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あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


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85/94

2-11.




もちろん。ここは第二章の山場なので、かなり丁寧に膨らませます。


⭐︎8


 その日は、歌番組の収録だった。


 テレビ局の廊下は、いつも通り慌ただしい。


 スタッフの声。


 機材を運ぶ音。


 出演者を呼ぶADの走る足音。


 照明の熱。


 楽屋前に並ぶ花。


 華やかで、騒がしくて、どこか落ち着かない。


 ユンユンにとっては、ただただ面倒な場所だった。


「……。」


 黒いパーカーのフードを深く被り、口元には黒いマスク。


 首にはヘッドホン。


 胸元には、スタッフ用のパスカード。


 どう見ても関係者には見えない。


 むしろ、関係者に止められそうな見た目だった。


 けれど、その隣には阿久津がいる。


「こちらです。」


 阿久津は慣れた様子で、番組スタッフへ軽く会釈しながらユンユンを案内した。


 Asterismの四人は、ステージへ向かう直前だった。


「じゃ、行ってくるわ!」


 水城が明るく手を振る。


「ちゃんと見てろよー!」


 黒瀬も笑う。


「寝るなよ。」


 神崎は静かに頷く。


「失礼のないようにな。」


 最後に弓弦が、少し緊張したように笑った。


「……見てくれて、ありがとう。」


 ユンユンは返事をしなかった。


 ただ、視線だけで四人を見送る。


 フードの影に隠れた目は、相変わらず冷めていた。


 ステージへ向かう四人の背中が、照明の向こうへ消えていく。


 阿久津が横で静かに言った。


「後方からご覧いただきます。」


「……どこでもいい。」


 ユンユンは短く返した。


     ◇◇◇


 番組後方。


 スタッフが立ち並ぶ、客席からは見えない位置。


 そこにユンユンは立った。


 ステージを真正面から見渡せる。


 音響も悪くない。


 観客の反応も見える。


 パフォーマンスを確認するには、十分すぎる場所だった。


 だが、ユンユンの表情は冷めていた。


 前の組が歌っている。


 流行りの若手アイドル。


 きらびやかな衣装。


 整った顔。


 大きな笑顔。


 軽快な振り付け。


 会場からは歓声が起こる。


 けれど、ユンユンの耳には薄くしか届いていなかった。


(……浅い。)


 音が軽い。


 声が薄い。


 歌詞が浮いている。


 振り付けは揃っているが、ただ揃っているだけ。


 どこにも、引っかかるものがない。


(顔だけ。)


 冷たい評価だった。


 次の組も。


 その次の組も。


 似たようなものだった。


 かわいい。


 かっこいい。


 明るい。


 流行りそう。


 それ以上がない。


(……あいつらも、どうせそうだろ。)


 Asterism。


 日本を代表する男性アイドルグループ。


 リンがよくリビングで曲を流している。


 小さな体でペンライトを振りながら、楽しそうに踊っている。


 だから、曲を知らないわけではなかった。


 耳に入ったことはある。


 サビくらいなら、覚えている曲もある。


 けれど。


 ちゃんと聴いたことはなかった。


 あくまで、リンが好きなアイドル。


 ほたると共演していた男がいるグループ。


 その程度の認識だった。


 とくに、あの金髪。


 御影弓弦。


 ゆずほた。


 そんな名前で何度も並べられていた男。


 昔から、ほたるを見ている目が気に食わなかった。


 画面越しでも分かる。


 あの目は、ファンの目じゃない。


 ほたるを、特別な女として見ている。


(……気に食わない。)


 本当に。


 気に食わない。


(来た意味、あったのか。)


 ライブを見る。


 感想を言う。


 それで姉が満足するなら、それで終わり。


(めんどくさ。)


 そう思った時だった。


 スタジオの照明が、ふっと落ちた。


 空気が変わる。


 それまでの明るい歓声が、一瞬だけ静まった。


 次の出演者の名前が呼ばれる。


「Asterismです!」


 歓声が、爆発した。


     ◇◇◇


 最初の音が鳴った。


 重いベース。


 乾いたクラップ。


 低く沈むシンセ。


 どこか息苦しいようなイントロ。


 明るいアイドル曲ではない。


 暗い。


 艶っぽい。


 胸の奥を、じわりと締めつけるような音。


(……。)


