第15話:破滅のチャイム【1/2】
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ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ――ッ!!!!
その音は、鼓膜を直接針で刺し貫くような鋭利な悲鳴となって、全校舎の天井、壁、そして廊下の隅々にまで木霊した。
火災報知器の非常ベルだ。
本来ならば、年に数回の防災訓練で聞き慣れているはずの避難訓練を告げる電子の金切り音。だが、今のこの瞬間に鳴り響く非常ベルは、訓練の合図などでは断じてなかった。九月二日という平凡であるはずだった火曜日に、蓮たちが通う県立彩葉第一高等学校という『小さく平和な社会』が、音を立てて絶命したことを告げる残酷な破滅の弔鐘だった。
「ひっ……!? な、なに!? 非常ベル!?」
「火事!? どこかで火事が起きたの!?」
廊下に、教室に、階段に充満していた生徒たちの悲鳴が非常ベルの金属音にかき消され、さらに大きな狂乱となって増幅していく。
赤く明滅する壁面の非常火災警報灯が不吉に光を放ち、影を怪物の蠢きのように廊下の壁へ大きく映し出していた。
蓮は、握りしめたサバイバルナイフの柄を血と汗で滑らせないよう、指先に力を込めていた。
左腕に巻きつけた分厚い国語辞典とガムテープの防具が、心拍の上昇に合わせて腕をきつく締め付ける。
目の前で巻き起こる地獄。
本棟の三階廊下は、もはや学校と呼べる場所ではなかった。
あちこちで窓ガラスが割れる音と、破片が床に飛び散る澄んだ音が交錯する。そこへ昇降口や階段から這い上がってきた血まみれの感染者たちと、行き場を失って押し寄せる何百人もの生徒たちのパニックが重なり合い、文字通り血と肉の押し合いが繰り広げられていた。
「蓮! 非常ベルだ! 誰かが誤作動させたのか、それとも本当にどこか燃えてんのか!?」
後ろでモップの柄を構えた健太が、ベルの音に負けじと大声を張り上げた。
「どっちでもいい! ベルが鳴ったことで、校舎中のあいつらが音に引き寄せられて一斉に動き出すぞ!」
蓮は叫び返した。
蓮の予想は、瞬時に最悪の形で現実となった。
非常ベルの高周波な金属音が校内に響き渡った瞬間、それまで廊下で無目的に徘徊し、あるいは倒れた生徒の肉を貪っていた感染者たちが、一斉に動きを止めたのだ。
ゴキゴキと、首の骨が鳴る嫌な音が幾重にも重なる。
彼らは白濁し、充血し切った目を同時に天井のスピーカー、新聞紙やカバンの散らばる廊下、そしてベルの音にパニックを起こして叫び声を上げる生徒たちへと向けた。
『ギシャァァァァァァッ!!』
『アガァァァァァッ!!』
感染者たちのうめき声が非常ベルの音と共鳴し、耳を狂わせるほどの咆哮となって破裂した。
彼らは痛覚も、恐怖も、理性のブレーキも持たない。ただ音と動く肉を求め、リミッターを解除された脚力で廊下のコンクリートを蹴って突進を開始した。
「嫌だ! 来ないで! 来ないでぇぇぇっ!!」
蓮たちのすぐ数メートル先で、転びかけた女子生徒が、足元にしがみついてきた感染者に足を掴まれた。
そのまま床に倒れ込み、引きずり込まれる。
「助けて! 蓮くん! 健太くん!」
知っている顔だった。昨日まで、朝の読書の時間に隣の列で楽しそうにファッション雑誌を読んでいた、同じクラスの女子生徒だ。
彼女の綺麗な長い髪が血の海に浸り、その上に二体の感染者が覆いかぶさる。
「っ……!」
健太が一歩踏み出そうとした。
「待て、健太!」
蓮は左腕の防具を健太の胸元に叩きつけ、無理やり踏みとどまらせた。
「助けられない! 飛び込んだら俺たちも捕まる!」
「でもよ! あいつ、うちのクラスの――!」
「見ろ!」
蓮が指し示した先では、彼女の悲鳴がほんの数秒で血の泡と肉の千切れる生々しい音へと変わり、その周囲にさらに三体の感染者が集まって群がっていた。
助けられる段階は、とうに過ぎ去っていた。
「走れ! 特別棟へ! 渡り廊下を抜けろ!」
蓮は葵の手首を固く掴み直すと、人波と感染者の隙間を縫うようにして疾走を開始した。
ジリリリリリリリリ――ッ!
