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あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


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2-17


✳︎17.





 付き合うことになった。


 その事実は、思っていたよりも静かに、二人の間へ降りてきた。


 海を見下ろす、小さなカフェ。


 昼間は眩しいほど青かった海が、夕暮れの色へゆっくり染まり始めている。


 水平線の近くには淡い橙色が残り、その上から薄い藍色が重なっていた。


 テラス席を通り抜ける潮風は、少しだけ冷たい。


 遠くでは、波が一定の間隔で寄せては返している。


 つい先ほどまで。


 告白を断られると思っていた弓弦は、まだ現実を受け止めきれていないようだった。


「……付き合う。」


 自分へ言い聞かせるように、ぽつりと呟く。


『うん。』


「俺たちが?」


『そう。』


「恋人として?」


『そうだよ。』


「本当に?」


『本当に。』


「夢じゃない?」


『しつこい。』


 ほたるは呆れたように笑った。


 それでも弓弦は、まったく堪えた様子がない。


 両手で口元を覆い。


 一度、深く俯く。


 数秒もすると、また顔を上げては、目の前にいるほたるを確かめるように見つめる。


 そのたびに。


 隠しきれない笑みが、口元から溢れてしまう。


「……どうしよう。」


『なにが?』


「嬉しすぎる。」


『そう。』


「俺、今日ちゃんと運転して帰れるかな。」


『それは困る。』


「はい。」


『ちゃんと安全運転で帰ってください。』


「はい。」


 返事だけは素直だった。


 けれど。


 耳まで赤い。


 頬も緩みきっている。


 少し目を離せば、本当に一人で叫び出しそうだった。


 ほたるは、そんな弓弦を見ながら小さく笑った。


 本当に。


 変な人。


 家族を何よりも優先すると伝えた。


 この先も、それは変わらないと。


 それでもいいと。


 そんなほたるが好きなのだと。


 弓弦は、何の迷いもなく受け止めた。


 誰かを好きになるために。


 リンとユンユンを後回しにしなくていい。


 自分の生き方を変えなくていい。


 その言葉に。


 ほたるは、自分で思っていた以上に救われていた。


     ◇◇◇


 カフェを出る頃には、空はすっかり薄い藍色へ染まっていた。


 海の向こうへ太陽が沈み。


 商店街には、一つずつ灯りがつき始めている。


 二人は駐車場へ向かって、ゆっくり並んで歩いた。


 隣を歩いているだけなのに。


 少し前までとは、何かが違った。


 肩が近づくたび。


 指先が触れそうになるたび。


 互いの存在を、妙に意識してしまう。


 付き合った。


 たった一つの事実で。


 見慣れていたはずの相手が、急に近く感じられた。


『ねぇ。』


「うん。」


『付き合ってること。』


「うん。」


『世間には、しばらく秘密にしよう。』


 弓弦は、一瞬だけ黙った。


 その横顔に。


 ほんの少しだけ、寂しさが浮かぶ。


 ほたるは、すぐに気付いた。


『嫌?』


「嫌じゃない。」


 弓弦は、正直に答えた。


「少し寂しいけど。」


『ごめん。』


「謝らないで。」


 世界的歌姫・ユンイー。


 日本を代表するトップアイドルグループ、Asterismのセンター。


 二人が本当に交際を始めたと知られれば、世間がどれほど騒ぐか。


 想像するまでもなかった。


 以前のような。


 恋愛リアリティーショーの企画から生まれた、期間限定の関係ではない。


 今回は、本物だ。


 ほたるは日本へ活動拠点を移したばかり。


 弓弦も『瞬星』の大ヒットによって、これまで以上に注目されている。


 スポンサー。


 番組。


 事務所。


 ファン。


 あまりにも多くの人が、二人の一挙手一投足を見ていた。


 公表するにしても。


 周囲へきちんと説明し。


