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残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―  作者: solune
プロローグ:日常の終わり

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第8話:廊下の争い【1/3】

おかげさまで、月間ホラー〔文芸〕と[週間]ホラー〔文芸〕のランキングにランクインしました!

読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!

「……ハァッ、ハァッ……!」

特別棟の理科室に逃げ込み、重い引き戸を閉めて内側から鍵をかけた。

扉の向こうから聞こえる、狂気に満ちた感染者たちのうめき声と、ガラスを叩き割ろうとする鈍い音。

蓮はドアに背中を預け、冷たい床にへたり込みながら、血に濡れた両手を見つめた。終わった。学校は完全に地獄と化した。ここから生きて出られる保証など、どこにもない――。


『コツッ、コツッ、コツッ』


突如として、背中から響いていたはずの衝撃音が、規則正しい乾いた音へと変化した。

狂ったうめき声も、生徒たちの悲鳴も、全てが遠のいていく。

代わりに聞こえてきたのは、初老の男の、ひどく単調で抑揚のない声だった。


「……したがって、この作者が提示しているテーマは、近代化に対する一種のアンチテーゼであり……おい、日高。日高!」

「っ!?」

蓮はビクンと全身を跳ねさせ、弾かれたように顔を上げた。


視界に飛び込んできたのは、血塗られた理科室の床でも、絶望に泣き崩れる葵の姿でもなかった。

チョークの粉が舞う黒板。現代文の教科書。

そして、教壇の上から怪訝そうな顔で見下ろしている初老の教師の姿だった。


「日高。どこを見ている。教科書は四十二ページを開けと言ったはずだが」

「え……あ……」

蓮は呆然と周囲を見渡した。


静まり返った二年B組の教室。空席が三分の一を占めている異様な空間ではあるが、生徒たちは皆、退屈そうにノートへペンを走らせたり、頬杖をついたりしている。

自分の手を見る。血など一滴もついていない。

斜め前の席には、葵が背筋を伸ばして座っており、後ろの席からは健太が心配そうに身を乗り出してきている。


「……おい、蓮。大丈夫か? すっげえ汗かいてるぞ」

健太の囁きに、蓮はようやく自分が置かれている状況を理解した。


(……白昼夢、か)

蓮は制服の袖で額の汗を拭い、大きく息を吐き出した。

「すみません、先生。ちょっとボーッとしてました」

蓮が頭を下げると、教師は「体調が悪いなら保健室に行きなさい」とだけ言い残し、再び黒板に向かって授業を再開した。


心臓が、肋骨を内側から叩き割るような勢いで早鐘を打っている。

あまりの恐怖とプレッシャーに、蓮の精神は限界に達しかけていたのだ。

昨夜の親父からの電話、窓の外から見た狂気の群衆、そして今朝の異様な欠席者数。それらの情報が脳内で最悪の化学反応を起こし、一限目の授業中に「三浦が教師を食い殺し、学校中がパニックに陥る」という、あまりにもリアルな惨劇を幻視させてしまったらしい。


蓮は震える手で教科書の四十二ページを開いた。

教室の中央付近に視線を向ける。

三浦は確かに顔色が悪く、時折口元をハンカチで押さえて「ゴホッ、ゴホッ」と苦しそうに咳き込んではいるが、発狂して教師に飛びかかったりはしていない。ただの体調不良の生徒として、机に突っ伏して耐えているだけだ。


(俺の頭が、おかしくなりそうなんだ……)

蓮は目を閉じ、深く息を整えた。

現実は、まだ壊れてはいない。学校という巨大なシステムは、十二人もの欠席者を出しながらも、強引に『日常』という歯車を回し続けている。


「三浦、苦しそうだな。無理しなくていいから、保健室で少し休んでこい」

黒板に板書をしていた教師が、三浦のただならない咳に気づき、静かに声をかけた。

「……はい……すみません……」

三浦は掠れた声で答え、ふらふらと立ち上がった。


蓮は、その姿から目を離すことができなかった。

三浦は自分の席から後ろのドアへと向かって歩き出したのだが、その足取りはどう見ても普通ではなかった。

両腕がだらりと不自然に垂れ下がり、足の裏全体を床に擦り付けるようにして「ズッ……ズッ……」と重い音を立てている。頭は力なく前に落ち、まるで首の筋肉が完全に弛緩してしまったかのようだ。


