↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―  作者: solune
プロローグ:日常の終わり

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/79

第14話:掴んだ手【3/3】

おかげさまで、月間ホラー〔文芸〕ランキングにランクインしました!

読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!

「すげえな、蓮……迷いがねえ……!」

健太が感嘆混じりの息を漏らす。


「感慨に浸ってる暇はない! 次が来るぞ!」

蓮は血のついたナイフを構え直し、息を呑む葵の手を再び強く握り直した。


葵は、自分の目の前で繰り広げられた一瞬の命のやり取りに、息を止めていた。

かつての蓮は、クラスの中でも目立たず、争いごとを避け、いつだって平均点の中に隠れていたような男子だった。しかし今、自分を守るために一切の躊躇なく刀身を振るう彼の背中は、誰よりも大きく、そして圧倒的に頼もしかった。


(蓮くんが……私を助けてくれてる。私を……守ってくれてる)


葵の胸の奥で、恐怖とは異なる熱い感情が、強く、確かに波打っていた。


三人は弓道場の側面に沿って、深い暗闇の中を疾走した。

裏庭の中央では、依然として惨劇が続いていた。絶叫と肉の破裂音が夜空に木霊し、本棟の窓からは時折、窓ガラスを突き破って転落する生徒の姿も見えた。だが、彼らはもう振り返らなかった。振り返れば、その惨劇の引力に引きずり込まれ、自分たちも死の仲間入りをすることになるからだ。


弓道場の裏手。

そこは、射場から外れた鬱蒼とした木々に囲まれた狭いスペースだった。

校外の住宅街を隔てる金属製の高いフェンスが、不気味な黒い檻のように立ちはだかっている。


「ここだ! この奥のフェンス!」

葵が指をさした。

そこには、長年の経年劣化と部員たちが用具を出し入れするために無理やり押し広げた結果、金網の裾部分が大きく捲れ上がり、土との間に四十センチほどの隙間が空いている場所があった。


「あった……! 抜けられるぞ!」

健太が歓喜の声を上げる。


「葵、先にくぐれ!」

蓮は即座に葵の身体を抱えるようにしてフェンスの隙間へと誘導した。


「でも、二人も……!」


「俺と健太が殿を務める! 早く行け!」

蓮の強い口調に、葵はうなずき、スカートの裾が引っかかるのも構わず、捲れ上がった金網の下へと身体を滑り込ませた。

泥と落ち葉に制服を汚しながらも、葵はしなやかな体躯を生かして、すんなりとフェンスの外側――学校の敷地外である狭い裏路地へと抜け出した。


「蓮くん! 健太くん! 早く!」

フェンスの向こう側から、葵が手を伸ばして叫ぶ。


「よし、次は健太だ! 行け!」

蓮が健太の肩を叩いた。


「バカ言え! 言い出しっぺのリーダーが最後だろ! お前が先に行け!」

健太がモップの柄を前方に構えたまま怒鳴り返す。


その時。

弓道場の角から、複数の足音が押し寄せてきた。


『ズズズ……ズル……ズル……』

『アァァァァ……』


裏庭の狂乱から漏れ出してきた感染者たちの群れだった。その数は、五体や十体ではない。二十人近い血まみれの集団が、暗闇の中から這い出るようにして、三人に向かって迫ってきていた。