 仕事への影響を確認し。


 時期を見極める必要がある。


『メンバーのみんなには、ちゃんと話そうね。』


「うん。」


『阿久津さんと沙織さんにも。』


「もちろん。」


『レナにも。』


「うん。」


『リンリンとユンユンにも。』


 その名前が出た瞬間。


 二人の足が、ほぼ同時に止まった。


 夕暮れの商店街。


 静かな潮風。


 その中で。


 弓弦の表情だけが、少し引きつる。


「……ユンユン。」


『うん。』


「怒るかな。」


『怒ると思う。』


「やっぱり。」


『ものすごく嫌な顔すると思う。』


「それも想像できる。」


『でも。』


 ほたるは、少しだけ笑った。


『ちゃんと話したい。』


「うん。」


『隠したくないから。』


 その言葉に。


 弓弦の表情が、柔らかくなる。


「俺も。」


「自分の口で、ちゃんと話したい。」


『じゃあ。』


『家族とみんなへ話すまでは、二人だけの秘密。』


「うん。」


『そのあと、世間へどうするかは事務所と相談しよう。』


「分かった。」


 二人は静かに頷き合った。


 メンバーにも。


 家族にも。


 長く支えてくれた人たちにも。


 きちんと報告するつもりだった。


 ただ。


 今日一日だけは。


 二人だけの秘密として、この幸せを抱えていたかった。


     ◇◇◇


 駐車場へ戻る途中。


 二人は、小さな商店街を通った。


 夕方には店を閉める場所も多く。


 観光客の姿も、ほとんどない。


 古書店。


 焼き菓子の店。


 古い看板の喫茶店。


 その一角に、小さなアクセサリーショップがあった。


 木枠のショーウィンドウ。


 柔らかな照明。


 その中には、手作りらしい銀色の指輪が並んでいる。


 派手ではない。


 高価すぎるものでもない。


 少し不揃いで。


 けれど、どこか温かみがあった。


 弓弦は足を止めた。


「……。」


 ほたるも、その視線に気付く。


『見たい?』


「え。」


『指輪。』


「いや。」


 否定はした。


 けれど。


 目は、完全にショーウィンドウへ向いている。


『見たい顔してる。』


「……少しだけ。」


『入ろうか。』


「いいの?」


『私も見たい。』


 二人は店へ入った。


 カラン、と小さなベルが鳴る。


 店内には木の香りが漂っていた。


 古い時計が、静かに時を刻んでいる。


 カウンターの奥では、年配の女性店主が本を読んでいた。


 帽子とサングラスで顔を隠した二人へ、特別な興味を示す様子もない。


「ペアで着けられるものって、ありますか?」


 弓弦が、小さな声で尋ねた。


 口にした直後。


 自分で恥ずかしくなったらしく、耳まで赤くなる。


 ほたるが隣で、くすっと笑った。


『ペア。』


「いや。」


「だって。」


「付き合ったから。」


『知ってる。』


「……そうだった。」


 完全に浮かれていた。


 店主は穏やかに微笑み、いくつかの指輪を見せてくれた。


 その中に。


 二人の視線を、同時に引きつけるものがあった。


 細い銀色のリング。


 表面には、何の装飾もない。


 とてもシンプル。


 けれど。


 内側にだけ、小さな星が刻まれていた。


 二つを並べると。


 それぞれに刻まれた星が、一つの星座のように繋がる。


「……これ。」


 弓弦が呟く。


『うん。』


 ほたるも、同じものを見ていた。


 Asterism。


 星の集まり。


 『瞬星』。


 そして。


 長い間離れていた二人が、ようやく同じ場所へ戻ってきた今。


 不思議なくらい。


 二人にぴったりの指輪だった。


「これにしよう。」


『うん。』


 迷いはなかった。


     ◇◇◇


 サイズを合わせるため。


 二人は、その場で指輪を着けた。


 弓弦は、自分の指へ一つ。


 そして。


 ほたるの右手を、そっと取る。


 触れた指先が、少し震えていた。


『緊張してる?』


「してる。」


『ただの指輪だよ。』


「ただじゃない。」


 弓弦は真剣だった。


