↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―  作者: solune
プロローグ:日常の終わり

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/84

第1話:変哲のない朝【3/3】

その日の午前中は、どこか浮き足立ったような、奇妙なざわめきが校内を包んでいた。

授業中も、窓の外から遠くのサイレンの音がひっきりなしに聞こえてくる。普段なら一日に数回しか聞こえない救急車やパトカーの音が、まるで街中の緊急車両が総出で走り回っているかのように途切れることがなかった。


三限目の終わり、トイレに立った蓮は、廊下で他のクラスの生徒たちが深刻そうな顔でヒソヒソと話しているのを耳にした。

「おい、隣の中学、さっきいきなり下校措置になったらしいぞ」

「マジ? なんか感染症が流行ってるとかいう噂だろ」

「違うよ、駅前で通り魔が出たって。何人も刺されてるらしい」

情報が錯綜し、噂が噂を呼んで不安が伝染していく。

蓮は手を洗いながら、鏡に映る自分の顔を見た。血の気が引いている。事なかれ主義の自分でも、今の状況が『いつも通り』ではないことくらいは肌で感じていた。


教室に戻ると、次の移動への準備が進められていた。

「四限目、図書室で調べ学習だぞ。早く行こうぜ」

健太がノートを丸めて肩を叩いてくる。

「ああ、そうだったな」

蓮は筆記用具だけを持ち、健太と共に図書室へと向かった。


図書室は特別棟の三階にあり、重厚な木の扉と本特有の紙の匂いが満ちている。エアコンが強めに効いており、少し肌寒いくらいだった。

各班に分かれて調べ物をする中、蓮はたまたま水島葵と同じテーブルになった。

「日高くん、この資料、探してたやつだよね」

葵が、蓮が探していた歴史の文献を差し出してくれた。

「あ、ありがとう」

普段なら緊張して気の利いた返事もできない蓮だが、今日はなぜか素直に言葉が出た。窓の外から絶え間なく聞こえるサイレンの音が、変に神経を逆撫でして、日常の気恥ずかしさを麻痺させていたのかもしれない。

「……すごい音だね。朝からずっと」

葵が窓の外に目をやりながら、ぽつりと呟いた。彼女の横顔には、朝の弓道場で見せた凛々しさとは違う、等身大の女子高生らしい不安の影が落ちていた。

「うん。なんか駅前で事件があったとか、変な噂が出回ってる」

「私もさっき、お母さんからLINEが来たの。『街の様子がおかしいから、学校が終わったら真っ直ぐ帰りなさい』って。お父さんの会社も、お昼で急に全員帰宅命令が出たらしいの」

「帰宅命令? 大企業が? よっぽどのことだな」

蓮の言葉に、葵は不安げに頷いた。

「うん。私、なんだかすごく怖い。こんなこと初めてだから……」

彼女がわずかに肩をすくめたのを見て、蓮の胸の奥で何かが静かに熱を帯びた。「守らなければ」という、高校生の分際で抱くには不釣り合いなほどの、漠然とした、しかし強烈な使命感のようなものだった。

「大丈夫だよ。ここは学校だし、何かあっても先生たちがいる。俺も……俺たちもいるから」

ガラにもないことを言ってしまったと後悔したが、葵は驚いたように蓮を見つめた後、ふっと少しだけ表情を和らげた。

「ありがとう。日高くんって、意外と頼もしいんだね」

その言葉に、蓮は顔が火照るのを感じて視線を本に落とした。


直後。

蓮のズボンのポケットで、スマートフォンが短く震えた。

授業中のマナーモードだが、バイブレーションのリズムは電話の着信だった。画面を隠すように取り出して確認すると、発信者には『父さん』と表示されている。

(親父? 平日の昼間に電話なんて……)

