60.
⭐︎60.
軽やかな音楽が、静かな部屋に流れていた。
どこまでも明るいオープニング。
青い空。
色鮮やかな街並み。
笑い声。
夢の国。
画面の中では、司会者が弾む声でデートの見どころを紹介している。
『それではご覧ください! 大反響だった、ゆずほたデート編です!』
歓声。
拍手。
スタジオの笑い。
そして。
画面いっぱいに映し出されたのは、二人だった。
御影弓弦。
そして、ほたる。
ランチタイム。
ほたるがスプーンを持ち、小さく首を傾げる。
『はい、あーん。』
照れ隠しに笑う弓弦。
耳まで真っ赤にしながら、それでも素直に口を開ける。
周囲から歓声が上がる。
『かわいいー!』
『王子が照れてる!』
『ほたるちゃん限定映像!』
弓弦は照れながら頭をかいた。
『……だって、ほたるが可愛いことするから。』
その一言で、スタジオはさらに甘い空気に包まれる。
誰が見ても分かる。
この男は。
心から、ほたるを好きなのだと。
以前まで。
“王子”
“俺様”
そう呼ばれ続けてきた男。
誰に対しても余裕を崩さず、女性をさらりとエスコートし、どこか近寄りがたいほど完成されたアイドル。
そんな男が。
ほたるの前だけでは違った。
優しく笑う。
困ったように照れる。
大切そうに見つめる。
その変化は、演技では誤魔化せない。
画面越しですら伝わってしまうほど、本物だった。
一方のほたるも同じだった。
普段の営業用の笑顔ではない。
アイドル・ほたるの完璧な笑顔ではなく。
どこか肩の力が抜けた、自然な微笑み。
あんな表情を見せる相手がいる。
それだけで十分だった。
視聴者は、その事実に夢中になった。
SNSでは毎日。
『尊い。』
『結婚して。』
『この二人をもっと見たい。』
『癒やされる。』
そんな言葉が溢れ続けている。
数字も。
視聴率も。
動画再生数も。
スポンサーの反応も。
すべてが右肩上がり。
終わるどころか。
熱は日ごとに増していた。
静かな部屋。
テレビだけが明るい。
高層ビルの最上階。
分厚い絨毯が足音を吸い込み、壁一面のガラス窓からは夜景が広がっている。
その部屋で、一人の男だけが無言だった。
革張りの椅子に深く腰掛け。
長い指先で、ゆっくりとグラスを回す。
氷が、小さく鳴った。
「……。」
篠宮誘人は、テレビから目を離さない。
やがて。
誰に聞かせるでもなく、小さく笑った。
「こんなの……。」
静かな声だった。
「すぐ終わると思ってた。」
独り言。
「一時の熱だと。」
カラン。
また氷が鳴る。
「……読みが外れたな。」
その声だけが、静まり返った社長室に落ちた。
画面では。
腕を組みながら歩く二人。
笑い合う二人。
時折目が合えば、自然に笑ってしまう二人。
演出では作れない空気。
それがそこにあった。
世間は、2人に一向に飽きない。
むしろ。
もっと。
もっと。
もっと見せろと求め始めている。
ドラマ。
CM。
音楽番組。
雑誌。
イベント。
共演希望の依頼は、日に日に増えていた。
「……この流れは。」
誘人はゆっくり呟く。
「まずい。」
それは、会社の利益の話ではない。
むしろ利益だけを見れば、これ以上ないほど成功している。
ほたるの価値はさらに上がった。
広告価値も。
話題性も。
市場評価も。
完璧だった。
なのに。
胸のどこかが。
じわり、と黒く濁る。
その感情に気付いてしまった。
「……。」
誘人は目を閉じる。
思い浮かぶ。
まだ何も知らなかった少女。
笑い方も。
話し方も。
芸能界の歩き方も。
全部。
全部。
自分が教えた。
泣きそうな夜も。
眠れない朝も。
隣にいた。
誰も信じられない世界で。
唯一。
自分の言葉だけを疑わなかった子。
――かわいい子だった。
誰より素直で。
誰より従順で。
だからこそ。
完璧なアイドルへと育て上げた。
世間が求める理想。
決して届かない天使。
恋も。
欲も。
人間らしさも。
全部、隠して。
誰にも触れさせず。
誰のものにもならない存在。
そうして作り上げた。
自分だけの最高傑作。
なのに。
今、テレビの中のほたるは。
あんな目をしている。
柔らかく。
安心しきった瞳。
信頼。
愛情。
そんなものが滲んでいる。
その視線の先にいるのは。
自分ではない。
御影弓弦。
「……。」
誘人の笑みが、ゆっくり消える。
静かな部屋。
時計の秒針だけが進む。
カチ。
カチ。
カチ。
その音だけが、異様に耳についた。
「……面白くない。」
ぽつり、と漏れた声はあまりにも小さい。
けれど。
その一言には、押し殺した感情が滲んでいた。
「本当に。」
口角だけが、不自然に上がる。
笑っているのに。
目だけは。
少しも笑っていなかった。
まるで。
大切に磨き続けてきた宝石を。
誰かに勝手に持ち去られたような。
そんな静かな喪失感だけが。
夜の社長室に、ゆっくりと広がっていった。




