表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

84/94

2-10



✳︎10





 ライブ見学当日。


 Asterism一行は、テレビ局へ向かうバンに乗り込んでいた。


 最後に乗ってきた青年を見て、水城が思わず二度見する。


「……。」


「怪しい。」


 黒いパーカー。


 深く被ったフード。


 黒いマスク。


 首には大きなヘッドホン。


 誰がどう見ても、完全に不審者だった。


 しかし。


 隠せていない。


 手足は長く、ただ立っているだけで妙に絵になる。


 フードとマスクで顔の大半は見えないはずなのに、隙間から覗く目元だけで、整った顔立ちなのが分かってしまう。


 美形特有の空気だけは、まるで隠せていなかった。


「……逆に目立ってない?」


 黒瀬がぼそりと呟く。


「うん。」


 水城も頷く。


「美形オーラって隠せないんだな。」


 ユンユンは返事もしない。


 窓際の席へ向かうと、何も言わずに座り、さらにフードを深く被った。


 そして、ヘッドホンを装着。


 完全に外界を遮断した。


 全身から発せられる空気は、ただ一つ。


 ――話しかけるな。


 だった。


     ◇◇◇


 それでも。


 弓弦は諦めなかった。


「ユンユン。」


「……。」


「今日はよろしくね。」


「……。」


「ライブ、楽しんでもらえたら嬉しいな。」


「……。」


「何か気になることがあったら言ってね。」


「……。」


 返事はない。


 見事な無反応。


 ユンユンは、ほんの少しだけ顔を横へ向けた。


 そして、無言でヘッドホンの位置を直す。


 それはつまり。


 これ以上話しかけるな。


 という意味だった。


「……。」


 弓弦が固まる。


 数秒後。


 しゅん。


 大型犬の耳が垂れたような顔になった。


 水城が即座に吹き出す。


「振られた!」


「一瞬で!」


「ヘッドホンの壁、厚すぎる!」


 黒瀬も笑う。


「弓弦の王子スマイルが通用しない相手、初めて見たかも。」


 神崎は新聞を開きながら、淡々と言う。


「お前、嫌われてるな。」


「……。」


「そうだった。」


 弓弦はさらに落ち込んだ。


「かわいそう。」


 水城は言いながらも楽しそうだった。


     ◇◇◇


 仕方なく。


 弓弦はスマートフォンを取り出した。


 やることがなくなった時。


 落ち込んだ時。


 元気を出したい時。


 自然と開くのは、ほたるの動画である。


 今日見始めたのは、少し前に出演した音楽バトル番組だった。


 番組内でほたるは『雨恋』を歌っていた。


 透き通るような声。


 切ない表情。


 静かに降る雨のような歌い方。


 弓弦は開始五秒で姿勢を正した。


「……綺麗。」


 その隣で暇そうにしていた水城が、ひょいと画面を覗く。


「あ、俺も見る。」


「いいよ。」


「音出して。」


「うん。」


 弓弦は音量を少し上げた。


 バンの中に、ほたるの歌声が流れ始める。


 すると。


 窓際で完全遮断していたはずのユンユンの指が、ぴくりと動いた。


 けれど誰も気づかない。


 画面の中で、歌が終わる。


 スタジオは拍手に包まれた。


 その後、審査員たちのコメントが始まる。


「いやぁ、素晴らしい歌唱でしたね。ただ、個人的には一番のサビ、もう少し抑えた表現でも良かったかなと」


 ぴく。


 弓弦の眉が動く。


「あと、少し感情が乗りすぎていた印象もありましたね。もっとフラットに歌う選択肢も――」


 ぴくぴく。


 水城が嫌な予感を覚える。


「弓弦。」


「落ち着け。」


「……。」


「弓弦?」


「いや。」


 弓弦は低く呟く。


「今のは聞き捨てならない。」


 さらに、審査員が続けた。


