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残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―  作者: solune
プロローグ:日常の終わり

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第12話:校庭の侵入者【2/2】

おかげさまで、月間ホラー〔文芸〕ランキングにランクインしました!

読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!

田村の死は、ほんの序章に過ぎなかった。

門を突き破って雪崩れ込んできた数百の感染者たちは、倒れた田村に群がる者、そしてパニックを起こして逃げ惑う他の体育教師たちを追いかける者へと、蜘蛛の子を散らすように散らばっていった。


『助けてくれぇぇっ!!』

『開けろ! 昇降口を開けろぉぉっ!!』


逃げ出した教師たちが、本棟の一階昇降口へ向かって狂ったように走り出す。しかし、昇降口のガラス扉は、生徒たちの脱出を防ぎ、外部の侵入を防ぐために、内側から頑丈なチェーンで施錠されていた。


『開けろ! 鍵はどこだ! 開けてくれぇぇっ!!』


体育教師の一人がガラス扉に体当たりを繰り返し、鍵を求めて叫び散らす。だが、その背後から、追いついた三体の感染者が一斉に飛びかかった。


『嫌だぁぁぁっ! ギャアアアアッ!!』


ガラス扉にべったりと鮮血の手形がつき、教師の体が土の上に引きずり倒されていく。昇降口の周囲は、わずか数分足らずで完璧な捕食場へと変貌を遂げた。グラウンドに散乱していた野球部やサッカー部の用具、整備用のグランドレーキ、体育館の備品。それらが血と肉片で汚されていく。西日の赤い光が、校庭全体を血の海のように染め上げていた。


「あいつら……校舎の中に入ってくるぞ」

健太が、押し殺した声で告げた。


健太の言う通りだった。昇降口のガラス扉に取りついた感染者たちは、扉が開かないと悟るや否や、己の頭部や肘を直接ガラスに叩きつけ始めたのだ。


『ガシャーン!! ガシャーン!!』


頑丈な強化ガラスに無数のヒビが走り、ついに悲鳴を上げて砕け散った。割れたガラスの鋭利な破片が感染者たちの皮膚を切り裂き、血を噴き出させるが、彼らはそんなことを気にする素振りすら見せず、砕けた扉の隙間からぞろぞろと校舎の一階へと侵入を開始する。


『アァァァァ……』

『ウゥゥゥ……』


本棟の一階廊下から、悲鳴と、新たなうめき声の群れが湧き上がり始めた。すでに本棟の中に閉じ込められていた生徒たち、そして廊下を彷徨っていた初期の発症者たち。そこへ、外から雪崩れ込んできた何百という新鮮な感染者たちが合流したのだ。


本棟は、完全に死の巣穴と化した。


「……蓮」

健太が、蓮の横顔を見つめる。その目には覚悟と、かすかな絶望が混ざり合っていた。

「本棟は……もう終わりだ。一階も、二階も、三階も……全部あいつらに埋め尽くされる」


「ああ」

蓮は低く答えた。踏み台から静かに降り、ズボンのベルトの下から、ついに『それ』を引き抜く。


『シャキイィン……』


黒く塗装された分厚い鋼の刃。背の部分に刻まれた凶悪な鋸歯。父が有事に備えて研ぎ澄ましていた、サバイバルナイフ。

蓮はナイフを右手で逆手に握り、左腕のガムテープ防具を胸の前に構えた。


「準備室のドアを補強しろ。薬品棚だけじゃ足りない。奥の実験台も全部引きずってこい」

蓮の指示は、驚くほど冷静で、通りが良かった。


「蓮……戦うのか?」

健太が尋ねる。


「戦うんじゃない。生き残るんだ」

蓮は、怯える葵と他の生徒たちを振り返り、力強い瞳で言った。

「奴らは一階から本棟を侵食し、やがて渡り廊下を通ってこの特別棟にもやってくる。外のグラウンドはあいつらで埋め尽くされた。……だが、俺たちの作戦は変わらない」


蓮は、窓の外の西日を指さした。太陽は山々の端にかかり、最後の赤い光を放ちながら沈みかけている。あと二十分もすれば、完全な『夜』が訪れる。

「日が完全に落ちるまで、この準備室で持ちこたえる。暗闇になれば奴らの視界は狭まり、グラウンドの群れも散らばる。……その瞬間を狙って、裏の非常階段から脱出する」


「……わかった」

健太はモップの柄を強く握り直し、鈴木たちに向かって叫んだ。

「おい! ボサッとしてるな! 棚を押すぞ! 死にたくなかったら動け!!」


鈴木たちも恐怖で涙を流しながら必死に立ち上がり、重い木製の実験台に手をかけた。


特別棟二階の廊下を這うような足音が、刻一刻と理科準備室のドアへと近づいてくる。

「おい、急げ! 音を立てるな、静かに運べ……!」


蓮は押し殺した声で指示を飛ばしながら、健太と共に高さ二メートル近くある重厚なスチール製の薬品棚の側面に肩をぶつけ、渾身の力で押し込んだ。金属と床のPタイルが擦れる『ギギッ』という甲高い摩擦音が鳴りかけるたび、全員の背筋に冷たい悪寒が走る。

