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残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―  作者: solune
プロローグ:日常の終わり

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第10話:健太の軽口【2/2】

おかげさまで、月間ホラー〔文芸〕ランキングにランクインしました!

読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!

理科準備室の空気は重たく沈み込みながらも、先ほどまでの盲目的なパニックからは確実に変化していた。

棚に並ぶ無数のガラス瓶、ホルマリン漬けの標本、特有の酸っぱい薬品の匂い。暗がりの中に置かれたそれらの品々が、今は単なる実験器具ではなく、生き残るための「物資」として映り始めている。


「よし、まずはこの部屋にある使えそうなものを片っ端から確認するぞ」

蓮は、壁際に置かれたスチール製の工具棚へと歩み寄った。

「健太、お前はあっちの棚を見てくれ。危険な化学薬品には絶対に触るなよ。揮発性の高いものや発火性のものは、扱いを間違えれば自分たちが巻き込まれる」


「へいへい、承知いたしました、隊長殿!」

健太は敬礼のポーズをとってみせると、手にしたモップの柄を器用に指先で弄びながら、奥の実験器具用ロッカーへと向かった。そのひょうきんな態度に、床に座り込んでいた鈴木や女子生徒の肩から、ほんの少しだけ余計な力が抜ける。言葉で「大丈夫だ」と何百回繰り返されるよりも、健太の変わらない能天気さが何よりの毒消しになっていた。


蓮はスチール棚の引き出しを一つずつ引いた。中から出てきたのは、分厚い作業用耐熱手袋、ガラス切り、大型の万能ハサミ、そして予備のガムテープが三巻だった。

「運がいい……ガムテープだ」

蓮はガムテープを手に取り、葵たちに見せた。

「これで防具を補強できる。袖口や裾を絞っておけば、噛みつかれたり服を引っ張られたりした時に、引きずり込まれるリスクを減らせる」


「日高くん、私にも手伝わせて」

葵がすっと立ち上がり、蓮の元へと歩み寄る。彼女の動きには迷いがなく、立ち姿には弓道で鍛え上げられた無駄のない凛とした気品が戻っていた。

「鈴木くんたちの腕と脚にも巻いてあげよう。分厚いノートや教科書を挟むと、防護効果が高くなるはず」

「助かる。頼むよ、水島」

葵はガムテープを受け取ると、怯える女子生徒の元へしゃがみ込み、「少し締め付けるけど、我慢してね」と優しく声をかけながら、丁寧に教科書を彼女の前腕に固定し始めた。その手つきは驚くほど手際が良く、女子生徒も葵の落ち着いた態度に促されるように静かにうなずいていた。


「おい蓮! すごいの見つけたぞ!」

奥のロッカーを漁っていた健太が、興奮気味に声を潜めて手招きした。

蓮が近づくと、健太が指さしたのは、鍵のかかっていない小さな木箱の中だった。そこには、ガラス製のアルコールランプが五個と、消毒用エタノールの予備ポリタンク、そして実験用の長い柄のチャッカマンが収められていた。


「これさ……火炎瓶とか作れるんじゃねえの?」

健太が目を輝かせて囁く。

蓮は間髪入れずに健太の額を指先で弾いた。

「バカ言え。こんな狭い場所で火を放ってみろ。煙で俺たちが真っ先に窒息死するか、燃え移って焼き殺されるのが目に見えてる。火は最後の最後の手段だ。下手に扱えば自爆兵器にしかならない」

「痛ってぇなぁ! 冗談だよ冗談! ちょっと言ってみただけじゃんか!」

額を押さえて大げさに顔を歪める健太。だが、蓮も彼の提案を全否定したわけではなかった。

「……だが、エタノールとチャッカマンはもらう。消毒にも使えるし、暗闇で明かりが必要になった時や、相手を牽制するために火を見せるだけなら十分に役立つ」

蓮はポリタンクとチャッカマンを自分のリュックサックへと慎重に詰め込んだ。


その隣で、健太は棚の隅にあった分厚い実験用ゴムエプロンを手に取り、胸に当ててサイズを確認している。

「なあ蓮、これどう思う? プロテクターっぽくね?」

「……サイズが小さすぎて腹しか隠れてないぞ。あと、見た目が完全に給食当番だ」

「給食当番って言うな! 俺なりに防御力上げようとしてんだよ!」

二人のやり取りを見ていた鈴木が、思わず力なく「ふふっ」と息を漏らした。

「お前ら……こんな状況なのに、よくそんなくだらない会話ができるな……」

「漫才じゃねえよ、命がけのファッションチェックだよ!」

健太が胸を張ると、準備室の中に漂っていた重苦しい沈黙が、さらに柔らかく解けていく。


道具の調達と防具の補強が進む中、蓮はそっと部屋の壁際へと移動した。

そこには、表のグラウンドと正門を見下ろせる小さな高窓があった。茶色の遮光カーテンがぴったりと閉められていたが、蓮は指先でほんの数ミリだけ生地を押し開き、外の光景を窺った。


