2-1.
第二章
✳︎1.
春。
東京では桜が咲き始めていた。
その穏やかな景色とは裏腹に、日本中の芸能ニュースは、一人の女性の話題で持ちきりだった。
『世界的歌姫・ユンイー、日本活動を本格始動!』
『活動拠点を東京へ!』
『二年ぶり、本格帰国!』
『なぜ今、日本なのか?』
朝の情報番組。
ニュースサイト。
動画配信。
SNS。
テレビをつければ、必ずユーインが映る。
中国を中心に世界で活動し、いまや「世界一のアイドル」とまで呼ばれる少女。
そのユーインが、日本を拠点に活動すると正式発表したのだ。
当然、その理由を知りたがる記者は多かった。
「ほたるさん。」
「今回、日本を活動拠点に選ばれた理由を教えていただけますか?」
何十本ものマイク。
無数のカメラ。
フラッシュが眩しい。
それでもユンイーは穏やかに微笑んだ。
『家族のことを考えた結果です。』
優しい声だった。
『妹も元気になりました。』
『家族のことを考えて、この春から日本で新しい生活を始めます。』
『なので、私もしばらく日本にいようと思いました。』
飾らない言葉。
その笑顔は、スターではなく。
一人の姉の顔だった。
その映像を見ていた視聴者の多くが自然と思う。
「リンちゃんのためなんだ。」
「やっぱり優しいお姉ちゃんだな。」
「家族思いで素敵。」
誰もが、そう受け取っていた。
◇◇◇
「……かわいい。」
テレビの前で、小さく呟く男が一人。
御影弓弦である。
朝から幸せそうだった。
朝の情報番組。
昼の生放送。
夕方の特番。
ほたるが出演すると聞けば、録画予約はもちろん。
リアルタイムでも見る。
「日本語だ……。」
それだけで幸せだった。
中国語のインタビューも好きだ。
でも。
日本語で自然に笑っているほたるを見ると、なんだか安心する。
「かわいいなぁ……。」
スマホには録画一覧。
容量のほとんどが、ほたるだった。
◇◇◇
「また見てる。」
楽屋へ入るなり、水城が笑った。
「今日もう三回目。」
黒瀬も呆れながら笑う。
「朝見て。」
「移動中見て。」
「今また見てる。」
「仕事しろ。」
神崎がコーヒーを飲みながら新聞を閉じる。
「まあ、いい。」
「いつものことだ。」
誰ももう止めなかった。
止めても無駄だからだ。
それくらい、弓弦は幸せそうだった。
けれど。
ふと、画面を閉じた弓弦が小さくため息をつく。
「……。」
「あのライブ以来。」
「会えてないな。」
三人が顔を上げる。
そうだった。
あの奇跡みたいなライブ。
あの日以降、仕事は別々。
電話もない。
食事もない。
そして。
「……あ。」
弓弦は固まった。
「どうした?」
水城が覗き込む。
「連絡先。」
「聞いてない……。」
「……。」
控室が静かになる。
黒瀬が吹き出した。
「今気付いたの?」
「うん。」
「遅っ!」
弓弦は頭を抱えた。
「あの日。」
「嬉しすぎて忘れてた……。」
「教えてもらえるかな。」
「嫌がられないかな。」
世界的スター。
もう、自分とは住む世界が違う気もして。
少しだけ、不安になった。
◇◇◇
そんなある日の朝だった。
「え?」
水城がスマホを見て固まる。
「どうした。」
神崎が覗く。
「ほたるちゃん。」
「熱愛。」
「……は?」
弓弦の動きが止まった。
記事を開く。
大きな見出し。
《世界的歌姫・ほたる 深夜デート》
夜のコンビニ。
スーパー。
住宅街。
男性と並んで歩く姿。
モザイク越しでも分かる。
長身。
細身。
かなり整った雰囲気。
「…………。」
弓弦は何も言わない。
静かにスマホを閉じた。
三人は少し離れた場所から、その背中を見る。
