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残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―  作者: solune
第1部:学園脱出と日常の崩壊

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第23話:容赦なき決断【1/2】

おかげさまで、月間ホラー〔文芸〕ランキングにランクインしました!

読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!

「来るぞ……!!」

蓮の怒号が、遮光シートで密閉された第1理科室の壁をビリビリと震わせた。

「構えろ! そいつはもう加藤じゃない!!」


理科室の冷たい床を覆う、篠原の鮮血の池。

その赤黒い海の中央で、噛みちぎった同級生の首肉を口内に残したまま、変貌した加藤がゆっくりと血塗られた顎を持ち上げていた。

白目部分は毛細血管が完全に破裂してどす黒い赤に染まりきり、極限まで収縮した瞳孔が、獲物を捉えた猛禽のようにギラリと濁った狂気の光を放っている。剥き出しの歯列の間から、血混じりの粘つく唾液が床タイルへボタボタと糸を引いて滴り落ち、生臭い鉄と胃液の入り混じった異臭が、閉ざされた室内の空気を一気に塗り替えていた。


理科室内の空間は、1瞬にして絶対零度の凍結と、灼熱の殺意が激突する修羅場へと化していた。


「加藤……お前……っ、嘘だろ……! 加藤ぉぉぉッ!!」

床に倒れ伏す小林が、右足の裂傷に巻かれた包帯から滲み出る痛血も忘れたように、冷たいコンクリートの上を狂ったように這いずり回りながら絶叫した。

中学時代から苦楽を共にし、高校でも同じサッカー部で泥まみれになってボールを追い続けてきた無二の親友。

放課後のグラウンドで夕暮れの風を浴びながら、互いのシュートのコースを競い合い、部室の狭いベンチでくだらない将来の夢を語り合っていたあの日々。先ほど1階の昇降口でガラスが割れ、感染者が雪崩れ込んできたあの地獄の中で、右足を切り裂かれて動けなくなった自分を見捨てることなく、自分の身体を背負って命がけでここまで引きずり上げてくれた相棒。

その加藤が、今、人ならざる化け物と化し、自分たちを介抱しようと駆け寄ってくれた篠原の首を食い破り、次なる肉を求めて牙を剥いている。

あまりにも理不尽で残酷すぎる現実に、小林の精神は限界を超えて軋み、砕け散ろうとしていた。


「加藤……やめろ……やめてくれよ……ッ! なんで……なんでこんなことになっちまうんだよぉッ!!」

健太の叫びが、悲痛な震えを帯びて暗闇に響いた。

両手で鉄パイプを上段に構えながらも、健太の膝はガタガタと激しく震え、その足は床に縫い付けられたかのように1歩も前へ出せない。

体育の授業でいつもふざけ合い、テストの前には「日高のノートを見せてくれ」と2人で頭を下げ合い、ファミレスのドリンクバーで夜遅くまで笑い転げていた同じクラスの同級生。さっきまで「俺の筋肉なら任せとけ」と胸を叩き合っていたはずの仲間。

その顔に向かって、骨を粉々に砕く渾身の鉄パイプを振り下ろすことなど、健太の情に厚い心がどうしても拒絶していた。手にした鉄パイプの冷たさが、自らの無力さと恐怖を嘲笑うかのように、健太の骨の髄まで染み渡っていく。


「健太、退がれ! 武器を下ろすな!」

蓮は叫びながら、木柄の簡易槍の切っ先を加藤の喉元へと鋭く向けた。

左腕に固めた国語辞典と教科書の防具を胸元に引きつけ、腰を低く落とす。心臓が早鐘のように早打ちし、握りしめた木柄のグリップに、作業用革手袋越しにじっとりと冷たい汗が染み込んでいく。


逃げ場はない。

スライド扉の前には、人造大理石の重い実験台と教卓が隙間なく積まれ、床には木製丸椅子の楔が何本も力任せに打ち込まれている。自分たちが外からの侵入を防ぐために心血を注いで築き上げた「絶対の安全地帯」が、今や自分たち自身を閉じ込める「逃げ場のない屠殺場」へと完全に反転していた。