直後、蓮の喉が引き攣るような音を立てた。

(……なんて数だ)

窓から見下ろす正門の景色は、まさに地獄の縮図だった。

重厚だったはずの鉄格子の正門は、押し寄せる無数の群衆の質量と圧力に耐えきれず、V字型に酷くひしゃげて敷地内へと倒れかけている。

チェーンと南京錠はまだ繋がっているものの、格子の隙間や歪んだ門の脇から、血まみれの人間たちが雪崩のように校庭へと流入してきていた。

作業着の男、私服の女子高生、スーツの膝が破れたサラリーマン、片足の靴を失った老人。一様にうつむき、あるいは頭を不自然に傾けながら、アスファルトの上を引きずるような足取りで群れをなしている。

校庭の真ん中には、逃げ遅れた野球部やサッカー部の生徒たちのカバンや用具が散乱し、乗り捨てられた軽トラックが横転して黒煙を上げていた。


そして何より恐ろしいのは、群がる者たちが誰一人として叫んだり、会話を交わしたりしていないことだった。

聞こえてくるのは、無数の足が土や砂利を擦る『ズズズ……』という地鳴りのような雑音と、喉の奥から漏れ出る乾いた吐息の音だけ。その無機質で圧倒的な数の暴力が、かつて自分たちが毎日汗を流していた平和なグラウンドを完全に塗り潰していた。


「……蓮、外……どうなってる?」

気配を察した健太が、音を立てずに隣へと歩み寄ってきた。

蓮はカーテンを元通りに閉め、静かに首を振った。

「見ない方がいい。……正門は破られた」

「……マジかよ」

健太の顔から一瞬だけ冗談めかした色が消えた。彼は固く口を結び、手にしていたモップの柄を指が白くなるほど強く握りしめた。


「本棟の一階からも侵入されているし、外からも続々と入ってきてる。学校全体がすでに狂気の渦の中に沈んでる」

蓮は声を低く保ち、健太だけに聞こえるように告げた。

「ここは一時的な避難場所にはなるが、長居はできない。物資にも限りがあるし、水も止まってる。本棟が完全に占拠されたら、いずれこの特別棟にも波が押し寄せてくる」


「……脱出ルートは?」

健太の目が真剣な眼差しに切り替わっていた。能天気に見えて、彼は勝負どころでの集中力が誰よりも高い。

「特別棟の裏手にある非常階段だ」

蓮は頭の中に刻まれた校舎の配置図を思い描いた。

「あそこなら、本棟を通らずに直接体育館脇の裏庭へ出られる。裏庭のフェンスには、かつて部活の奴らがサボるために秘密裏に作った小さな破れ目があるはずだ。あそこなら、正門の群れに気づかれずに外の住宅街へ脱出できる」


「なるほどな……。さすが『事なかれ主義』の蓮さんだ。抜け道まで把握してるとはね」

健太が口元を歪めてニヤリと笑う。

「俺がサボってたわけじゃない。お前が昔、陸上部の練習から逃げ出すために使おうとしていたのを覚えていただけだ」

「あれっ、そうだっけ? へへ、過去の不真面目さが巡り巡って命を救うとはな!」

健太はぽんと自分の頭を叩いた。


二人のやり取りを少し離れた場所で聞いていた葵が、静かに歩み寄ってくる。

「日高くん。決行は……いつにする?」

「夜だ」

蓮は即答した。

「奴らは光と音に反応する。日中の明るい時間帯に屋外に出れば、校庭や校舎の上から丸見えになって一斉に集まってくる。日が落ちて視界が狭まる時間を狙う。幸い、俺たちはこの場所の地理を完全に把握している。暗闇なら、俺たちの方が有利だ」


「暗闇か……一番ヒヤヒヤするシチュエーションだな」

健太がぼやいたが、その表情に恐れはなかった。

「よし、それじゃあ夜までの間に全員の体力を温存して、装備を完璧にしておくか。……おい鈴木! 泣いてる暇があったら、そこのガムテープで自分の足首ガチガチに固めろ! 夜にはマラソン大会以上のダッシュが待ってんだからな!」

