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あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


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2-3



✳︎3.




 本日も、本日とて。



 御影弓弦の一日は――


 ほたるから始まる。




     ◇◇◇




 朝六時。


 目覚ましより先に目が覚める。



 眠そうに手を伸ばし、枕元のスマートフォンを手に取る。





「……。」


 まだ更新されていない。


 時計を見る。


 五時五十九分。





「あと一分。」


 ベッドの上に座る。


 じっと待つ。



 三十秒。


 二十秒。


 十秒。


 五。


 四。


 三。


 二。


 一。


 ぴこん。





「きた。」



 世界最速で通知を開く。


 画面いっぱいに映るのは、コーヒー片手に微笑むほたる。




『おはよう。今日は少し早起き。』


「……。」



 弓弦は、そっとスマホを胸へ抱きしめた。





「今日もかわいい……。」



 幸せそうだった。


     ◇◇◇






 朝食中。



 トーストを焼きながら見るのは、昨日配信されたほたるのインタビュー。




『最近、コンビニにハマってる。』


「メモ。」


 すぐにスマホへ入力。




『このヨーグルト美味しかった。』


「買う。」



『タイ料理ブームも続いてる。』


「今度食べよう。」




 誰に言うでもなく頷く。


 そこへ。




「弓弦さん。」



 阿久津の声。




「……。」


「弓弦さん。」


「……。」



「パン、燃えてます。」


「あ。」




 真っ黒だった。




「またですか。」



 阿久津は慣れた様子でトースターの電源を切る。




「朝からほたるさんですか。」


「はい。」


「でしょうね。」




     ◇◇◇




 事務所。



「おはようございます。」





 廊下ですれ違うスタッフへ優雅に微笑む。

  


「おはよう。」



 柔らかな声。


 完璧な笑顔。



 女性スタッフが小さく頬を染める。


「今日も王子様……。」






 楽屋へ入れば、水城が口を開く。



「来た来た。」


「営業モード。」



「王子様。」


「うるさい。」


 そう返す姿さえ様になっている。



 鏡の前へ立ち、髪を整えれば、そこには誰もが憧れるトップアイドル・御影弓弦がいた。







 その時だった。


 ぴこん。


 LINEの通知。




「ん?」


 知らない相手。





 誰だろう。


 開いてみる。






 アイコンは――


 パンダ。





「……パンダ?」


 メッセージを読む。










『沙織さんから連絡先を教えてもらいました。』


『良かったら、登録をお願いします。』


『ほたる。』









「…………。」


 弓弦の動きが止まる。




「?」


 水城が覗き込もうとした瞬間。



    






「~~~~~~っ!!!」


 声にならない絶叫。





「うわぁっ!」


「びっくりした!」


 黒瀬が吹き出す。




「どうした。」


 神崎まで新聞を下ろした。






 弓弦の指はもう動いている。



 既読。


 一秒。



『もちろん。よろしくお願いします。』


 送信。


 一秒後。




 返信。


『登録ありがとう。』




 その下には。


 ごろんと寝転がるパンダのスタンプ。





「……。」


「かわいい。」


 弓弦は真剣な顔で呟いた。




「なんでパンダなんだろう?」



「知らねぇよ。」


 水城が笑う。




「でも可愛い。」


「うん。」


「買う。」


「買うな。」



 三十秒後。




「買った。」


「早っ!」


「お前、経済回してんな。」




 しかも。


 同じパンダスタンプで返事を返す。




『こちらこそよろしくお願いします。』


 ぽこん。



『よろしく。』


 またパンダ。




「……。」


「かわいい。」


「語彙、それしかねぇの?」


 黒瀬が笑う。





     ◇◇◇




 それから始まった。


 他愛もないLINE。




『今日は収録?』


『うん。』


『頑張って。』


『ありがとう。』


『今日は暑いね。』


『東京暑い。』


『上海も暑かった。』




 内容は、本当に些細なことばかり。


 天気。


 食べ物。


 テレビ。


 コンビニ。


 新作アイス。



 そんなやり取りが、弓弦は嬉しくて仕方がなかった。


 通知が鳴るたび。


 自然と笑ってしまう。




 水城が横から覗く。


「ニヤニヤしてる。」


「恋だねぇ。」



  