背後の準備室の扉は施錠されており、窓はすべて分厚い遮光シートとカーテンで塞がれている。この理科室というわずか数10平方メートルの密室の中で、怪物を無力化しない限り、ここにいる全員が確実に肉片へと変わり果てるのだ。


『グルルルルル……ッ!!』

加藤の喉の奥から、人間の声帯を完全に破砕した野獣の威嚇音が漏れ出した。

カチ、カチ、と歯列が異常な速度で打ち鳴らされる。

加藤の身体が、床に手足をつけた獣のような低い前傾姿勢をとった。制服のシャツが内側から膨れ上がった筋肉の圧力によってパツパツに張り詰め、首筋の太い血管が黒紫色のミミズのように脈打っている。

その骨格が、ビキビキと不気味な軋み音を立てて歪み、全身の筋肉が尋常ではない緊張によって鋼のように隆起していた。人間としての痛覚を失い、脳の防衛リミッターがすべて焼き切れた狂気の肉体。もはや人間の運動能力の枠組みなど、微塵も通用しない。


そして――。


『ギシャァァァァァァッ!!』

耳をつんざく凶暴な咆哮とともに、加藤の身体が弾けた。

床タイルを蹴り破らんばかりの凄まじい脚力。重力を無視したような爆発的な低空跳躍で、加藤は倒れ伏す篠原の身体を踏み台にし、真っ直ぐに蓮の喉元へ向かって躍りかかってきた!


間合い、わずか3メートル!

暗闇を切り裂くように迫る、血塗られた牙と、鉤爪のように歪んだ両手の指先。

空気を引き裂く風切り音とともに、飛び散った血の飛沫が蓮の頬を冷たく濡らした。


(来る……!)

蓮は槍の切っ先を構え、反射的に前へ突き出そうとした。

しかし、加藤の速度は蓮の想定を遥かに上回っていた。壊れたバネのように跳躍した加藤は、突き出された槍の切っ先を紙一重でかわし、そのまま蓮の胸元へと突っ込んできたのだ。


「ぐっ……!?」

蓮は咄嗟に左腕の防護アーマーを跳ね上げ、顔面と喉笛を庇った。

『ガギィィィッ!!』

すさまじい衝撃が左腕を襲った。

加藤の両爪が、ガムテープと厚い辞書で固めた防具へ深々と突き刺さり、怪力によって数10枚もの紙がメリメリと引き裂かれる。もしこの防具がなければ、蓮の左腕の肉は骨ごとそぎ落とされていたに違いなかった。


加藤の凶暴な顔面が、蓮の鼻先数センチの至近距離まで迫る。

剥き出しの歯列から放たれる、腐肉と血の混ざった耐え難い悪臭。血走った眼球が、眼前の蓮を捕食対象として見据え、顎がガチガチと激しく打ち鳴らされる。

「離れろッ!!」

蓮は歯を食いしばり、左腕を力任せに振り抜いて加藤の身体を押し返した。

加藤は猫のような身のこなしで実験台の上へと着地し、爪を人造大理石の天板に立てて耳障りな金属音を響かせながら、再び低く身構えた。


理科室の中央、実験台を挟んで対峙する蓮と加藤。

小型LEDライトの微弱な光が、血塗られた怪物の輪郭を不気味に浮かび上がらせていた。


「う……あぁぁ……」

加藤の喉から、再び苦悶に満ちたような、あるいは肉を渇望するような異様な唸り声が漏れる。

その姿を見つめる蓮の胸の奥で、激しい葛藤と冷徹なサバイバル本能が、激しく火花を散らして衝突していた。


(突かなければ……殺される。こいつを殺さなければ、全員が全滅する……!)

