2-11.
もちろん。ここは第二章の山場なので、かなり丁寧に膨らませます。
⭐︎8
その日は、歌番組の収録だった。
テレビ局の廊下は、いつも通り慌ただしい。
スタッフの声。
機材を運ぶ音。
出演者を呼ぶADの走る足音。
照明の熱。
楽屋前に並ぶ花。
華やかで、騒がしくて、どこか落ち着かない。
ユンユンにとっては、ただただ面倒な場所だった。
「……。」
黒いパーカーのフードを深く被り、口元には黒いマスク。
首にはヘッドホン。
胸元には、スタッフ用のパスカード。
どう見ても関係者には見えない。
むしろ、関係者に止められそうな見た目だった。
けれど、その隣には阿久津がいる。
「こちらです。」
阿久津は慣れた様子で、番組スタッフへ軽く会釈しながらユンユンを案内した。
Asterismの四人は、ステージへ向かう直前だった。
「じゃ、行ってくるわ!」
水城が明るく手を振る。
「ちゃんと見てろよー!」
黒瀬も笑う。
「寝るなよ。」
神崎は静かに頷く。
「失礼のないようにな。」
最後に弓弦が、少し緊張したように笑った。
「……見てくれて、ありがとう。」
ユンユンは返事をしなかった。
ただ、視線だけで四人を見送る。
フードの影に隠れた目は、相変わらず冷めていた。
ステージへ向かう四人の背中が、照明の向こうへ消えていく。
阿久津が横で静かに言った。
「後方からご覧いただきます。」
「……どこでもいい。」
ユンユンは短く返した。
◇◇◇
番組後方。
スタッフが立ち並ぶ、客席からは見えない位置。
そこにユンユンは立った。
ステージを真正面から見渡せる。
音響も悪くない。
観客の反応も見える。
パフォーマンスを確認するには、十分すぎる場所だった。
だが、ユンユンの表情は冷めていた。
前の組が歌っている。
流行りの若手アイドル。
きらびやかな衣装。
整った顔。
大きな笑顔。
軽快な振り付け。
会場からは歓声が起こる。
けれど、ユンユンの耳には薄くしか届いていなかった。
(……浅い。)
音が軽い。
声が薄い。
歌詞が浮いている。
振り付けは揃っているが、ただ揃っているだけ。
どこにも、引っかかるものがない。
(顔だけ。)
冷たい評価だった。
次の組も。
その次の組も。
似たようなものだった。
かわいい。
かっこいい。
明るい。
流行りそう。
それ以上がない。
(……あいつらも、どうせそうだろ。)
Asterism。
日本を代表する男性アイドルグループ。
リンがよくリビングで曲を流している。
小さな体でペンライトを振りながら、楽しそうに踊っている。
だから、曲を知らないわけではなかった。
耳に入ったことはある。
サビくらいなら、覚えている曲もある。
けれど。
ちゃんと聴いたことはなかった。
あくまで、リンが好きなアイドル。
ほたると共演していた男がいるグループ。
その程度の認識だった。
とくに、あの金髪。
御影弓弦。
ゆずほた。
そんな名前で何度も並べられていた男。
昔から、ほたるを見ている目が気に食わなかった。
画面越しでも分かる。
あの目は、ファンの目じゃない。
ほたるを、特別な女として見ている。
(……気に食わない。)
本当に。
気に食わない。
(来た意味、あったのか。)
ライブを見る。
感想を言う。
それで姉が満足するなら、それで終わり。
(めんどくさ。)
そう思った時だった。
スタジオの照明が、ふっと落ちた。
空気が変わる。
それまでの明るい歓声が、一瞬だけ静まった。
次の出演者の名前が呼ばれる。
「Asterismです!」
歓声が、爆発した。
◇◇◇
最初の音が鳴った。
重いベース。
乾いたクラップ。
低く沈むシンセ。
どこか息苦しいようなイントロ。
明るいアイドル曲ではない。
暗い。
艶っぽい。
胸の奥を、じわりと締めつけるような音。
(……。)
ユンユンの目が、わずかに動いた。
ステージ中央。
四人が立っている。
さっきまでバンの中で笑っていた男たちとは、まるで別人だった。
水城は、明るいだけの男ではなかった。
ライトを浴びた瞬間、空気を掴む。
笑顔ではなく、挑発するような視線。