仕事中のはずの父から電話がかかってくるなど、今まで一度もなかったことだ。胸のざわめきが急速に大きくなる。

蓮は葵に「ごめん、ちょっとトイレ」と小声で告げ、図書室を抜け出して誰もいない階段の踊り場へと向かった。


周囲に教師がいないことを確認し、通話ボタンを押して耳に当てる。

「もしもし、親父? 授業中なんだけど」

『蓮か! 繋がったか!』

電話の向こうから聞こえてきた父・哲也の声は、いつも冷静な彼からは想像もつかないほど切羽詰まっており、背後からは何かが割れるような激しい騒音と、誰かの悲鳴が入り混じって聞こえていた。

「親父? どうしたんだよ。後ろ、すごい音だけど」

『いいか、落ち着いて聞け。今すぐ恵子と結衣に連絡を取れ。そして、家に置いてある【非常用持ち出し袋】と、俺の部屋のクローゼットの奥にある【キャンプ用の鉈(なた)】を出しておけと言え』

「は? 非常用持ち出し袋? 鉈って……何言ってんだよ」

『いいから言う通りにしろ!』

怒鳴り声に近い父の剣幕に、蓮は言葉を失った。

『蓮。世の中が、狂い始めてる。テレビやネットで言っている暴動や感染症の噂は、全部事実だ。それも、お前が想像している何百倍も最悪な事態になっている。俺のいるこの街は……もうダメだ。警察も自衛隊も、機能してない』

電話の向こうで、ガラスが派手に砕け散る音がし、哲也が「クソッ、ここまで来たか」と毒づく声が聞こえた。

「親父、お前、今どこにいるんだよ! 大丈夫なのか!?」

『俺のことは気にするな。会社からなんとか車で脱出する。蓮、お前は男だ。何があっても母さんと結衣を守れ。絶対に、俺が帰るまで死ぬな』

「待てよ! 何が起きてるんだって!」

『ヤツらには、話は通じない。躊躇するな。頭を狙え。いいな、蓮――』

ブツッ。

無機質な電子音と共に、通話は強制的に切断された。


「親父……? おい、親父!」

何度かけ直しても、『電波の届かない場所にいるか、電源が――』という冷たいアナウンスが流れるだけだった。

蓮はスマートフォンを握りしめたまま、階段の踊り場で立ち尽くした。背中を冷や汗が伝い落ちる。「ヤツらには話が通じない」「頭を狙え」「死ぬな」。父の言葉の断片が、現実離れしたパズルのピースのように頭の中で渦巻いている。

(親父は、冗談を言うような性格じゃない。本当に、何かが起きている……)

震える指で、急いで母の恵子にLINEのメッセージを送る。

『お母さん、父さんから電話があった。街の様子がおかしいから、家の戸締まりをしっかりして外に出ないで。非常用のリュック出しておいて。すぐ帰るから』

しかし、メッセージの横に「既読」の文字はいつまで経ってもつかなかった。通信障害が始まりつつあるのか、それとも母がスマートフォンを見ていないだけなのか。嫌な予感が蓮の全身を駆け巡る。


その時。

校内放送のスピーカーが、『ジジッ……ピーーー!』という不快なハウリング音を立ててオンになった。

『あー、あー。全校生徒、ならびに教職員に連絡します』

教頭の焦ったような声が、校舎全体に響き渡った。

『現在、市内全域で大規模な暴動事件が発生し、治安が悪化しています。警察からの要請により、本校は現在、正門および裏門を含め、すべての出入り口を施錠しました。外部からの侵入者を防ぐためです。生徒の皆さんは、落ち着いて教室で待機してください。保護者への連絡は学校側で行いますので――』

教頭のアナウンスを聞き、蓮は窓際に駆け寄り、眼下の校庭を見下ろした。

確かに、立派な鉄格子の正門はすでに太いチェーンと南京錠で固く閉ざされており、体育教師たちが数名、金属バットやモップの柄を持って門の前に立ち、外を警戒している。

「……隔離された」

蓮は呟いた。安全のための施錠。だが、それは同時に、逃げ場を失った檻の中に閉じ込められたことを意味していた。

校舎の外側の道路には、すでに何台もの車が乗り捨てられ、渋滞というよりは放棄されたような無惨な姿を晒している。遠くからは、金属がぶつかり合う音や、サイレンの音、そして、何かの遠吠えのような、人間のものとは思えない奇声が重なり合って聞こえていた。


