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あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


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2-7



✳︎7.




 約束の日。


 休日の午後。


 Asterismの四人は、マネージャーの阿久津、そして社長の御影沙織とともに、都内の高級マンションの前へ立っていた。


「……。」


 水城が建物を見上げる。


「なんか。」


「緊張してきた。」


 黒瀬も苦笑する。


「ライブ前より?」


「ライブ前より。」


「今日、世界的ヒットメーカーに会うんだぞ?」


「しかも、あのYUN。」


 その名前だけで空気が変わる。


 YUN。


 世界中のトップアーティストが曲を欲しがる作詞・作曲家。


 表へは一切出ない。


 インタビューもない。


 写真もない。


 年齢も。


 性別も。


 国籍すら分からない。


 それなのに。


 書く曲だけは世界中で愛され続けている。


「実在するんだよな……。」


 水城がぼそりと呟く。


 神崎が腕を組んだ。


「当たり前だ。」


「曲は勝手に生まれない。」


「夢がないなぁ。」


「現実だ。」


 その横で弓弦は静かにスマートフォンをしまった。


(……YUN。)


 何度も名前を見てきた。


 CDのクレジット。


 配信サイト。


 歌番組。


 ほたるのデビュー曲から最新曲『雨恋』まで。


 すべて同じ名前。


 この人がいなければ、今のほたるはいない。


 そう言っても過言ではない人物だった。


「お待たせ。」


 マンションのエントランスからレナが現れる。


 いつものように笑顔で手を振る。


 しかし。


 集まった顔ぶれを見渡した瞬間だった。


「……。」


 一瞬だけ笑顔が止まる。


「……すご。」


 思わず漏れた本音。


「今日はまた。」


「すごいメンバーですね。」


 世界的人気アイドル四人。


 その社長。


 敏腕マネージャー。


 普通なら考えられない来客だった。


 けれど。


 レナの引きつった表情は、それだけが理由ではないようにも見えた。


(……絶対、機嫌悪くなる。)