蓮の冷徹なサバイバル脳が、頭蓋の内側で警鐘を激しく乱打していた。

右手に握りしめた簡易槍の柄を握る革手袋の中で、手のひらが滝のような汗で滑っている。


だが、その刹那。

蓮の脳裏に、激しい奔流となって過去の記憶が逆流した。


事なかれ主義で、いつだって面倒なことや責任からは1番遠い場所へ逃げ込んでいた自分。

誰かと深く関われば、それだけ摩擦が起きる。感情がぶつかり、傷つき、傷つけられる。だからこそ蓮は、クラスの平均点の中に自らの輪郭を隠し、誰の目にも留まらないように、無難な「背景の一部」として生きてきたはずだった。

そんな孤立を好んでいた自分に対しても、加藤はいつも気さくに、何の打算もなく声をかけてくる男だった。


――『おい日高ぁ! その購買の焼きそばパン、最後の1個だったろ! 半分……いや、せめて1口くれよー!』

放課後の夕暮れ、オレンジ色の斜光が差し込む教室。ジュースを片手に、パンを狙って無邪気に笑っていた加藤の眩しい笑顔。

――『日高ってさ、いつも1人で窓の外見てボーッとしてるけど、話すと案外面白いよな。次のサッカーの試合、暇なら見に来いよ。俺のスーパーミドルシュート見せてやるからさ!』

――『卒業したらさ、みんなで海行こうぜ! 免許取って、誰かの親の車借りてさ! 朝まで騒ごうぜ!』


くだらない冗談。他愛のない約束。

昨日まで当たり前にそこにあった、退屈で、平凡で、それでも何物にも代えがたく優しかった日常の残照。

誰とも深く関わろうとしなかった蓮の心の壁を、土足で、けれど悪気のない笑顔でノックしてくれた同級生。

先週の昼休み、数学の課題を写させてくれと頼み込んできて、お礼に缶コーヒーを押し付けてきたあの少年。

目の前で血反吐を撒き散らし、人造大理石の実験台の上で爪を立てているこの怪物は、間違いなく、数時間前まで自分たちと共に生きて家に帰ろうと願い、親友の小林を命がけで背負ってきた加藤その人なのだ。


(突けない……!)

蓮の指先から、ほんの1瞬、力が抜けた。

簡易槍の切っ先が、迷いによってわずかに数センチ下へと泳ぐ。


人を殺める。それも、昨日まで同じ教室で机を並べていた友人を、自らの手で刺し殺す。

その行為がもたらす取り返しのつかない罪の重圧が、冷たい泥水のように蓮の全身の血管を満たしていった。

事なかれ主義で生きてきた過去の自分が、この極限の土壇場において、凶悪なブレーキとなって蓮の全身を縛りつける。

他人の命を奪う覚悟なんて、自分にあったのか?

リーダーぶって指図してきたが、結局のところ、自分は安全な場所から指示を出していただけの卑怯者ではないのか?


その、ほんの1瞬の躊躇。

戦場において、迷いは即座に死へと直結する。


『ギシャァァッ!!』

蓮の切っ先が下がったその刹那を、怪物の本能は見逃さなかった。

実験台を蹴り飛ばした加藤の身体が、低空を滑るように宙を舞った。

爪の割れた指先が鉤爪のように広げられ、迷いに囚われて硬直した蓮の無防備な喉笛へ、一直線に肉薄する!


間合い、わずか1メートル!

飛び散る血飛沫の向こうに、収縮した加藤の瞳孔と、真っ赤に染まった白目が網膜を焼き尽くすように迫る。

避ける間合いも、槍を繰り出す時間もない。

(死ぬ――!)

蓮の脳裏が、真っ白な絶望で塗りつぶされかけた。


「日高くんッ!!」

その時、暗闇を切り裂いて響いたのは、葵の悲痛な絶叫だった。


『ガァァァンッ!!』

横合いから閃光のように突き出されたアルミ柄の簡易槍が、宙を飛ぶ加藤の胸元を側面から強烈に殴打した。

弓道部で培われた、寸分の狂いもない体幹の安定と重心移動。足裏全体で床を捉え、腰の回転をアルミシャフトの打撃力へと完全に変換する、葵の決死の1撃。それが、蓮の喉笛を引き裂くはずだった加藤の突進軌道を、力任せに真横へと弾き飛ばしたのだ。