 ユンユンの目が、わずかに動いた。


 ステージ中央。


 四人が立っている。


 さっきまでバンの中で笑っていた男たちとは、まるで別人だった。


 水城は、明るいだけの男ではなかった。


 ライトを浴びた瞬間、空気を掴む。


 笑顔ではなく、挑発するような視線。


 ふざけていた時とは違う、観客を煽るための計算された色気。


 黒瀬は、身体の使い方が違った。


 肩。


 腰。


 足首。


 指先。


 すべてが音に乗っている。


 ただ激しく踊るのではない。


 抜くところと、沈むところを知っている。


 神崎は、重心がぶれない。


 低い声が入った瞬間、曲全体の空気が締まる。


 安定感。


 静かな圧。


 派手ではないのに、目が離せない。


 そして。


 御影弓弦。


(……。)


 ユンユンは、無意識に息を止めた。


 センターに立った瞬間。


 ステージの軸が決まった。


 金髪が照明を拾う。


 淡い瞳がカメラを射抜く。


 口元に浮かぶ笑みは、甘いのに危うい。


 王子。


 そんな軽い言葉では足りない。


 観客の視線を、自分へ引き寄せる力がある。


 四人の曲は、少し苦しそうだった。


 息をするたび、胸が詰まるようなメロディ。


 なのに、そこに色気がある。


 届かないものを求めるような苦しさ。


 それを踊りに変えている。


 テンポが急に跳ねた。


 さっきまで沈んでいた音が、一気に加速する。


 四人が動く。


 速い。


 細かい。


 しかも、ただ早いだけじゃない。


 ステージの左右へ散り、次の瞬間には中央へ戻る。


 フォーメーションが切り替わるたび、照明が鋭く走る。


 足音まで音の一部になっていた。


(……なんだ、これ。)


 ユンユンの冷めた目が、少しずつ変わる。


 歌番組の収録。


 観客もいる。


 カメラもある。


 しかし、本番のライブではない。


 普通なら、抑える。


 少し流す。


 安全にまとめる。


 それで十分だ。


 けれど、Asterismは違った。


 まるで巨大な会場のラスト曲のように、本気だった。


 息が上がっている。


 それでも声は揺れない。


 アクロバットが入る。


 黒瀬が身体をひねり、着地と同時に次のビートへ入る。


 水城が笑う。


 ただの笑顔じゃない。


 曲の中の男として、観客を捕まえる笑み。


 神崎が低く歌う。


 苦しさを抑えた声。


 音程の正確さだけではない。


 低音にちゃんと影がある。


 そして弓弦。


 サビ前。


 息を吸う。


 その一瞬で、空気が張る。


 高音へ抜けるかと思えば、少しだけ苦しげに喉を絞る。


 完璧に綺麗な声ではない。


 けれど、そこがいい。


 余裕がないように見せる。


 届きそうで届かない。


 そのギリギリを、意図的に作っている。


(……歌えるのか。)


 ユンユンは思った。


 顔だけのアイドルではない。


 ダンスだけでもない。


 歌える。


 そして、魅せ方を知っている。


 四人の声が重なる。


 厚い。


 想像よりずっと厚い。


 音源で聞くより、生の方が良かった。


 声の隙間に、それぞれの呼吸がある。


 Asterismの曲は苦しい。


 けれど、その苦しさを美しく処理している。


 窒息しそうな色気。


 急加速するテンポ。


 攻撃的な振り。


 それを、四人が一つの生き物のように動かしている。


(……本物じゃん。)


 その言葉が、胸の奥に落ちた。


 嫌だった。


 認めたくなかった。


 けれど、音楽に嘘はつけない。


 歌が始まってから、ユンユンは一度も目を逸らしていなかった。


 冷めた顔で立っているつもりだった。


 でも、耳は完全に奪われている。


 目も。


 思考も。


 ステージに持っていかれていた。


 間奏。


 四人が一瞬背中合わせになる。


 照明が落ち、シルエットだけが浮かぶ。


 次の瞬間。


 テンポが倍に跳ねる。


 客席が悲鳴を上げた。


 水城が前へ出る。


 黒瀬が横を抜ける。


 神崎が低音で支え。


 弓弦が中央へ戻る。


 完璧な流れ。


 なのに、機械的じゃない。


 生きている。


 ちゃんと熱がある。


(……どうすんだよ、これ。)


 ユンユンは、思わず呟いた。


 小さな声だった。


 隣にいた阿久津だけが、それを聞いた。


 阿久津は、ほんの少し口元を緩める。


「お気に召しましたか。」


「……。」


 ユンユンは答えない。


 答えられなかった。


 書く気なんてなかった。


 来る前は、本当にそう思っていた。


 適当に見て。


 適当に感想を言って。


 終わり。


 そのつもりだった。


 けれど。


 頭の中で、すでに音が鳴り始めていた。


 四人の声。


 四人の動き。


 四人の色気。


 苦しそうなのに、かっこいい。


 余裕がないのに、強い。


 光へ向かっているのではなく、闇の中で光っているようなグループ。


 ほたるとは全然違う。


 だからこそ。


 書ける。


 書いてみたい。


 そう思ってしまった。


(……最悪。)


