2-13
✳︎13.
アステリア・プロダクション。
社長室。
ソファに腰掛けたAsterismの四人は、どこか落ち着かない様子で時計を見ていた。
世界中が探し続けた作曲家。
YUN。
その正体が、今まさに目の前にいる。
しかも。
これから、自分たちのためだけに書かれた曲を初めて聴く。
興奮しない方がおかしかった。
向かいでは、ユンユンが相変わらず気怠そうにソファへ深く腰掛けている。
黒いパーカー。
首には大きなヘッドホン。
足を組み、肘をつき、いかにも「早く終わらせたい」と言わんばかりの表情だった。
その態度だけ見れば、とても世界的ヒットメーカーには見えない。
「……。」
沈黙。
耐えられなくなったのは、水城だった。
「ユン!」
勢いよく身を乗り出す。
「曲!」
「早く!!」
その一言で、部屋の空気が少しだけ和らぐ。
黒瀬も笑いながら頷いた。
「俺も早く聴きたい。」
「めちゃくちゃ楽しみ。」
弓弦なんて、さっきから落ち着きなく膝を揺らしている。
「……。」
ユンユンは四人を一瞥すると、小さくため息をついた。
「……その前に。」
低い声。
部屋が静まる。
「一個だけ。」
「約束。」
その目は真剣だった。
水城も自然と背筋を伸ばす。
「俺のこと。」
「次。」
「パンダみたいに呼んだら。」
一拍置く。
「帰る。」
「…………。」
一瞬。
誰も理解できなかった。
次の瞬間。
「ごめんなさい。」
水城が勢いよく頭を下げた。
反射だった。
「ほんとごめん!」
「もう言わない!」
ユンユンはじっと見つめる。
「……。」
「絶対?」
「絶対!」
「……。」
「じゃあいい。」
それだけだった。
神崎が新聞を閉じながら肩を震わせる。
「そこだけは譲れないんだな。」
「譲らない。」
即答。
黒瀬が吹き出した。
「名前よりパンダが嫌なんだ。」
「嫌。」
「そんなに?」
「嫌。」
「可愛いじゃん。」
「嫌。」
短い会話なのに、水城は笑いを堪えきれない。
「めちゃくちゃ地雷だった!」
「知らなかった!」
沙織まで苦笑している。
「ちゃんと反省しなさい。」
「はい……。」
阿久津だけは真顔だった。
「以後、気を付けます。」
「うん。」
それでようやく話が終わる。
ユンユンは小さなUSBメモリを机へ置いた。
「デモ。」
「仮歌も入ってる。」
弓弦が思わず前のめりになる。
「歌ったの?」
「歌えるの?」
「……。」
ユンユンは少し考えてから答えた。
「歌えるっていうか。」
「デモ。」
「仮。」
「最低限。」
「へぇーー!」
水城が目を輝かせる。
「ちょっと楽しみなんだけど!」
「楽しみにするほどじゃない。」
「いやいや!」
「YUNの歌とかレアじゃん!」
ユンユンは面倒そうに頭を掻いた。
「……別に。」
「歌手じゃない。」
「分かってる!」
「だから聴きたい!」
そのやり取りに、弓弦も思わず笑う。
さっきまで張り詰めていた空気が、少しだけ柔らかくなった。
沙織はUSBを受け取り、パソコンへ差し込む。
部屋の照明が少しだけ落とされた。
誰も喋らない。
阿久津が静かにカーテンを閉める。
午後の日差しが遮られ、社長室は薄暗くなった。
まるで、小さな試写室のようだった。
弓弦は無意識に膝の上で拳を握る。
神崎は腕を組み直す。
黒瀬はソファへ深く腰掛ける。
水城だけが落ち着かず、何度も姿勢を変えていた。
「……。」
ユンユンは何も言わない。
ただ。
スピーカーだけを見ていた。
沙織が、再生ボタンへ指を置く。
「……行くわね。」
誰も返事をしない。
小さくクリック音が響く。
◇◇◇
――ポン。
最初に鳴ったのは。
たった一つの音だった。
「……。」
弓弦の肩がわずかに震える。
高く。
細く。
消えそうなピアノ。
夜空へ浮かんだ、一番最初の星みたいな音。
その一音が消える前に。