「初めて。」


「恋人と買った指輪。」


 その言葉に。


 ほたるは、一瞬だけ目を見開いた。


 それから。


 少し照れたように笑う。


『そっか。』


 細い指へ。


 銀色のリングが、ゆっくり通される。


 右手の薬指。


 結婚指輪ではない。


 婚約指輪でもない。


 恋人になった二人だけの、小さな証だった。


 指輪を着けた手を並べる。


 銀色の輪。


 誰にも見えない内側で繋がる、二つの星。


『仕事では外そうね。』


「……うん。」


『今、間があった。』


「外す。」


『本当に?』


「ちゃんと外す。」


『メンバーに話す前にバレたら、格好悪いよ。』


「分かってる。」


『明日、自分の口で話すんでしょう?』


「うん。」


「朝、みんなが揃ったら話す。」


『私は今夜、リンリンとユンユンに話す。』


「……ユンユン。」


『大丈夫。』


「本当に?」


『多分。』


「多分なんだ。」


 二人は顔を見合わせて笑った。


     ◇◇◇


 その夜。


 ほたるは、家族へきちんと話した。


 夕食後。


 リビング。


 ソファにはリン。


 ダイニングテーブルには、ノートパソコンを開いたユンユン。


 ほたるは二人の前に座り、少しだけ姿勢を正した。


『話があるんだけど。』


「なぁに?」


 リンが首を傾げる。


 ユンユンは画面から目を上げない。


「……なに。」


『今日。』


『弓弦さんと付き合うことになりました。』


 リンの目が、大きく見開かれる。


「ほんと!?」


『うん。』


「やったぁ!」


 リンはソファから飛び上がった。


「ゆずほた、本当になった!」


『ふふ。』


『本当になったね。』


 その横で。


 ユンユンの指が、キーボードの上で止まっていた。


「……。」


 ゆっくりと顔を上げる。


 ほたるを見る。


 次に。


 右手の薬指へ視線を落とす。


 細い銀色の指輪。


「……今日?」


『うん。』


「……あいつから?」


『うん。』


「……断らなかったの。」


『うん。』


「……。」


 ユンユンの眉間に、深い皺が寄る。


『嫌?』


「嫌。」


 即答だった。


『そっか。』


「なんで、あいつ。」


『私が好きだから。』


「……。」


 ユンユンが黙る。


 ほたるは、穏やかに続けた。


『でも。』


『リンリンとユンユンのことを大切にする私が好きだって。』


『何も変えなくていいって言ってくれた。』


 その言葉に。


 ユンユンの表情が、ほんの少しだけ止まった。


「……。」


『だから。』


『付き合ってみようと思った。』


「……そう。」


 ぶっきらぼうな返事。


『反対?』


「反対。」


『うん。』


「でも。」


 少し間を置く。


「ほたるが決めたなら。」


 そこで一度、言葉を切る。


「……勝手にすれば。」


 完全な許可ではない。


 けれど。


 完全な拒絶でもなかった。


 ほたるは優しく笑う。


『ありがとう。』


「許したとは言ってない。」


『うん。』


「泣かされたら。」


 ユンユンは低い声で言う。


「アステの曲、二度と書かない。」


『分かった。』


「あと。」


 指輪を睨む。


「それ。」


「見せびらかすな。」


『かわいいのに。』


「知らない。」


 リンが横から笑う。


「ユンユン、やきもちー!」


「違う。」


「やきもちー!」


「うるさい。」


 そう言いながら。


 ユンユンは再び画面へ視線を戻した。


 けれど。


 耳は、少しだけ赤かった。


     ◇◇◇


 翌朝。


 Asterismの楽屋。


 弓弦は、いつもより少し早く事務所へ来ていた。


 今日は。


 メンバーへ、自分の口から報告する。


 阿久津にも。


 沙織にも。


 きちんと伝えるつもりだった。


 楽屋の前。


 右手の指輪を見る。


「……。」


 昨夜から。


 何度見たか分からない。


 仕事では外す。


 そう約束した。


 だから。


 本当は、楽屋へ入る前に外すつもりだった。