 ユンユンは、フードの奥で小さく眉を寄せた。


 最悪だった。


 自分が面白がっている。


 それが、一番腹立たしかった。


     ◇◇◇


 曲が終わる。


 最後のポーズ。


 一瞬の静寂。


 直後、スタジオが歓声と拍手に包まれた。


 四人は息を整えながら頭を下げる。


 汗が照明を受けて光っている。


 ステージから降りていく四人の背中を、ユンユンは無言で見ていた。


「行きましょうか。」


 阿久津が静かに声を掛ける。


「……。」


 ユンユンは小さく頷いた。


     ◇◇◇


 楽屋の前。


 阿久津がノックする。


「失礼します。」


 扉が開く。


 中では、Asterismの四人が着替えを済ませたり、水を飲んだりしていた。


 さっきのステージの熱が、まだ残っている。


 水城はタオルで汗を拭きながら振り返った。


「あ。」


「ユンユン!」


 黒瀬もペットボトルを置く。


「見てくれた?」


 神崎はソファから立ち上がる。


 弓弦は、少しだけ緊張した顔をした。


「……どうだった?」


 ユンユンは何も言わない。


 フードの奥から四人を見る。


 長い沈黙。


 楽屋に、妙な緊張が走る。


 水城の笑顔も少し引きつった。


「えっと……。」


「感想は……。」


 ユンユンはソファの前まで歩く。


 そして、立ったまま口を開いた。


「ねぇ。」


 低い声。


 全員が息を止める。


「曲って。」


「どんな系統でもいいの。」


「……え?」


 弓弦が聞き返す。


 ユンユンは面倒そうに続けた。


「任せてくれる?」


 それだけだった。


「……。」


「……。」


「……。」


 数秒の沈黙。


 次の瞬間。


「え?」


 水城。


「え?」


 黒瀬。


「……え?」


 弓弦。


 沙織まで立ち上がる。


「書いてくれるの?」


 ユンユンは視線を逸らした。


「まだ。」


「書くとは言ってない。」


「任せるか聞いてる。」


 水城が口を開けたまま固まる。


 黒瀬は目を丸くしている。


 神崎だけが、静かにユンユンを見ていた。


「……任せたら。」


「書くのか?」


 ユンユンは少し黙る。


 そして、ため息をついた。


「……気が向いたら。」


 その一言で十分だった。


 弓弦の顔が、ぱっと明るくなる。


「お願いします!」


 深く頭を下げた。


 水城も勢いよく頭を下げる。


「お願いします!」


 黒瀬も笑いながら続く。


「ぜひ!」


 神崎も静かに会釈した。


「任せる。」


 沙織は、社長として、真剣な顔で頷いた。


「もちろん。」


「あなたが見たAsterismを書いてほしいわ。」


 ユンユンは、その言葉を聞いて一瞬だけ目を細めた。


 そして。


「……条件。」


 ぼそりと言う。


「口出ししないこと。」


「変な明るい曲にしろとか言わないこと。」


「売れ線に寄せろとか言わないこと。」


「俺が作ったものを、歌えないなら歌えないって言うこと。」


「その代わり。」


 フードの奥から四人を見る。


「歌えるなら。」


「多分、化ける。」


 その言葉に。


 楽屋の空気が震えた。


 Asterismの四人は顔を見合わせる。


 挑まれている。


 そう感じた。


 弓弦は、まっすぐ頷いた。


「歌います。」


「絶対に。」


 ユンユンは、ほんの少しだけ口元を動かした。


 笑ったのかもしれない。


 すぐにいつもの無愛想な顔へ戻ったが。


「……じゃあ。」


「考える。」


 そう言って、踵を返した。


 阿久津が静かに道を開ける。


 ユンユンは楽屋を出て行く直前、ふと立ち止まった。


「あと。」


 振り返らずに言う。


「今日のステージ。」


「思ったより。」


 一拍。


「悪くなかった。」


 それだけ言って、出て行った。


 扉が閉まる。


 数秒後。


 水城が叫んだ。


「それ、めちゃくちゃ褒めてるよな!?」


 黒瀬が笑う。


「たぶん最高評価!」


 弓弦は胸を押さえた。


「YUNに……。」


「曲……。」


「書いてもらえるかもしれない……。」


 神崎は静かに笑った。


「気を抜けないな。」


「ええ。」


 阿久津も頷く。


「大きな仕事になりそうです。」


 その日。


 Asterismは、世界的作曲家YUNに見つかった。


 そしてユンユンは。


 初めて、ほたる以外の誰かへ、本気で曲を書いてみたいと思ってしまった。

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