低いベースが静かに重なる。
深い。
どこまでも深い。
夜の底を歩いているような音だった。
「……。」
神崎がゆっくり目を閉じる。
心地いい。
暗いのに、不思議と怖くない。
そこへ。
ストリングスが一筋、空を裂く。
光。
ほんの一瞬だけ世界が明るくなる。
その瞬間。
ドラムが走った。
「!」
水城の身体が跳ねる。
テンポが変わる。
急に景色が開ける。
思わず身体を動かしたくなる。
ライブなら絶対に拳を上げる。
そんな勢いだった。
「これ……!」
黒瀬が息を呑む。
しかし。
盛り上がると思った、その瞬間。
全部、落ちた。
ドラムが消える。
コードが反転する。
光が、すっと夜へ沈んでいく。
「え……。」
誰かが小さく漏らした。
暗い。
なのに。
その暗さが美しい。
星が雲へ隠れたみたいに。
たった二小節。
それだけで胸が締め付けられる。
そして――。
また。
光る。
今度はさっきより少しだけ強く。
少しだけ眩しく。
明るい。
でも。
どこか切ない。
笑っているのに泣いている。
泣いているのに笑っている。
そんな音だった。
誰一人。
もう言葉を発しなかった。
耳が。
心が。
完全にその曲へ奪われていた。
ユンユンだけは腕を組んだまま、静かに四人の横顔を眺めている。
その反応を。
まるで試験官のような目で見つめながら。
部屋には。
星が瞬くようなメロディだけが、静かに流れ続けていた――。
⭐︎12 瞬星 ―後編―
静かなイントロが終わる。
低く響いていたベースが、ゆっくりと鼓動を刻み始めた。
その上へ。
ユンユンの仮歌が重なる。
決して歌手のような歌い方ではない。
余計なビブラートもない。
感情を押し付けるような歌い方でもない。
ただ。
メロディを、一番綺麗に見せるためだけの声。
それなのに。
その歌は、不思議なほど映像を浮かばせた。
弓弦は自然と、自分がその歌を歌う姿を思い浮かべる。
神崎は、自分の低音が重なる場所を。
黒瀬は、身体が止まる瞬間を。
水城は、客席が一斉に飛び跳ねる景色を。
誰も指示されていない。
それなのに。
四人とも、同じ未来を見ていた。
◇◇◇
Aメロ。
静かだった。
夜の街を歩いているような空気。
音数は少ない。
なのに、一つ一つの音が妙に耳へ残る。
神崎がぽつりと呟く。
「……削ってる。」
ユンユンが少しだけ視線を向ける。
「え?」
水城が聞き返した。
神崎はスピーカーから目を離さない。
「普通なら、ここはもっと音を重ねる。」
「でも、この曲は違う。」
「引いてる。」
「だから、一音が目立つ。」
ユンユンは何も言わない。
けれど。
ほんの少しだけ口元が動いた。
気付いた。
そう思った。
◇◇◇
Bメロ。
少しずつ光が差し始める。
ギターが前へ出る。
ストリングスが夜空を広げる。
明るくなる。
そう思った。
その瞬間。
コードが裏切った。
胸がきゅっと締め付けられる。
「……!」
弓弦は思わず前のめりになる。
期待させて。
落とす。
でも。
絶望ではない。
その落差が。
次のサビを、何倍も輝かせる。
まるで。
雲に隠れた星が、もう一度姿を見せるみたいに。
◇◇◇
そして。
サビ。
世界が変わった。
ドラム。
ギター。
ストリングス。
全部が一斉に開く。
眩しい。
なのに。
コードの奥には、まだ夜がいる。
だから。
明るいだけじゃ終わらない。
「……。」
弓弦の腕に鳥肌が立つ。
このサビ。
歌える。
じゃない。
歌いたい。
身体の奥から、そう思わせる。
歌った瞬間。
自分まで変われる気がする。
そんなメロディだった。
◇◇◇
さらに曲は進む。
突然。
テンポが跳ねた。
「っ!」
黒瀬の目が光る。
「ここ!」
「ここだ!」
思わず立ち上がる。
「ここで回れる!」
「いや!」
神崎がすぐに返す。
「一回止める。」
「え?」
「一拍。」