「くそっ、重え……! 鈴木、後ろから引け!」

「ひ、ひぃっ……! う、うおぉっ……!」

鈴木がガムテープでガチガチに補強された腕で棚の淵を掴み、泣き顔になりながら引っ張り寄せる。重い薬品棚はゆっくりと、しかし確実にスライドドアの真正面へと移動し、ドア枠を完全に塞ぐ巨大な壁となった。


だが、蓮は手を止めなかった。

「これだけじゃ足りない。奥の実験台も引きずってこい。薬品棚の足元に噛ませるんだ!」

「了解!」


葵と女子生徒も必死だった。二人は準備室の隅にあった木製の丸椅子や、分厚い百科事典、顕微鏡の入った木箱を次々と運び込み、スチール棚と実験台の隙間にぎっしりと詰め込んでいく。それは、十代の高校生たちが生への執着だけで作り上げた、不格好だが強固な即席の砦だった。


作業を終えた瞬間、全員が床にへたり込んだ。肺が焼けるように熱く、汗が目に入って沁みる。だが、誰も息を大きく吐き出すことすらできなかった。


『……ガタッ』


ドアの真外で、何かがぶつかる音がした。


全員が凍りつく。蓮は、床に伏せた姿勢のまま右手でサバイバルナイフを強く握り直し、左腕のガムテープ防具を顔の前に構えた。


スライドドアのすりガラス越しに、西日の残光を背負った『二つの影』が浮かび上がっていた。

一人は、小柄な人影。制服のスカートを履いていることから女子生徒だとわかる。だが、その頭部は不自然な角度で右肩へと折れ曲がり、ゆらゆらと振り子のように揺れていた。もう一人は、大柄な人影。首から上がないのではないかと錯覚するほど、頭部から胸元にかけてがドス黒い血液で濡れている。


『グルル……アァ……』


すりガラスに、べたりと赤い手形が押し付けられた。脂と血で汚れた手のひらが、ゆっくりとガラスの上を滑り落ちていく。『ズルリ……』という不快な音が、静まり返った準備室内に嫌な響きを残した。


(静かに……息を止めるんだ……)


蓮は心の中で祈るように唱えた。感染者たちは、視覚だけでなく、音や生きた人間の放つ匂い、呼吸の気配に反応する。このドア一枚、そして積み上げたバリケードを破ろうとする刺激を与えなければ、彼らは目の前にある障害物をただの壁として通り過ぎていくはずだった。


葵が両手で自分の口と鼻を固く塞ぎ、目から涙をこぼしながらじっと影を見つめている。健太もモップの柄を指が白くなるほど握りしめ、歯を食いしばって微動だにしない。


影が、ドアの取っ手をがたがたと揺すった。


『ガシャ……ガシャガシャ……』


補強したスチール棚が、わずかに震える。だが、内側から重い実験台で突っ張られたドアは、数ミリたりとも開くことはなかった。


『……ウゥ……?』


扉が開かないことに、あるいは中に獲物の気配を確信できないことに、影は困惑したような低い声を漏らした。数秒、いや、数分にも思える地獄のような沈黙。やがて影は興味を失ったかのようにゆっくりと向きを変え、引きずるような足音を立てて、廊下の奥へと離れて行った。


『ズ……ズズ……ズズズ……』


足音が完全に聞こえなくなるまで、誰も呼吸を再開することができなかった。


「……行ったか……?」

健太が、掠れきった声で囁く。

「ああ……とりあえず、やり過ごせた……」


蓮は胸の奥に溜まっていた息を、音を立てないように静かに吐き出した。全身の筋肉が疲労と緊張で悲鳴を上げている。だが、安堵している暇はなかった。


蓮は、静かに高窓の足元へ戻り、遮光カーテンの隙間から外を見下ろした。

太陽は、ついに西の山並みの向こう側へと姿を消しつつあった。空を染めていた毒々しい赤色は急速に失われ、深く不吉な群青色――『夜』が、世界を覆い尽くそうとしている。


グラウンドの光景は、さらに絶望的なものへと変貌を遂げていた。破られた正門から次々と侵入してきた感染者たちの数は、もはや数百という単位ではきかない。千、あるいはそれ以上の人間だった者たちが、薄暗くなり始めたグラウンドをあてもなく徘徊している。横転した軽トラックから上がる黒煙が、夜の帳の中に溶け込んでいった。

