74.
最終話 ありがとう
料理対決の収録から、数日後。
アステリア・プロダクションの控室に、Asterismの四人は集められていた。
次のライブツアー。
その最終公演に向けた打ち合わせ。
大きなテーブルの上には、進行表とステージ構成案が並んでいる。
阿久津は資料を確認しながら、いつものように落ち着いた声で話していた。
「本日は、ファイナル公演について追加のご相談があります。」
その言葉に、四人が顔を上げる。
「追加?」
水城が首を傾げる。
「演出増えるんですか?」
「いえ。」
阿久津は一度、手元の書類を閉じた。
「ほたるさんからです。」
その名前が出た瞬間。
弓弦の表情が、分かりやすく変わった。
「ほたるちゃん?」
水城がにやりと笑う。
「反応はやっ。」
「別にいいだろ。」
弓弦は少し赤くなりながらも、視線を阿久津へ戻す。
阿久津は苦笑しつつ続けた。
「先日の収録後、ほたるさんが皆さんへ直接話そうとしていた件です。」
「ああ。」
黒瀬が思い出したように頷く。
「レナさんに連行されたやつ。」
「生放送まで十分もないって叫んでたな。」
神崎が静かに言うと、水城が笑った。
「昔と変わってなさすぎて安心した。」
あの時、ほたるは何かを言いかけていた。
けれど最後まで聞けなかった。
その続きを、阿久津が預かってきたのだと分かり、四人は自然と姿勢を正した。
「ほたるさんは、Asterismのファンの皆さんへお礼を伝えたいそうです。」
阿久津は、一つ一つ丁寧に言葉を置いた。
「次のライブで、少しだけ時間をいただけないか、と。」
部屋が静かになる。
「……ファンに?」
弓弦が小さく聞き返す。
「はい。」
「数年前の募金活動について、正式にお礼を言いたいそうです。」
あの日のことを、四人は忘れていない。
心臓移植を待つ六歳の女の子。
Asterismのライブが好きだった女の子。
その子のために募金をした。
ライブ売上の一部を寄付し、ファンにも協力を呼びかけた。
当時、名前は明かされなかった。
写真もぼかされていた。
けれど、今なら分かる。
あの子は、ほたるの妹だった。
ほたるは、世界的スターになった今も。
その恩を忘れていなかった。
「そんなの。」
最初に立ち上がったのは、水城だった。
「ダメなわけないじゃん!」
真っ直ぐな声だった。
「むしろ、来てくれるの? って感じだよ!」
黒瀬も大きく頷く。
「ファンも絶対喜ぶ。」
「俺たちだって、ちゃんとお礼を言われるようなことをしたつもりはないけど……でも、ほたるちゃんが伝えたいなら、その場所は作りたい。」
神崎は静かに腕を組んだまま、わずかに微笑んだ。
「恩を忘れない人だな。」
その声は、どこか誇らしげだった。
「世界中に愛される理由が分かる。」
弓弦は何も言わなかった。
ただ、目を伏せて、小さく笑った。
ほたるらしい。
そう思った。
どれだけ遠くへ行っても。
どれだけ大きなステージに立っても。
あの子は、ちゃんと振り返る。
自分を助けてくれた人たちを。
自分の大切な人を支えてくれた人たちを。
決して忘れない。
「お願いします。」
弓弦は顔を上げた。
「ファイナルで、時間を作ってください。」
阿久津は静かに頷いた。
「承知しました。」
◇ ◇ ◇
そして迎えた、ツアーファイナル。
Asterismの全国ツアー千秋楽。
会場は、巨大なドームだった。
開演前から、客席は熱気に包まれていた。
ペンライトの色が波のように揺れる。
赤。
青。
黄色。
紫。
四人の色が混ざり合い、まるで星空のようだった。
この日を待っていたファンの声が、開演前のざわめきの中に溶けている。
「今日で終わりなんて寂しい。」
「でもファイナル楽しみすぎる。」
「何かサプライズあるかな?」