その先頭には、弓道部の部衣を着た、胸元を大きく刺し貫かれた女子生徒の感染者の姿もあった。


「無駄口叩いてる暇はない! 健太、くぐれ!」

蓮は健太の背中を強引に押し込み、フェンスの隙間へと放り込んだ。


「うわっ!? クソッ、後で覚えてろよ蓮!」

健太は文句を言いながらも素早く金網の下を潜り抜け、葵のいる外側へと滑り出た。


残されたのは、蓮一人。


迫り来る感染者の群れまで、あとわずか五メートル。

血走った白濁の目、ダラダラと垂れる唾液と血液、そして肉を求める飢餓の呻き。

先頭の弓道部員の感染者が、スパイダーのように速い手つきで地面を這い、蓮の足元に向かって手を伸ばしてきた。


「蓮! 早く!」

フェンスの向こうから、健太と葵が同時に叫び、金網の隙間から手を差し伸べてくる。


蓮は深呼吸を一つ。

サバイバルナイフを右手で逆手に握り直すと、迫り来る感染者の顔面に向かって、左足で思い切り前蹴りを叩き込んだ。


『ガッ!』と鈍い衝撃が靴底を通って伝わり、感染者の首が不自然に折れ曲がって後ろの集団へと倒れ込む。


その反動を利用して、蓮は身体を翻し、フェンスの捲れ上がった金網の下へと身を投げ入れた。


『ズザーッ!』


背中と膝を泥に擦り付けながら、狭い隙間を滑り抜ける。

制服のジャケットが金属の破片に引っかかり、『バリッ』と嫌な破裂音が響いたが、蓮は構わずに体全体を外側へと引きずり出した。


その瞬間。

金網の隙間から、追いついた感染者の手が数本、一斉に飛び出してきた。


『ガシャガシャガシャッ!』


爪が割れ、血の滲む指先が、蓮の靴の踵を寸前のところで空しくかすめる。


「届かない……! 抜けたぞ!」

健太が蓮の腕を掴み、一気に引っ張り上げた。


泥まみれになりながら、蓮は立ち上がった。

そこは、学校の外側――住宅街へと続く、暗く狭い裏路地だった。


目の前には、太い金属製のフェンス。

そのフェンスの向こう側で、無数の感染者たちが金網に顔や身体を押し付け、網目から血まみれの腕を突き出して『アァァ……アァァ……』と不気味な咆哮を上げている。

しかし、頑丈なフェンスは彼らの突進を食い止め、敷地外への侵出を一時的に防いでいた。


脱出。

彼らはついにあの大殺戮の舞台となった学校から、生きて外へと抜け出したのだ。


「ハァ……ハァ……ハァ……ッ!」

蓮は膝に手をつき、荒い息を吐き出した。

肺が灼熱の空気に満たされ、全身の筋肉が激しい痙攣を起こしていた。左腕の国語辞典防具は血と泥で汚れ、右手に握られたサバイバルナイフの黒い刃からは、赤黒い血液が数滴、アスファルトの上にポタリと落ちた。


