56.
⭐︎56.
夜のショーが終わっても。
バルコニーには、まだ夢の続きを見ているような空気が残っていた。
色とりどりの光の余韻。
遠くから聞こえる音楽。
静かになったパークを、ほたるは手すりに寄りかかりながら、ぼんやり眺めている。
『……』
その横顔は、どこか名残惜しそうで。
だけど。
何度か小さく欠伸を噛み殺していた。
(眠そうだな)
弓弦は思わず頬が緩む。
(名残惜しくて、帰りたくないんだな……)
(かわいい。)
今日一日。
朝からずっと笑って、歩いて、遊んで。
普段、人前では完璧なアイドルとして立ち続ける彼女が、こんなふうに気を抜いている姿は貴重だった。
「ほたる。」
『……ん?』
「中、入ろう。」
優しく声を掛ける。
「まだ就寝前トーク撮らないと。」
『あ……。』
夢から覚めたように、ほたるがゆっくり振り返った。
『そうだね。』
二人は部屋へ戻る。
すると、ほたるがふと思いついたように言った。
『せっかくだし。』
『ホテルのパジャマ着よう。』
「え?」
『その方が雰囲気ある。』
「……!」
スタッフが用意していたホテル限定のパジャマ。
真っ白で上質な生地。
胸元には控えめにキャラクターの刺繍が入った上品なデザインだった。
『洗面所借りるね。』
ぱたぱた、とスリッパを鳴らしながら、ほたるは姿を消す。
その背中を見送りながら。
弓弦も着替え始めた。
ボタンを留めながら。
ふと。
(……これ。)
(絶対ほたるちゃん似合う。)
(いや、待って。)
(白パジャマのほたるちゃん!?)
(天使じゃん。)
(妖精じゃん。)
(いや待て待て。)
(俺とお揃い……!?)
動きが止まる。
(お、お揃い……。)
数秒後。
耳まで真っ赤になる。
(やば。)
(カップルパジャマじゃん。)
(公式が俺を殺しにきてる。)
(ありがとうホテル!!)
(ありがとう世界!!)
(帰ったらこのホテル一生推す。)
完全にオタクだった。
そんな一人暴走をしていると。
『おまたせ。』
洗面所の扉が開いた。
「…………。」
弓弦が固まる。
(かわっ……。)
少し大きめだったらしい。
袖は指先まで隠れ。
裾も少し長い。
だぼっとしたシルエットが、小柄なほたるをさらに華奢に見せていた。
(サイズ感が……。)
(神。)
(保護したい。)
(絶滅危惧種認定。)
そして。
弓弦は、さらに言葉を失う。
(……あ。)
化粧を落としていた。
すっぴん。
なのに。
透明感は、むしろ増している。
肌は白く。
瞳は柔らかく。
どこか幼く見えて。
アイドルではなく。
一人の女の子。
そんな雰囲気だった。
(え。)
(すっぴんの方が好きかもしれない。)
(いや、どっちも好きだけど。)
(破壊力が違う。)
(待って。)
(こんなの世に出していいの?)
(俺だけ見ていたい……。)
(いやいやいや!)
(全国のファンに怒られる!)
(でも見せたくない!)
(葛藤!!)
心の中だけ大騒ぎだった。
対するほたるは。
『どうしたの?』
「えっ!? な、なんでもない!!」
『そう?』
本当に気付いていない。
天然だった。
◇◇◇
ベッドに並んで腰掛ける。
固定カメラをセット。
今日一日の振り返り。
「今日一番楽しかったことは?」
『いっぱいあるなぁ。』
弓弦が笑えば。
ほたるも小さく笑う。
自然。
穏やか。
恋人らしい距離感。
弓弦は終始ほたるを気遣い。
話を振り。
拾い。
疲れていることが伝わらないように空気を作る。
その優しさに。
(やりやすい。)
ほたるは素直にそう思った。
甘くて。
優しくて。
ちゃんと恋人。
今、視聴者が求めている”ゆずほた”が、そこに完成していた。
最後は。
『今日は本当にありがとう。』
『おやすみなさい。』
二人で手を振る。
カメラのランプが消えた。
「ん、ちゃんと撮れてる。」
弓弦がハンディーカメラのデータを確認する。
『ふぁ……。』
ほたるが小さく欠伸をする。
それを見た弓弦が笑う。
「寝ようか。」
『うん。』
「片付けとくから。」
機材をまとめ始める弓弦。
ベッドはダブルベッドが一つだった。
(ベッドはほたるちゃんに使ってもらって。)
(俺はソファかな。)
そう考えていた、その時だった。
『……ねぇ。』
眠そうな声。
振り返ると。
大きなぬいぐるみを抱き枕代わりにして。
ベッドの上から、ほたるが真っ直ぐこちらを見ていた。
「ん?」
『……。』
しばらく見つめ合う。
そして。
ほたるが静かに言った。
『する?』
「…………。」
弓弦の思考が止まる。
(………….。)
(え??)
(今なんて??)
完全にフリーズした。
数秒。
沈黙。
『……?』
返事がないことを不思議に思ったのか。
ほたるは首を傾げる。
弓弦は慌てて我に返った。
「い、いやいやいや!」
『?』
「だ、だめ!」
「絶対にダメ!!!」
『なんで?』
純粋な疑問。
悪気なんて一つもない。
だからこそ。
弓弦は真っ赤になりながら、ものすごい勢いで言葉を並べ始める。
「ほたるちゃんは! そんなことしなくても十分魅力的だから!」
『え?』
「無理して俺に合わせなくていいし!」
『……。』
「ほたるちゃんは、もっと自分を大事にして!」
「そんな簡単に人に合わせちゃだめ!」
「ほたるちゃんは!」
「ほたるちゃんはそんなに安くないから!!」
熱弁だった。
完全にオタク全開。
ほたるはぽかんとしたまま聞いている。
『したくないの?』
小さく尋ねる。
弓弦は少し照れたように笑った。
「……だって。」
「ほたるちゃん、俺のこと好きってわけじゃないでしょ。」
「そういうのは。」
「好きな人とするものだよ。その方がきっと幸せだから。」
その言葉に。
ほたるは静かに目を丸くした。
(……変な人。)
自分を好きなのは分かっていた。
だから喜ぶと思っていた。
けれど。
彼は違った。
欲しいのではなく。
大切にしたいと言った。
しばらく黙っていたほたるは。
『……そっか。』
そう呟いて。
ふわり、と笑った。
春に花が咲くような。
柔らかく。
温かい。
飾らない笑顔。
弓弦は息をのむ。
(……きれい。)
今日見たどの笑顔よりも。
その一瞬が、一番美しかった。
ほたるは眠たそうに目を細める。
『……眠い。』
そう言って。
弓弦の手を軽く引いた。
『もう寝よう。』
「え、いや、でも……」
『うるさい。』
くすり、と笑って。
ぎゅっと腕に抱きつく。
弓弦の心臓は限界だった。
(近い近い近い近い!!)
(心臓!!)
(止まる!!)
「ほ、ほたるちゃん……!」
返事はない。
恐る恐る見ると。
規則正しい寝息。
もう眠ってしまっていた。
「……。」
弓弦はしばらく固まったまま。
やがて小さく笑う。
「……ほんと。」
「敵わないな。」
起こさないようにそっと毛布を掛け直し、眠るほたるを見つめる。
今日もまた。
恋をしているのは、自分だけなのだと実感しながら。




