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ライブ見学当日。
Asterism一行は、テレビ局へ向かうバンに乗り込んでいた。
最後に乗ってきた青年を見て、水城が思わず二度見する。
「……。」
「怪しい。」
黒いパーカー。
深く被ったフード。
黒いマスク。
首には大きなヘッドホン。
誰がどう見ても、完全に不審者だった。
しかし。
隠せていない。
手足は長く、ただ立っているだけで妙に絵になる。
フードとマスクで顔の大半は見えないはずなのに、隙間から覗く目元だけで、整った顔立ちなのが分かってしまう。
美形特有の空気だけは、まるで隠せていなかった。
「……逆に目立ってない?」
黒瀬がぼそりと呟く。
「うん。」
水城も頷く。
「美形オーラって隠せないんだな。」
ユンユンは返事もしない。
窓際の席へ向かうと、何も言わずに座り、さらにフードを深く被った。
そして、ヘッドホンを装着。
完全に外界を遮断した。
全身から発せられる空気は、ただ一つ。
――話しかけるな。
だった。
◇◇◇
それでも。
弓弦は諦めなかった。
「ユンユン。」
「……。」
「今日はよろしくね。」
「……。」
「ライブ、楽しんでもらえたら嬉しいな。」
「……。」
「何か気になることがあったら言ってね。」
「……。」
返事はない。
見事な無反応。
ユンユンは、ほんの少しだけ顔を横へ向けた。
そして、無言でヘッドホンの位置を直す。
それはつまり。
これ以上話しかけるな。
という意味だった。
「……。」
弓弦が固まる。
数秒後。
しゅん。
大型犬の耳が垂れたような顔になった。
水城が即座に吹き出す。
「振られた!」
「一瞬で!」
「ヘッドホンの壁、厚すぎる!」
黒瀬も笑う。
「弓弦の王子スマイルが通用しない相手、初めて見たかも。」
神崎は新聞を開きながら、淡々と言う。
「お前、嫌われてるな。」
「……。」
「そうだった。」
弓弦はさらに落ち込んだ。
「かわいそう。」
水城は言いながらも楽しそうだった。
◇◇◇
仕方なく。
弓弦はスマートフォンを取り出した。
やることがなくなった時。
落ち込んだ時。
元気を出したい時。
自然と開くのは、ほたるの動画である。
今日見始めたのは、少し前に出演した音楽バトル番組だった。
番組内でほたるは『雨恋』を歌っていた。
透き通るような声。
切ない表情。
静かに降る雨のような歌い方。
弓弦は開始五秒で姿勢を正した。
「……綺麗。」
その隣で暇そうにしていた水城が、ひょいと画面を覗く。
「あ、俺も見る。」
「いいよ。」
「音出して。」
「うん。」
弓弦は音量を少し上げた。
バンの中に、ほたるの歌声が流れ始める。
すると。
窓際で完全遮断していたはずのユンユンの指が、ぴくりと動いた。
けれど誰も気づかない。
画面の中で、歌が終わる。
スタジオは拍手に包まれた。
その後、審査員たちのコメントが始まる。
「いやぁ、素晴らしい歌唱でしたね。ただ、個人的には一番のサビ、もう少し抑えた表現でも良かったかなと」
ぴく。
弓弦の眉が動く。
「あと、少し感情が乗りすぎていた印象もありましたね。もっとフラットに歌う選択肢も――」
ぴくぴく。
水城が嫌な予感を覚える。
「弓弦。」
「落ち着け。」
「……。」
「弓弦?」
「いや。」
弓弦は低く呟く。
「今のは聞き捨てならない。」
さらに、審査員が続けた。
「二番のサビは、もう少し音を抜いた方が上品に――」
「違う!!」
弓弦が叫んだ。
その声と。
ほぼ同時に。
「違う。」
低い声が重なった。
全員が振り返る。
ユンユンだった。
さっきまで完全に外界を拒絶していたはずなのに、いつの間にかヘッドホンを片耳だけ外している。
そして、画面をじっと睨んでいた。
弓弦とユンユンの視線がぶつかる。
「……。」
「……。」
「今の。」
「分かる?」
「愚問。」
ユンユンは冷たく言った。
「分からない方がおかしい。」
水城が小声で呟く。
「急に喋った。」
しかし、二人はもう止まらなかった。
「一番サビは抑えるんじゃなくて、感情を抑え込んでいるように聞かせるために、ブレスを浅くしてるんだよ!」
「正確には、声帯閉鎖を少し緩めて息を混ぜてる。泣いてるんじゃない。泣かないようにしてる声。」
「そう! そこ!」
「愚民には区別がつかない。」
「愚民!?」
水城が吹き出す。
画面の中の審査員は、さらに語る。
「最後の高音は、少しドラマチックにしすぎたかなと――」
「は?」
「は?」
二人の声が揃った。
水城と黒瀬が同時に肩を震わせる。
「声揃いすぎ!」
弓弦は食い気味に言う。
「あそこは高音にいくのが正解なんだよ!」
ユンユンも即座に続ける。
「あの跳躍で、届かない空へ手を伸ばす感じを出してる。低く処理したら、ただ諦めた歌になる。」
「そう! 諦めてるんじゃなくて、好きだったことだけは肯定してる歌なんだよ!」
「ラスサビの母音処理も聞いてないのか、あの採点者。」
「“雨のままで”の『で』の抜き方! あれ、雨粒が消えるみたいで……!」
「分かる。」
「分かるよね!?」
「当たり前。」
ユンユンは鼻で笑った。
「ほたるの歌を聴くなら、最低でも倍音と息の流れくらい拾え。」
