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残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―  作者: solune
プロローグ:日常の終わり

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第5話:夕暮れのサイレン【3/3】

おかげさまで、月間ホラー〔文芸〕と[週間]ホラー〔文芸〕のランキングにランクインしました!

読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!

『キキィィィィィィィッ!!』


閑静な住宅街の夜を引き裂くような、凄まじいタイヤのスキール音が鳴り響いた。

坂の下から、赤色灯を激しく回転させた一台の警察のワンボックスカー――機動隊の輸送車両――が、猛スピードで突っ込んできたのだ。

車両は佐藤さんの家の前で急ブレーキをかけ、ドアが勢いよくスライドして開いた。

「目標捕捉! 対象は二名! 制圧しろ!!」


拡声器を通した怒号と共に、黒い防刃ベストとヘルメット、そしてジュラルミン製の透明な大盾を構えた数名の機動隊員たちが、車両から次々と飛び出してきた。彼らの手には、警棒ではなく、長いアルミ製の『刺股(さすまた)』が握られている。

「下がってください!!」

一人の隊員が佐藤さんを引きずって後ろへ下げると同時に、二人の隊員が刺股を突き出し、スーツの男と若い女の首元と胴体を壁に激しく押し付けた。


「ガァァァァァァッ!!」

壁に押し付けられた男が、鼓膜を劈くような絶叫を上げた。それは、とても人間の声帯から発せられたとは思えない、狂気に満ちた咆哮だった。

男は刺股のアルミの柄に両手で掴みかかり、凄まじい力で隊員たちを押し返そうとする。

「クソッ、なんて馬鹿力だ! 応援頼む!」

屈強な機動隊員二人がかりでも、たった一人のサラリーマンの突進を抑えきれずにズルズルと後退していく。男は口を大きく開け、刺股の金属の柄を狂ったように噛みちぎろうとしていた。ガチガチと歯が砕けるのも構わず、血を流しながら金属に噛み付くその姿は、悪夢以外の何物でもない。


「足を取れ! 倒して制圧しろ!」

別の隊員が横から飛び込み、大盾で男の足を強く薙ぎ払った。バランスを崩してアスファルトに倒れ込んだ男の上に、三人の隊員が一斉にのしかかる。それでも男はゴキゴキと関節が外れるような音を立てながら暴れ狂い、最終的に特殊な拘束ネットを被せられて、ようやくその動きを封じられた。もう一人の若い女の方も、複数の刺股で地面に押さえつけられ、同様にネットで拘束されていた。


「ハァ……ハァ……。本部、こちら第三班。第二十二セクターにて、暴徒二名を確保。これより護送する」

隊長らしき人物が、肩の無線機に向かって息も絶え絶えに報告を入れる。その声は、訓練された警察官のものでありながら、明確な疲労と恐怖の色が滲んでいた。

隊員たちは、拘束してなお暴れ続ける二人を、まるで危険な猛獣を扱うかのように引きずり、ワンボックスカーの荷台へと放り込んだ。

重いスライドドアが閉められる。


隊長が拡声器を持ち、周囲の家々に向かってアナウンスを始めた。

『近隣住民の皆様。こちらは警察です。現在、違法薬物の使用者と思われる暴徒の集団が徘徊しておりますが、事態は警察によって順次鎮圧されております。皆様は絶対に外に出ず、ご自宅で待機してください。繰り返します――』

拡声器の音声が響く中、機動隊の車両は再びサイレンを鳴らし、夜の住宅街の奥へと走り去っていった。後には、佐藤さんの震える息遣いと、アスファルトに残された数滴のどす黒い血痕だけが残された。


蓮はカーテンを持つ手を震わせながら、その一部始終を窓枠にへばりつくようにして見ていた。

助かった。警察が来て、あいつらを連れ去ってくれたのだ。

だが、蓮の心に湧き上がってきたのは、安堵感よりも、さらに深い底知れぬ恐怖だった。


(違法薬物の使用者……? 嘘だ)

拡声器のアナウンスは、あまりにも現実と乖離していた。いくら強力な薬物を使っていたとしても、首の骨が曲がり、歯が砕けるのも構わずに金属を噛みちぎろうとする人間などいるはずがない。あんなものは、もう人間ではないのだ。

そして何より、機動隊員たちのあの異常なまでの重装備と、焦燥しきった動き。彼らは明らかに『相手が普通の人間ではない』ことを知っていた。知った上で、なんとか被害を最小限に食い止めようと、死に物狂いで対処しているのだ。