ふざけていた時とは違う、観客を煽るための計算された色気。
黒瀬は、身体の使い方が違った。
肩。
腰。
足首。
指先。
すべてが音に乗っている。
ただ激しく踊るのではない。
抜くところと、沈むところを知っている。
神崎は、重心がぶれない。
低い声が入った瞬間、曲全体の空気が締まる。
安定感。
静かな圧。
派手ではないのに、目が離せない。
そして。
御影弓弦。
(……。)
ユンユンは、無意識に息を止めた。
センターに立った瞬間。
ステージの軸が決まった。
金髪が照明を拾う。
淡い瞳がカメラを射抜く。
口元に浮かぶ笑みは、甘いのに危うい。
王子。
そんな軽い言葉では足りない。
観客の視線を、自分へ引き寄せる力がある。
四人の曲は、少し苦しそうだった。
息をするたび、胸が詰まるようなメロディ。
なのに、そこに色気がある。
届かないものを求めるような苦しさ。
それを踊りに変えている。
テンポが急に跳ねた。
さっきまで沈んでいた音が、一気に加速する。
四人が動く。
速い。
細かい。
しかも、ただ早いだけじゃない。
ステージの左右へ散り、次の瞬間には中央へ戻る。
フォーメーションが切り替わるたび、照明が鋭く走る。
足音まで音の一部になっていた。
(……なんだ、これ。)
ユンユンの冷めた目が、少しずつ変わる。
歌番組の収録。
観客もいる。
カメラもある。
しかし、本番のライブではない。
普通なら、抑える。
少し流す。
安全にまとめる。
それで十分だ。
けれど、Asterismは違った。
まるで巨大な会場のラスト曲のように、本気だった。
息が上がっている。
それでも声は揺れない。
アクロバットが入る。
黒瀬が身体をひねり、着地と同時に次のビートへ入る。
水城が笑う。
ただの笑顔じゃない。
曲の中の男として、観客を捕まえる笑み。
神崎が低く歌う。
苦しさを抑えた声。
音程の正確さだけではない。
低音にちゃんと影がある。
そして弓弦。
サビ前。
息を吸う。
その一瞬で、空気が張る。
高音へ抜けるかと思えば、少しだけ苦しげに喉を絞る。
完璧に綺麗な声ではない。
けれど、そこがいい。
余裕がないように見せる。
届きそうで届かない。
そのギリギリを、意図的に作っている。
(……歌えるのか。)
ユンユンは思った。
顔だけのアイドルではない。
ダンスだけでもない。
歌える。
そして、魅せ方を知っている。
四人の声が重なる。
厚い。
想像よりずっと厚い。
音源で聞くより、生の方が良かった。
声の隙間に、それぞれの呼吸がある。
Asterismの曲は苦しい。
けれど、その苦しさを美しく処理している。
窒息しそうな色気。
急加速するテンポ。
攻撃的な振り。
それを、四人が一つの生き物のように動かしている。
(……本物じゃん。)
その言葉が、胸の奥に落ちた。
嫌だった。
認めたくなかった。
けれど、音楽に嘘はつけない。
歌が始まってから、ユンユンは一度も目を逸らしていなかった。
冷めた顔で立っているつもりだった。
でも、耳は完全に奪われている。
目も。
思考も。
ステージに持っていかれていた。
間奏。
四人が一瞬背中合わせになる。
照明が落ち、シルエットだけが浮かぶ。
次の瞬間。
テンポが倍に跳ねる。
客席が悲鳴を上げた。
水城が前へ出る。
黒瀬が横を抜ける。
神崎が低音で支え。
弓弦が中央へ戻る。
完璧な流れ。
なのに、機械的じゃない。
生きている。
ちゃんと熱がある。
(……どうすんだよ、これ。)
ユンユンは、思わず呟いた。
小さな声だった。
隣にいた阿久津だけが、それを聞いた。
阿久津は、ほんの少し口元を緩める。
「お気に召しましたか。」
「……。」
ユンユンは答えない。
答えられなかった。
書く気なんてなかった。
来る前は、本当にそう思っていた。
適当に見て。
適当に感想を言って。
終わり。
そのつもりだった。
けれど。
頭の中で、すでに音が鳴り始めていた。
四人の声。
四人の動き。
四人の色気。
苦しそうなのに、かっこいい。
余裕がないのに、強い。
光へ向かっているのではなく、闇の中で光っているようなグループ。