図書室に戻ると、教頭のアナウンスを聞いた生徒たちがパニックになりかけていた。

「おい、施錠ってなんだよ! 帰れないってことか!?」

「スマホが繋がらない! 圏外になってる!」

「どうしよう、お母さんと連絡取れないよ……」

教師が「落ち着きなさい!」と声を張り上げているが、生徒たちの動揺は収まらない。

蓮は足早に葵と健太のいるテーブルへ戻った。

「蓮、どうしたんだよその顔。親父さん、なんて?」

健太が蓮の青ざめた顔を見て、ただごとではないと察したように尋ねる。

「……ヤバいかもしれない。親父が、暴動は本当だって。しかも、警察も手におえないレベルらしい」

蓮が声を潜めて事実を伝えると、健太と葵も息を呑んだ。

「嘘でしょ……。私たち、どうなるの?」

葵が震える手で自分のスマートフォンを見つめる。画面のアンテナマークは「圏外」を示していた。ついに通信インフラの制限が本格的に始まったのだ。

「とりあえず、先生たちの指示に従って教室に戻ろう。俺たちだけで動くのは危険だ」

蓮はそう言い聞かせるように二人を促し、図書室を出て自分たちの二年B組の教室へと向かった。

廊下には、不安に駆られた生徒たちが溢れ出し、教師たちが必死に教室に押し戻そうとしている。窓にへばりついて外の様子を窺う者、泣き出してしまう女子生徒。日常の秩序が、音を立てて崩れ落ちていく音が聞こえるようだった。


教室に戻り、担任の教師の指示で自分の席に着く。

「いいか、絶対にパニックを起こすな。学校の門は頑丈だ。外の暴徒が中に入ってくることはない。自衛隊も出動したという未確認情報もある。助けは来る。だから静かに待機するんだ」

担任は生徒たちを落ち着かせようと必死に語りかけていたが、その教師自身の手が微かに震えているのを、蓮は見逃さなかった。

健太が後ろから身を乗り出し、小声で話しかけてくる。

「蓮。俺、部室に鉄アレイ置いてあるんだけど、武器として取ってこようか」

「バカ言え。そんな重いもん振り回せるか。今はじっとしてろ。体力を温存するんだ」

蓮は健太を制止しながらも、自分のリュックの中身を確認した。教科書、ノート、筆箱。武器になるようなものは、せいぜいコンパスの針くらいしかない。圧倒的な無力感。


不意に、窓の外から『ドンッ!』という重い衝撃音が響いた。

クラス全員の視線が、一斉に窓の外、正門の方角へと向けられる。蓮も立ち上がり、窓際に近づいた。

正門の向こう側、道路の向かいから、大柄な男がフラフラと歩いてきて、閉ざされた鉄格子の門に体当たりをした音だった。

「おい、見ろよ……なんだあいつ」

窓際の男子生徒が、引きつった声で指を差す。

門に張り付いたその男は、全身が薄汚れており、白いワイシャツはどす黒い染み――血――でべったりと汚れていた。首のあたりが不自然な角度に曲がっており、口からはよだれと血の混じったような液体を垂れ流している。

男は門の向こう側で立ち塞がる体育教師たちを見て、獣のような咆哮を上げた。

「ウォォォォォォァァァァッ!!」

それは、人間の声帯から発せられているとは到底思えない、魂をすり潰すような不快な叫び声だった。

男は鉄格子に両手をかけ、狂ったように門を揺さぶり始める。ガシャーン、ガシャーンと、重い金属音が校庭に響き渡る。

『おい、やめろ! 下がれ! 警察を呼んでるんだぞ!』

門の内側にいた体育教師の一人が、金属バットを構えて威嚇する。

しかし、男は威嚇など全く意に介さず、鉄格子の隙間から腕を突き出し、空を掴むように腕を振り回した。その腕の皮膚は所々剥がれ落ち、赤黒い筋肉が露出しているのが四階の教室からでも見えた。