 それなのに。


 指輪へ触れるたび。


 ほたるが自分の指へリングを通した時の顔を思い出してしまう。


 どうしても。


 あと少しだけ。


 着けていたかった。


「おはようございます。」


 扉を開ける。


「おはよー。」


 水城はソファで携帯ゲーム。


 黒瀬は朝食のサンドイッチ。


 神崎は新聞。


 いつもと変わらない朝だった。


 弓弦はソファへ座る。


 深呼吸。


「みんな。」


 声を掛ける。


「ちょっと話が――」


「あ。」


 水城が、ゲーム画面から顔を上げた。


 弓弦の右手を見る。


「指輪。」


「……。」


 あっさり気付かれた。


 黒瀬も視線を向ける。


「あ、本当だ。」


「昨日までしてなかったよな。」


 神崎も新聞越しに弓弦の手を見る。


 細い銀色のリング。


 右手の薬指。


 三人は数秒、それを眺めた。


 そして。


 誰も驚かなかった。


「……やっとか。」


 最初に言ったのは、神崎だった。


 新聞を畳みながら。


 本当に、今さらだと言いたげな声だった。


「え?」


 弓弦の方が驚く。


 水城もゲームを置き、大きく伸びをする。


「やっとだなぁ。」


「長かった。」


 黒瀬はサンドイッチを食べながら頷く。


「おめでとう。」


「で。」


「ほたるちゃんだろ?」


「……うん。」


 弓弦は、少し肩透かしを食らったような顔になる。


「え。」


「それだけ?」


「何が?」


 水城が首を傾げる。


「もっと驚くとか。」


「えぇぇぇ!? とか。」


「なんで?」


 水城は本気で不思議そうだった。


「むしろ、まだ付き合ってなかったことの方が驚きだろ。」


 黒瀬が平然と言う。


「家行って。」


「毎日LINEして。」


「番組に出れば甘い空気出して。」


「二人で出掛けて。」


「世間からは、とっくに恋人みたいに思われて。」


「それで付き合ってなかった方が意味分からん。」


 神崎も淡々と続けた。


「ようやく現実が、世間の認識へ追いついただけだ。」


「……。」


 反論できない。


 水城は、弓弦の右手を取って指輪を眺める。


「へぇ。」


「ペアリング?」


「うん。」


「昨日買った?」


「うん。」


「ほたるちゃんと?」


「うん。」


「嬉しい?」


「すごく。」


 即答だった。


「見れば分かる。」


 黒瀬が笑う。


「朝から顔、ずっと緩んでる。」


「普通の顔してたけど?」


「してない。」


 三人の声が重なった。


 弓弦は赤くなる。


「自分では、ちゃんとしてたと思ったのに。」


「無理。」


 神崎が短く切り捨てる。


 水城は、弓弦の肩を軽く叩いた。


「まぁ。」


「本当におめでとう。」


「やっとだな。」


 黒瀬も笑う。


「よかったじゃん。」


「二年も離れて。」


「また戻ってきて。」


「ここまで長かったもんな。」


 神崎も静かに頷いた。


「おめでとう。」


「今度は、ちゃんと大事にしろ。」


「うん。」


 弓弦は、少し目を潤ませながら笑った。


「ありがとう。」


 派手な歓声はなかった。


 大げさな驚きもない。


 ただ。


 長い間。


 弓弦の気持ちを、一番近くで見てきた三人が。


 ようやくたどり着いた恋を、自然に受け入れてくれた。


 それが。


 弓弦には、何より嬉しかった。


     ◇◇◇


「で。」


 水城が、にやりと笑う。


「告白はどっちから?」


「俺。」


「何て言った?」


「言わない。」


「ほたるちゃん、何て返した?」


「それも言わない。」


「キスした?」


「してない。」


「してないの!?」


「付き合ったばっかりだよ!」


「手は?」


「繋いだ。」


「うわ。」


「初々しい。」


「うるさい!」


 祝福は静かだったが。


 詮索は、まったく静かではなかった。


 そこへ。


 楽屋の扉が開く。


 阿久津だった。


「朝から何を騒いで――」


 途中で止まる。


 笑っている三人。


