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あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


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2-8



✳︎8.



水城の絶叫が、リビング中へ響き渡る。


「えぇぇぇぇぇぇぇーーーっ!!?」




「弟!?」


「YUNが!?」


「弟ぉ!?」




 黒瀬も思わず立ち上がる。


「いやいやいや!」


「そんなことある!?」




 沙織も、さすがに目を丸くしていた。


「……本当に?」




 信じられない。


 そんな表情だった。




 世界中が探し続けた天才作曲家。


 その正体が。


 目の前の十八歳の青年だという。




 そんなこと、誰が想像するだろう。


 しかし。




 当の本人だけは。


 そんな周囲の反応など、まるで興味がないと言わんばかりだった。





「……。」


 深いため息。





 頭をがりがりと掻く。


 そして。





「もういい?」


 第一声が、それだった。





 リビングが静まり返る。




『だめ。』


 ほたるが即答する。





「……。」


 ユンユンは露骨に嫌そうな顔をした。


「話、終わっただろ。」


『始まってもない。』


「俺は終わった。」


『終わってない。』


「帰る。」


 くるり、と踵を返そうとする。




 しかし。


 ほたるは、その服の裾をそっと掴んだ。





『お願い。』


「……。」


『十分だけ。』





 その一言に。


 ユンユンは動きを止める。




 長い沈黙。






 やがて。



「……十分。」


 小さく呟いた。






「十分経ったら行く。」


『うん。』


 ほたるは嬉しそうに笑った。






 その笑顔を見ると、もう何も言えないらしい。







 ユンユンはもう一度、大きなため息をつきながらソファへ腰を下ろした。



 長い足を組み。


 背もたれへ深く身体を預ける。



 腕を組んだまま。


 一言も喋らない。






 その姿は、さっきまで笑っていたほたるとは正反対だった。


 似ているのは。


 整った顔立ちだけ。




 性格は、驚くほど似ていない。


 ほたるが太陽なら。


 ユンユンは月。




 静かで。


 近寄り難く。


 どこか冷たい。


 そんな印象だった。






「……。」







 沈黙に耐えきれなくなった水城が、おそるおそる口を開く。



「えっと……。」


「初めまして。」


「Asterismの水城宗真です!」





 ぱっと笑顔を向ける。




「今日はよろしく!」


「……。」




 返事はない。


 ユンユンは一度だけ視線を向け。



 小さく頷いただけだった。





「あ。」


「終わった。」


 水城が苦笑する。






 黒瀬も笑いながら頭を下げる。


「黒瀬晃一です。」


「よろしく。」


「……。」


 また頷くだけ。





 神崎も静かに会釈した。


「神崎晋也です。」



 ユンユンは神崎を見る。


 一秒。


 二秒。


「……。」


 じっと見つめる。


 神崎も無言で見返す。



 妙な緊張感。



 そして。


 ユンユンは興味を失ったように視線を逸らした。



 終了。








 最後に弓弦が立ち上がる。



「御影弓弦です。」


「今日はありがとうございます。」



 丁寧に頭を下げる。





 ユンユンは、その姿を殺すような目で眺めていた。


 さっきより少し長く。



 そして。


「知ってる。」


 一言。


 それだけ言って視線を逸らした。




 弓弦は少し驚く。



「俺のこと……?」


「テレビ。」



 それだけ。


 会話終了。






「……。」


 水城が肩を震わせる。


「会話、三文字で終わるじゃん。」




 黒瀬も笑いを堪えている。


「すげぇ。」


「こんなに無愛想な人、初めて見た。」






 ほたるは困ったように笑いながら、みんなのカップへジャスミンティーを注ぎ足した。



『ごめんね。』


『普段はもう少し優しいんだけど……。』






 ちらり、と弟を見る。



『この子、恥ずかしがり屋さんなの。』


「……は?」


 ユンユンが心底嫌そうな顔をする。



 しかし、追い打ちをかけるようにリンリンが元気よく手を挙げた。




「そうなのー!」


「ユンユンね、すっごく恥ずかしがり屋さん!」


「初めて会う人、苦手なの!」


「だから怖く見えるだけ!」


「……。」


 ユンユンの眉間の皺がさらに深くなる。




 ほたるはにこにこ。


 リンリンもにこにこ。



 月みたいな弟を、太陽みたいな姉妹が勝手に照らしている。




 助けているのか。


 追い詰めているのか。


 誰にも分からない。








 その空気に耐えきれず、水城が吹き出した。


「なんか……。」


「可愛い兄妹だね。」


「姉弟。」


 黒瀬が訂正する。



「あ、ごめん。」





 その流れで、水城は自然に口を開いた。



「えっとさ……ユンユン?」






 ぴく。


 空気が止まる。




 ユンユンが、ゆっくり顔を上げた。


 鋭い眼光。





「……。」



「な、なに?」





 低く。


 冷たく。



「その呼び方で呼ぶな。」




 ぞくり、とする声。





 水城は思わず背筋を伸ばした。


「す……。」


「すみません……。」



 素直すぎる謝罪。





 黒瀬が肩を震わせる。


「怒られた。」


「秒速だったな。」




 どうやら。


 その愛称で呼んでいいのは、シェン姉妹だけらしい。





 ほたるはぷくっと頬を膨らませた。



『もう。』


『そんな言い方しなくてもいいでしょ。』




 軽く弟の肩を小突く。


 その仕草があまりにも可愛らしくて。


 弓弦は思わず見惚れる。


(……かわいい。)