本棟の一階、二階、三階の窓からも、チカチカと不吉に明滅する非常灯の光に照らされて、血まみれの生徒や教師たちの影が窓ガラスにへばりついているのが見えた。


校舎全体が、完全な『死者の巣窟』と化していた。


(これが……現実なのか……)


蓮は、自分の手のひらを見つめた。

数日前まで、自分はこの学校で退屈な授業を受け、健太とくだらない噂話を交わし、葵の美しさに秘かに胸を躍らせていた。テストの点数がどうだとか、次の休日にどこへ遊びに行こうかとか、そんな平和で小さな悩みに満ちていたはずの日常。


それが、たった一日で。たった数時間で、跡形もなく崩壊した。


世界は狂った。警察も、政府も、自衛隊も、大人たちも、誰も自分たちを助けには来てくれない。この暗闇の中で、生き残るか、それとも奴らに食われて化け物の一員になるか。選択肢はその二つしかなかった。


「蓮……真っ暗になってきたぞ」

健太が、蓮の隣に並んで窓の外を見つめていた。遮光カーテンの隙間から入ってくる光は消え、理科準備室内は完全な漆黒へと沈み込んでいた。


「ああ。……予定通りだ」


蓮は、マグライトの光量を極限まで絞り、足元だけを照らすように点灯させた。小さな光の輪が、準備室の床を静かに照らし出す。


「全員、集まれ」


蓮の声に引き寄せられるように、葵、健太、鈴木、そして女子生徒が集まってきた。暗闇の中で照らし出された彼らの顔には、死の恐怖を乗り越えようとする悲壮な覚悟が浮かんでいる。


「これから、特別棟を脱出する」

蓮は、一人一人の目をしっかりと見つめながら言った。


「目標は、特別棟の裏手にある非常階段。そこから一階の裏庭へ降りる。裏庭のフェンスにある破れ目から、学校の外の住宅街へ脱出する。……いいか、一度部屋を出たら、絶対に大声を出すな。走る足音も可能な限り殺せ。あいつらは暗闇で視界が狭まっているが、音には敏感だ」


「もし……もし途中で、あいつらに出会ったら……?」

女子生徒が、震える声で尋ねる。


「俺と健太が倒す。お前たちは、俺たちの背中から離れるな」

蓮は、手に握ったサバイバルナイフの黒い刃を見せた。

「躊躇はしない。あいつらはもう人間じゃない。俺たちが生き残るために、排除する」


その言葉には、かつて事なかれ主義で責任から逃げ回っていた少年の面影は存在していなかった。大切なものを守るため、非情になる覚悟を決めた、一人の生存者の目がそこにあった。


「私、やるよ」

葵が、工作用のハサミを構え直し、静かに言った。

「日高くんだけに背負わせない。私も、自分の足で走る。……絶対、生きて帰る」


「おうよ! 俺の俊足を見せてやるぜ!」

健太も、無理に笑みを作ってモップの柄をポンと叩いた。


「よし……バリケードを崩すぞ。静かにやれ」


蓮の指示で、全員が静かに動いた。積んでいた木箱や顕微鏡、実験台を、音を立てないように慎重に脇へ退けていく。最後に、スチール製の薬品棚を数ミリずつ滑らせるようにしてドアの前からどかした。


スライドドアが、むき出しになる。

ドアの向こう側は、完全な暗闇と静寂が支配していた。だが、その静寂の裏側に、無数の死者たちの息遣いが潜んでいることを全員が知っていた。


蓮はスライドドアの鍵に手をかけた。冷たい真鍮の感触。


『カチャン……』


小さな解錠の音が、準備室内に響く。


蓮は、左腕のガムテープ防具を強く締め直し、右手でナイフを深く握り直した。背後にいる葵と健太に向かって、小さく頷く。


「行くぞ」


蓮は、スライドドアをゆっくりと、静かに開け放った。


目指すは、絶望の学校からの脱出。そして、愛する家族と、失われた日常を取り戻すための、暗闇への第一歩。

冷たい夜風が、血の匂いを孕んで、少年たちの頬を撫でていった。

次の話は、翌日7:10の投稿になります。お楽しみに!


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。


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これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!

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