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あの日のスピカ。  作者: ツユクサリヒト


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60/72

60.




⭐︎60.




 軽やかな音楽が、静かな部屋に流れていた。


 どこまでも明るいオープニング。




 青い空。


 色鮮やかな街並み。


 笑い声。


 夢の国。




 画面の中では、司会者が弾む声でデートの見どころを紹介している。




『それではご覧ください! 大反響だった、ゆずほたデート編です!』



 歓声。


 拍手。


 スタジオの笑い。



 そして。


 画面いっぱいに映し出されたのは、二人だった。




 御影弓弦。


 そして、ほたる。



 ランチタイム。


 ほたるがスプーンを持ち、小さく首を傾げる。




『はい、あーん。』



 照れ隠しに笑う弓弦。


 耳まで真っ赤にしながら、それでも素直に口を開ける。



 周囲から歓声が上がる。




『かわいいー!』


『王子が照れてる!』


『ほたるちゃん限定映像!』



 弓弦は照れながら頭をかいた。




『……だって、ほたるが可愛いことするから。』



 その一言で、スタジオはさらに甘い空気に包まれる。



 誰が見ても分かる。


 この男は。


 心から、ほたるを好きなのだと。




 以前まで。



 “王子”


 “俺様”



 そう呼ばれ続けてきた男。



   

 誰に対しても余裕を崩さず、女性をさらりとエスコートし、どこか近寄りがたいほど完成されたアイドル。




 そんな男が。


 ほたるの前だけでは違った。



 優しく笑う。


 困ったように照れる。


 大切そうに見つめる。



 その変化は、演技では誤魔化せない。


 画面越しですら伝わってしまうほど、本物だった。




 一方のほたるも同じだった。


 普段の営業用の笑顔ではない。




 アイドル・ほたるの完璧な笑顔ではなく。


 どこか肩の力が抜けた、自然な微笑み。



 あんな表情を見せる相手がいる。


 それだけで十分だった。


 視聴者は、その事実に夢中になった。





 SNSでは毎日。


『尊い。』


『結婚して。』


『この二人をもっと見たい。』


『癒やされる。』



 そんな言葉が溢れ続けている。



 数字も。


 視聴率も。


 動画再生数も。



 スポンサーの反応も。


 すべてが右肩上がり。



 終わるどころか。


 熱は日ごとに増していた。



 静かな部屋。


 テレビだけが明るい。


 高層ビルの最上階。



 分厚い絨毯が足音を吸い込み、壁一面のガラス窓からは夜景が広がっている。




 その部屋で、一人の男だけが無言だった。


 革張りの椅子に深く腰掛け。



 長い指先で、ゆっくりとグラスを回す。


 氷が、小さく鳴った。





「……。」



 篠宮誘人は、テレビから目を離さない。


 やがて。


 誰に聞かせるでもなく、小さく笑った。




「こんなの……。」


 静かな声だった。




「すぐ終わると思ってた。」





 独り言。


「一時の熱だと。」




 カラン。


 また氷が鳴る。





「……読みが外れたな。」


 その声だけが、静まり返った社長室に落ちた。




 画面では。


 腕を組みながら歩く二人。


 笑い合う二人。




 時折目が合えば、自然に笑ってしまう二人。


 演出では作れない空気。





 それがそこにあった。


 世間は、2人に一向に飽きない。




 むしろ。


 もっと。


 もっと。


 もっと見せろと求め始めている。




 ドラマ。


 CM。


 音楽番組。


 雑誌。


 イベント。



 共演希望の依頼は、日に日に増えていた。





「……この流れは。」




 誘人はゆっくり呟く。





「まずい。」



 それは、会社の利益の話ではない。



 むしろ利益だけを見れば、これ以上ないほど成功している。


 ほたるの価値はさらに上がった。





 広告価値も。


 話題性も。


 市場評価も。




 完璧だった。


 なのに。




 胸のどこかが。


 じわり、と黒く濁る。




 その感情に気付いてしまった。




「……。」




 誘人は目を閉じる。




 思い浮かぶ。


 まだ何も知らなかった少女。




 笑い方も。


 話し方も。


 芸能界の歩き方も。




 全部。


 全部。


 自分が教えた。




 泣きそうな夜も。


 眠れない朝も。


 隣にいた。




 誰も信じられない世界で。




 唯一。


 自分の言葉だけを疑わなかった子。





 ――かわいい子だった。


 誰より素直で。


 誰より従順で。


 だからこそ。




 完璧なアイドルへと育て上げた。


 世間が求める理想。


 決して届かない天使。




 恋も。


 欲も。



 人間らしさも。


 全部、隠して。




 誰にも触れさせず。


 誰のものにもならない存在。







 そうして作り上げた。



 自分だけの最高傑作。





 なのに。


 今、テレビの中のほたるは。





 あんな目をしている。


 柔らかく。


 安心しきった瞳。




 信頼。


 愛情。



 そんなものが滲んでいる。





 その視線の先にいるのは。


 自分ではない。





 御影弓弦。





「……。」




 誘人の笑みが、ゆっくり消える。





 静かな部屋。


 時計の秒針だけが進む。





 カチ。


 カチ。


 カチ。




 その音だけが、異様に耳についた。





「……面白くない。」




 ぽつり、と漏れた声はあまりにも小さい。




 けれど。


 その一言には、押し殺した感情が滲んでいた。





「本当に。」





 口角だけが、不自然に上がる。




 笑っているのに。




 目だけは。


 少しも笑っていなかった。





 まるで。



 大切に磨き続けてきた宝石を。



 誰かに勝手に持ち去られたような。







 そんな静かな喪失感だけが。



 夜の社長室に、ゆっくりと広がっていった。



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