「無音。」
「そこから全員。」
黒瀬が考える。
「あぁ……!」
「確かに!」
「そっちの方が映える!」
水城も立ち上がる。
「客席!」
「絶対叫ぶ!」
「うわ!」
「もう見える!」
三人が勝手にライブの相談を始める。
弓弦だけは動かなかった。
ただ。
じっと聴いていた。
サビ終わり。
一拍だけ訪れる静寂。
その意味が。
誰よりも分かった。
ここで息を吸う。
ここで目を閉じる。
ここで。
客席を見る。
そして。
次の一歩で。
もう一度、夜空へ飛ぶ。
「……。」
ユンユン。
この人。
ライブを見て書いた。
それも。
何十回。
何百回も。
だから。
音だけじゃない。
照明まで見える。
立ち位置まで見える。
MCがなくても。
観客が自然と息を呑むタイミングまで計算されている。
そこまで考えて。
この曲を書いた。
「……すごい。」
弓弦は思わず漏らした。
◇◇◇
ラスサビ。
今までで一番明るい。
一番熱い。
会場全体が一つになる。
そんな景色が見える。
そのまま終わる。
そう思った。
しかし。
違った。
全部。
消えた。
ピアノだけ。
一音。
また一音。
夜空へ溶けていく。
最後に。
高く。
小さな音が一つだけ鳴る。
まるで。
最後に瞬いた星。
そして。
無音。
◇◇◇
終わった。
誰も喋らない。
エアコンの音だけが聞こえる。
時計の秒針だけが進む。
沈黙。
十秒。
二十秒。
三十秒。
その空気を破ったのは。
「……歌いてぇ。」
水城だった。
本当に小さな声。
でも。
その一言に、全員が頷いた。
「うん。」
黒瀬も笑う。
「これは歌いたい。」
「ライブやりたい。」
神崎が静かに息を吐く。
「久しぶりだ。」
「ここまで。」
「ステージが見えた曲。」
そして。
三人の視線は自然と弓弦へ集まる。
センター。
お前はどうなんだ。
そんな目だった。
弓弦は。
しばらく俯いたまま動かなかった。
やがて。
ゆっくり顔を上げる。
目は少し赤かった。
「……ありがとう。」
その一言だった。
「え?」
水城が驚く。
弓弦はユンユンを真っ直ぐ見る。
「こんな曲。」
「初めて。」
「俺。」
「歌う前から泣きそう。」
部屋が静かになる。
ユンユンは一瞬だけ目を丸くした。
けれど。
すぐに視線を逸らす。
「……そう。」
それだけ。
いつものぶっきらぼうな返事。
でも。
ほんの少しだけ。
耳が赤かった。
◇◇◇
ユンユンは立ち上がる。
「気に入ったなら。」
「終わり。」
帰ろうとする。
「待って。」
沙織が呼び止めた。
立ち上がる。
そして。
深く頭を下げた。
「本当にありがとう。」
「この曲。」
「必ず、大切に育てる。」
ユンユンは少しだけ困ったように頭を掻く。
「……別に。」
「曲は。」
「歌って完成するから。」
その一言に。
弓弦たちは息を呑んだ。
この人は。
最初から。
自分たちを信じて曲を書いてくれていた。
歌えないと思う相手には。
きっと、この曲は渡さなかった。
だから。
応えたい。
絶対に。
その思いが。
四人の胸へ、静かに灯った。
そして。
その一か月後。
Asterismの新曲――
『瞬星』
リリース。
公開初日。
配信チャート一位。
SNSでは、
『これ、本当にアイドル曲?』
『サビで鳥肌立って、最後で泣いた。』
『何回聴いても展開が読めない。』
『ライブで化ける曲。』
『YUN、また伝説作った。』
そんな言葉が、世界中を駆け巡る。
誰もが口を揃えた。
「YUNは、歌手の魅力を最大限に引き出す天才だ。」
そして。
Asterismもまた。
その一曲で、新しい時代へと歩き始めた。
少し時間が流れた頃。
⭐︎13 星が生まれた夜
『瞬星』のリリースから、一週間。
街は、どこへ行ってもその曲で溢れていた。
駅前の大型ビジョン。
ショッピングモール。
コンビニ。