「二番のサビは、もう少し音を抜いた方が上品に――」


「違う!!」


 弓弦が叫んだ。


 その声と。


 ほぼ同時に。


「違う。」


 低い声が重なった。


 全員が振り返る。


 ユンユンだった。


 さっきまで完全に外界を拒絶していたはずなのに、いつの間にかヘッドホンを片耳だけ外している。


 そして、画面をじっと睨んでいた。


 弓弦とユンユンの視線がぶつかる。


「……。」


「……。」


「今の。」


「分かる?」


「愚問。」


 ユンユンは冷たく言った。


「分からない方がおかしい。」


 水城が小声で呟く。


「急に喋った。」


 しかし、二人はもう止まらなかった。


「一番サビは抑えるんじゃなくて、感情を抑え込んでいるように聞かせるために、ブレスを浅くしてるんだよ!」


「正確には、声帯閉鎖を少し緩めて息を混ぜてる。泣いてるんじゃない。泣かないようにしてる声。」


「そう! そこ!」


「愚民には区別がつかない。」


「愚民!?」


 水城が吹き出す。


 画面の中の審査員は、さらに語る。


「最後の高音は、少しドラマチックにしすぎたかなと――」


「は?」


「は?」


 二人の声が揃った。


 水城と黒瀬が同時に肩を震わせる。


「声揃いすぎ!」


 弓弦は食い気味に言う。


「あそこは高音にいくのが正解なんだよ!」


 ユンユンも即座に続ける。


「あの跳躍で、届かない空へ手を伸ばす感じを出してる。低く処理したら、ただ諦めた歌になる。」


「そう! 諦めてるんじゃなくて、好きだったことだけは肯定してる歌なんだよ!」


「ラスサビの母音処理も聞いてないのか、あの採点者。」


「“雨のままで”の『で』の抜き方! あれ、雨粒が消えるみたいで……!」


「分かる。」


「分かるよね!?」


「当たり前。」


 ユンユンは鼻で笑った。


「ほたるの歌を聴くなら、最低でも倍音と息の流れくらい拾え。」


「一般視聴者への要求が高すぎる!」


 黒瀬が笑う。


 しかしユンユンは真顔だった。


「高くない。」


「ほたるを語るなら最低ライン。」


「最低ライン!?」


 水城が腹を抱える。


 弓弦は目を輝かせている。


「分かる!」


「ほたるちゃんの歌って、ピッチが合ってるとか音域が広いとか、そういう単純な話じゃないんだよね!」


「当たり前。」


「歌詞の子音の置き方、ブレス位置、語尾の温度、全部違う!」


「そう。」


「一音ごとに意味がある!」


「当然。」


「ほたるだから。」


 ユンユンは、まるで当たり前の真理を語るように言った。


「ほたるの声は、音じゃない。」


 一拍。


「祈り。」


 バンの中が静まり返る。


 水城がぽつりと呟く。


「……重い。」


 黒瀬も頷く。


「想像以上に重い。」


 弓弦だけは感動したように頷いていた。


「分かる……!」


「分かるのかよ!」


     ◇◇◇


 番組内では、別の審査員がまだ話している。


「個人的には、少し表情を作りすぎているかなと――」


「作ってない!」


「作ってない。」


 また重なる。


 弓弦は拳を握る。


「あれは作ってるんじゃなくて、曲の中の感情を身体に通してるんだ!」


 ユンユンも低く続ける。


「ほたるは表情を作らない。曲が勝手に顔を変える。」


「それ!」


「ほたるちゃんは演じてるんじゃなくて、生きてるんだよ!」


「当然。」


「ほたるだから。」


「ほたるだから万能理論やめて!」


 水城が笑いすぎて苦しそうだった。


 神崎まで新聞を下ろしている。


「……会話が成立しているな。」


 黒瀬が真顔で言った。


「弓弦が二人になった。」


「違う。」


 ユンユンが即座に言う。


「一緒にするな。」


「え?」


「俺はほたるの家族。」


 そして弓弦を一瞥。


「そっちは不審な他人。」


「ひどい!」


 弓弦が悲鳴を上げる。


     ◇◇◇