 真っ赤な弓弦。


 そして。


 右手の指輪。


「……。」


 阿久津は、一瞬で察した。


「弓弦さん。」


「はい。」


「ご報告がありますか。」


「あります。」


 弓弦は立ち上がる。


 少し緊張しながらも。


 真っ直ぐ阿久津を見る。


「昨日。」


「ほたるちゃんと付き合うことになりました。」


「そうですか。」


 阿久津は短く答えた。


 驚いた様子は、ほとんどない。


「社長にも、お話しいただけますか。」


「もちろんです。」


「公表については。」


「まず、事務所と相談したいです。」


「承知しました。」


 阿久津は頷く。


 それから。


 ほんの少しだけ、表情を緩めた。


「おめでとうございます。」


「……ありがとうございます。」


 水城がすぐに笑う。


「阿久津さんも、やっとって思ってたでしょ?」


「ええ。」


 即答だった。


「全員それ!?」


 弓弦だけが、少し納得いかない顔をした。


     ◇◇◇


 一方。


 ほたるも、その日の午前中。


 自分からレナへ報告した。


 収録前の楽屋。


 ほたるはソファの前へ立ち、少しだけ姿勢を正す。


『レナ。』


「なに?」


『話がある。』


「怖いんだけど。」


『昨日。』


『弓弦さんと付き合うことになりました。』


「……。」


 レナは一度、目を瞬かせた。


 それから。


 ほたるの右手にある指輪を見る。


「ああ。」


「やっと。」


『え?』


「いや。」


「おめでとう。」


『驚かないの?』


「驚く要素ある?」


『あると思った。』


「世間の方が先に、二人は付き合ってると思ってたわよ。」


『そうだけど。』


「私も、あとは二人がいつ自覚するのか待ってた。」


『……。』


「時間かかったわね。」


 レナは笑う。


「ほたる、嬉しそう。」


 その一言に。


 ほたるは少しだけ目を丸くした。


 そして。


 照れたように、右手の指輪へ視線を落とした。


『……うん。』


「よかったね。」


『ありがとう。』


 レナは優しく笑う。


 けれど。


 すぐにマネージャーの顔へ戻った。


「世間への公表は、ちゃんと相談してから。」


『分かってる。』


「仕事中は指輪を外す。」


『分かってる。』


「公式SNSに写さない。」


『分かってる。』


「弓弦くんにも言って。」


『多分、もうメンバーにバレてる。』


「話すって言ってたんだから、いいじゃない。」


『指輪で先にバレてると思う。』


「……。」


 レナは少し考える。


「あり得る。」


     ◇◇◇


 二人は。


 家族にも。


 メンバーにも。


 マネージャーにも。


 事務所にも。


 自分たちの口から、きちんと話した。


 後ろめたいことはなかった。


 世間への発表だけは。


 少し時間を置くつもりだった。


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 仕事。


 ファン。


 さまざまなことを考え。


 両事務所で相談してから決める。


 そう話し合っていた。


 けれど。


 世間というものは。


 本人たちが思っている以上に。


 細かいところまで見ていた。


     ◇◇◇


 交際開始から一日目。


 弓弦は、指輪を外して音楽番組の収録へ向かった。


 ここまではよかった。


 けれど。


 楽屋でメンバーと話している間。


 無意識に何度も指輪を取り出し。


 眺め。


 着け。


 また外す。


 そんなことを繰り返していた。


「もう着けとけよ。」


 水城が呆れる。


「仕事中だから駄目。」


「じゃあ見るなよ。」


「無理。」


「重症。」


 そして。


 公式SNS用の写真を撮る直前。


 着けたままなのを忘れた。


 楽しそうに笑うAsterismの集合写真。


 その中で。


 弓弦の右手薬指には、細い銀色の指輪が光っていた。


 二日目。


 ほたるは、雑誌の撮影へ。


 撮影中は、きちんと指輪を外していた。


 けれど。