「えっ……ま、マラソン!? 俺、運動部じゃないんだけど!?」

「関係ねえよ! 走らなきゃ捕まる、捕まったら終わり! 超わかりやすいシンプルなルールだろ! 陸上部エースの俺が特別に走りのフォーム教えてやるから感謝しろよ!」

健太が鈴木の肩を組み、強引に立ち上がらせる。鈴木は「ひえっ」と悲鳴を上げながらも、健太のペースに巻き込まれ、言われるがまま足首にガムテープを巻き始めた。


その光景を見つめながら、蓮は部屋の隅の木製椅子に腰を下ろした。

ずっしりとした疲労感が全身に重く圧しかかってくる。朝から巻き起こった悪夢のような出来事の数々。目の前で失われていった日常。

だが、手元には父から託されたサバイバルナイフの冷たい感触がある。そして隣には、どれほど絶望的な状況でも笑いを忘れない親友と、自分を信じて寄り添ってくれる少女がいる。


「日高くん、これ……飲んで」

葵が、準備室の棚にあった未開封のミネラルウォーターを差し出してきた。

「ありがとう、水島」

一口含み、冷たい水で乾いた喉を潤す。荒だっていた心拍が静かに落ちついていった。


「私ね」

葵が蓮の隣の椅子に腰掛け、膝の上で細い指を組んだ。

「金曜日に図書室で日高くんと話した時……すごく安心したの」

「え?」

「日高くん、自分のこと『事なかれ主義』だって言ってたでしょ? でも私には、すごく冷静で周りをよく見ている人に思えた。……だから、あの日高くんが『俺が守る』って言ってくれた時、本当に救われたんだよ」

葵は、少しだけ照れくさそうに目元を緩めた。

「だから私、怖くないよ。日高くんと城山くんがいるなら、絶対諦めない」


その言葉は、蓮の胸の奥深くへ温かく染み通っていった。

事なかれ主義で、何事からも逃げて生きていこうとしていた自分。目立たず、波風を立てず、平均点の中に隠れていた自分。そんな自分が今、誰かの支えになっている。責任の重さに押し潰されそうになる一方で、身体の底から湧き上がってくる力を感じていた。


「……ああ。絶対、みんなでここを出よう」

蓮は力強く頷いた。


準備室の外――本棟の方角からは、時折、ガラスの割れる音や重いものが倒れる鈍い音が遠く聞こえてくる。徘徊する奴らの足音は、確実にこの特別棟の周辺にも増えつつあった。

だが、この狭く薄暗い準備室の中だけは、健太の軽口と互いを信頼し合う静かな意思によって、絶望の侵食を食い止めていた。


健太が鈴木のフォーム指導を終え、「よし! これで完走間違いなし!」と満足げにパンと手を叩いた。

「なあ蓮、夜までの間、暇だしさ。なんか楽しい話でもしようぜ。例えば……無事に脱出したら何が食いたいか発表会!」

「お前、さっき弁当食べたばかりだろ」

蓮が呆れ顔で返すと、健太は待ってましたと言わんばかりに胸を張った。

「バカ言え! こういう時は生き残った後のことを考えるのが一番元気になるんだよ! 俺はなー……駅前のラーメン屋の、全トッピング乗せ特製ラーメン! チャーシュー増し増しで食ってやるね!」


「私は……お母さんの作った、お味噌汁かな」

葵がふふっと笑いながら乗っかる。

「普通の、お豆腐とお揚げのお味噌汁。温かいやつが食べたいな」


「渋いねぇ水島さん! じゃあ鈴木は? 何食いたい?」

「え……ええと、俺は……ハンバーグ……かな。ファミレスの、チーズがのったやつ……」

「よし決まりだ! 脱出したら、みんなでファミレス行って、そのあとラーメン屋はしごな!」


健太の根拠のない約束。

だがその言葉は、暗闇の中に灯された明かりのように、全員の心の中に生きて帰るという強い希望を芽生えさせていた。


窓の外の空が、ゆっくりと茜色から深い群青色へと移り変わっていく。

夕闇が学校全体を包み込んでいく中、少年たちは武器を握り、静かに呼吸を整えながら、脱出の刻を待っていた。

次の話は、翌日7:10の投稿になります。お楽しみに!


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。


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これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!

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