「まぁ。」
黒瀬が肩をすくめる。
「付き合ってるわけじゃないし。」
「ほたるちゃん、あれだけ可愛いんだから。」
水城も頷く。
「今まで恋愛する暇なんてなかったろうし。」
神崎も静かに続けた。
「今までなかった方が、おかしい。」
ぐさっ。
ぐさっ。
ぐさっ。
三人の言葉が、見事に弓弦へ刺さる。
「……。」
水城が慌てる。
「あ、ごめん。」
「全部刺さった。」
弓弦は少しだけ笑った。
「……別に。」
「ほたるちゃんが幸せなら。」
「…それでいいよ。」
その笑顔は。
少しだけ寂しかった。
「ファンの鏡か。」
黒瀬が苦笑した。
◇◇◇
その時だった。
ぴこん。
通知が鳴る。
ユンイー Official Fan Club
「生配信?」
弓弦は反射的に開いた。
三人も自然と後ろへ集まる。
画面には。
広いリビング。
ソファへ座るほたる。
ラフな部屋着。
薄化粧。
完全なオフだった。
『えーっと。』
少し困ったように笑う。
『今日は。』
『なんか変な記事が出ちゃったので。』
『急遽、動画を撮りました。』
楽屋が静かになる。
ほたるは画面の外へ向かって手招きした。
『そういうことなので。』
『おいで。』
てててっと小さな足音。
現れたのは。
パンダの被り物をかぶった、小さな女の子。
「こんにちはー!」
リンだった。
「……。」
弓弦は首を傾げる。
「なんで。」
「パンダ?」
「そこ?」
水城が笑う。
ほたるはリンの肩を抱く。
『妹のリンです。』
『こんにちは。』
そして。
例の雑誌を取り出した。
『リン。』
『この記事の人。』
『誰?』
リンは雑誌を見て。
満面の笑みで答えた。
「ユンユン!」
ほたるも優しく笑う。
『そうだね。』
『ユンユンです。』
四人が顔を見合わせる。
「ユンユン?」
初めて聞く名前だった。
リンは部屋の奥へ向かって叫ぶ。
「ユンユーン!」
「こっちきてー!」
数秒後。
奥から男の声が聞こえた。
「……絶対やだ。」
「俺に何やらせる気。」
弓弦が息を呑む。
知らない声だった。
これまでリンは数回、動画へ出ていた。
でも。
男の声は、一度も聞いたことがない。
『ユンユン。』
『だめ?』
ほたるが優しく聞く。
「パンダみたいに呼ぶな。」
ぶっきらぼうな返事。
リンは楽しそうに笑う。
「ユンユンもパンダかぶろー!」
「やだ。」
「もう行く。」
足音が遠ざかる。
「ユンユーン!」
「いってらっしゃーい!」
リンの元気な声だけが響く。
ほたるは苦笑しながらカメラを持ち上げる。
『ごめんね。』
『ちょっとだけ。』
部屋の奥へ向ける。
一瞬だけ映る後ろ姿。
黒髪。
高身長。
すらりとした体。
白いシャツ。
そして。
広いマンションのリビング。
床にはリンのおもちゃ。
積み木。
ぬいぐるみ。
どこにでもある家族の日常だった。
ほたるは再び自分へカメラを向ける。
そして。
少し照れくさそうに笑った。
『弟です。』
「…………。」
楽屋が静まり返る。
数秒後。
弓弦がぽつりと呟いた。
「……え?」
その一言に。
控室中が吹き出した。
◇◇◇
その動画は、その日のうちに世界中へ拡散された。
『熱愛相手の正体は実弟だった!』
『世界的歌姫・ほたる、初めて弟を公開!』
『ユンユンって誰!?』
動画の再生回数は爆発的に伸びる。
コメント欄は笑いで溢れていた。
『弟いたんだ!』
『パンダみたいに呼ぶな(笑)』
『兄弟の距離感好き。』
『リンちゃん可愛すぎる!』
『この家族、癒やされる。』
そして世界はまた一つ。
誰も知らなかったほたるの”家族”に、心を惹かれていくのだった。