 弓弦は否定しなかった。


 否定できなかった。




     ◇◇◇




 そんなある日。



 仕事終わり。


 またLINEが届く。

 




『今度の週末。』


『良かったら、ご飯食べに来ない?』

  



 弓弦が固まる。


 続きを読む。



『Asterismのみんなも、良かったら一緒に。』


「…………。」




「新也!」


 楽屋へ飛び込む。



「どうした。」


「ご飯!」


「誘われた!」


「ほたるちゃんに!」




 水城が立ち上がる。


「え。行きたい!」




 黒瀬も笑う。


「楽しそう。」




 しかし。


 神崎だけは静かだった。


「弓弦。」


「はい。」


「お前、一人で行け。」


「……え?」


「俺たちは、また今度。」


「せっかく向こうが誘ってくれたんだ。」


「気を遣わせるな。」





 水城も頷く。


「あ、そうだね。」


「俺らいたら話せないじゃん。」




 弓弦は嬉しい。



 でも。



「えっ!?」


「一人!?」


「….緊張する。」


「王子が乙女になった。」


 黒瀬が笑った。





     ◇◇◇




 週末。


 教えられた住所へ向かう。


 静かな住宅街。


 オートロック付きの綺麗なマンション。





「安心した……。」


 思わず呟く。



 しばらくすると、エントランスまで迎えに来てくれた。






『お待たせ。』



 白いニットにデニム。


 髪をゆるくまとめただけ。


 テレビでは見られない自然体のほたる。




 かわいい。


 すごくかわいい。



 エレベーターへ乗り、部屋の前まで来た時だった。






『あ。』


 ほたるが立ち止まる。




『鍵。』


『忘れちゃった。』



「え?」


『持って出るの忘れた。』




 弓弦は思わず笑う。


 天然だ。



 そんなところも、かわいい。





 ほたるは苦笑しながらインターホンを押した。




 すぐに扉が開く。






「もう、ほたるったら!」


 リンが呆れたように頬を膨らませる。



「また鍵忘れたの?」


『ごめんごめん。』




 あまりにも慣れたやり取りだった。


 日常なんだろう。


 弓弦は思わず笑ってしまう。

   


「お邪魔します。」


「弓弦!」



 リンがぱっと笑顔になった。


 弓弦は紙袋を差し出す。



「これ。」


「ケーキ。」


「あと。」


「リンちゃんに。」




 小さなぬいぐるみ。




「ありがとう!」


 リンは嬉しそうに抱き締める。



「前にもらった子も大事にしてるよ!」


「病院にも一緒だった!」



 知ってる。




 あの日の配信で見たから。


 手術室へ向かう前も。


 ベッドの横にも。


 ちゃんと映っていた。


 全部、見ていた。





 リビングは広く、綺麗に片付いていた。


 温かな空気。


 生活の匂い。




『ご飯、もう少しだから待ってて。』



 エプロン姿でキッチンへ立つほたる。


 その後ろ姿を見ながら。





(……お嫁さんみたい。)


 そんなことを思っていると。









 廊下から足音が聞こえた。


 リビングの扉が開く。



 現れた青年に、弓弦は思わず息を呑んだ。




 黒髪。


 黒い瞳。


 整いすぎた顔立ち。


 耳にはいくつものピアス。


 首にはベッドフォン。


 タトゥーが覗く腕。


 


 そして。


 驚くほど、ほたるによく似ていた。




『あ、ユンユン。』


『今、ご飯できるよ。』


 ユンユンは弓弦を見る。



 一秒。


 二秒。




「……。」


 露骨に嫌そうな顔をした。




 そして。


 何も言わず、くるりと踵を返す。


 そのまま部屋を出て行ってしまった。




『あら。』


 ほたるはお玉を持ったまま、その背中を見送る。




『紹介したかったのに。』



 困ったように笑う。



『ごめんね。』


『弟のユンユン。』


『思春期真っ盛りなんだよね。』




 弓弦は苦笑した。



(……いや。)


(多分、それ違う。)


(あれ、完全に俺のこと嫌ってる。)




 その言葉だけは、胸の中へそっとしまっておいた。

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