68.
⭐︎68.
レナから話を聞いた、あの日のライブ帰りからだった。
御影弓弦は、ずっと考えていた。
窓の外を流れていく夜景を眺めながら。
家へ帰ってからも。
朝、目を覚ましてからも。
仕事の移動中も。
ライブのリハーサル中も。
頭の中には、ずっと同じことが浮かんでは消えていく。
――俺に、できることはないのか。
リンちゃんは心臓移植を待っている。
ほたるは、そのために人生を削るように働いてきた。
それなのに。
自分は何をしていただろう。
何も知らず。
笑って。
守られて。
助けられて。
「ありがとう」の一言さえ、ちゃんと伝えられていない。
「……。」
ソファへ座りながら、スマートフォンを見る。
待ち受け画面には、ライブ終わりに四人で撮った写真。
その横に映り込んでいる、ほたるはいない。
もう一か月以上、姿を見ていなかった。
「何か……。」
小さく呟く。
「何か、ないのかな。」
◇ ◇ ◇
「お疲れー。」
数日後。
ライブリハーサルを終えたAsterismの四人は、いつもの楽屋へ戻っていた。
黒瀬はソファへ倒れ込む。
「腹減ったー!」
「さっき弁当食べただろ。」
水城が呆れる。
「別腹。」
「便利な体だな。」
神崎は台本へ目を落としながら苦笑した。
いつも通り。
変わらない空気。
けれど。
弓弦だけは、どこか上の空だった。
ペットボトルを開けても飲まない。
スマートフォンを見ても画面は真っ暗なまま。
ぼんやりと一点を見つめている。
そんな姿を見て。
神崎が静かに口を開いた。
「弓弦。」
「……ん?」
「最近、お前らしくない。」
弓弦は苦笑した。
「そう?」
「そうだ。」
神崎は即答する。
「ライブ中は問題ない。」
「だが、終わった途端、その顔だ。」
「何考えてる。」
水城と黒瀬も視線を向ける。
「……。」
少し迷ったあと。
弓弦は静かに口を開いた。
「あのさ。」
「うん?」
「俺に、なにかできることないかな。」
三人が顔を見合わせる。
「ほたるちゃん。」
その名前が出た瞬間。
楽屋が静かになった。
「レナさんから話聞いて。」
「リンちゃんのことも知って。」
「なのに。」
拳を握る。
「俺、何もできてない。」
「会いにも行けない。」
「連絡もできない。」
「励ますこともできない。」
声が少しだけ震える。
「何かしたいんだ。」
その一言は。
アイドルではなく。
一人の男としての本音だった。
水城は珍しく真面目な顔をする。
「……たしかにな。」
黒瀬も腕を組んだ。
「でも。」
「勝手に金渡すのも違うしな。」
「そうなんだよ。」
弓弦は頷く。
「向こうが嫌がることはしたくない。」
「でも。」
「助けたい。」
沈黙が流れる。
誰もすぐには答えを出せなかった。
その時だった。
神崎が静かに顔を上げる。
「募金はどうだ。」
全員が神崎を見る。
「……え?」
「心臓移植には莫大な費用が掛かる。」
「一人で抱えるには限界がある。」
「だったら。」
神崎は真っ直ぐ弓弦を見る。
「俺たちのライブで募金を募ればいい。」
一瞬。
楽屋が静まり返る。
そして。
「それ!」
最初に声を上げたのは水城だった。
「めっちゃいいじゃん!」
「ライブなら、全国回るし!」
「ファンも協力してくれるかもしれない!」
黒瀬も大きく頷く。
「ダメな理由なんてないだろ。」
「ほたるちゃん。」
少し照れくさそうに笑う。
「俺たちの妹分みたいなもんだし。」
「そうそう!」
水城が明るく笑う。
「家族みたいなもんじゃん!」
三人とも、もう迷っていなかった。
弓弦だけが、少し戸惑っていた。
「……でも。」
「いいの?」
「俺たちだけで決めて。」
「迷惑じゃないかな。」
黒瀬は肩を軽く叩く。
「だから。」
「相談すればいい。」
ちょうどその時。
コンコン。
楽屋の扉がノックされた。
「失礼します。」
入ってきたのは阿久津だった。
「次の打ち合わせですが――」
「阿久津さん!」
弓弦が立ち上がる。
「お願いがあります!」
阿久津は目を瞬かせる。
「……何でしょう。」
四人は顔を見合わせる。
そして。
弓弦が、真っ直ぐ頭を下げた。
「俺たち。」
「リンちゃんのために募金活動をしたいんです。」
阿久津は驚いたように四人を見る。
その表情は真剣だった。
誰一人、冗談で言っている顔ではない。
阿久津はしばらく考え込む。
やがて、小さく頷いた。
「……分かりました。」
「まずは。」
「社長とレナに相談してみます。」
「勝手に始めることだけはできません。」
「ですが。」
一度だけ微笑む。
「御影さんらしい提案ですね。」
弓弦は少しだけ照れたように笑った。
その笑顔を見ながら。
阿久津は心の中で思う。
変わった。
恋をして。
恋を失って。
それでも。
この男は、自分の幸せではなく。
誰かの幸せを願うようになった。
昔なら考えられなかった。
まるで、本物の王子様みたいだ。
そんなことを思いながら。