ほたるとは全然違う。
だからこそ。
書ける。
書いてみたい。
そう思ってしまった。
(……最悪。)
ユンユンは、フードの奥で小さく眉を寄せた。
最悪だった。
自分が面白がっている。
それが、一番腹立たしかった。
◇◇◇
曲が終わる。
最後のポーズ。
一瞬の静寂。
直後、スタジオが歓声と拍手に包まれた。
四人は息を整えながら頭を下げる。
汗が照明を受けて光っている。
ステージから降りていく四人の背中を、ユンユンは無言で見ていた。
「行きましょうか。」
阿久津が静かに声を掛ける。
「……。」
ユンユンは小さく頷いた。
◇◇◇
楽屋の前。
阿久津がノックする。
「失礼します。」
扉が開く。
中では、Asterismの四人が着替えを済ませたり、水を飲んだりしていた。
さっきのステージの熱が、まだ残っている。
水城はタオルで汗を拭きながら振り返った。
「あ。」
「ユンユン!」
黒瀬もペットボトルを置く。
「見てくれた?」
神崎はソファから立ち上がる。
弓弦は、少しだけ緊張した顔をした。
「……どうだった?」
ユンユンは何も言わない。
フードの奥から四人を見る。
長い沈黙。
楽屋に、妙な緊張が走る。
水城の笑顔も少し引きつった。
「えっと……。」
「感想は……。」
ユンユンはソファの前まで歩く。
そして、立ったまま口を開いた。
「ねぇ。」
低い声。
全員が息を止める。
「曲って。」
「どんな系統でもいいの。」
「……え?」
弓弦が聞き返す。
ユンユンは面倒そうに続けた。
「任せてくれる?」
それだけだった。
「……。」
「……。」
「……。」
数秒の沈黙。
次の瞬間。
「え?」
水城。
「え?」
黒瀬。
「……え?」
弓弦。
沙織まで立ち上がる。
「書いてくれるの?」
ユンユンは視線を逸らした。
「まだ。」
「書くとは言ってない。」
「任せるか聞いてる。」
水城が口を開けたまま固まる。
黒瀬は目を丸くしている。
神崎だけが、静かにユンユンを見ていた。
「……任せたら。」
「書くのか?」
ユンユンは少し黙る。
そして、ため息をついた。
「……気が向いたら。」
その一言で十分だった。
弓弦の顔が、ぱっと明るくなる。
「お願いします!」
深く頭を下げた。
水城も勢いよく頭を下げる。
「お願いします!」
黒瀬も笑いながら続く。
「ぜひ!」
神崎も静かに会釈した。
「任せる。」
沙織は、社長として、真剣な顔で頷いた。
「もちろん。」
「あなたが見たAsterismを書いてほしいわ。」
ユンユンは、その言葉を聞いて一瞬だけ目を細めた。
そして。
「……条件。」
ぼそりと言う。
「口出ししないこと。」
「変な明るい曲にしろとか言わないこと。」
「売れ線に寄せろとか言わないこと。」
「俺が作ったものを、歌えないなら歌えないって言うこと。」
「その代わり。」
フードの奥から四人を見る。
「歌えるなら。」
「多分、化ける。」
その言葉に。
楽屋の空気が震えた。
Asterismの四人は顔を見合わせる。
挑まれている。
そう感じた。
弓弦は、まっすぐ頷いた。
「歌います。」
「絶対に。」
ユンユンは、ほんの少しだけ口元を動かした。
笑ったのかもしれない。
すぐにいつもの無愛想な顔へ戻ったが。
「……じゃあ。」
「考える。」
そう言って、踵を返した。
阿久津が静かに道を開ける。
ユンユンは楽屋を出て行く直前、ふと立ち止まった。
「あと。」
振り返らずに言う。
「今日のステージ。」
「思ったより。」
一拍。
「悪くなかった。」
それだけ言って、出て行った。
扉が閉まる。
数秒後。
水城が叫んだ。
「それ、めちゃくちゃ褒めてるよな!?」
黒瀬が笑う。
「たぶん最高評価!」
弓弦は胸を押さえた。
「YUNに……。」
「曲……。」
「書いてもらえるかもしれない……。」
神崎は静かに笑った。
「気を抜けないな。」
「ええ。」
阿久津も頷く。
「大きな仕事になりそうです。」
その日。
Asterismは、世界的作曲家YUNに見つかった。
そしてユンユンは。
初めて、ほたる以外の誰かへ、本気で曲を書いてみたいと思ってしまった。