「ヒッ……」

教室の女子生徒から、悲鳴にも似た息を呑む音が漏れる。


異常事態は、それだけでは終わらなかった。

男の咆哮に呼応するように、道路の奥から、路地裏から、放棄された車の陰から。一人、また一人と、同じように血に塗れ、狂気に満ちた目をした人間たちが姿を現し始めたのだ。

スーツ姿のサラリーマン。エプロンを着た主婦。制服姿の学生。

彼らは皆、一様に生気を失った足取りで、しかし確かな殺意を持って、学校の正門へと集まってくる。

「おい……嘘だろ。あんな数……」

健太の声が震えていた。数十、いや、百人近い群衆が、正門に群がり始めた。彼らは鉄格子に身体を押し付け、無数の腕を伸ばし、内側にいる『新鮮な肉』である体育教師たちを求めてうめき声を上げている。

『ヒィッ……! く、来るな!!』

圧倒的な数の暴力と狂気に、屈強な体育教師たちもついに恐怖に耐えきれず、門から後ずさりし始めた。


その時。

群衆の異常な圧力に耐えきれず、正門のチェーンを繋いでいた古い南京錠が、悲鳴のような金属音を立てて『パァン!』とはじけ飛んだ。

重厚な鉄の門が、内側に向かってゆっくりと開いていく。

堰を切ったように、血に飢えた群衆――いや、『感染者』の群れが、校庭へと雪崩れ込んできた。

『うわああああああ!!』

『助けて! 誰か!!』

逃げ遅れた体育教師の一人が、数人の感染者に押し倒される。あっという間に肉に群がる蟻のように群衆が覆い被さり、鮮血が噴き出すのが見えた。人間の肉が引き裂かれる、生々しい音が教室まで届いたような気がした。


「……終わった」

蓮は、窓枠を握る手に力を込めた。指の関節が白くなる。

校庭は一瞬にして地獄絵図と化した。感染者たちは悲鳴を上げる教師や、部活帰りで逃げ遅れた生徒たちに次々と襲いかかり、容赦なくその牙を突き立てていく。そして、獲物を求める一部の感染者たちが、血走った目を上階に向け、校舎の入り口へと走り始めた。

狂気が、日常の壁を完全に食い破った瞬間だった。


「蓮!」

健太が叫ぶ。

「逃げるぞ。ここにいたら殺される!」

蓮は弾かれたように振り返った。

教室はパニックに陥り、生徒たちが悲鳴を上げながら廊下へと飛び出していく。担任の教師も腰を抜かして動けなくなっていた。

蓮の視界の端で、人波に押されて転倒しそうになっている葵の姿が見えた。

「葵!」

蓮は考えるより先に身体を動かしていた。狂乱するクラスメイトたちを掻き分け、倒れかけていた葵の腕を強く掴み、無理やり引っ張り上げる。

「日高くん……!」

「俺から離れるな!」

蓮は葵の手首を握りしめ、健太に目配せをした。

「健太、前を開けろ! 特別棟へ向かうぞ!」

「任せろ!」


事なかれ主義だった少年は、もうどこにもいなかった。

自分の命を、そして大切な親友と、想いを寄せる少女の命を繋ぐため。

蓮は、崩壊しゆく日常を背に、極限のサバイバルへとその第一歩を踏み出した。


ジリリリリリリリリリリリリリリリリリ。

全校中に、非常事態を告げる火災報知器のベルが鳴り響く。

それは、彼らの平和な青春が完全に終わりを告げたことを知らせる、破滅のチャイムだった。

次の話は、翌日7:10の投稿になります。お楽しみに!


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。


ぜひ「★評価」と「ブックマーク」で応援してください!


これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。