隣では、健太がモップの柄を地面に突き、天を仰いで荒い呼吸を繰り返している。

そして、その隣には、制服を泥だらけにし、肩を大きく上下させながら蓮を見つめる葵がいた。


「……助かった……のか……俺たち……」

健太が、掠れた声で呟いた。


蓮はゆっくりと頭を上げ、フェンスの向こう側の学校を振り返った。


四階建ての校舎。

かつて自分たちが毎日通い、学び、笑い合っていた平和な学園。

今、その校舎のあちこちの窓からは、黒い煙と赤い火の手が上がり始めていた。どこかで電気のショートが起きたのか、あるいは誰かが火を放ったのか。

暗闇の中に浮かび上がる校舎のシルエットは、まるで燃え盛る巨大な地獄の城のようだった。

窓ガラスには、内側から血の手形をつけ、助けを求めて叫ぶ生徒たちの影が映し出されていたが、それらもやがて迫り来る感染者の群れの中に飲み込まれ、消えていった。


悲鳴、怒号、炎の爆ぜる音。

それらが、夜の静寂な住宅街へと重く不気味に響き渡っている。


学校は、完全に壊滅した。

あの場所に残された数百人の生徒や教師たちのほとんどは、もう二度と生きて敷居を跨ぐことはできないだろう。


「……あんなにあった日常が……一瞬で……」

葵が、フェンスの向こうの火災を見つめながら、ぽろぽろと涙をこぼした。

悲しみ、恐怖、そして自分たちだけが生き残ってしまったことに対する、名付けようのない罪悪感。それらが彼女の細い肩を激しく震わせていた。


健太も無言で唇を噛み締め、悔しそうに握り拳を壁に叩きつけた。


蓮は、二人の姿を静かに見つめた後、自分の右手を見た。

爪の中に泥が入り込み、血の匂いがこびりついた己の手。

この手で、自分はかつて人間だったものを刺し殺した。

この手で、自分は葵の手首を掴み、死の淵から引き揚げた。


事なかれ主義で、いつだって責任や面倒から逃げ回っていた高校生は、もうどこにも存在していなかった。

今ここにいるのは、理不尽な破滅の世界の中で、大切な者の命を背負って戦う生存者としての自分だけだった。


蓮は葵に歩み寄り、彼女の震える肩にそっと手を置いた。


「葵」


葵が泣き濡れた顔を上げる。


「泣くなとは言わない。……でも、俺たちは立ち止まっちゃダメだ」

蓮の声は夜風のように冷やかだったが、その奥には途方案もない温かさと決意が満ちていた。

「俺たちが生き残ったのは、あそこにいた全員の命の代わりだ。俺たちは、生き抜かなきゃいけない」


葵は、蓮の真っ直ぐな瞳を見つめ返し、大きく息を吸い込んだ。

そして、制服の袖で何度も涙を拭うと、力強くうなずいた。


「うん……! うん……! 私、もう泣かない。生き残る……絶対、生き残るよ!」


「よし」

蓮は頷き、今度は健太の方を向いた。


「健太、怪我はないか」


「おう。かすり傷程度だ。……サンキュな、蓮。お前がいなきゃ、俺はあの体育館で全滅してたよ」

健太が、少し照れくさそうに頭を掻きながら笑った。その笑顔には、いつもの能天気さと、親友への絶対的な信頼が宿っていた。


「お互い様だ。お前であの木を振るってくれなきゃ、葵がやられてた」

蓮はそう言って、ズボンのベルトの下へサバイバルナイフを慎重に収めた。

黒い鞘に刃が収まる『カチッ』という静かな音が、彼らのサバイバルの第一幕の終わりを告げていた。


三人は、裏路地の中に佇み、呼吸を整えた。

周囲の住宅街は、奇妙なほどに静まり返っていた。

街灯のいくつかは明滅し、遠くの幹線道路からは、時折爆発音や不気味なサイレンの音が届いてくる。

家々の窓からは明かりが消え、まるで街全体が呼吸を止めて、暗闇の中に身を潜めているかのようだった。


通信の絶たれた世界。

警察も、行政も機能していない、無秩序の街。


「……蓮、これからどうする?」

健太が、モップの柄を握り直して尋ねた。


蓮は、夜空を見上げた。

雲の切れ間から覗く下弦の月が、彼らの進むべき道を密かに照らしていた。


「まずは、葵の家だ」

蓮は、葵の方を見て言った。

「ここから一番近いのは葵の家だ。ご両親が無事か確認して、安全を確保する。それから……俺の家と、健太の家だ」


「蓮くん……いいの? ご自分の家の方が心配じゃないの……?」

葵が恐縮したように尋ねる。


「いいんだ。俺の家には、昨夜、親父の指示で母さんと妹に戸締まりを徹底させてある。非常食もあるはずだ。だが、お前のご両親は教員だ。状況がわからない。一番近い場所から順番に確認していくのが、一番効率的で安全なんだ」

蓮の言葉は合理的な判断に基づいていたが、その根底には、葵を一人にさせないという強い配慮が込められていた。


葵の瞳が、再び熱いものに潤んだ。


「ありがとう……蓮くん……!」


「決まりだな!」

健太がぽんと自分の胸を叩いた。

「よっしゃ、チーム生還者の次なるミッションは、水島家の奪還だ! 陸上部仕込みの索敵で、俺が先導してやるよ!」


「大声を出すな、健太。足音を殺して、影から影へ移動するぞ」

蓮が釘を刺すと、健太は「はいはい、隊長」とへらへら笑って首をすくめた。


三人は、互いの無事を確認し合うように、短く視線を交わした。

蓮と葵の視線が交差した時、言葉には出さない、確固たる信頼の絆が二人の間に結ばれていることを、お互いが実感していた。

掴んだ手の感触、引き上げた腕の重み、そして生き残ったという事実。

それらは、これから始まる過酷な世界を生き抜くための、揺るぎない糧となっていた。


「行くぞ」


蓮を先頭に、三人は静かに裏路地の暗闇へと足を踏み出していった。

次の話は、翌日7:10の投稿になります。お楽しみに!


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。


ぜひ「★評価」と「ブックマーク」で応援してください!


これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。