阿久津は静かにスマートフォンを取り出した。
最初に電話を掛ける相手は、一人しかいなかった。
楽屋を出た阿久津は、その足で廊下の窓際へ向かった。
まだライブスタッフが慌ただしく行き交っている。
その喧騒から少し離れた場所で立ち止まり、スマートフォンを取り出した。
画面に表示された名前。
レナ
短い呼び出し音のあと、受話器の向こうから聞き慣れた声が聞こえる。
『もしもし。』
「阿久津です。」
『珍しいわね。どうしたの?』
阿久津は窓の外へ視線を向けた。
少し言葉を選ぶ。
「御影さんたちから、一つ提案がありまして。」
『提案?』
「リンさんの心臓移植についてです。」
一瞬。
電話の向こうが静かになった。
『……うん。』
「Asterismのライブで募金活動を行いたいそうです。」
レナは思わず息を呑んだ。
『……え。』
「もちろん、勝手には進めません。」
「まずはほたるさんの了承を得たいと。」
「御影さんが頭を下げて頼んできました。」
電話の向こうから、小さく笑う声が聞こえた。
泣き笑いのような声だった。
『……あの子らしい。』
「はい。」
『弓弦くんは?』
「真剣でした。」
「自分にできることはないか、と。」
「ここ数日、ずっと考えていたようです。」
レナは静かに目を閉じる。
やっぱり。
あの子は、そういう人間だ。
何も求めず。
見返りも求めず。
ただ、大切な人を助けたい。
それだけなのだ。
『分かった。』
レナは短く答えた。
『ほたるには私から話してみる。』
「お願いします。」
『阿久津さん。』
「はい。」
『……ありがとう。』
その一言だけを残し、電話は切れた。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
アステリア・プロダクション社長室。
「失礼します。」
阿久津は静かに部屋へ入った。
ソファには御影沙織が座っている。
「レナさんとは?」
「話がつきました。」
「ルミエ側も、基本的には了承とのことです。」
沙織は少し驚いたように目を見開く。
「ずいぶん早かったのね。」
「はい。」
「ただ、一つだけ条件があります。」
「条件?」
「リンさん本人や病状について、必要以上に公表しないこと。」
「募金の目的だけを伝える。」
「そして、ほたるさん本人が望まないことはしない。」
沙織はゆっくり頷いた。
「当然ね。」
少し微笑む。
「あの子らしい。」
「それで。」
「弓弦は?」
「まだ知りません。」
「正式に許可が下りたら伝える予定です。」
沙織は窓の外を眺めた。
「優しい子ね。」
「え?」
「弓弦も。」
「ほたるちゃんも。」
「どちらも、自分のことは後回し。」
「似た者同士なのかもしれないわ。」
阿久津も、小さく笑った。
「そうですね。」
◇ ◇ ◇
そして迎えた。
Asterism全国ライブツアー。
開演前。
いつもなら暗転と同時に始まるライブ。
だが、その日だけは違った。
スポットライトが一本だけ、センターステージを照らす。
静まり返る会場。
「……?」
「何だろう。」
ざわめく数万人のファン。
その中央へ。
ゆっくりと歩いてきたのは弓弦だった。
歓声が上がる。
けれど今日は、その歓声に応えず。
マイクを両手で握る。
真っ直ぐ客席を見つめた。
「今日は。」
一度、深く頭を下げる。
「皆さんに、お願いがあります。」
その真剣な声だけで。
会場は水を打ったように静まり返った。
「僕たちの大切な友人の家族が。」
「今、心臓移植を必要としています。」
大型スクリーンに、一枚の写真が映し出される。
病室ではない。
ライブ会場。
赤いサイリウムを嬉しそうに振る、小さな女の子。
隣には、帽子とマスクで顔を隠した女性。
顔にはぼかしが入っていた。
それでも。
楽しそうな笑顔だけは伝わってくる。
「六歳の女の子です。」
「僕たちと同じように。」
「ライブが大好きな子です。」
弓弦は少しだけ息を吸った。
「Asterismは。」
後ろへ振り返る。
神崎。
水城。
黒瀬。
三人が静かに頷いた。
「今回のライブツアー売り上げの一〇%を。」
「その子の心臓移植支援へ寄付します。」
どよめきが広がる。
驚き。
そして拍手。
「もし。」
「皆さんにも、お力を貸していただけるなら。」
「会場出口に募金箱を設置しています。」
「無理のない範囲で構いません。」
「どうか、ご協力をお願いします。」
そう言って。
弓弦は深く頭を下げた。
九十度。
長い時間。
頭を上げなかった。
その姿に。
会場のあちこちから拍手が起こる。
やがて。
一人。
また一人と立ち上がる。
割れんばかりの拍手が、会場を包み込んだ。
神崎は静かに微笑む。
水城は目元を押さえながら笑っている。
黒瀬は小さく「すげぇな」と呟いた。
そして。
センターに立つ弓弦は。
以前の”俺様王子”ではなかった。
誰かのために頭を下げられる。
そんな、本当の意味で人を導くセンターになっていた。