「アステなら絶対あるよね。」
その期待の中、ライブは始まった。
最初の一曲から、会場の熱は最高潮だった。
Asterismは、圧倒的だった。
神崎の安定した低音。
水城の明るい煽り。
黒瀬の鋭いダンス。
そして、中央に立つ弓弦。
かつて「王子」と呼ばれた男は、今も眩しいほど華やかだった。
けれど、昔とは少し違う。
以前の弓弦は、完璧な王子だった。
近寄りがたく、キザで、誰よりも輝いていた。
今の弓弦は、人の温度を知っている。
恋をして。
失って。
それでも前を向き、誰かのために歌うことを覚えた。
だからこそ、ファンは今の彼をもっと愛した。
ライブは中盤に差しかかった。
激しいダンスナンバーが終わり、会場には余韻だけが残っていた。
メンバーがステージ中央へ集まる。
弓弦がマイクを持った。
「皆さん、今日は本当にありがとうございます。」
歓声が返ってくる。
弓弦は少しだけ微笑んだ。
「ここで、僕たちから大切な時間をいただきます。」
その言葉と同時に。
照明がゆっくり落ちていった。
会場が暗くなる。
ざわめきが広がる。
「え?」
「何?」
「サプライズ?」
すべての音が静かに引いていく。
そして。
ステージ中央へ、一筋のスポットライトが落ちた。
白い光の中に、ひとりの女性が立っていた。
白いワンピース。
まっすぐな黒髪。
柔らかな微笑み。
最初は、誰も声を出せなかった。
あまりにも現実離れした光景だったから。
次の瞬間。
ドームが揺れた。
「ほたるーーー!!」
「ユーインーーー!!」
「きゃあああああ!!」
「おかえりーーー!!」
歓声が、波のように押し寄せる。
泣き出すファンもいた。
立ち上がる人もいた。
ペンライトが大きく揺れる。
世界的スター・沈蛍雨。
日本のトップアイドルだった、ほたる。
その人が、Asterismのステージに立っている。
ほたるは、その歓声を全身で受け止めるように、しばらく客席を見つめていた。
そして、ゆっくりとマイクを両手で持つ。
『皆さん。』
会場が静まっていく。
『本日は、Asterismの大切なライブのお時間をいただき、本当にありがとうございます。』
深く頭を下げる。
長いお辞儀だった。
誰も急かさない。
その姿を、Asterismの四人は後ろから見守っていた。
水城は、もう目元が赤い。
黒瀬は唇を引き結び、静かに頷いている。
神崎は、穏やかな目でほたるの背中を見ていた。
弓弦は。
ただ、胸がいっぱいだった。
『今日は、どうしても皆さんにお礼を伝えたくて来ました。』
ほたるは顔を上げる。
『私は、昔からAsterismのファンです。』
会場がざわっと揺れた。
驚きと喜び。
笑いと歓声。
その全部が混ざり合う。
後ろで、水城が小さく呟く。
「やっぱり、ちゃんと言った。」
黒瀬が笑う。
「世界的スターが、うちのファン宣言か。」
神崎は弓弦を見る。
「よかったな。」
弓弦は、少し照れたように、でも嬉しそうに笑った。
「……うん。」
ほたるは続ける。
『妹も、Asterismが大好きです。』
その声は、さっきよりも少し柔らかかった。
『今日も、この会場で皆さんと一緒にペンライトを振っています。』
客席が一斉にざわめく。
どこにいるのだろう。
誰も探そうとはしない。
ただ、同じ空間にいることが嬉しかった。
『数年前。』
ほたるの声が、静かに響く。
『Asterismの皆さんは、心臓移植を待つ一人の女の子のために、募金活動をしてくださいました。』
空気が変わる。
ファンの多くは、そのことを覚えていた。
ツアー会場に置かれた募金箱。
弓弦が深く頭を下げた姿。
「もういらないと言われるまで続けます」と語った、あの真剣な声。
当時、誰のためなのかは明かされなかった。