非常ベルは、止まることなく鳴り響き続ける。
その不快な金切り声は、まるで校舎そのものが上げている断末魔の叫びのようだった。
廊下を走る蓮の視界に、見慣れた風景が次々と破滅していく光景が飛び込んできた。
壁に貼られた『二学期目標:文武両道』の習字の紙。それが逃げ惑う生徒の手によって引きちぎられ、血の手形がベタリと付けられて床に踏みにじられている。
昇降口へ続く階段の脇に飾られていた、部活動の賞状や優勝カップが入ったガラスケース。それが粉々に叩き割られ、銀色のカップが血の海の中に転がっている。
学級文庫の本棚が倒れ、破れ散った小説や教科書のページが、飛び散る血液を吸って赤黒く汚れていく。
(壊れていく……)
蓮の胸の中で、冷たい何かが激しく渦巻いた。
(俺たちがいた場所が……昨日まで、あんなにつまらなくて、あんなに平和だった俺たちの毎日が……全部、壊れていく……!)
「蓮くん! 前!」
葵の切迫した叫びで、蓮はハッと意識を前方に戻した。
本棟と特別棟を繋ぐ、二階の渡り廊下の手前。
そこには、廊下の天井から垂れ下がっていた非常用防火シャッターが、半分まで下りかけて停止していた。
火災報知器の作動に伴い、自動防火システムが作動したのだ。
重厚な金属製のシャッターが、ガガガガと重い音を立てて降りてくる。
もしあのシャッターが完全に閉まりきってしまえば、本棟と特別棟は完全に分断され、蓮たちは地獄と化した本棟の中に閉じ込められることになる!
「シャッターが下りるぞ! 潜り抜けろ!」
蓮は叫び、葵の手を握る力にさらに力を込めた。
「うおぁぁぁぁぁっ!!」
健太がモップの柄を前方に突き出し、シャッターの隙間へ向かって突進する。
そのシャッターの下、わずか一メートルほどの隙間をめがけて、後ろからも無数の生徒たちがパニック状態で押し寄せていた。
「通せ! 俺が先だ!」
「押すな! 挟まれる!」
我先にとシャッターの下へ身を投げ出す生徒たち。だが、焦りによる押し合いが原因で、数人がシャッターの真下で重なり合って転倒した。
『ギギギギギ……』
容赦なく下りてくる重い金属の刃。
転倒した男子生徒の足の上に、シャッターの底面が重く圧しかかる。
「ぎゃあぁぁぁっ! 脚が! 脚が挟まれた! 持ち上げてくれ! 誰か!」
男子生徒が叫ぶが、後ろから押し寄せる他の生徒たちは、彼の身体を踏み台にしてシャッターの隙間へと滑り込んでいく。
「健太、滑り込め!」
蓮は葵の身体を前方に押し出し、シャッターの僅かな隙間へと滑り込ませた。
葵はしなやかな身のこなしで床を滑り、見事にシャッターの反対側――特別棟側の床へと抜け出た。
「蓮くん! 早く!」
反対側から葵が手を伸ばす。
「健太、行け!」
「おうっ!」
健太も体勢を極限まで低くし、滑り込みの要領でシャッターの下を潜り抜けた。
最後に、蓮。
蓮がシャッターの下へ身を投げ出そうとしたその瞬間、背後から冷たい、血の匂いのする手が蓮の右足首を強く掴んだ。
『ガシッ……!!』
「っ……!?」
蓮は床に激しく膝を打ち付けた。
振り返ると、そこには腹部を大きく裂かれた一年生の男子生徒の感染者が、血走った目で蓮の足を掴み、その首筋に噛みつこうと口を大きく開けていた。
『アガァァァァッ!!』
「離せぇっ!!」
蓮は咄嗟に左足の靴底を、感染者の顔面へと力任せに叩きつけた。
『バキッ!』という鼻骨が折れる鈍い手応え。
だが、感染者は痛みを感じず、さらに強い力で蓮の足を自分の方へと引き込もうとする。
シャッターの隙間は、すでに三十センチを切っていた。
このままでは、脚を掴まれたままシャッターに押し潰されるか、本棟側へ引きずり戻される!
「蓮! 手を伸ばせ!」
シャッターの反対側から、健太と葵の手が同時に伸ばされた。
蓮は右手に持ったサバイバルナイフを、感染者の腕に向かって躊躇なく振り下ろした。
『ズスッ!』
分厚い刃が感染者の手首の筋を切断する。グリップ力が失われ、蓮の足が自由になった。
蓮はそのまま背中で床を滑るようにして、閉まりかけるシャッターの隙間へと滑り込んだ。
『ガシャンッ!!』
蓮のつま先が抜け出たと同時に、重厚な金属シャッターが床のコンクリートに叩きつけられ、激しい音を立てて完全に密閉された。
「ハァ……ッ! ハァ……ッ! ハァ……ッ!」
蓮は特別棟の冷たい床の上に倒れ込み、荒い呼吸を繰り返した。
胸が痛いほど上下し、冷や汗が全身から噴き出している。
今回の続きは、19:10の投稿になります。お楽しみに!
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