 休憩時間。


 ジャスミンティーを飲みながら。


 嬉しそうにリングを眺めていたところを。


 スタッフが、自然なオフショットとして撮影した。


 その写真は。


 何の疑いもなく、雑誌の公式SNSへ投稿された。


 テーブルの上。


 ほたるの指先。


 そして。


 指輪の内側に刻まれた、小さな星。


 三日目。


 一人のファンが気付いた。


『弓弦の指輪、昨日までなかったよね?』


 次に。


 別のファンが気付く。


『ほたるの写真に写ってる指輪と似てない?』


 さらに。


『待って。内側の星、二つで繋がるデザインじゃない?』


 そこからだった。


 検証が始まった。


 画像の拡大。


 角度の調整。


 リングの太さ。


 内側の刻印。


 ブランド。


 取り扱い店舗。


 購入できる場所。


 やがて。


 湘南にある小さなアクセサリーショップへ辿り着く者が現れた。


 さらに。


 同じ日に。


 白いオープンカーを見たという目撃情報。


 海沿いを歩く、帽子とサングラス姿の男女。


 小さなカフェ。


 楽しそうに話す二人。


 情報が。


 恐ろしい速さで繋がっていった。


     ◇◇◇


 交際三日目の朝。


 SNSのトレンド一位。


 #ゆずほたペアリング


 二位。


 #ゆずほた交際説


 三位。


 #星の指輪


 Asterismの楽屋。


 弓弦は、スマートフォンを見つめていた。


 水城が背後から、画面を覗き込む。


「三日。」


「たった三日。」


「もうバレた。」


 弓弦は、小さく答える。


「……うん。」


 黒瀬は検索画面を見ながら、笑いを堪えていた。


「すごいな。」


「店舗まで特定されてる。」


「怖い。」


 神崎が淡々と言う。


「指輪を着けて公式写真へ写る方が悪い。」


「忘れてたんだよ。」


「付き合って一日で忘れるな。」


「嬉しかったんだよ。」


「それは見れば分かる。」


 水城がトレンドを眺めながら笑う。


「でも。」


「祝福、多いじゃん。」


 画面には。


『やっと!』


『待ってました!』


『本当に付き合ってるの!?』


『星の指輪かわいい!』


『ゆずほた、おめでとう!』


 長い間、二人を見守ってきたファンたちの声が溢れていた。


 もちろん。


 否定的な意見もある。


 戸惑うファンもいる。


 けれど。


 それ以上に。


 ようやく結ばれた二人を喜ぶ声が大きかった。


 弓弦は画面を見ながら。


 少しだけ表情を緩めた。


「……嬉しい。」


「今は喜んでる場合じゃないだろ。」


 神崎が冷静に返す。


「阿久津さん来るぞ。」


 その直後。


 楽屋の扉が開いた。


「弓弦さん。」


「はい。」


 阿久津だった。


 いつも以上に険しい顔。


「社長室へ。」


「はい……。」


 水城が、小さく手を振る。


「いってらっしゃい。」


「他人事だと思って。」


「他人事なので。」


     ◇◇◇


 同じ頃。


 ほたるの楽屋。


 レナは、両手で頭を抱えていた。


「三日。」


「たった三日!」


「正式発表まで、少し待つだけだったのに!」


「なんでバレるのよ!」


 ほたるはソファへ座り。


 スマートフォンを眺めている。


『すごいね。』


「感心しない!」


『よく分かったね。』


「褒めない!」


『指輪、かわいかったからかな。』


「そういう問題じゃない!」


 けれど。


 画面には、祝福の声が溢れていた。


 ほたるは、少しだけ微笑む。


『みんな。』


『喜んでくれてる。』


 レナも画面を見る。


 しばらくして。


 小さく息を吐いた。


「……それだけが救いね。」


『怒ってる?』


「怒ってる。」


『ごめんなさい。』


「でも。」


 レナは少しだけ笑った。


「おめでとうって言ってくれる人が多くて、よかった。」


『うん。』


     ◇◇◇


 その日の午後。


 アステリア・プロダクション。


 会議室。


 Asterismの四人。


 阿久津。


