさみの鋼刃を研ぎ澄ませた木柄の簡易槍。

左腕には、何層もの辞書とラップで固めた防護アーマー。

腰には、即座に抜刀できるシース付きのペティナイフ。

そして背中には、音を完全に消してパッキングされた命の水と食料。


「よし」

蓮は静かに立ち上がり、家庭科室の重厚なステンレス扉へと向き直った。

その漆黒の瞳には、一切の迷いも動揺もなかった。あるのは、仲間全員を生かして屋上へ到達させるという、リーダーとしての絶対的な覚悟だけだった。


「これより、中央階段突破――【音の罠】作戦を開始する」


蓮の引き締まった号令が、薄暗い家庭科室の空気を震わせた。

暗闇の校舎を貫き、地獄の階段を駆け抜けて、希望の空へと続く扉を切り拓く戦いが、今まさに始まろうとしていた。

次の話は、翌日7:10の投稿になります。お楽しみに!


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。


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これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!

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