 怒っている姿まで可愛い。


 なんなんだ、この人は。




 完全に思考が止まっていた。


 そんな空気を切り替えるように。








 沙織が静かにバッグから名刺を取り出した。


「改めまして。」


「Asterism担当の沙織です。」



 丁寧に頭を下げる。


「今日はお願いがあって伺いました。」




 名刺を机へ置く。


 ユンユンは黙ってそれを眺める。



 一瞥。


 二瞥。




 そして。


 最後まで説明を聞くより早く。





「無理。」



 即答だった。


 沙織は少しだけ笑った。





「理由を聞いてもいいかしら?」


「……。」



 ユンユンは少し考え。


 短く答える。






「ほたるに書いてるのは。」


「俺がそうしたいから。」


「これは、やりたくない。」




 迷いのない言葉だった。




 営業トークでも。


 遠回しな断りでもない。


 本音。





 その場の全員が分かった。






 すると。



 弓弦がそっと手を挙げた。



「はい。」


 教室の生徒みたいな仕草。





 ユンユンが面倒くさそうに見る。


「……何。」


「ユンくん。」


「たまに他の人にも楽曲提供してるよね?」


「あれはいいの?」





 その瞬間。


 ユンユンの目が少しだけ細くなった。



(……よく知ってるな。)


 そんな視線。








 ほたるのほうが先に驚いた。


『え?』


『弓弦さん、詳しい。』



 弓弦は照れ笑いした。


「ファンだから。」


 その一言だけだった。


 ほたるは柔らかく笑う。


『そっか。』


『ありがとう。』







 ユンユンは面倒そうに頬杖をついた。


「……あれは。」


「小遣い稼ぎ。」





 ぼそり。


 その一言を待っていたかのように、沙織が一枚の契約書を机へ滑らせた。




「でしたら。」


「こちらをご覧ください。」






 ユンユンが視線だけ落とす。


 数字を見る。


 一瞬だけ。


 眉がぴくりと動いた。





 ほたるものぞき込む。




『えっ。』


『すごい。』


『こんなにもらえるの?』


 純粋に驚いている。


 どうやら。




 ほたる曰く。


 ユンユンは姉のお金には一切手を付けず。


 医大へ通いながら、自分でアルバイトをして生活しているらしい。


 家にも家賃や生活費をちゃんといれるらしい。






『もう。』


『甘えてくれていいのに。』


 ほたるが口を尖らせる。



『家族なんだから。』


「……うざ。」


 即答。



『またそれ。』






 リンリンも頬を膨らませる。



『ユンユン、すぐうざいって言うー。』


「事実。」


 またため息。






 そのやり取りに。


 神崎は小さく笑っていた。



(……ちゃんとした弟だ。)




 姉の金に頼らない。


 自分で稼ぐ。


 案外、真面目な青年らしい。









 ほたるは心配そうに続ける。



『大学の学費は心配ないけど……。』


『医大生って、これからもっとお金かかるでしょう?』


『アルバイト、何してるか知らないけど。』


『夜遅い日もあるし……。』


『お姉ちゃん、心配です。』




 ユンユンは聞き流している。





『せっかく音楽の才能があるんだから。』


『一回だけでも考えてみたら?』





 ものすごく嫌そうな顔。


 その空気を読まず。




 水城が元気よく手を挙げた。


「え?」


「医大生なの!?」





 またそこか。


 全員が思った。





 弓弦が苦笑する。


「〇〇大学医学部。」


 大学名を口にした瞬間。





「はぁ!?」


「えぇぇぇぇっ!?」


「マジで!?」


 またリビングが騒がしくなる。



 沙織まで驚いている。


「そこって……。」


「日本でもトップクラスじゃない。」





 ほたるとリンリンだけが。


 まるで自分のことのように胸を張った。


『すごいでしょう?』


『ユンユン、昔から頭いいの!』


『テスト全部満点だったもんね!』


「……。」





 ユンユンは眉間を押さえる。


「勝手に。」


「人のこと。」


「ペラペラと……。」


『いいじゃない。』




 ほたるが笑う。


『ねぇ?』


『ねー!』



 リンリンも元気いっぱい。


 また深いため息。






 黒瀬が吹き出した。


「なんかさ。」


「このファミリー。」


「面白すぎる。」


「ほんと。」


 水城も笑う。






「でも。」


「こんなに人嫌いで。」


「医者なれるの?」


 その瞬間だった。


 ユンユンの口元が。


 ふっと持ち上がる。





 初めて見せた笑顔。


 けれど。



 それは優しい笑みではなかった。


 どこか冷たく。


 皮肉げで。


 少しだけ楽しそうな。


 黒い笑顔。




「だからこそ。」


 一拍置く。


 静かな声で。


「躊躇なく切れる。」




 その一言に。


 リビングの空気が、ぴたりと止まった。






 水城は引きつった笑みを浮かべる。


「え……。」


「それ。」


「医者として言っていいやつ?」





 ユンユンは肩をすくめる。


 外科志望だった。


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