警察の防衛網は、まだ完全に崩壊してはいない。だが、あの調子で街中に溢れ返る何千、何万という感染者を、いつまで抑えきれるというのか。

蓮は窓から離れ、壁に背中を預けてズルズルと座り込んだ。心臓が痛いほどの早鐘を打っている。今、この瞬間にも、街のどこかで防衛線が突破され、あの化け物たちが住宅街へと雪崩れ込んでくるかもしれない。

俺は、あんな化け物から、母さんと結衣を守り切れるのか。この小さなサバイバルナイフ一本で。

圧倒的な無力感と絶望が、事なかれ主義で生きてきた十七歳の少年の心を押し潰そうとしていた。


「……お兄ちゃん?」

不意に、背後のドアが微かに開き、結衣が不安げな顔を覗かせた。

「結衣……どうした、上がってきちゃダメだって言っただろ」

蓮が慌てて立ち上がると、結衣は泣きそうな顔で言った。

「だって、外からすごい声とかサイレンが聞こえて……お母さんも心配してて……。ねえ、お兄ちゃん。テレビ……」

「テレビがどうした?」

「テレビ、ついたの。なんか、緊急のニュースやってる……」

「なんだって?」


蓮は結衣の肩を抱き寄せ、急いで階段を駆け下りた。

リビングに入ると、真っ暗だったはずの大型液晶テレビの画面が、眩しいほどの光を放っていた。画面には、見慣れたNHKのニューススタジオが映し出されている。

だが、そこに座っている中年の男性キャスターの顔は脂汗にまみれ、ネクタイも少し曲がっており、普段の冷静沈着な姿とは程遠いものだった。彼の背後では、大勢のスタッフが走り回り、怒号のような指示が飛び交っているのがマイクを通して聞こえてくる。恵子が、テレビの真ん前に正座し、祈るように両手を組んで画面を食い入るように見つめていた。


『――繰り返します。国民の皆様に、政府からの緊急発表をお伝えします』

キャスターが、手元の原稿を持つ手を震わせながら、カメラに向かって語りかけている。

『本日夕刻より、全国の複数都市において、大規模な暴動や通信障害、およびテレビ電波の乗っ取りといった事案が同時多発的に発生いたしました。政府の発表によりますと、これら一連の事態は、海外を拠点とする大規模な【サイバーテロリスト・グループ】による、極めて悪質な破壊工作であることが判明いたしました』


「サイバー……テロ……?」

蓮は、眉をひそめてテレビ画面を睨みつけた。

『また、現在、一部のSNSやインターネット上で出回っている【人が人を襲う】といった猟奇的な動画や、先ほどまで一部のチャンネルで放送された【渋谷駅前が暴徒に占拠され、食人行為が行われている】という映像は、全てテロリストによって生成された【AIによる高度なディープフェイク(偽造映像)】であることが、警察庁の専門機関によって確認されました』


「偽造、映像……。じゃあ、あの渋谷の映像は、嘘だったってこと?」

恵子が、震える声で呟いた。

キャスターは、視聴者を安心させるように、あるいは自分自身に言い聞かせるように、言葉に力を込めて原稿を読み続ける。

『はい、全て偽造された映像です。皆様、どうか惑わされないでください。また、現在街頭で発生している実際の暴動事件につきましても、テロリストの関連組織が散布した【新型の強力な幻覚剤】を摂取した若者たちの集団であることが判明しております。幻覚剤の影響で一時的に凶暴化しているものの、現在、全国の警察および出動した自衛隊の治安維持部隊によって、順次鎮圧と逮捕が行われております』


画面が切り替わり、防護服を着た機動隊が、何人かの若者をネットで捕獲し、警察車両に押し込んでいる映像が流れた。それは、先ほど蓮が二階の窓から見た光景とそっくりだった。

『政府は、この事態を完全にコントロール下においており、通信インフラの復旧も進んでおります。市民の皆様は、決してパニックを起こさず、デマに惑わされることなく、今夜はご自宅で施錠をして、安全にお過ごしください。明日の朝には、事態は完全に収束する見通しです――』