 そこで、水城が面白がって身を乗り出した。


「ねぇ、ユンユン。」


「……..なに。」


「もしかしてさ。」


「かなりシスコン?」


 一瞬の沈黙。


 ユンユンはゆっくりと足を組み直した。


 そして、背もたれに身体を預ける。


「は?」


 不機嫌そうな声。


 だが、逃げない。


「何言ってんの。」


 そして、堂々と言い切った。


「姉だからじゃない。」


 一拍。


「ほたるだから。」


 空気が止まる。


「好きで何が悪い。」


 完全に開き直っていた。


 水城が拍手する。


「おぉー!」


「開き直った!」


 黒瀬も笑う。


「どのくらい好きなの?」


「どのくらい?」


 ユンユンは鼻で笑った。


「言葉で測れると思ってる時点で浅い。」


「浅いって言われた!」


 水城が喜ぶ。


 ユンユンは淡々と続ける。


「ほたるはーー」


「天使?」


「違う。」


「女神?」


「近い。」


「でも違う。」


「え、女神でも足りないの?」


「足りない。」


 ユンユンは窓の外へ視線を向けながら、静かに言った。


「ほたるは、世界がたまたま人間の形で観測できてる奇跡だ。」


「……。」


 バンの中が静まり返った。


 水城が口を開けたまま固まる。


 黒瀬が肩を震わせる。


 神崎が目を閉じる。


「想像以上だったな。」


「はい。」


 阿久津が静かに頷いた。


 弓弦だけが、感極まったように拳を握る。


「分かる……!」


「分かるの!?」


「ほたるちゃんは奇跡だよ!」


「当然。」


 ユンユンは初めて少しだけ満足そうに頷いた。


「ようやくまともなことを言った。」


「やった!」


 弓弦が嬉しそうになる。


 しかしユンユンはすぐに冷めた目になる。


「でも、お前はダメ。」


「なんで!?」


「他人だから。」


 即答。


「俺は家族。」


「だから、いい。」


「お前は他人。」


「お前が言うのは不審者の妄言。」



「なんでぇぇぇぇ!?」


 弓弦が頭を抱える。


 水城はもう限界だった。


「ギャハハハハ!」


「理不尽!」


「めちゃくちゃ理不尽!」


 黒瀬も涙を拭く。


「同じこと言ってるのに判定違いすぎる!」


 ユンユンは平然としている。


「違う。」


「俺には権利がある。」


「家族特権。」


 そして、冷たく弓弦へ言い放つ。


「别进来,外人。」


(入ってくんな。他人。)


「意味わかんねぇーー!!」


 水城が叫ぶ。


 弓弦は本気でショックを受けていた。


「他人……。」


「俺、他人…?」


「そりゃ他人だろ。」


 神崎が淡々と追い打ちする。


「神崎まで!」


 バンの中は大爆笑だった。


     ◇◇◇


 それでも。


 ユンユンの表情は、さっきより少しだけ柔らかくなっていた。


 ほたるの話をしている時だけ。


 ほんの少し。


 年相応の顔になる。


 不機嫌で。


 口が悪くて。


 誰にも愛想がない。


 けれど、姉のことになると、目の奥に熱が灯る。


 その姿を見て、神崎は小さく笑った。


「……意外と、年相応なとこあるんだな。」


 ユンユンは聞こえたのか、聞こえなかったのか。


 再びヘッドホンを耳へ戻した。


 けれど、完全には音を遮断していない。


 スマートフォンから流れるほたるの歌声だけは、片耳で聞いている。


 そのことに気付いた弓弦は、少しだけ嬉しくなった。


 世界的作曲家YUN。


 冷たい十八歳の天才。


 でも、その正体は。


 ほたるを神様みたいに崇めている、不器用すぎる弟だった。


 そして、その向かいには。


 ほたるを神様みたいに推している、二十五歳のトップアイドルがいる。


 バンの中は、テレビ局へ着くまでずっと賑やかだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