第2話:噂の流星群【1/3】
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現代社会において、情報は水や空気と同じように、意識されることもなく人々の間を絶え間なく流れ続けている。
手のひらに収まる小さなガラスの板――スマートフォンを通じて、地球の裏側で起きた出来事から見知らぬ誰かの昼ご飯まで、あらゆる情報が等価に扱われ、濁流のようにタイムラインを通り過ぎていく。
高校二年生の蓮もまた、その濁流の中に身を置く無数の若者の一人だった。
事なかれ主義で目立つことを好まず、ただ波風を立てずに平穏な毎日をやり過ごす。そんな彼にとって、夜寝る前にベッドでSNSをあてもなくスクロールし続ける時間は、一日の終わりに訪れる儀式のようなものだった。
九月の上旬。まだ寝苦しい熱気が部屋にこもっていた、ある深夜のことだ。
部屋の明かりを消し、ベッドに仰向けになった蓮は、スマートフォンの放つ青白い光に顔を照らされながら、無意識に指を動かしていた。
画面を下から上へスワイプするたび、新しい短い動画が次々と再生されては消えていく。
流行りのダンスを踊る同世代のインフルエンサー。大食いチャレンジに挑むユーチューバー。丸まって眠る子猫の癒やし動画。どこかの国の美しい絶景。
それらはすべて、数秒から数十秒で消費されるインスタントな娯楽だった。蓮の脳はそれらの情報を深く処理することなく、ただ網膜の上を滑らせているだけだった。
『スワイプ』
画面が切り替わる。
『スワイプ』
また次の動画へ。
『スワイプ』
――ふと、蓮の指が止まった。
画面に映し出されたのは、それまで流れていたような明るくポップな動画とは明らかに異質で、不鮮明な暗い映像だった。
画質は粗く、カメラは激しく上下に揺れている。撮影者が走りながらスマートフォンを構えているのか、あるいは極度の恐怖で手が震えているかのようだった。
動画から流れてくる音声は、撮影者の荒い息遣いと、「ハァ、ハァ……嘘だろ……」という呟きのみ。BGMはない。ただ、深夜の静寂に響く足音と、遠くで聞こえる街の喧騒だけが生々しく記録されていた。
場所はどこかの繁華街の裏路地だろうか。ネオンサインの光が届かない、薄暗いアスファルトの道。画面の奥、ゴミ捨て場の影に、二つの人影がうずくまっていた。
一つは仰向けに倒れている。もう一つは、その上に馬乗りになっていた。
(……なんだこれ。喧嘩か?)
蓮は眉をひそめ、画面に顔を近づけた。
馬乗りになっている人物は、倒れている人物の首元に顔を埋め、何かを夢中で引きちぎるような動作を繰り返している。
『グチャッ……クチャ……』
スマートフォンの小さなスピーカーから、ひどく生々しい、水気を帯びた破裂音が漏れ聞こえてきた。それはまるで、肉屋の店先で生の肉を無理やり引き裂いているかのような、耳を塞ぎたくなる不快な音だった。
「おい……マジかよ」
撮影者の声が震える。
その声に反応したのか、馬乗りになっていた人物がゆっくりと顔を上げた。
街灯の乏しい光と、スマートフォンのフラッシュライトが、その顔をぼんやりと照らし出す。
蓮の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。
振り返った男の顔は、口元から首にかけて、べったりと赤黒い液体で汚れていた。目は見開かれ、白目が異常に血走っている。焦点の合わない、人間としての知性や感情が完全に欠落した『獣』の瞳。
その男の口には、何か赤黒い肉片のようなものが咥えられていた。
『ヒッ……!』
撮影者が息を呑む音。
次の瞬間、血まみれの男は四つん這いのまま、人間離れした凄まじいスピードでカメラに向かって突進してきた。
『ギャアアアアアアッ!!』
カメラが大きくブレてアスファルトの地面が映り、画面が激しく乱れた直後、動画は唐突に終わった。
再生時間は、わずか十五秒足らず。
蓮は息を止めたまま、画面を見つめていた。部屋のエアコンのモーター音が、やけに大きく聞こえる。
(……今の、フェイク動画だよな? 映画の宣伝か何かか?)
頭ではそう理解しようとしているのに、背筋には氷を当てられたような悪寒が走っていた。
あの男の瞳。レンズ越しに一瞬だけ目が合ったような錯覚。それは特殊メイクやCGで作られたホラー映画のモンスターよりも、はるかに生々しく、本能的な恐怖を煽っていた。
蓮は乾いた唇を舐め、コメント欄を開いた。
『なにこれガチ?』
『グロ注意つけろよ!』
『特殊メイクすげーな。新作ゾンビ映画のバイラルマーケティング?』
『これ、〇〇駅の裏路地じゃない? うちの近所なんだけど……』
『作り物に決まってんだろwww釣られすぎwww』
コメント欄には、驚愕、嫌悪、そして圧倒的な数の「作り物だ」と嘲笑する声が入り乱れていた。誰もがこの映像を、安全な場所から消費するエンターテインメントの一つとして処理しようとしていた。
蓮もまた、「作り物だ」という多数派の意見に安堵を覚えようとした。そうだ、こんなことが現実にあるわけがない。現代の日本で、人が人を食い殺すなどという猟奇的な事件が起きれば、瞬く間に全国ニュースになっているはずだ。
蓮が指で画面を下へ引っ張り、更新をかけた。
クルクルと読み込みのアイコンが回り――。
『この投稿は削除されました』
という無機質なシステムメッセージが画面の中央に表示された。
「え……?」
蓮は眉をひそめ、もう一度更新ボタンを押す。しかし、結果は同じだった。動画は見られなくなっただけでなく、コメント欄も消え去り、先ほどまで何万回も再生されていた形跡が、まるで最初から存在しなかったかのように拭い去られていたのだ。
気になって動画を投稿していたアカウントのプロフィールに飛んでみるが、『ユーザーが見つかりません』という冷たいエラー画面が表示されるだけだった。
「……消された? 運営に?」
あまりにも早すぎる対応だった。SNSの運営が不適切なコンテンツを削除することは珍しくないが、数十万のアクセスが集まり、コメントが秒単位で更新されていた動画が、アカウントごと跡形もなく消滅させられるスピードには、どこか薄気味悪い不自然さが漂っていた。
まるで、誰かが強力な力で『事実』を隠蔽しようとしているかのように。
(……考えすぎだ。ただの悪趣味なフェイク動画が、規約違反で消されただけだ)
蓮は無理やり自分を納得させ、スマートフォンの電源を落としてナイトテーブルに裏返して置いた。
目を閉じる。
しかし、瞼の裏には、あの血塗れの男の焦点の合わない瞳と、肉を咀嚼する『グチャッ』という不快な音が、何度も何度もフラッシュバックして離れなかった。
結局その夜、蓮が浅い眠りにつけたのは、空がうっすらと白み始めた頃だった。
今回の続きは、13:10の投稿になります。お楽しみに!
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