キャスターの言葉が終わると同時に、画面は「緊急事態の対応について」という政府広報の静止画に切り替わり、落ち着いたクラシック音楽が流れ始めた。

リビングに、深い沈黙が落ちた。


数秒後。

「……ああ……よかった……」

恵子が、その場にへたり込むようにして、大きく、長く、安堵の息を吐き出した。彼女の目からはポロポロと涙がこぼれ落ちていた。

「よかった……本当に、よかった。テロリストの嫌がらせだったのね。あの恐ろしい映像も、全部作り物だったんだわ」

「お母さぁん……! 私、本当に怖かったよぉ!」

結衣も恵子の胸に飛び込み、ワンワンと声を上げて泣き始めた。


二人の様子は、張り詰めていた糸が完全に切れ、極限の緊張状態から一気に解放された人間のそれだった。無理もない。人が人を食い殺す化け物が蔓延る世界よりも、サイバーテロと新型麻薬による暴動の方が、はるかに『現実的』であり、理解可能だからだ。警察や自衛隊が動いており、事態はコントロール下にある。明日の朝には終わる。

国家という巨大な権力が保証してくれたそのストーリーは、恐怖に震える一般市民にとって、すがりつくのに十分すぎるほど強力な『救い』だった。


「……」

だが、蓮だけは、冷ややかな目をしてテレビの画面を見つめていた。

正常性バイアス。

人間は、自分にとって都合の悪い情報や、受け入れがたい異常事態に直面した時、無意識に「大したことない」「すぐに元に戻る」と過小評価してしまう心理的メカニズム。

母と妹は今、そのバイアスの中に完全に逃げ込んでいる。


テレビのニュースは、あまりにも都合が良すぎた。全てをサイバーテロとAIの偽造映像のせいにして、現実の狂気を「ただの麻薬中毒者」にすり替えている。

だが、蓮は見てしまったのだ。二階の窓から見た、首が折れ曲がったまま金属を噛みちぎろうとするあの異常な姿。あれが、ただの麻薬で説明がつくはずがない。

そして何より。

『街が狂い始めてる。お前が、家族を守るんだ』

あの時、電話越しに聞いた父の切迫した声と、背後で聞こえたガラスの割れる音、人々の絶叫。あれも全て、サイバーテロの幻聴だったというのか?

いや、違う。親父の声は本物だった。親父は、自分の命の危険を悟りながら、最後の力を振り絞って俺に警告してくれたのだ。


政府は、嘘をついている。

パニックによる社会の完全崩壊を防ぐために、真実を隠蔽し、耳障りの良い嘘で国民をなだめようとしているだけだ。


「……蓮? どうしたの、そんな怖い顔して」

涙を拭った恵子が、立ち尽くしている蓮を見上げて不思議そうに尋ねた。

「……いや、なんでもないよ」

蓮はスッと表情を和らげ、努めて明るい声を作った。

「よかったな。親父の奴、ただの暴動を勘違いして、大げさにビビってただけなんだな。きっと明日になったら、ひょっこり帰ってきて『いやー、焦った焦った』とか言って笑うぜ」


嘘だった。蓮の心の中には、微塵もそんな希望はない。

だが、今ここで自分が「政府は嘘をついている! あいつらは化け物だ!」と騒ぎ立てれば、母と妹は恐怖で正気を失ってしまうかもしれない。

俺が、家族を守る。

そのためには、今はあえて彼女たちをこの『偽りの安心感』の中にいさせてやった方がいい。精神を摩耗させるより、明日への希望を持たせた方が、いざという時に動けるはずだ。


「ええ、そうね。お父さんったら、昔から心配性なんだから」

恵子はふふっと笑い、立ち上がった。

「なんだか、急にホッとしたらお腹が空いちゃったわ。カレー、すっかり冷めちゃったけど、今から温め直すわね。蓮も結衣も、手を洗っていらっしゃい」

「うん! 私、すっごくお腹空いた!」

結衣が笑顔を取り戻し、キッチンへと向かう。


日常が、戻ってきたかのような錯覚。

テレビからは、静かなクラシック音楽が流れ続けている。

蓮は、自分のズボンのベルトに差し込まれたサバイバルナイフにそっと触れた。

テレビのニュースを信じ切った母と妹は、非常用持ち出し袋を部屋の隅に追いやり、食卓の準備を始めている。

だが、蓮は知っている。窓の外の暗闇では、依然としてサイレンの音が遠くで鳴り続けていることを。

そして、政府の鎮圧作戦など到底追いつかないほどの圧倒的な数の『何か』が、今もこの街を侵食し続けていることを。


「……俺は、騙されないぞ」


蓮は誰にも聞こえない声で呟き、ナイフを服の裾で隠した。

偽りの平和に包まれた部屋の中で、静かに夜が更けていく。

次の話は、翌日7:10の投稿になります。お楽しみに!


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

面白かった、続きが気になると思っていただけたら、執筆を続ける大きな励みになります。


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これからも『残響サバイバーズ ―僕らの最後の青春―』をよろしくお願いいたします!

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