65.
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三日前からだった。
突然。
ほたるから、LINEの返事が来なくなった。
最初は気にしていなかった。
「忙しいんだろうな。」
そう思っていた。
ドラマ。
CM。
雑誌。
ライブの準備。
ほたるは自分以上に忙しい。
返事が遅れることだってある。
それでも。
今までは違った。
どれだけ忙しくても。
夜遅くなっても。
最低でも。
スタンプひとつくらいは返ってきていた。
『おつかれさま。』
『今日は眠い。』
『また明日。』
そんな短い一言でも。
ちゃんと返してくれる子だった。
なのに。
三日。
既読すら付かない。
「……。」
何度もトーク画面を開く。
最後に送ったのは、自分だった。
『今日の撮影終わった?』
その吹き出しだけが、静かに残っている。
既読は付かない。
「……おかしい。」
胸の奥に、小さな違和感が広がっていた。
そんな時だった。
「御影さん。」
マネージャーの阿久津が楽屋へ入ってくる。
「社長がお呼びです。」
「え?」
「社長室へお願いします。」
◇ ◇ ◇
「失礼します。」
社長室へ入ると、御影沙織が窓際に立っていた。
振り返った表情は、どこか疲れて見えた。
「座って。」
「はい。」
向かいに腰を下ろす。
机の上には、一通の封筒。
見慣れない会社のロゴ。
沙織はそれを静かに弓弦の前へ置いた。
「……ルミエ側から。」
一拍置く。
「正式に契約解除の書面が届いたわ。」
契約解除。
その四文字を聞いた瞬間。
どこか夢のようだった時間が、音を立てて現実へ戻ってくる。
「……そっか。」
小さく笑う。
仕方ない。
最初から分かっていた。
これは恋人じゃない。
仕事だった。
終わる時は終わる。
それだけの話。
なのに。
胸の奥が、ひどく痛かった。
「……寂しいな。」
思わず漏れた本音に、自分で苦笑する。
もう。
一緒にロケへ行くこともない。
隣で笑うこともない。
くだらない話をしながら移動することも。
撮影の合間にお菓子を分け合うことも。
全部。
終わってしまう。
「また、どこかで会えるかな。」
「話せるかな。」
そんなことをぼんやり考えていた、その時だった。
「弓弦。」
沙織の声が少し低くなる。
「今後。」
「ほたるさんには、こちらから一切近付かないで。」
「……え?」
「連絡もしない。」
「会いに行かない。」
「偶然会っても、必要以上に話さない。」
「向こうが落ち着くまでは。」
「絶対に。」
その口調は、念を押すようだった。
「ルミエ側で収束させるそうよ。」
「だから、私たちは何もしない。」
「……。」
弓弦は首を傾げる。
不思議だった。
母は最初から、この契約に慎重だった。
息子を心配して反対していた。
なら。
契約が終わった今は、安心するはずだ。
なのに。
どこか苛立っているように見える。
「……母さん。」
「どうした?」
沙織は少しだけ目を閉じた。
「連絡先。」
「消して。」
「……。」
「口も、きいちゃだめ。」
弓弦は思わず天井を見上げる。
「うわぁ……。」
力なく笑う。
「想像以上に反動つらい……。」
別れるって。
こういうことなのか。
仕事なのに。
ちゃんと割り切っていたつもりなのに。
いざ終わると、こんなにも苦しい。
「やだなぁ……。」
ぽつりと漏らす。
しばらく沈黙が流れた。
ふと、弓弦は顔を上げる。
「……でも。」
「破局理由って、どうするの?」
「この状況から、世間に何て説明するの?」
その問いに。
沙織は苦しそうに顔を歪めた。
「……弓弦。」
「うん?」
「ほたるちゃん。」
「めちゃくちゃ、いい子じゃない。」
突然の言葉だった。
「……うん。」
それは迷わず頷けた。
「知ってる。」
世界で一番。
そう思っていた。
沙織は静かに続ける。
「何があったと思う?」
弓弦は首を横に振る。
「ほたるちゃん。」
「しばらく仕事を休むそうよ。」
「……え?」
息が止まる。
「今回の一件。」
「全部、自分が背負うって。」
頭が真っ白になる。
「……何で。」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
仕事。
それはほたるにとって、生きることそのものだ。
誰より仕事を大切にしていた。
休みの日でさえ。
「もっと働きたい。」
そう笑っていた子だ。
そのほたるが。
自分から仕事を休む。
そんなこと。
あり得るはずがない。
沙織は静かに話し始めた。
「少し前にね。」
「ほたるちゃんが、私に会いに来たの。」
「……え?」
「誰にも内緒で。」
「あなたを守ってほしいって。」
あの日のことを。
沙織はゆっくりと話した。
極秘で会いに来たこと。
当面の間、弓弦を一人にしないでほしいと頼まれたこと。
篠宮誘人が動くかもしれないと告げられたこと。
そして。
その言葉を信じて会食を中止した翌日。
あのニュースが流れたこと。
弓弦は黙って聞いていた。
何も言えなかった。
「……守られたのよ。」
沙織が小さく言う。
「あなた。」
「ほたるちゃんに。」
「そして。」
「見逃された。」
一度だけ視線を落とす。
「篠宮さんに。」
「……。」
その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「もし、本当に潰すつもりだったなら。」
「次の手が打たれた。」
「でも。」
「そうならなかった。」
「篠宮さんは、最後はあの子に全部背負わせて、この件を終わらせた。」
静かな部屋。
弓弦は拳を強く握り締める。
胸が痛い。
苦しい。
どうして。
どうして、そこまでして。
自分を守ったんだ。
何も知らないまま。
笑っていた自分が、情けなかった。
しばらくして。
沙織はふっと笑う。
どこか寂しそうに。
「ねぇ。」
弓弦を見る。
「あの子。」
「うちに引っ張ってこれないかしら。」
「……え?」
「アステリアに。」
沙織は真っ直ぐ言った。
「もし、あの子がうちに来てくれるなら。」
「私は。」
一切の迷いなく微笑む。
「今度は、私が。」
「全力で守るわ。」
その言葉には。
社長としてではなく。
一人の母親としての覚悟が込められていた。