カーラジオ。
動画サイト。
テレビ。
SNS。
気付けば、一日に何度も耳にする。
それなのに、不思議と飽きなかった。
むしろ。
一度聴くより、二度。
二度より三度。
聴けば聴くほど、新しい発見がある。
そんな曲だった。
◇◇◇
アステリア・プロダクション。
朝。
「おはようございまーす!」
水城が勢いよく楽屋へ飛び込む。
「やばい!」
「やばいやばいやばい!」
ソファへ新聞を広げる。
「見て!」
黒瀬が覗き込む。
「また一位?」
「違う!」
「レビュー!」
そこには、有名音楽評論家の記事が載っていた。
『これほどライブを前提として設計された楽曲は近年稀である。』
『一度目は”難しい曲”。二度目は”気持ちいい曲”。三度目には”忘れられない曲”へ変わる。』
『光と闇をコード進行そのもので描写した異色作。』
『サビが明るいのではない。闇があるから眩しい。』
「ほら!」
「ほらぁ!!」
水城が嬉しそうに新聞を叩く。
「ユンの言ってたこと、そのまんま!」
神崎も記事へ目を落とす。
「……星は夜だから光る、か。」
あの日。
社長室でユンユンが何気なく漏らした言葉を思い出す。
『安心させるな。』
『苦しませろ。』
『そのあと救え。』
『それがお前ら。』
あれは、この曲そのものだった。
◇◇◇
そこへ。
沙織が勢いよく楽屋へ入ってきた。
「みんな!」
「おめでとう!」
満面の笑み。
「各配信サイト一位!」
「オリコン一位!」
「海外チャートも急上昇!」
「えぇぇぇ!!」
水城が飛び上がる。
「マジで!?」
「本当!」
沙織は嬉しそうに資料を配る。
「それだけじゃないの。」
「ライブ映像。」
「公開三日で一千万再生。」
「うわぁ……。」
黒瀬が思わず息を呑む。
「すげぇ。」
「しかも。」
沙織はにやりと笑った。
「海外コメントがすごい。」
「日本語分からないのに泣いた。」
「星が見えた。」
「映画一本観た気分。」
「ダンスと曲が完璧。」
「そんなコメントばっかり。」
部屋中が歓声に包まれる。
◇◇◇
しかし。
一人だけ。
「……。」
弓弦は静かだった。
「どうした?」
神崎が聞く。
「嬉しくないのか?」
「いや。」
弓弦は苦笑した。
「嬉しい。」
「めちゃくちゃ。」
「じゃあなんで。」
「……。」
少し照れくさそうに笑う。
「一番最初に。」
「聴かせたい人がいる。」
その一言で。
三人は顔を見合わせた。
「あぁ。」
「なるほど。」
「ほたるちゃんか。」
「うん。」
弓弦はスマートフォンを取り出す。
開くのは、いつものLINE。
少し考えて。
短く打った。
『一位だったよ。』
送信。
既読。
一秒。
二秒。
三秒。
返事が来た。
『おめでとう。』
そのあと。
もう一件。
『ユンユン、今朝ニュース見ながら』
『ふーん。』
『って言ってた。』
弓弦が笑う。
「絶対嬉しいじゃん。」
水城が吹き出した。
「分かりやす!」
さらに通知が鳴る。
『でもね。』
『朝ごはん、おかわりしてた。』
全員が一瞬静かになり。
次の瞬間。
「ぶはっ!!」
大爆笑だった。
「嬉しい時だけ食うやつ!」
「かわいすぎる!」
「素直じゃねぇ!」
神崎まで肩を震わせる。
「……なるほど。」
「分かりやすいな。」
弓弦はスマートフォンを見つめながら、小さく笑った。
『ありがとう。』
そう打とうとして。
やめた。
代わりに送ったのは、一枚の写真。
ライブの最後。
四人で空を見上げる『瞬星』のラストシーンだった。
しばらくして。
ほたるから返信が届く。
『うん。』
『すごく、きれいだった。』
短い一言。
それだけで十分だった。
弓弦は画面を見つめながら、静かに微笑む。
あの夜、一つの部屋で生まれた曲は。
今では何万人ものペンライトを星空に変えていた。
そして、その光はまだ――始まったばかりだった。