『ドガァァッ!! ガシャアアンッ!!』

体勢を崩した加藤の身体が、中央の実験台の側面に激しく激突した。

棚の上に並んでいたビーカーやフラスコ、試験管立てが派手な音を立てて床へ落下し、粉々に砕け散ったガラス片が暗闇の中に飛び散る。

加藤は床へと転がり落ち、砕けたガラスの上に背中を打ち付けながらも、痛みを感じない肉体で即座に身を捩じった。


葵の呼吸は激しく乱れ、両手で握りしめたアルミ槍の柄がカタカタと音を立てて震えていた。

その瞳には大粒の涙が溢れ、制服のブラウスの胸元が激しい呼気で上下している。だが、彼女は恐怖に屈してへたり込むことなく、必死に蓮を見据え、喉が千切れんばかりに叫んだ。


「日高くん! しっかりして!!」

少女の魂を絞り出すような叫びが、閉ざされた理科室のコンクリート壁にビリビリと反響した。

「私を守ってくれるって言ったじゃない! 日高くんが倒れたら……私たち、みんな死んじゃうよ! 日高くんを……死なせたくないよぉッ!!」


葵の泣き叫ぶ声が、蓮の凍りついていた精神に、強烈な雷霆となって突き刺さった。


(何を……迷っているんだ、俺は……!)

蓮の胸の奥で、生ぬるい迷いと躊躇が、1瞬にして灼熱の炎となって蒸発した。


そうだ。何を甘えたことを考えていたのか。

事なかれ主義の自分。責任から逃げ回り、他人の人生に踏み込むことを恐れ、傷つくことも傷つけることも避けて、無難な平均点の中に隠れていたかつての自分――そんなものは、あの平和な日常の崩壊とともに、とうの昔に死に絶えたはずではなかったのか。


目の前にいる存在は、もはや放課後にくだらない冗談を言い合い、サッカーの練習に汗を流していた加藤ではない。

人間としての理性も、心も、記憶もすべてウイルスに焼き尽くされ、友の首肉を貪り喰らい、今また生きている仲間たちの命をすべて引き裂こうとする、理不尽な死の具現者そのものだ。


ここで自分が情に流され、手をこまねいていれば、何が起きるか。

すぐ横で立ちすくむ健太が喉笛を噛み破られる。

震える身体で自分を庇ってくれた葵が、冷たい床の上で肉を削ぎ落とされる。

床を這う小林が、動けない足のまま生きたまま貪り食われる。

そして自分自身も、あの血塗られた異様な怪物へと成り果て、やがて自宅で自分の帰りを信じて待っている母と妹の結衣の元へ、死の牙を運ぶことになるのだ。


守るべきなのは、すでに失われてしまった過去の残骸ではない。

今、この暗闇の中で自分を信じ、背中を預けてくれている、かけがえのない生きた仲間たちの命だ。


父の言葉が、脳裏で冷徹な鉄槌となって鳴り響いた。

元自衛官として幾多の過酷な任務をくぐり抜けてきた父。幼い頃、山や川の過酷な自然の中で叩き込まれた、サバイバルの厳格な教え。

――『蓮、非常事態において、最も恐ろしいのは敵の強さじゃない。自分自身の甘えだ』

――『情と生存は両立しない。目の前の現実を直視せず、希望的観測で判断を濁らせるリーダーは、敵よりも先に仲間を殺す』

――『誰かが手を血で染め、誰かが地獄の泥を被らなければ、誰も生き残ることはできないんだ』


その言葉の真意が、今、氷のような冷徹さをもって蓮の全身の神経へと染み渡っていく。

覚悟を決めろ。

手を血に染めることを恐れるな。同級生を手にかけたという地獄の業火なら、自分がこの身に背負えばいい。

仲間の命を背負って立つと決めた以上、その責任から逃げることは、絶対に許されない。

今回の続きは、19:10の投稿になります。お楽しみに!


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。


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これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!

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