(あの歩き方……)

昨夜、二階の窓から見た、日高家の門扉に頭をぶつけていたスーツの男。あの異常な歩き方と、今の三浦の足取りが恐ろしいほどに重なって見えた。


三浦が廊下へと出て行く。

ドアが閉まる直前、一瞬だけ見えたその横顔――目は虚ろに焦点を失い、白目の部分がうっすらと充血していた。


「……」

足音が遠ざかっていく。

蓮はズボンのポケットの上から、自分の太ももを強くつねった。

痛みがある。これは現実だ。白昼夢ではない。

三浦はただの風邪だ。そうに決まっている。熱が高すぎてフラフラしていただけだ。

必死に正常性バイアスを働かせようとしたが、一度芽生えた強烈な疑念と恐怖は、そう簡単に消え去ってはくれなかった。


一限目の現代文が終わり、二限目の数学、三限目の英語と、授業は淡々と進んでいった。

窓の外からは、依然として救急車やパトカーのサイレンが途切れることなく聞こえてくる。まるで学校の外側の世界が、少しずつ、しかし確実に崩壊の淵へと向かって滑り落ちていることを告げるBGMのように。

教室内は、空席の多さも相まって、ひどく淀んだ重苦しい空気に支配されていた。


普段なら休み時間になれば、男子たちは集まってゲームの話で盛り上がり、女子たちはスマートフォンの画面を見せ合って笑い声を上げるはずだ。しかし今日の休み時間は誰もが口数を減らし、自分の席に座ったまま不安げに窓の外を見つめたり、繋がりにくいスマートフォンを何度もリロードしたりしている。


「なあ、蓮。なんか今日の空気、マジでおかしくね?」

三限目の後の休み時間。健太が蓮の前の席の椅子を逆向きにして座り、声を潜めて話しかけてきた。

「……ああ。みんな、気味悪がってるんだよ」

「そりゃそうだろ。欠席が十人以上いて、さっきの三浦も顔面蒼白で倒れそうだったし。なんか、タチの悪いインフルエンザとかが蔓延してんのかな」

健太は能天気な性格だが、陸上部で鍛えた野生の勘のようなものが働いているのか、普段の彼にはない微かな緊張感が表情に滲んでいた。


「インフルエンザなら一週間もすれば治る。それならいいさ」

蓮が曖昧に答えると、健太は首をひねった。

「お前、本当に顔色悪いぞ。昨日の夜、なんかあったのか? 親父さんから電話が来たとか言ってたけど」

「いや、なんでもない。ただの寝不足だよ。親父の電話も仕事の愚痴だったしな」

蓮は親友に嘘をついた。

もしここで「親父が『街が狂ってる』って言ってた。三浦も感染してるかもしれない」などと言えば、健太はパニックを起こすか、「お前、頭おかしくなったのか」と笑い飛ばすかのどちらかだろう。


今はまだ確証がない。俺の白昼夢が、ただの被害妄想であることを祈るしかないのだ。

ふと、蓮の視線が斜め前で交差した。

葵が自分の席から振り返り、蓮の方をじっと見つめていたのだ。

彼女の大きな瞳には明確な不安と、そして誰かにすがりつきたいような弱々しい光が宿っていた。

蓮は健太との会話を切り上げ、葵の方へと小さく頷いてみせた。


『大丈夫だ』

声には出さず、目配せだけでそう伝える。

葵は少しだけホッとした表情になり、微かに口角を上げて頷き返した。

その小さなやり取りだけで、蓮の心にあった暗い霧が少しだけ晴れる気がした。

俺が、守る。

親父の言いつけ通り、いざという時は家族と、そして彼女を。

事なかれ主義だった少年の胸中で、確たる決意の芯が静かに形成されつつあった。

今回の続きは、13:10の投稿になります。お楽しみに!


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。


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これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!

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