「一般視聴者への要求が高すぎる!」
黒瀬が笑う。
しかしユンユンは真顔だった。
「高くない。」
「ほたるを語るなら最低ライン。」
「最低ライン!?」
水城が腹を抱える。
弓弦は目を輝かせている。
「分かる!」
「ほたるちゃんの歌って、ピッチが合ってるとか音域が広いとか、そういう単純な話じゃないんだよね!」
「当たり前。」
「歌詞の子音の置き方、ブレス位置、語尾の温度、全部違う!」
「そう。」
「一音ごとに意味がある!」
「当然。」
「ほたるだから。」
ユンユンは、まるで当たり前の真理を語るように言った。
「ほたるの声は、音じゃない。」
一拍。
「祈り。」
バンの中が静まり返る。
水城がぽつりと呟く。
「……重い。」
黒瀬も頷く。
「想像以上に重い。」
弓弦だけは感動したように頷いていた。
「分かる……!」
「分かるのかよ!」
◇◇◇
番組内では、別の審査員がまだ話している。
「個人的には、少し表情を作りすぎているかなと――」
「作ってない!」
「作ってない。」
また重なる。
弓弦は拳を握る。
「あれは作ってるんじゃなくて、曲の中の感情を身体に通してるんだ!」
ユンユンも低く続ける。
「ほたるは表情を作らない。曲が勝手に顔を変える。」
「それ!」
「ほたるちゃんは演じてるんじゃなくて、生きてるんだよ!」
「当然。」
「ほたるだから。」
「ほたるだから万能理論やめて!」
水城が笑いすぎて苦しそうだった。
神崎まで新聞を下ろしている。
「……会話が成立しているな。」
黒瀬が真顔で言った。
「弓弦が二人になった。」
「違う。」
ユンユンが即座に言う。
「一緒にするな。」
「え?」
「俺はほたるの家族。」
そして弓弦を一瞥。
「そっちは不審な他人。」
「ひどい!」
弓弦が悲鳴を上げる。
◇◇◇
そこで、水城が面白がって身を乗り出した。
「ねぇ、ユンユン。」
「……..なに。」
「もしかしてさ。」
「かなりシスコン?」
一瞬の沈黙。
ユンユンはゆっくりと足を組み直した。
そして、背もたれに身体を預ける。
「は?」
不機嫌そうな声。
だが、逃げない。
「何言ってんの。」
そして、堂々と言い切った。
「姉だからじゃない。」
一拍。
「ほたるだから。」
空気が止まる。
「好きで何が悪い。」
完全に開き直っていた。
水城が拍手する。
「おぉー!」
「開き直った!」
黒瀬も笑う。
「どのくらい好きなの?」
「どのくらい?」
ユンユンは鼻で笑った。
「言葉で測れると思ってる時点で浅い。」
「浅いって言われた!」
水城が喜ぶ。
ユンユンは淡々と続ける。
「ほたるはーー」
「天使?」
「違う。」
「女神?」
「近い。」
「でも違う。」
「え、女神でも足りないの?」
「足りない。」
ユンユンは窓の外へ視線を向けながら、静かに言った。
「ほたるは、世界がたまたま人間の形で観測できてる奇跡だ。」
「……。」
バンの中が静まり返った。
水城が口を開けたまま固まる。
黒瀬が肩を震わせる。
神崎が目を閉じる。
「想像以上だったな。」
「はい。」
阿久津が静かに頷いた。
弓弦だけが、感極まったように拳を握る。
「分かる……!」
「分かるの!?」
「ほたるちゃんは奇跡だよ!」
「当然。」
ユンユンは初めて少しだけ満足そうに頷いた。
「ようやくまともなことを言った。」
「やった!」
弓弦が嬉しそうになる。
しかしユンユンはすぐに冷めた目になる。
「でも、お前はダメ。」
「なんで!?」
「他人だから。」
即答。
「俺は家族。」
「だから、いい。」
「お前は他人。」
「お前が言うのは不審者の妄言。」
「なんでぇぇぇぇ!?」
弓弦が頭を抱える。
水城はもう限界だった。
「ギャハハハハ!」
「理不尽!」
「めちゃくちゃ理不尽!」
黒瀬も涙を拭く。
「同じこと言ってるのに判定違いすぎる!」
ユンユンは平然としている。
「違う。」
「俺には権利がある。」
「家族特権。」
そして、冷たく弓弦へ言い放つ。
「别进来,外人。」
(入ってくんな。他人。)
「意味わかんねぇーー!!」
水城が叫ぶ。
弓弦は本気でショックを受けていた。
「他人……。」
「俺、他人…?」
「そりゃ他人だろ。」
神崎が淡々と追い打ちする。
「神崎まで!」
バンの中は大爆笑だった。
◇◇◇
それでも。
ユンユンの表情は、さっきより少しだけ柔らかくなっていた。
ほたるの話をしている時だけ。
ほんの少し。
年相応の顔になる。
不機嫌で。
口が悪くて。
誰にも愛想がない。
けれど、姉のことになると、目の奥に熱が灯る。
その姿を見て、神崎は小さく笑った。
「……意外と、年相応なとこあるんだな。」
ユンユンは聞こえたのか、聞こえなかったのか。
再びヘッドホンを耳へ戻した。
けれど、完全には音を遮断していない。
スマートフォンから流れるほたるの歌声だけは、片耳で聞いている。
そのことに気付いた弓弦は、少しだけ嬉しくなった。
世界的作曲家YUN。
冷たい十八歳の天才。
でも、その正体は。
ほたるを神様みたいに崇めている、不器用すぎる弟だった。
そして、その向かいには。
ほたるを神様みたいに推している、二十五歳のトップアイドルがいる。
バンの中は、テレビ局へ着くまでずっと賑やかだった。