 沙織。


 ほたる。


 レナ。


 ルミエール側のスタッフ。


 全員が、一つの長机を囲んでいた。


 机の上には。


 検証画像。


 SNSのトレンド。


 ネット記事。


 指輪の比較写真。


 阿久津は、静かに弓弦を見る。


「弓弦さん。」


「はい。」


「ご家族やメンバー、事務所への報告は、きちんとされています。」


「はい。」


「その点は問題ありません。」


「はい。」


「世間への公表についても、相談するつもりだった。」


「はい。」


「それなのに。」


 一枚の公式写真を持ち上げる。


「指輪を着けたまま撮影されています。」


「……はい。」


「外し忘れたんですね?」


「はい……。」


 次に。


 レナが、ほたるのオフショットを机へ置く。


「ほたる。」


『はい。』


「指輪、眺めてた?」


『うん。』


「嬉しかった?」


『うん。』


「……そう。」


 責めにくい。


 非常に責めにくい。


 レナは、大きくため息をついた。


「付き合いたてって面倒……。」


 水城が小さく笑う。


「幸せそうでいいじゃん。」


 阿久津とレナが、同時に睨んだ。


 水城は黙った。


     ◇◇◇


 沙織は資料を一通り確認したあと。


 静かに口を開いた。


「もう。」


「ここまで来たら、隠し続ける方が不自然ね。」


 ルミエール側のスタッフも頷く。


 世間の反応。


 ファンの声。


 スポンサー。


 今後の仕事。


 すべてを確認した結果。


 二人の交際を、正式に認めることになった。


 弓弦とほたるは、顔を見合わせる。


 そして。


 同時に苦笑した。


「秘密。」


『三日だったね。』


「世間にはね。」


『家族にはちゃんと話したのにね。』


「メンバーにも。」


『レナにも。』


「阿久津さんにも。」


 二人で笑う。


 その瞬間。


「笑い事ではありません!」


 阿久津とレナの声が重なった。


「すみません!」


『ごめんなさい。』


 二人も同時に頭を下げる。


 その息の合い方が。


 余計に腹立たしい。


     ◇◇◇


 その夜。


 両事務所から、正式な文章が発表された。


 《御影弓弦とほたるは、長い友人関係を経て、現在真剣に交際しております》


 堅い文章。


 丁寧な言葉。


 関係者とファンへの配慮。


 そして最後には。


 二人からの短いコメントが添えられていた。


 弓弦。


 「大切な人です。これからも仕事に誠実に向き合い、互いを支えながら歩んでいきたいと思います。」


 ほたる。


 「長い間見守ってくださった皆さまへ、心から感謝しています。これからも変わらず、皆さまへ歌を届けていきます。」


 発表直後。


 SNSが、一瞬止まった。


 そして。


 爆発した。


『ゆずほた本当だった!』


『やっとだー!』


『星の指輪、やっぱりペアだった!』


『おめでとう!』


『ずっと待ってた!』


『恋リアから本当に付き合うまで長すぎる!』


『王子、幸せそう!』


 ニュース。


 ワイドショー。


 ネット記事。


 新聞。


 連日。


 ゆずほた。


 ゆずほた。


 ゆずほた。


 日本中が。


 長い間見守ってきた二人の、本当の恋を祝福した。


     ◇◇◇


 数日後。


 生放送の音楽番組。


「交際、おめでとうございます!」


 MCが笑顔で弓弦へ声を掛ける。


「ありがとうございます。」


 弓弦は、完璧な王子の笑顔で頭を下げる。


 その右手には。


 もう隠す必要のなくなった、銀色の指輪。


「付き合い始めたのは最近なんですよね?」


「はい。」


「でも世間からしたら。」


「まだだったの!?」


「って感じみたいですよ。」


 スタジオに笑いが起こる。


「メンバーの皆さんも、驚かなかったとか?」


 水城が大きく頷く。


「驚いてないです。」


「指輪見て。」


「やっとかー、って。」


 黒瀬も笑う。


「話す前に分かりました。」


「顔が幸せそうすぎて。」


「そんなに?」