けれど、噂はあった。
もしかして。
あれは、ほたるの妹なのではないか。
時期も。
写真も。
状況も。
あまりにも一致していたから。
でも、Asterismは一度も認めなかった。
だから、ずっと噂のままだった。
ほたるは一度、客席を見渡した。
大切な真実を、ちゃんと自分の言葉で伝えるために。
『今日は。』
少し息を吸う。
『皆さんに、本当のことをお話しします。』
ドームが、静まり返った。
『その女の子は、私の妹です。』
その瞬間。
誰かが小さく息を呑んだ。
それが、何万人もの静寂の中で、不思議とはっきり聞こえた気がした。
ほたるの手が、ほんの少しマイクを握り締める。
『妹は、皆さんのおかげで、無事に手術を受けることができました。』
『今も治療は続いています。』
『でも、とても元気です。』
『笑って、ご飯を食べて、学校の話をして、歌を聴いて。』
『そして今日、またAsterismのライブへ来ることができました。』
客席のあちこちから、すすり泣く声が聞こえた。
『あの時。』
『皆さんが届けてくれたお金も。』
『手紙も。』
『応援の言葉も。』
『全部、妹に届いていました。』
ほたるは、また深く頭を下げる。
『ありがとうございました。』
『皆さんのおかげで。』
『私は、妹と一緒に、もう一度この場所に来ることができました。』
拍手が起こった。
最初は小さく。
やがて大きく。
そして、会場全体を包み込むほどに広がっていった。
誰かが叫ぶ。
「リンちゃん、よかったねー!」
別の誰かが叫ぶ。
「ほたる、ありがとう!」
また別の声。
「アステありがとう!」
拍手は鳴り止まなかった。
ほたるは顔を上げた。
目元が少しだけ潤んでいる。
それでも、笑っていた。
そして、ゆっくり振り返る。
後ろにいるAsterismへ。
『ありがとう。』
その声は、客席へ向けたものとは少し違っていた。
もっと近く。
もっと深く。
あの日、何も知らずに支えてくれた人たちへ向けた声だった。
『Asterism。』
『あなたたちは、私たち姉妹にとって、』
『本当の王子様だった。』
『ありがとう。』
『本当に、ありがとう。』
水城はもう我慢できずに、ぐっと袖で目元を拭った。
「泣くわ、こんなの。」
黒瀬が笑いながら頷く。
「泣いていいだろ、これは。」
神崎は静かに微笑んだ。
「礼を言われるほどのことはしていない。」
けれど、その声も少しだけ揺れていた。
弓弦は、何も言えなかった。
ただ一歩、前へ出る。
「ほたる。」
ほたるが彼を見る。
弓弦は、少しだけ笑った。
「こちらこそ。」
短い言葉。
それ以上は、胸が詰まって言えなかった。
その時。
会場に、聞き慣れたイントロが流れ始めた。
デビュー曲。
Asterismが、何年も何年も歌い続けてきた看板曲。
ファンにとっても、メンバーにとっても、特別な曲だった。
イントロが流れた瞬間、客席から悲鳴のような歓声が上がる。
「この曲!?」
「ここで!?」
「泣くって!」
水城も目を見開いた。
「え、これ歌うの?」
黒瀬が笑う。
「粋なことするな。」
神崎はほたるを見る。
「ほたる。」
「今日は、一緒に歌おう。」
ほたるは嬉しそうに頷いた。
『はい。』
その返事のあと。
ほたるは自然に立ち位置へ入った。
まるで最初から五人編成だったかのように。
そのあまりの自然さに、メンバー全員が一瞬驚く。
「……え?」
水城が小さく呟く。
「立ち位置、完璧じゃん。」
黒瀬も目を丸くする。
「フォーメーション覚えてる?」
神崎が感心したように笑った。
「本当にファンだったんだな。」
弓弦は、誇らしそうに笑った。
「さすが。」
曲が始まる。
低く厚い、四人の声。
その中へ、ほたるの澄んだ歌声が重なる。