 心の中で小さくため息をつく。


 あの青年の顔が浮かぶ。


 人数が増えれば増えるほど、面倒そうな顔をする姿が容易に想像できた。


「じゃ。」


「上行こっか。」


     ◇◇◇


 エレベーターの中。


 静かな箱の中で最初に沈黙を破ったのは、やはり水城だった。


「ねぇ、レナさん。」


「はい?」


「YUNさんって。」


「どんな人?」


 その一言をきっかけに質問が止まらなくなる。


「何歳くらい?」


「優しい?」


「怖い?」


「話好き?」


「音楽以外って何してる人?」


「ほたるちゃんとは長い付き合いなんだよね?」


 レナは苦笑した。


「質問、多いなぁ。」


「気になるもん。」


「そりゃ。」


 黒瀬まで頷く。


「俺らからしたらレジェンドだよ。」


 レナは少し考えてから答えた。


「……。」


「会えば分かる。」


「えー。」


「それだけ?」


 水城が不満そうに言う。


 レナは少しだけ視線を逸らした。


「いや。」


「……会ってくれれば、だけど。」


 その一言で空気が変わる。


「え?」


「どういう意味?」


 神崎が静かに尋ねる。


 レナは困ったように笑った。


「気難しいの。」


「かなり。」


「ほたるのお願いじゃなかったら、多分出てこない。」


「そんな人なの?」


「うん。」


 レナは肩をすくめる。


「だから。」


「もし会えたら。」


「運が良かったと思って。」


 水城はごくりと唾を飲み込んだ。


「難易度、高っ。」


     ◇◇◇


 部屋の前。


 レナはバッグから鍵を取り出す。


「お邪魔しまーす。」


 ドアが開いた瞬間だった。


 ぱたぱたぱたっ。


 小さな足音が玄関へ向かってくる。


「いらっしゃーい!」


 リンだった。


 以前より顔色も良く、元気いっぱいだ。


 そして。


「しんや!」


 真っ先に神崎を見つける。


「久しぶり。」


 神崎も自然と笑みを浮かべた。


「元気そうだ。」


「うん!」


「ライブ、また行ったよ!」


「ありがとう。」


 その穏やかな空気に、みんなの緊張も少しだけほぐれた。


 そこへ。


『いらっしゃい。』


 ほたるが廊下の奥から歩いてくる。


 白いニット。


 ゆるいパンツ。


 髪を一つにまとめたラフな姿。


 画面で見る世界的歌姫ではなく、家で過ごす二十歳の女の子だった。


(……今日も可愛い。)


 弓弦は心の中だけで呟く。


『どうぞ。』


『座って待ってて。』


 リビングは相変わらず綺麗だった。


 木の温もりを感じる家具。


 柔らかな香り。


 大きな窓から差し込む午後の日差し。


 どこか心が落ち着く空間。


 ほたるは慣れた手つきでジャスミンティーを淹れ、小さなお皿へパイナップルケーキを並べる。


『台湾のお土産。』


『どうぞ。』


 沙織が一口飲む。


「……美味しい。」


「香りが全然違うわ。」


 黒瀬はケーキを頬張った。


「うまっ!」


「これ止まらない。」


「晃一、それ三個目。」


「バレた。」


 笑いが起こる。


 その様子を見届けたほたるは、小さく頷いた。


『じゃあ。』


『呼んできますね。』


 そう言って廊下へ消えていった。


     ◇◇◇


 静かな時間が流れる。


 ふと。


 弓弦は部屋を見回した。


 壁にはリンの描いた絵。


 本棚。


 ピアノ。


 どこか生活感のある温かな部屋だった。


(YUN……。)


 頭の中で、その名前が浮かぶ。


 ――YUN。


 そういえば。


 この家には。


 リンが呼んでいた名前があった。


 ユンユン。


(……いや。)


(まさか。)


 一瞬だけそんな考えがよぎる。


 すぐに首を振る。


(考えすぎか。)


 その時だった。


 廊下の奥から声が聞こえてきた。


『お願い。』


「やだ。」


『一回だけ。』


「やだ。」


『みんな待ってる。』


「帰ってもらえば。」


『それは困る。』


「知らない。」


 低く落ち着いた男の声。


 思っていたより若い。


 それに対して、ほたるはいつもの調子で笑っている。


『十分だけ。』


「三十秒。」


『短い。』


「じゃあ一分。」


『増えてない。』


「帰る。」


『待って待って。』


 まるで兄妹喧嘩。


 その軽いやり取りに、水城が小声で笑う。


「なんか。」


「可愛い。」


 次の瞬間。


『もう!』


 ほたるの声が響く。


 勢いよくリビングの扉が開いた。


 現れた青年に、その場の全員が目を奪われる。


 黒髪。


 黒い瞳。


 整いすぎた顔立ち。


 耳にはいくつものピアス。


 首には大きなヘッドホン。


 ほたるに腕を引っ張られているせいでシャツが少し伸び、肩口からタトゥーが覗いていた。


 青年は部屋へ入るなり、弓弦たちを鋭く一瞥する。


 その眼差しだけで空気が張り詰める。


 十八歳とは思えないほど大人びている。


 それでも、どこか少年らしい幼さが残っていた。


 重たい沈黙。


 その中で、ほたるだけが明るく笑った。


『改めまして。』


『紹介します。』


 青年の腕を離さないまま、胸を張る。


『私の楽曲を全部作ってくれている。』


『YUNです。』


 一瞬。


 誰も反応できなかった。


 そして。


『本名は。』


『沈 雲景。』


 ほたるは青年を見上げ、どこか誇らしそうに微笑む。


『私の弟です。』


「…………。」


 一秒。


 二秒。


「えぇぇぇぇぇぇぇーーーっ!!?」


 水城の絶叫が、静かなリビング中に響き渡った。

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