 弓弦が首を傾げる。


「そんなに。」


 三人の声が重なる。


 神崎は腕を組んだまま、静かに言う。


「付き合ったことより。」


「そこまで時間がかかったことの方が驚きだった。」


「またそれ言う!」


 弓弦が抗議する。


 その隣で。


 ほたるも、同じ指輪を着けていた。


 MCが、二人の手元を見る。


「指輪。」


「内側に星があるんですよね?」


『はい。』


「二つで一つの星座になるんです。」


「素敵!」


 観客席から歓声が上がる。


 弓弦は、ほたるの指輪を見て。


 嬉しそうに笑った。


 その視線へ気付いたほたるも。


 少し照れながら笑う。


 それだけで。


 スタジオの空気が、一気に甘くなる。


「出た!」


「ゆずほた!」


「本当に付き合ってる!」


 水城が横から叫ぶ。


「こんな感じです!」


「付き合う前から!」


「ずっとこんな感じ!」


「言うなよ!」


「今さらだろ!」


 スタジオは大きな笑いに包まれた。


     ◇◇◇


 放送終了後。


 スタジオの外。


 二人は、少し離れた廊下を並んで歩いていた。


 もう。


 世間へ隠す必要はない。


 メンバーも。


 家族も。


 事務所も。


 ファンも。


 二人の関係を知っている。


 それでも。


 人前で手を繋ぐのは、まだ少しだけ恥ずかしい。


 弓弦が、そっと右手を差し出す。


 ほたるは、その手を見つめる。


 それから。


 静かに重ねた。


 指輪同士が触れる。


 小さな音。


 内側の星と星が。


 誰にも見えない場所で繋がる。


「……三日だったね。」


『なにが?』


「世間への秘密。」


『うん。』


「もっと隠せると思ってた。」


『私も。』


「でも。」


 弓弦は笑う。


「みんなには、自分たちでちゃんと話せたから。」


「それはよかった。」


『うん。』


「それに。」


「今は、バレてよかったかも。」


『どうして?』


「隠さなくていいから。」


 ほたるは少し考えた。


 それから。


 優しく笑った。


『そうだね。』


 歩きながら。


 弓弦は、繋いだ手へ少しだけ力を込める。


「ほたるちゃん。」


『なに?』


「俺。」


「今でも、あの日のこと嬉しい。」


『あの日?』


「海のカフェ。」


 ほたるは、すぐに意味を理解した。


 二人しか知らない。


 告白の日の会話。


 弓弦が受け入れた、ほたるの大切なもの。


『……変なの。』


「うん。」


「でも。」


 弓弦は笑う。


「俺にとっては、大事な話だから。」


『誰にも言わないでね。』


「言わない。」


「二人だけの秘密。」


『うん。』


 二人は顔を見合わせた。


 世間へ知られてしまった恋。


 隠せなかった指輪。


 けれど。


 二人だけが知っている言葉もある。


 誰にも見えない、指輪の内側の星のように。


 大切なものは。


 すべて見せなくてもいい。


     ◇◇◇


 最初は。


 番組が作った恋だった。


 仕事のためのカップル。


 一時の話題。


 そう思われていた。


 けれど。


 時間が流れ。


 離れて。


 また出会って。


 二人はようやく。


 自分たちの意思で、同じ道を選んだ。


 大切な人が、大切にしているものを。


 すべてひっくるめて愛する。


 それが。


 御影弓弦の選んだ恋だった。


 そして。


 誰かを愛することは。


 家族を捨てることではない。


 愛する人を。


 守りたい人を。


 増やしてもいい。


 それを。


 ほたるは弓弦から教えてもらった。


 繋いだ手。


 重なる指輪。


 歩く速さを合わせる二人。


 その背中を。


 夕暮れの街が、優しく包んでいた。


 ゆずほた。


 そう呼ばれた二人の物語は。


 ここで終わるのではない。


 ようやく。


 本当の恋人として。


 ここから始まるのだった。

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