不思議なほど、馴染んだ。
まるでずっと一緒に歌ってきたみたいに。
サビへ向かうにつれ、会場の熱はさらに上がっていく。
Asterismのダンスは激しい。
アクロバットもある。
細かなフォーメーション移動もある。
普通なら、突然入って対応できるものではない。
けれど、ほたるは遅れなかった。
一歩も。
ターンの角度。
腕の伸ばし方。
視線の送り方。
すべてが完璧だった。
水城が踊りながら、思わず笑う。
「すげぇ!」
黒瀬も隣で笑う。
「完璧すぎる!」
神崎は、ほたるが自分の横へ入る瞬間、わずかに頷いた。
その動きに、ほたるも笑って返す。
そして、ラスサビ前。
弓弦とほたるの立ち位置が隣になった。
ほんの一瞬、二人の目が合う。
何年もの時間。
すれ違い。
別れ。
画面越しの応援。
再会。
そのすべてが、その一瞬に詰まっていた。
弓弦が笑う。
ほたるも笑った。
その瞬間、客席から大歓声が上がる。
「ゆずほたーーー!!」
ラスサビ。
会場中が歌い始めた。
Asterismの四人。
ほたる。
そして、何万人ものファン。
声が一つになる。
ペンライトが揺れる。
赤も青も黄色も紫も。
その中に、客席のどこかで、きっと小さな女の子も光を振っている。
ほたるは歌いながら、客席を見つめた。
そこにいる妹を思い浮かべる。
昔、病室で笑っていた小さな手。
手術室の前で祈った長い時間。
そして今。
同じ会場で、同じ歌を聴いている。
それだけで、胸がいっぱいだった。
曲が終わる。
最後の音が、ドームの天井へ吸い込まれていく。
五人は中央に集まった。
自然と手を繋ぐ。
弓弦の隣に、ほたるがいる。
水城が涙を隠さず笑っている。
黒瀬が大きく息を吐く。
神崎が静かに目を閉じる。
そして、五人は客席へ向かって深く頭を下げた。
拍手が爆発した。
歓声。
涙。
笑顔。
すべてが会場を満たしていた。
それは、ただのサプライズではなかった。
それは、何年も前から続いていた想いへの答えだった。
ほたるからAsterismへ。
Asterismからほたるへ。
そして、ファンからリンへ。
優しさが巡って。
巡り巡って。
また、この場所へ戻ってきた。
最高の恩返しだった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ニュース番組は、その話題で持ち切りだった。
世界的スター・沈雨蛍、Asterismライブにサプライズ出演。
数年前の募金活動の真実を告白。
妹の心臓移植を支えたAsterismとファンへ涙の感謝。
SNSは朝から大騒ぎだった。
#ほたるありがとう
#Asterism
#ゆずほた
#リンちゃん元気でよかった
#最高の恩返し
関連ワードは次々とトレンドを埋め尽くす。
動画は何度も再生された。
ほたるが頭を下げる場面。
デビュー曲を五人で歌う場面。
ラスサビで弓弦とほたるが目を合わせて笑う場面。
そのすべてが、切り抜かれ、拡散され、世界中へ届いていった。
コメント欄には、いくつもの言葉が並んでいた。
『泣いた。』
『あの募金、やっぱりリンちゃんだったんだ。』
『アステのファンでよかった。』
『ほたるが帰ってきてくれて嬉しい。』
『ゆずほたは永遠。』
その中に、こんなコメントもあった。
『世界一のアイドルと、世界一優しいファンたちの物語だった。』
それはきっと、少しだけ違う。
これは、誰か一人の物語ではない。
歌う人。
応援する人。
助けたいと願った人。
助けられた人。
それぞれの想いが繋がって生まれた、小さな奇跡。
そして。
世界一のアイドルと。
そのアイドルを誰よりも好きだった王子様の。
長くて、遠回りで、温かな恋の物語だった。
― 完 ―




